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拝啓櫻井よしこ様「昭和天皇ご発言メモ騒動の顛末は」(2/5)今尚ボタンの掛け違い的自虐外交史観か・

2006-07-29 00:35:45 | 教養・文化・歴史
あれから一週間が経った。
こともあろうに「昭和天皇ご発言メモ」なるものをでかでかと公表公開し、あげくの果てにはジャーナリストのあてずっぽう的推測まで書き加え、いかにも昭和天皇をして「A級戦犯の靖国合祀に対して不快の念」を持っておられたとか、訳の分らない報道がなされたのは先週金曜日(7月21日)である。
(こじつけの私論にて)そもそも靖国問題の根底に在るのは、先の敗戦による「東京裁判」から結果した「A級戦犯」該当者の靖国神社合祀を賛否云々する問題である。終戦から60数年も経過、我が国の外交史観と国家史観の背骨は、未だに未熟である。
我が国、弱腰外交の脆弱性の根拠なるもの、はたまた今日的靖国問題は全て、歴史誤認識ともいえる軟体動物的歴史感覚から派生した負の遺産から成る。

上述、まずは「ご同意」下さる方、
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1945年8月敗戦の結果、我が国は不法な侵略戦争を行なったとされ、東京裁判にて裁かれ戦犯をつくり我が国の誇りを消滅壊滅させ、しめてサンフランシスコ条約締結にて非占領国家から一応の独立を果たした経緯がある。さて、上述の一箇所でも「歴史認識」を違えた場合、異なる判断と方向性が生じてくるのは当然である。
若し、日本国にとって(先の大戦は)侵略戦争ではなく自衛戦争であったとすれば、どうなるか。当然ながら、東京裁判のかの判決はありえないし起こりえない。東京裁判の判決なくして、A級戦犯の対象者は存在し得ない。どうやら、先の戦争は侵略戦争でもなく東京裁判は国際法上不法にて成立しないという判断、現在国際法上の常識とされつつある(らしい)。
歴史は動いている。
歴史は生きている。
歴史認識は目まぐるしくかわる。
我々は正しき歴史認識を持ち、健全なる国家認識とは何かを、今一度、組み立てなおさねばならない。
ならば、先週の昭和天皇ご発言メモとは、なにを意味するものか?全く報道の意味を成さなくなる。こんな無意味で世間を空騒ぎさせる報道、在ってよいのか?
メモの出処は公にできず、内緒のままで済ませるならば、今の我が国に於けるジャーナリズムをして、本来持つべきモラルも倫理も存在しないことの逆証明になるか。
ああ、嘆かわしきかな。日本報道世界の誇りは、いずこに消え去ったか・・・
そんなとき、渡部昇一先生と櫻井よしこ女史、いみじくも時を同じくして、同じテーマを同じ感度で捉えておられるから、痛快になった。

<その1>
 根も葉もない、根拠の無い、出処不明の報道をしたあと、その後の論拠証明たるものが未だに成されていないから如何にも現代日本国に於ける報道なるもの、覗き見趣味的無責任さは丸出しとなって垂れ流し、精神的不衛生なること甚だしく、止まるところがない。
昨日の報道(7月27日)によれば、谷垣禎一財務大臣はポスト小泉に向け「出馬表明」をしたとか。その時に「靖国参拝問題」を否定的に捉える旨、あわせて報道された。何たる事か、自民党総裁選に「靖国参拝問題」を政策に取り上げるのか。ポスト小泉選びの論点とは、そのような低次元且つ無益な「論点」を選び言葉遊びを楽しんでいるほどに悠長な時ではないと考える。
ミサイルがいつ発射されるかわからない周辺隣国暴力団的国家から我が国民と国家を守る安全保障の体制は、どうなっているのか?今後の対応はどうするのか!
そう、
次期総理に於いてして、日本国民は万事承知にて、世界に知れわたっている最重要事項あり。
憲法改正を最大目標としたポスト小泉選びでなくて、どうするか。
ならば国家百年の計=平成新憲法制定内閣とならねばいけないのでは、、、。
そのためには一刻を争って自虐的歴史観から脱却し国を愛す国民の総意を形成する一役をになうは、隣国ではなく我が国のマスコミであり知識人ならびに政治家により、力強いリーダーシップを執って前進あるのみ。と、願ってやまない。

バカバカしく、もう話にはならぬ。が、真っ二つに割れた日本国民の巷の議論をこのまま放ってはおけない。

あらためて整理する。
当シリーズ記事は、
1) 靖国問題をして、如何に無知無意味な論争であるか。という基本姿勢をまずは示したく、
2) 捻じ曲がった我国の国家観を正したく、
3) 悲観的自虐的な我国の国家観を正しく見つめたく、
4) そのためには日本人の日本人による正しき歴史認識を持ちたく、
5) もって日本人として生を授かった我国「日本を愛し」たく、
6) 国を愛する気持ちを携えて、我国の将来を見据えたく、
7) 日本国民老若男女共々、挙って発展的な我が国の将来の「目標」をもてるよう、
とりあえずは、我が頭脳と気持ちを整理する目的にて記事を書く。

本日(2回目投稿)記事、さきの「昭和天皇ご発言メモ」の根底に流れる問題点なるものあり。すなわち、かの東京裁判によって判決を下された「A級戦犯」について考察し、A級戦犯なるものは「そもそも存在しない」と、位置付けたい。東京裁判そのものが違法であったとすれば、A級戦犯は存在しななくなる。存在しないA級戦犯を祀る靖国神社を参拝する行為については、これを百歩譲ったとしても、ゆめゆめ中韓からの中傷を受けるべき行為ではない。いわんや、我が国内の「自虐的国家観を持つ輩殻」から云々いわれる筋合いのものではない。
さて、上述の「展開」分かり切った「事柄」なれど、
以下、櫻井よしこ著『この国を、なぜ、愛せないのか 論戦2006』ならびに渡部昇一先著『「反日」を拒絶できる日本』より引用し、我が脳裏の引き出しを整理しておきたい。

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<その-2>

<櫻井よしこ著「この国を、なぜ、愛せないのか 論戦2006」より引用>
この国を、なぜ、愛せないのか~論戦2006

ダイヤモンド社

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『見せしめにされた東京裁判と“A級戦犯”』(p9~p11)<第1章 国を滅ぼす“理念なき改革”より全文引用>

是非読んで欲しい一冊がある。一〇年近く前に出版された「世界がさばく東京裁判」(佐藤和夫監修、終戦五十周年国民委員会編、ジュピター出版)である。
佐藤氏は青山学院大学名誉教授で、法学博士である。「終戦五十周年国民委員会」副会長として「戦後、日本社会に巣食ってその骨髄をむしばみ、健全な国民精神を頽廃させてやまない」東京裁判史観の見直しと、東京裁判について世界の専門家の評価をまとめたのが同書である。同書は、国際社会の識者八十五人に上る錚々たる人びとの東京裁判批判によって構成される。
たとえば、ソ連封じ込め政策の立案者で、国際政治の権威、ジョージ・ケナンである。彼は一九四八年に来日し、マッカーサーの占領行政に驚愕して書いた。「一見して、共産主義の乗っ取りのために、日本社会を弱体化するという特別の目的で準備されたとした思えないものだった」(前掲書六二ページ)と。
彼はまた、東京裁判を厳しく批判している。「(東京裁判を成立させる)このような法手続きの基盤になるような法律はどこにもない。(中略)公僕として個人が国家のためにする仕事について国際的な犯罪はない。(中略)戦争の勝ち負けが国家の裁判である」(同六二ページ)
マッカーサーのアドバイザーを努めたウイリアム・シーボルド総司令部外交局長は、「本能的に私は、全体として裁判をやったこと事態が誤りであったと感じた。 ・・・当時としては、国際法に照らして犯罪ではなかったような行為のために、勝者が敗者を裁判するというような理論には、私は賛成できなかったのだ」と書いた。
役職上は東京裁判を支持し遂行しなければならない立場の人物でさえ、このように批判したのだ。彼は、抗議の意思を表すため、東京裁判が終わるまで再び法廷には戻らなかった。
そして、以下のことはつとに知られているのだが、再度強調しておきたいのは、マッカーサー自身、東京裁判は誤りだったと告白していることだ。彼の告白は一九五〇年一〇月一五日、ウェーキ島でトルーマン大統領と会見した際の述懐である。また五一年五月三日にマッカーサーは米議会上院の軍事外交委員会で証言し、日本が戦争に突入した動機は「大部分が安全保障の必要に迫られてのことだった」と述べている。『世界が裁く東京裁判』に集められたこれらの証言の数々は、東京裁判についての国際社会、就中(なかんずく)、専門家は、「東京裁判こそ国際法違反である」と断じていることを示している。
ところが、同書の「あとがき」では心痛むことが指摘されている。同書をまとめるために日本の国会図書館などで文献に当たったところ、「意外なほど多くの外国人識者が国際法擁護の立場から東京裁判を批判し、世界的視野に立って『連合国の戦争責任』を追及している一方、日本人研究者の多くが東京裁判を肯定し、日本の戦争責任だけを追及するという極めて自閉的な姿勢に終始していることを知った」というのだ。日本全体が東京裁判史観に染め上げられているのだ。
佐藤氏らは、当初は日本の戦争をすべて侵略戦争として断罪した東京裁判の考えを批判することによって、日本を精神的につぶした東京裁判史観を払拭したい、戦犯の汚名を着せられた一千余人の名誉回復を図りたいと考えていたという。しかし、東京裁判のあまりの無法ぶりを痛感するにつれ、「東京裁判によって貶(おとし)められた国際法の権威を取り戻すためにも、東京裁判は批判されなければならない」と考えるに至ったそうだ。日本人と日本国の名誉と誇りを取り戻したいと考えて始めた調査は、国際社会の至宝のあり方はこんなもので良いのかという義憤および問いへとつながっていったわけだ。
いま、中国も韓国も、日本国の首相に、“A級戦犯”の合祀されている靖国神社に参拝してはならないと言う。私たち日本人は歴史を根幹から見つめ、東京裁判の無法と無効を論点整理し、世界の法秩序と平和を守るためにこそ、東京裁判や“A級戦犯”が見せしめとしての日本断罪であったことを彼らに説いていかねばならない。
(『週刊ダイヤモンド』二〇〇五年七月二三日号)
<引用・完>

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<その-3>

以下、渡部昇一先生の「お考え」を、以下引用してみよう。
渡部昇一著『「反日」を拒絶できる日本』(2006年4月30日 第一刷)より
「反日」を拒絶できる日本

徳間書店

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「第二章 A級戦犯など居やしない」第一項「東京裁判」東条首相の主張~第二項「大東亜戦争は侵略戦争ではなかった」を、引用する。

第一項 「東京裁判」東条首相の主張(p69~p71)
 小泉首相に関して、皇室典範では大いなる疑問を感じましたが、靖国神社参拝を続けていることについては支持しています。
 したがって私は、靖国神社に替わる「国立全没者追悼施設」の新設などという動きには反対です。(以下、本文より3行省略・・)
 昨年夏*、私は東条英機元首相の宣誓供述書の解説を執筆しました。(東条由布子編『大東亜戦争の真実~東条英機の宣誓供述書』解説)。なぜ、終戦直後に刊行されてすぐ発売禁止になった東条英機被告の供述書の解説を書く気になったのかといえば、むろん彼を弁護するためではありませんでした。「大東亜戦争は断じて侵略戦争ではなかった」という東条首相の言い分が正しかったことを世に伝えたいと思ったからです。
 東条被告はこう供述しています。

 《私は最後までこの戦争は自衛戦であり、現時承認された国際法には違反せぬ戦争なりと主張する。私はいまだかつてわが国を本戦争を成したことをもって国際犯罪なりとして勝者より訴追され、敗戦国の適法な官吏であった者が個人的の国際法上の犯人、また条約の違反者として糾弾(きゅうだん)されるとは考えたこととてはない》

 大東亜戦争が侵略戦争ではなく、したがってA級戦犯などというものは全く戦勝国がでっち上げたフィクションにすぎないということを日本人が知れば、A級戦犯を祀(まつ)っている靖国神社に参拝するのは許せないという、中国や韓国からのいわれのない批判など吹っ飛んでしまいます。当然、国家追悼施設など新設する必要もなくなります。そこで、東京裁判の性格をもう一度振り返り、改めて「日本の主張」を伝えたいと思って東条被告の宣誓供述書を取り上げたのです。
 詳しくは後述するとして、東京裁判はいかなる法律に基づくものでもありませんでした。
 あの裁判は連合国軍最高司令官のマッカーサー元帥の権力に基づき、GHQ(連合国軍総司令部)の参謀部が定めた「極東国際軍事裁判所条例」(略称「チャーター」)によって開廷されたものにすぎません。
 「チャーター」というのは第一条から第十七条までありますが、とても短い条例で、一応東京裁判の管轄、実態法、手続法などを記しています。といっても、国際法や慣習法、文明国同士の条約などに拠(よ)ったものではありません。そうした処法律とは一切無関係に、全くマッカーサー一個の権威に基づくだけの条例でした。
 したがって極論すれば、東京合判というのは当時の国際法に基づく正式な裁判ではなく、連合国軍最高司令官のマッカーサー元帥が命じてやらせた「復讐裁判」ないし「私刑」(リンチ)のようなものでした。そんな場で、戦前の日本人は侵略戦争をしたと決めつけられたのです。


第二項 大東亜戦争は侵略戦争ではなかった(p72~p76)
 ところが、その裁判をやらせた当のマッカーサーが、戦後の一九五一年(昭和二六年)五月三日、アメリカ合衆国議会上院の軍事外交合同委員会で「日本が戦争に突入したのは主として自存自衛のためであった」と証言したのです。そこにあげられた理由も、東条被告の主張と同じです。東条被告とまったく同じ意見でした。
 マッカーサーが米上院の軍事外交合同委員会で証言を求められることになった経緯は次のとおりでした。
 昭和二十五年、朝鮮戦争が勃発するとマッカーサーは総司令官として戦線に出ますが、北朝鮮の背後には中国とソ連がいて、際限もなく武器や弾薬を送り込んできていました。そこで彼は北朝鮮の背後に位置する旧満州の爆撃をトルーマン大統領に進言します。合わせて、東シナ海の港湾をすべて押さえる構想も立てました。ところが当時は、世界大戦が終わってまだ五年しかたっていません。ふたたび大戦争に突入するのを嫌ったトルーマンは彼の提案に反対しましたが、マッカーサーがそれでも自説を曲げないため、ついに解任してしまいます。そうしてマッカーサーはアメリカ本国に召還され、上院で証言を求められることになったのです。
 アメリカの上院というのは、「盲腸」などと揶揄(やゆ)されている我国の参議院とは性格がまるで違います。アメリカでは各州の独立性が非常に高いわけですが、そんな各州からふたりずつ議員が送り込まれ構成されているのが上院です。上院が置かれているのはどこの州でもない場所 ― すなわちDC、ディストリクト・オブ・コロンビア(コロンビア特別区)です。ここは連邦会議直轄地で、どの州にも属していません。そこに各州の代表が集まって各州に共通する問題を検討するのです。それがアメリカの上院です。日本の参議院と比べものにならないほど権威の高い議会です。アメリカの学者で、「一人の上院議員の力は下院議員の十人分ぐらいある」と私にいった人もいます。
 各州に共通する問題といえば軍事と外交になります。したがってアメリカ上院軍事外交合同委員会というものは、軍事・外交に関する限りアメリカでは一番権威ある公の場ということになります。
 そんな議会でマッカーサーは、日本が戦争に突入するに至った東亜の事情について、ヒッケンルーバー議員の質問に対してこう述べたのです。

《日本は絹産業以外には、固有の産物はほとんど何も無いのです。彼らは綿が無い、羊毛が無い、石油の産出が無い、錫(すず)が無い、ゴムが無い、その他実に多くの原料が欠如している。そしてそれら一切のものがアジアの海域には存在していたのです。
 若しこれらの原料の供給を断ち切られたら、一千万から一千二百万の失業者が発生するであろうことを彼らは恐れていました。したがって彼らが戦争に飛び込んでいった動機は、大部分が安全保障の必要にせまられてのことだったのです》(小堀敬一郎編「東京裁判 日本の弁明」講談社学術文庫五六四~五ページ)

最後のくだりは非常に重要な指摘です。英語の判る日本人にはみな暗記してもらいたいと思っておりますので敢えて英語でも記しておきましょう。
《Their purpose, therefore, in going to war was largely dictated by security.》
 
 マッカーサーがやらせたといっても過言でない東京裁判の趣旨は「日本は侵略戦争をした」ということでした。ところが、そのマッカーサーがアメリカの上院で「日本の戦争は自衛戦争だった」と証言したのです。しかも、日本の開戦理由については「安全保障のため」であったと指摘しています。
 これは東条首相の宣誓供述書にある「自衛戦であった」という意見とまったく同じです。
 日本の開戦は自衛のためであった、断じて侵略戦争ではなかった ― となれば当然、東条首相は無罪ということになります。
 これこそ、すべての日本人が知らなければならないポイントです。
 戦後に日本人は、大東亜戦争は侵略戦争であったと教えられてきました。戦前の日本は外国の領土を侵略ばかりしていた悪い国であったと教えられてきたのです。そのために自国を貶めるような思想が日本中に蔓延(まんえん)し、日本人としてのプライドはずたずたに引き裂かれてしまいました。ところが東京裁判を開かせ、日本人に罪悪感を植えつけたマッカーサー本人が「日本の戦争は侵略戦争ではなかった」と、折り紙をつけてくれたのです。日本人全員が知らなければいけない「歴史の真実」といっても大袈裟ではありません。
 そこで私は、雑誌「正論」でマッカーサーの証言録の連載を喜んでおり、また『東条英機宣誓供述書』の刊行を奨めたのです。このふたつの証言は、「大東亜戦争は日本の侵略戦争だった」という誤った見方を正してくれる好一対の貴重な資料です。私は、東条首相を弁護するために「東条英機宣誓供述書」の刊行を進めたではありません。大東亜戦争はけっして侵略戦争ではなく、自衛戦争であったという「真実」を明らかにしたくて「東条英機供述宣誓書」の解説を書いたのです。
 東条首相の弁護をしていると受け取られることは私の本意ではありません。
(引用、完)

読み比べていただいて、如何?
渡部先生も櫻井女史も、切り口はいささか異なれども「全く同じ方向のご意見」をお持ちになっているから痛快である。

痛快に思われる方、是非下記バーをクリック願いたい。

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*(第一回関連記事「昭和天皇ご発言メモ報道による、マスメディアの資質を問う」は、こちらから入れます・・)

次号(8月8日記事へ)<続く・・>こちらから入れます・・・

小説「フォワイエ・ポウ」7章(第44回)

2006-07-27 14:14:10 | 連載長編小説『フォワイエ・ポウ』
<添付画像>:(from website of Sir. Sean connery): "Welcome to Micheline's Online Gallery."

 画像は「ショーンコネリー卿」ホームページより。(エセ男爵ブログのBookmark登録済み)
 ミシェリン夫人ギャラリーより転載。(尚、自称?コネリー卿ファンクラブの末席に位置する不肖エセ男爵の引用は、認可されています。いや、ウエブサイトにアクセスされた方、全員OKなのです・・・)

* 前回投稿「第43回掲載小説フォワイエ・ポウ」ご参照は、こちらから入れます。

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7章(7章、最終回・・)
                            著:ジョージ・青木

2(けじめ)-(2)-(4)

「マスター、ちょっとお聞きしたい事があるのです。教えていただけますか?これ、寺元マスターも気にしていたことです。それでズバリ、今、奥さまとは別居中でしょう?」
「そう、もう3年になる。だから、自宅は、もぬけのからだ。そう、このところ2週間に一度帰ってます。今は事務所に寝泊りしているから便利がいい・・・」
「あの、いいですか?もうひとつ聞かせてください。本田さんは、今、付き合っている女性、いらっしゃるの?いないの?」
「いませんよ!」
「・・・」
木村栄は、一瞬であるが沈黙した。が、すぐに、
「あの、今まで浮気した事ありますか?ありますよね。野暮ですね。こんな質問するの・・・」
「浮気した事あるかどうか?さかえさんらしくもない質問だな。なんとなんと、あまり歓迎できる質問じゃないよなあ~」
「ハイ、私、今日はしっかり酔っ払ってます。ワイン飲んじゃったから、さらにさらに酔っ払っています。だからこんな質問できるのです。それで・・・」
「いや、今まで女遊びしていない。といえば、まったく嘘になる。それはね、自分だって男ですから、世界中あちこち。すてきな女がごろごろ転がっているくらいわかっていますよ。知っていますよ。回答はさ、遊んでないといえば嘘になる。というのが答えでしょう」
「わかりました。もうひとつ。答えてください」
「はい、答えましょう」
「フォワイエ・ポウをはじめてから今日まで、そのあたりは、どうなんですか?」
「何、遊んでいるかどうか?ということ?」
本田は確認した。
「そう、そうです・・・」
木村栄は、なぜか、うつむいた。
「さかえさん、はっきりいって『遊んでいない』と、答えましょう。嘘偽りのない、私自身の回答です」
「・・・」
口は回っているものの視線を外したままの木村栄は、うつむいたままグラスを見つめている。

「なんだか疲れたな。さかえさんも今夜は少し酔っ払いすぎている。なんだって、さかえさんの実家は、たしか西区だよね。今日は自分も久しぶりに家に帰ってみよう。方向同じだから、今からさかえさんを送っていこう。その足で、私も帰るから・・・」
本田は電話を回し、いつものタクシー会社を呼んだ。タクシーは5分前後で到着した。直ちに店を閉め、2人はタクシーに乗った。
本田は、もう一度考えた。
(今から、さかえさんを送っていく。ほんとうに、それでいいのか?)
(なぜ、今日に限って、さかえさんは3度もフォワイエ・ポウに足運んで来たのだろうか?その本当の意味は、いったい何なのだろう・・・)
幾つかのシナリオを想定した。が、考えた末の複数のシナリオに描かれたいくつかの行動。そのいずれの実行も、しない。と、本田は決めた。

僅かに明るくなった朝の市内の道路は、空きに空いていた。さすがに夜明け前である。通常30分以上かかるけれども、西区の木村栄の自宅まで僅か10分で到着。そのまま同じタクシーで本田の自宅まで、さらに20分少々。久しぶりに自宅に帰った本田は、冷蔵庫を開き、あらためて飲みなおした。

10日間以上も開かなかった冷蔵庫から、冷たい缶ビールを取り出した。
賞味期限の過ぎる一歩手前のチーズを切り分けかじりながら、350ミリリットルの缶ビールをぐいぐい空ける。すぐその後にシャワーを浴びる。暖まった体から、疲労感が発散し始めると、急に睡魔が襲ってきた。
毛布を取り出し、ソファーに横になった。
目が覚めたのは、午後1時半であった。
(さかえさんを真面目に送っておいて、よかった・・・)
2日酔いではなかった。
が、木村栄を中心にした昨夜の時間経過を思い出す。まだアルコール分が残っているような、直ぐには分析できない味の不鮮明な、中途半端なほろ苦い気分であった。

<第7章、終わり / 8章に続く>

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光陽展「広島展」によせて(最終項)3/3「思いで多き界隈・広島県立美術館」・・

2006-07-24 17:56:25 | 怒素人的美術蘊蓄録
 真夏のように暑い先月6月下旬の夕刻、湿度の高い空気の中、いよいよ瀬戸内海気候独特の「夕凪」の始まった頃、即ち午後6時半頃から夜の9時近くまで、全く広島市内の空気の流れは止まる。空気の流れが止まれば、ビルから発せられる熱気とコンクリート舗装道路からの熱反射、さらには市内を行き交う自動車からの熱気が充満し、照りつける太陽光線と共に「灼熱地獄もどき」の時間帯に突入する頃、広島県立美術館を後にした。

 八丁堀から白島にかけて、全長やく1.5キロの市電白島線の電車道路を西に渡ったところから、あらためて美術館の全景を写しておきたいと思いつき、振り返った。

 
広島県立美術館の入り口には、畳四畳半程度か?大きな白地に赤く「光陽展」の旗看板なるものの存在に気付く。

 撮影位置は、ほぼ真西から、、、。
 6月の下旬にもかかわらず「真夏の灼熱の夕日もどき」の太陽光。斜めにぶつかっているではないか!斜めの光線と影を「捉える」。が、写真の「心得」。等と、ふと思い出したが、いかに斜めの光線といえども、この位置からでは面白くない。面白くないが、この位置から撮影しない限り、他の雑多な建築物が混在するから面白くない。
 結果、妥協的に「オーライ」。
 かくしてこの位置からの撮影は、成功した。おかげで、ぜひとも撮っておきたかった、撮りたかった「対象物」。すなわち「光陽展広島展」の文字、これで何とか撮影できた。望遠レンズで撮ればもっときれいに大きく見えたであろう。しかしここは美術館の建物全風景撮影を主目的とするから、これにて「記録写真的結果?良し!」と、解釈した。
 ちなみに、この広島県立美術館の東隣(写真からすると裏側)には「縮景園」。さらにその東手は!
 わずか、中学3年生の2学期と3学期しか通わなかった「我が母校・幟町中学校」がある。手前(撮影位置の背中、西側)には、合同庁舎・広島地方裁判所からRCC中国放送局の本社社屋、西北隣には護国神社の境内と隣り合わせの「広島城」。さらにお城の北側に道路一本隔てて、我が母校「基町高等学校」などがある。
 そう、
 この界隈は、いささか喧騒なる広島市内の中でも閑静な場所、官庁街にして格調の高い地域である。且つ、懐かしい場所なのでもある。
 はからずも、生まれ故郷は広島なれど、小学校2年生の2学期から中学校3年生の夏休みまで、父親の転勤に伴って転校に継ぐ転校。幼少の頃の思い出は、希薄雑多にして且つ記憶散漫。中でも生活した時間のきわめて短い「青春時代」満載の場所は、この広島県立美術館の界隈にあり。締め括りに、そんな我が青春時代を思い出してしまった「光陽展広島展」の単独鑑賞会なのでありました・・・

おわりになりましたが、光陽会正会員竹村克男氏、こと「悠々さん」(ブログはこちらから入れます)に、あらためて感謝の意を表します。
今後とも宜しくご指導賜りますよう、何卒宜しくお願い申し上げます。

さて、
広島展の鑑賞は!
すばらしい作品の数々に感激しながら全作品を鑑賞。
我が感性は逐一躍動しつつ、異なる感動の連続、、、。
有意義な半日をプレゼントしていただきましたこと、たいへんありがとうございました。
 
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 (・完・・)

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(参考資料はこちらから・・)

「光陽会」(会本部ホームページはこちらから入れます。ホームページ内には、今回展覧会作品の受賞作等、もっと上質な画像をご覧になれます)

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拝啓櫻井よしこ様:昭和天皇メモ公開に寄せて(1/5)お粗末過ぎる我国メディアの資質を問う!

2006-07-21 14:42:10 | 教養・文化・歴史
 昨日(7月20日)夕刻のHNKニュースのトップ報道を視聴するなり、不愉快千万である。
 何処から入手したものか、故・宮内庁長官富田朝彦氏の個人的メモを公開。メモとは、昭和天皇ご在位中に「天皇直々の言葉」として富田宮内庁長官の手記を公表。こともあろうに、一枚の手記から「当時の昭和天皇の想い」を『推測』し、以って『東京裁判A級戦犯の靖国合祀』に対し、昭和天皇御自ら「不快の念」をもたれていたと(視聴者に対し)確信させるべき報道を大々的に行なうから、我輩は怒り心頭に達した。
 加えて、今朝の地方紙『中国新聞』(添付画像をご参照下さい)には、堂々一面のトップ記事に配置するから、更に怒った。

(当該ニュース新聞の論調に対し矛盾を感じ、もって報道に対する不快感をお持ちの方、是非右ランキングバーをクリック、拙ブログの応援いただきたい)

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【その1】

我輩の怒り、その基本的理由あり。

1)(本・第1項、全くの私的感情論であるが)恐れ多くも、これ如きの「ヤラセ報道」に、まるで、そこいらの安物タレントと見間違う如くに、天皇陛下のご真影(お写真)を掲載すべきではない。

2)いやしくも、宮内庁長官を勤めたる故人物(富田氏)の、執務上といえども「個人的なメモ」を、ご本人亡き後ご本人の了解無く、突然に公開してよいものだろうか?

3)宮中に於ける(決して確信はないものの)昭和天皇の「個人的ご発言」を、昭和天皇亡き後になって、更にメモを残されたご本人富田氏亡き後になり、誰の承認をえて公開したのか?

4)まさか、東京の都心の路上やくずかごに紛れ込んでいた「メモ書き」を拾い出し、公開に至ったのではない筈。ならば、このメモ書きの保管者保有者は、一体誰であったか?

5)メモの保管者に問い正したい。もの申したい。その「メモ書き、公開に至る」理由を・・・

6)公開すべき根拠、例えば遺言・遺書なりの添付公開を以って、公開すべきであろうと思う。今の世の中、いくら報道の自由・言論の自由と雖も、あまりにも遣り過ぎた取り違えた言論の自由だと思う。一にも二にも、公開に至った背景を、聞きたい。

7)側近とはいえ、他人がメモ書きした数行の文章で、当時の昭和天皇の『お心』を全て読み取れるのか?無理であろう。会話には一定の流れ、あり。ならば、この一枚のメモにて、富田侍従長と当時の昭和天皇の「包括的会話内容」を推測可能なるか?
会話には最初と最後がある。会話は、当事者にしかわからない側面、多いにある。メモ書き問題が昭和天皇のご意志に関わる問題であるから、なおさらの事、包括的に捉えて判断しないといけない。この度のように会話の一部分を切り取り、天皇のA級戦犯云々につての「ご不快感ありき」までに推測するは、各論調を発信するメディア側の「こじつけ」以外、何物でもない。
いかなる演説、論文、はたまた巷の会話を取り上げても、少なからず「起・承・転・結」なる前後の文脈があり、例えば「起承転結」の「起承」の文脈に於いて肯定的であっても、「転結」の文脈と論調はひるがえって、逆転一転した否定的な帰結になる場合は、多々見受けられる。

かくして、
当時の昭和天皇におかれて、
このメモ一枚から「A級戦犯靖国合祀に対する不快感のご意志」を表された。
とは、
我輩には到底受け取められない。

8)もって、僅か4~5行、文字数400文字に至らない「メモの走り書き」を即ち、昭和天皇の「A級戦犯」に対する嫌悪感、ならびに「靖国合祀」に関する反対意識を推測するのはもってのほかである。まして、このような「重い事情」を、いとも「容易く」、マスメディアにて全国津々浦々まで放映報道むやみに垂れ流し、新聞に至ってはその翌朝、さも一大事件勃発の如く一面記事にて掲げるとは、、、。マスコミの小児的痴呆症なる馬鹿げた実情をさらけ出し、もっていかにも思慮浅く、覗き見趣味的浅はかさ、蛸のぶつ切りの如く報道特有なる破廉恥的恥部を丸出しにするから、破廉恥報道を受け止める側の国民としては、見聞きするもの全て、あまりにも「恥ずかし過ぎる」のではないか。マスコミをして、日本国民を包括的に愚弄するは、マスコミ世界に在って然るべき常識と素養を、疑って止まない。

9)昭和天皇が「靖国参拝」をおとり止めになった(当時の)理由は如何なり?に言及するに、今日的には単純に論じたくは無く、単一の切り口で結論を出すには難解すぎるし、即刻今の我々には押し計かれないものがある。と、観る。
しかしながら、昭和天皇の靖国参拝中止の「確たる理由」を、今、敢えて言うなら、放言してみよう。
例えば、
この度のような悲観史的に「国を愛さない」を言い続けるメディア連中や、「正しき歴史観の無い」一般国民との感情的な相克を避けられた。と言う「意図」を唯一、昭和天皇はお持ちであったはず。と、推測する。

10)かくしてこのメモの前後のお言葉、行間と行間に潜んでいる昭和天皇の真意とは、当時の昭和天皇におかれて、「戦犯問題と靖国合祀にかこつけて、この度のような滑稽且つ無知蒙昧な騒ぎ」を忌み嫌われたご発言の一部分である。とも、解釈できるのではないか。

メディアに於ける「つまみ食い的記事報道」は、是非とも止めてほしい。短兵急も甚だしい。

11)まして笑止千万とはこのこと!小泉総理の靖国参拝の件、さっそく小泉総理本人にインタヴューし、「参拝を、それでも継続なさるか?」と、問う、メディアの幼稚さには、すでに立腹を通り越し、報道のバカバカしさと幼稚さが満ち溢れている。

 このところ、大半のマスメディアの平和ボケ風小児性痴呆症的報道の数々、瞬間湯沸し器的なるシナ大陸嗜好なる媚薬中毒症状的感情のアップ&ダウン。見るも聞くも、ほとほと嫌気がさしている。 

 本日、昭和天皇関係メモ報道は、たぶん明日のTV各局政治社会対談報道番組にて取り上げられると思う。メディアで昭和天皇関連メモ報道なるもの、捻じ曲げられて報道されるは不甲斐ないし、決して捨ておけない。(明日あさって日曜日、政治評論番組・今後のさらなる関連報道・暫く見守りたい・・)
 くわえて、「昭和天皇関連メモ」問題は、報道する側にも受け止める側にも、欠かせない基本的共通認識が必要であるが、その共通認識すら今の我国には存在しない。
 このところの我輩、日本に生を受けた「一人の日本人」として、我国の「正しき歴史観」と、(自身の色眼鏡抜きに)無色透明なる状態に放置され続けている(はずの)「我国の近代史」を、もう一度紐解いてみたいと想っている事、複数回に及び、既に記事にしている。
総括的な我国の歴史の正しき理解、明治以降から昭和史への共通認識の欠如、戦中戦後に流れる「我国の戦争観と事実認識」、さらに東京裁判と靖国問題に関し、只今猛勉強中である。が、この際、勉強中を前倒しにし、関連記事を連載したい。幸いにも、渡部昇一先生の新刊を続読中。加えて、既に通読した櫻井よしこ女史の論戦シリーズとも遭い交え、約4回にわたる「記事連載」したい・・・

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【その2】

少しばかり、我が烈火の怒り収まり、救われた感あり、、、。

本日同紙(中国新聞)の別面関連記事として、『識者談話』というコラムあり。
コラムは左右に分かれ2名の有識者談話が掲載されている。
左に「参拝中止で意思を示す」と題し、憲法研究者の奥平康弘東大名誉教授。
右に、「今の問題と切り離して」と題し、ノンフィクション作家上坂冬子女史。

うまく左右に分けたものだ。
奥平教授の談話は取るに足らず、上坂女史の「談話」、下記にそのまま模写掲載する。(中国新聞社殿、無断掲載をお許しいただきたい・・)


<以下、上坂冬子女史談話・・>
(本日中国新聞関連記事掲載切り抜き、模写分・・)

昭和天皇がA級戦犯によい印象を持っていないといううわさはあった。だが(側近の手でまとめられた)「昭和天皇独白録」を見ると、東条英機元首相に悪い印象は持っておられなかったようだ。今回のメモの出てきた二人(松岡洋右元外相、白鳥敏夫元駐イタリア大使)の名前を見て「ああそうか」と思った。どちらも日独伊三国同盟に関係し、巣鴨プリズンで獄中死した人たち。昭和天皇が三国同盟に反対だった根拠にはなる。今、首相の靖国参拝や合祀・分祀の問題は絞首刑となった東条さんら七人を中心に議論されており、今回発表された昭和天皇の心情とは直接的な関係はない。貴重なメモであり、よく見つけたと感心するが、今の問題と関連付けてとらえるべきではない。昭和天皇が発言当時、幅広い情報を伝えられていたかも疑問で、部分的な情報しか知らなければ正しい判断は下せなかったのではないか。昭和天皇を戦犯にしないよう、東条さんが捨て身でかばった事実をご存知だったのだろうか。ただ、このメモをきっかけに靖国問題は何らかの決着をつけなければならない。これは外国からとやかく言われる問題ではなく、国内問題。アジア外交と並べて語る言葉にごまかされず、日本としてのありようを議論すべきだ。
(以上、坂上女史の「談話」・了)

今、我々一般国民は、まずメディアで見聞きし、解釈消化し、且つ整理した報道の論旨を、それぞれ各々の脳裏に焼き付けておかねばならない「経過+結果状況」または「締め括り」を持つとするならば、これらの全てを、上坂女史に語って頂いている。と、我輩的には満足する。

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 <続く・・>(第2回掲載7月28日には、こちらから入れます)

71,400円也! さあ、あなたなら、どうする?「(別投稿)光陽展広島展によせて」・・

2006-07-20 19:54:20 | 怒素人的美術蘊蓄録
<添付画像>:(広島県立美術館1Fギャラリーショップ入り口にて)

 「フェルメール作・真珠の首飾りの少女」の値段(71,400.-)である!
 
 勿論、コピーである。
 が、重厚な金色の額縁に収まっているから見栄えがする。

 さあ、あなたならどうする?・・・

 私は、買わなかった。
 この先も、買わないであろう。
 若し、フェルメールの描いた本物の絵画を、この金額で如何だ?と、いわれても、買わないであろう。

 フェルメールコピーの金額を確認した後、ギャラリーショップ内に入り、一回りした。展示品は、たぶん何処の美術館とほぼ同じ。
 有名絵画の各種絵葉書から始まり、広島県内の工芸作家の手になるガラス細工竹細工木工製品等々、各種小物雑貨、いやこれは失言、各種美術工芸品なるものが展示即売されていた。
 
 いずれの展示品も、作家の名前・工芸品の「云われ・蘊蓄(ウンチク)」と、価格が表示されている。いずれの工芸品も、工芸作家それぞれの先生方により丹精込めて創作されたもの。それぞれ好き嫌い好みはあれど、作品の良し悪しとその表示価格に見合った作品かどうか?我輩には判らない物ばかり、勢ぞろいしている。
 展示工芸作品の鑑賞巡回しながら、ふと、想った。

 手工芸作品をはじめ美術品一般を「批評」するは、難しいようで容易い。自分の思いついたこと、好きなことを言ってのける事が出来る。しかし「評価」するのは難しい。が、「その作品」を創造する自称他称をとわず「プロ芸術家」となること、至難の業である。と、あらためて思った。すなわち、価格をつけて「他人様」に購入して頂くとなると、自己の作品に自信あり、もって価格をつける勇気ある行為なり!と・・・ 

 数点写真を撮っておきたい展示物や民芸品などあった。が、敢えて写真は撮らなかった。なぜなら、やはり何某かの商品を購入して、店員さんにお断りした上で「ショップ内の写真撮影」をするのがマナーであろう。
 マナーは、守らねばならぬ。
 ショップ内の巡回を済ませ、ますます喉の乾気を覚えつつ、いよいよショップから出る段になり、
やはり、
「せっかくだから、数点の絵画の絵葉書でも購入しておこうか?」
と迷いつつ、それでも思い直し、やはり止めた。
 若し、一点でも買ってしまうと、もう止まらない。手当たり次第に欲しい物のを買いたくなる。つまり、「衝動買いする!」という、悪い癖があるからだ。
 かくしてショッピングは思いとどまり、いよいよ広島県立美術館を後にする。真夏のように暑い先月6月下旬の夕刻、湿度の高い空気の中、いよいよ瀬戸内海気候独特の「夕凪」の始まった頃、即ち午後6時半頃から午後の9時近くまで、全く広島市内の空気の流れは止まる。空気の流れが止まれば、ビルから発せられる熱気とコンクリート舗装道路からの熱反射、さらには市内をそうこうする自動車からの熱気が充満し、照りつける太陽光線と共に「灼熱地獄もどき」の時間帯に突入する頃、広島県立美術館を出た・・・

 <・続く・・> 

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「広島県立美術館」案内は、こちらから入れます・・

厭な梅雨?この時節に「いのち」を救われた観葉植物・・

2006-07-19 18:30:20 | つれずれ紀行
<添付画像>:(我家の玄関先に居座る同居生活植物。撮影日:2006年7月19日午後3時5分~8分?)

 我家の庭先に於いては、大喜びでこの時節の到来を待っていた『観葉植物』あり!・・・・

 最初にお断りしておきたい。お断りではすまない!
 じつは、伏して「お願いの儀」!
 あります・・・

 この観葉植物の名前、恥ずかしながら一切知らない。まったくもって解らないのでありまして、読者の皆様におかれましては、「当該植物の通称・俗称、(なんでもOK & welcome!)」について、(植物学学名までには至らなくとも)ご存知の方、是非にもお教え頂ければ幸せです。
 助かります。
 何卒宜しくコメント欄に明記下さる事、お待ち申し上げております。

 不肖・エセ男爵の無知無学さ、非常識をお笑いになる方、是非、下記ランキングバーをクリック頂き、平素の不甲斐なさを再確認願います!!!!

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さて、
 この冬、2月であるか?我輩の油断にて、ちょっとした管理不行き届きにて茎が凍結したとみえ、茎がしなびかかり危篤状態となり、おおよそ絶命に瀕していた植物は儚い命をなんとか永らえ、いまは、生き?活き?と、復活した。

 そう、
 今年特に長引く厭な「梅雨の時節」に、命を救われた植物がある。

 上述の通り、思い切って「素人外科手術」を施したのである。手順は、しなびた茎を境に切り捨て、空いた苺ジャムの瓶を用意。まだ生きているであろうと思われる植物の上部を「空き瓶」に水差しにして、わが書斎の一番暖かい冬日の射しこむ位置に置き、日々毎週状況を観察した。何と、3月上旬になり、斜めに切った茎の下部から「根っこ」らしき突起物が2~3箇所から発生。ここぞとばかり「鉢植え」にした。暫く様子を見たが、僅かに上部の「葉っぱ」が伸び始めた。4~5月は、庭先に出した。聞くと、鉢の植え替えは梅雨のシーズンがよいと聞く。

 「しまった!鉢への植え替えが、少し早すぎたか?!」

 若干心配したものの、無事「植え替え」は成功したとみてよかろう・・・

 まあ~、エセ男爵ブログ記事にして、とるに足らない「我家の庭の出来事」・・・
 等と、お思いの方も居られるか、、、。 

 しかし、前回の「スズラン記事」同様、これを記事に記事にしたくなった「別の大切な理由」がある。

 ご存知、我が愛読するブログに『日本全国津々浦々』(あすとろ)さん、在り。
 あすとろさんは、我輩の一番苦手とする「日本全国の名所旧跡文化歴史」を紹介するブログにて、特に京都にお詳しい!
好む?!と、好まざる?!に関わらず我が半生、約30年にも及ぶ海外出入り頻繁なる生活環境に於いてして、いかにも日本各地の名勝景観名所遺跡、且つ和の美しさについては、無知無学この上なし。
 比較対照ブツ(外国を歩いた見聞した実体験)を持つからこそ、今頃になって「日本の美」が、わかってきた。日の丸の美しさ、国家・君が代の旋律の良さがわかってきた。家族、親族、学校の同期生や同窓生、同郷の住人を愛する事の大切さがわかった。そして我が国日本を愛し、ならば我国の正しき歴史と豊かな文化を解せねばならぬ事、いよいよ解った。これ、決して遅くは無い。懸命に「我国の歴史と文化」を知る努力を怠ることなく、この姿勢を後輩に知らしめることは、我が残された人生に於ける大いなる責務であると、最近富に想い焦がれるようになった。

 観葉植物の「生き様」を喜ぶがあまり気分は高揚し舞い上がり、和むべく話題は、いささか難しい「生死の大局論」になってしまった。
 
 だから今一度、本日の話題、楽なる方向に転じる、、、。
 
 まずは、「料亭遊び」の経験なく、作法を知らないから、恥ずかしくてお話しにならない!理屈上、和風の粋な遊びを解しても、現場を知らないから、場数を踏んでいないから、もう手遅れであろう。
 
(本件、この際、粋な下町の江戸っ子『T S 隊長殿』に然るべき「ご指導」を請わねばならない!いや、はやりこの際悠々先輩か?!ヌヌ!?ここは一つ、G殿下なるか?まさか刀舟さんではあるまい!!やはり、あすとろさんに違いないか!まだいらっしゃる!いわきの建築家・蜂蜜山葵さん、いや、ひょっとすると短舌薄唇さんかも?禁じ手(お伺いするには恐れ多い)は、櫻井よしこ女史に西尾幹二先生。オオ、これぞ灯台下暗し!即刻「答え」が出そうな感じは「楽農大学」のメンバーか?ひょっとすると、海外在住組?中でも「ユキノヒノシマウマさん」かも?)

 華道・茶道・書道の作法はおろか、床の間にある掛け軸の良し悪し、書道から派生する?「書の美」は解らず、引いては和服の良し悪し味の違い、和服の着こなし等々皆目興味なく、身近なはずの徳利お猪口、湯飲みから茶碗の類いなるもの灯台下暗しにて、陶器磁器に至ってはチンプンカンプン!まるで和風なる物質芸術品の価値については「猫に小判」の世界を徘徊する、無粋のやから=不肖・エセ男爵なのであります。
若き頃(いま尚)の勉学不足且つ常識の無さを実感する「不良シニア」に於いてして、恥ずかしきかな年甲斐もなく、近年になってようやく「和の美」に目覚めたのであります。(この観葉植物と「和の美の蘊蓄(うんちく)」は、直接関連性無き事にて、敢えてお断りしておきます・・・)
幸せにも、そのような無粋にして不逞な輩を(あんに間接的に)指導し(多いに)啓蒙して頂ける『ブログ』あり。すなわち、日本全国津々浦々(=あすとろさん宅)から、さらに最近になってお伺いを始めたブログ『軽井沢発気ままな独り言』(杜のこびと)さん、在り。
わが仕事に些か関連ある「軽井沢」発『定点観測ご専門』のブログにて、素朴・自然・化粧気無しの「大好きな雰囲気」を発信し続けられ、この時期、「軽井沢の梅雨シーズン」を日々、発信しておられるので、日々、興味深く拝読継続中。

 四季折々、という言葉在り、、。
日本の伝統と文化を育くみ続けて来た、いや、いまからも多いに意識し自然と融和した生活を楽しみたい日本の誇り、すなわち「四季の存在」のありがたさ!を、お教え下さった「杜のこびと」さんと「あすとろ」に、感謝!

今日も両氏に対し、「最敬礼」!

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PS:当日記事、梅雨にヒントを頂いた「杜のこびと」さんと「あすとろ」さんはじめ、Bookmark登録のブロガー様に対し(all at once? 的?!なるご挨拶代りの)トラックバックいたします!読者の皆様には、両氏のブログも合わせ応援方、何卒宜しくお願い申し上げます。

光陽展「広島展」によせて(結び・1/3)

2006-07-17 16:28:05 | 怒素人的美術蘊蓄録
<添付画像>:広島県立美術館1F館内売店入り口付近(撮影日:2006年6月30日夕刻)
 
 出展作品の総数120点は、それぞれ1点ずつ真面目に鑑賞した。それぞれの作品にはそれぞれの個性がある。作者の作品の作為?作品の原型を想像する!作者のひととなり?を想像する・・・
絵画という想像世界を独りきりで楽しみたく、且つ、楽しめた。

「悠々さん出展作品を探しつつ・・」
「見つけた(竹村克男氏、作品・奥入瀬の激流)!」

「在った!」

会場のほぼ中央部に展示してあった。

もしも、鑑賞集中力怠慢にしてに手抜き行為あらば、「光陽会正会員の悠々」先輩(かの、招待状をお贈り頂いた)の御厚意に対し失礼な行為、いかにも申し開きが立たない。
しかし、なんだか疲れた。
足腰の疲れはともかくも、神経をすり減らしてしまった。
光陽展広島展の地下特別会場にて約2時間近く鑑賞の後、喉の渇きを覚え、冷たいミネラルウオーターと共に熱いコーヒーを飲みたくなった。
「ならば、イザ、例のお洒落感覚満載のレストラン喫茶店へ!」
県立美術館の付帯施設として、瀟洒なイタリアンレストランカッフェなるものあり。しかし、一人では入りたくない場所である。ほとんど女性客で占められており、我輩一人で入り、コーヒー一杯の注文のみでは、どうも面白くない。
「決めた!行きつけの喫茶店に行こう!」
と、、。
「美術館から徒歩約6分の辛抱をしてみよう」
と、、、。
行きつけのコーヒーショップにたどり着くまで辛抱する事にした。
いよいよ美術館を去ろうと思い、出口を探した。ことさらに出口なるものはなく、入り口は出口であるから出口方向に向かったら、進行方向右手に「Musium Shop」なるものがるではないか。
しかも、どこかで見た顔。
我輩に向かってなんだか語りかけているように思われる。
が、ここは、
「中世オランダ語の田舎弁で話してもらっても理解できないぜ?」
「さて、如何しようか?」
等と、途迷いつつ、よく観れば!
例のフェルメール君の使用人女性(メイドと称した方が楽かな・・)である。
立派な額縁に入っており、しかも価格札がついているから「うりもの」、すなわち当売店商品である。と、判明。
その価格に、驚いた!
(再度あらためて価格公表する!)
ふらふらと傍まで引きつけられ、(「フェルメール家の召使い」と称したほうがより正確か?)を、撮った。撮影終了後直ちに、そして(自主的ショッピングを忌み嫌う我輩にとっては)珍しくも、ショッピングセンターなるものに入った。

 (・続く・・)

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(参考資料はこちらから・・)

「光陽会」(会本部ホームページはこちらから入れます。ホームページ内には、今回展覧会作品の受賞作等、もっと上質な画像をご覧になれます)

光陽展広島展によせて:「なぜにフェルメール回想となるか?」

2006-07-16 21:44:10 | 怒素人的美術蘊蓄録
添付画像: Photo gallery for "Girl with a Pearl Earring, 2003"(映画「真珠の首飾りの少女」フォトギャラリーより)

上記掲載画像は「写真画像」である。フェルメール作品の模写ではなく、コピーでもない。本物のフェルメール絵画のコピーと見比べていただきたい。
映画の中、17世紀のフェルメール家の家政婦見習(最年少の家政婦役)に扮する女優もすばらしい。が、フェルメールの描いた女性の方が「エキゾティック」か。まして妖艶さも漂ってくるから不思議である。是非見比べていただきたい!ヨハネスフェルメール作『真珠の耳飾の少女 (1665年頃)』(ウイキペディア百科事典資料より引用。・・こちらから入れます)

(いずれ劣らぬ「芸術世界の中」に生まれた美女である!と、お感じになったら、是非書きランキンブダペストバーをクリック頂き、「不肖・エセ男爵ブログ」の人気?不人気の度合い?を、チェック願いたし!)
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 さて本日、さみだれ文章にて起承転結相成らず、まともなエッセイにもならぬ単なる「落書き」記事にて、ご了承願いたい。

 それは、光陽展広島展の鑑賞に赴く前の、単純な出来事から始まった。
6月の中旬だから、おおよそ2週間前か、フェルメールの生涯を描いたハリウッド映画作品を(テレビ有線放送洋画専門チャンネル)にてたまたま途中から観た。たちまち上映途中から、その美しい映画に吸い込まれた。添付画像は、映画における真珠の首飾りの少女役となった女優のスチール写真。その他、主要な映画場面のカットは、まるでフェルメール絵画の特徴を捉えきっている。フェルメール絵画的な「淡い光源」、光源光線の反射と、それによってできる陰影など、写真画像では描ききれないであろう筈のもの。これら、写真技術にて忠実に再現し、見事にフェルメールの世界を想わせるから、脱帽して最敬礼。

映画「真珠の耳飾の少女」のコマーシャルwebんか!?是非ご参照下さい。(こちらクリックにて入れます!)

真珠の耳飾りの少女 通常版

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このアイテムの詳細を見る


 意識して洋画専門チャンネルを鑑賞したわけではなく、映画は途中から鑑賞開始した。フェルメール役の男優は、17世紀のオランダ画家として演技しきれており、実にすばらしい。オランダ17世紀の風景から始まり当時の都市生活の空間、上流階級と庶民の生活の対比など、映画全体を通しカメラワークは、みごとに17世紀の時間と空間を浮き彫りする。「フェルメール絵画の世界」を基調とした「フェルメール絵画」を再現しきっているから見ごたえがある。
 すなわち、17世紀ヨーロッパの典型的な発展途上都市に佇む不衛生且つ活気ある風俗描写を観ながら、自分自身の脳裏思考感性は17世紀の「その時代」にさかのぼり、幻覚症状の如くタイムスリップ状態。情景描写情緒溢れる映画画像に呑み込まれてしまった。
 貴族階層あるいは当時より勃興し始めたブルジョワ階級の「スポンサー」なくして成立しなかった「風俗画家としての生活」は、貴族と庶民の生活を行き交うものか。古い中世のしきたりと商業国として活気溢れる当時のオランダ近世都市生活の上流社会の様子。庶民と貴族のはざ間に立つ絵画作家の試行錯誤と修練、作品製作現場の様子。あれや、これや、撮影カメラは躍動し追い続け、静止画像たるフェルメール的絵画作品の特徴を基調とした対象を、動く映像に再現している。まずは純粋に感動し、なぜにここまで絵画の世界に密接密着可能なる現代の撮影技術に驚嘆する。


 詳細各画面を、切り取って眺めるも、よし・・
 映画画面全体の動きを連続的に観るのは、当然よし・・
 映画画面の一部を切り取ってみるも、よし・・・
 肝心な映画のストーリー性、ドラマティックな心理描写、これまた最良!

 これ、まさに「絵画芸術」と「写真(動画)芸術」の競演か?いずれにしても両者の極致を看たり・・・


 もう一度、最初から(真面目に)観てみたい映画です。

 そして、
 広島展鑑賞感想をつずる中、なぜにフェルメールを意識するか?
 今一度、整理してみたい。

 <・続く・・>

オランダ政府観光局の「特集フェルメール・青いターバンの少女」公式案内(こちらから入れます!)オランダの風景と風俗人物描写はすばらしく、公式案内をめくるだけで、オランダが好きになるかも、、、。

7月3日投稿「作品:ティータイム」の鑑賞感想文

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(参考資料はこちらから・・)

「光陽会」(会本部ホームページはこちらから入れます。ホームページ内には、今回展覧会作品の受賞作等、もっと上質な画像をご覧になれます)

光陽展「広島展」によせて・(特別感想文になってしまった・・)

2006-07-14 21:24:20 | 怒素人的美術蘊蓄録
<添付画像>:「光陽展広島展・会場風景」
(撮影場所:広島県立美術館地下特別展示会場・撮影日:本年6月下旬)

昨夜(7月13日)出張先より帰宅して開いた「The Mail」!
2度読み返し、慌てて返信したメールです。
大学先輩OT氏から、大変興味深いご指摘と質問を寄せて下さった。
先の記事、光陽展鑑賞感想文シリーズの関連にて、(一旦、先輩OT氏の許可を得て)記事として投稿する事にいたしました。

以下、『交信メールの記録』です。

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Re.Re.Re: 光陽展(広島展)によせて(5/6)-2作品テイータイムを鑑賞する、を読んで。(昨夜、夜中近くに送信・・)

OT先輩
UTくん

こんばんわ。
メール、大変ありがとうございます。
そしてお詫びです!
日曜日から出張に入り、先ほど広島に戻ってまいりました。
出張中、何故か自分のパソコンのOutlook Express の調子が悪く、メール配信元のOCNBOXから直接受信送信の遣り取りししていた時、誤って、OT先輩から頂いている(10日月曜日付け)のメールも、迷惑メールと一緒に配信元から(根元から)削除してしまったようで、本日帰宅し、たった今、UTから先輩宛メールcc配信を貰って気が付いた次第です。
彼からccメールを送って貰うまで、結果は先輩からのメールを無視且つ削除。ご返事も書いておりませんで、大変申し訳ございません。
あらためてお詫び申します。
不手際、どうかお許し下さい。
さっそく今から、落ち着いて拝読し、改めて明日、お礼と感想の感想メールをお送りさせて頂きたく、どうぞ宜しくお願いします。

不肖エセ男爵 拝

----- Original Message -----
From: "t u" (我が旧友UT氏)
To: "O T" (先輩OT氏)
Cc: "ese-danshyaku
Sent: Thursday, July 13, 2006 10:23 PM
Subject: Re: 光陽展(広島展)によせて(5/6)-2作品テイータイムを鑑賞する、を読んで。


> OT 様
>
> このメール何度も何度も読みました。
> そして「エセ男爵」君のブログの絵画何度も何度も見ました。
> 感じた事は、自分が少し恥ずかしかったことです。
>
> 実は彼のブログはいつも覗きます、そして自分はポイント要員の自覚逞しく協力している程度です。もちろん興味やら彼の熱心さには敬服しております。 
> だけどOTさん程、真剣に、真面目に覗いておりません、何もかも見過ごしていた様に思います。 何もこれは彼のブログを軽視していた訳ではないのですが、捉え方が違っていたのですね!
>
> OTさんのコメントを何度も読む内に、小さなものに対する幅広い捉え方を教わった様に思います。
> 何もかも一生懸命見つめると面白いですネ、またこんな類のコメントを楽しみにしております。
>
> それと詩歌の件ですが、どうも自分で勝手に構えてしまってうまくいきません、素直に詠めばいいとの思いはあるのですが、・・・正直格好つけようとする下種な思いがのさばるんでしょうね。でも人の作られた詩歌に心を奪われ、その状況に浸り、その気になるのはとても好きなんです。 結局見栄がある内は駄目ですかね?
>
> では・・・また。
>
> 2006.7.13. T.U
>
> ----- Original Message -----
> From: "O T"
 To: "ese-danshyaku"
> Cc: "e-U T"
> Sent: Monday, July 10, 2006 12:12 PM
> Subject: 光陽展(広島展)によせて(5/6)-2作品テイータイムを鑑賞する、を読んで。
>
>
>> ese-danshyaku殿
>>
>> この作品には光源が4箇所取り込まれています。左手壁の上窓からの強烈な太陽光線、その反対右側からは暖炉の手前側が白く描かれるほどの強烈な照射光があり、マンドリンと花瓶の前にもそれが描かれている。次に、右窓から照射されているであろう光源が暖炉の手前に一箇所あり、その反射光で暖炉の中味が見えるように描かれている。さらにもう一箇所は同じ方向の位置からテーブルの足元を照らしている。
>>
>> 左手壁の上窓からの光源が太陽なら、男爵がご指摘の通り、「人工光源で無い限り、左右まったく異なる方向からの強力な太陽光線が差し込んでくる事は考えられない。自然光に頼って撮影した写真芸術ならば、全く撮影製作不可能な「画面」であるが、絵画という技法により人工的作為により描かれた「作品」なるか」、と感想を書いていますね。同感です。
>>
>> でも、私にはこの作品に、もう一つの大きな不自然さを感じざるをえないのです。確かに4箇所の光源があり、全体が明るい事は感じられますが、実際の環境はどうだったのでしょうか。テーブルの上にあるコーヒー茶碗やポットには光と陰がまったく存在していません。暖炉の側壁のように光を受けている感じは描かれていますが、テーブルの上にある物は全部ベタ状態です。4つの光源が描かれていても陰がないのはなんとも不思議な絵画というか、私にはよく理解できません。しかも、部屋全体がいかにも明るすぎます。4つの光源には必ず陰が存在し、部屋も明るい場所と暗い場所があるはずです。この絵画からはそれらを現実的に感じられません。もう一つ。花ですが、これもどんな花なのか、想像させてくれませんし、花瓶も形が不鮮明でどんな花瓶なのかもよくわかりません。特に花瓶の下部はなにがどうなっているのでしょう。花はそれともアートフラワーなのか?とにかく、よくわかりません。
>>
>> 男爵のコメント「絵画という技法により人工的作為により描かれた『作品』なるか」だとすると、自然観察が無視された、想像で作成されたかもしれないかかる絵画を光陽展(広島展)が採択したのは、いったいどのような芸術性を評価したからか。素人にもわかる、切り込んだ絵画評論が欲しいところです。ご教示願いたく。
>>
>> O T.


<以上、Eメール3通。大学の「先輩OT氏、同級生UT氏、不肖エセ男爵」なる3者間によるメール交信文より転載・・>
   
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OT先輩には、我が追記の感想文としてEメール返信にて「お答え」しようか!とも、思ったのですが、結局本日午前中、OT先輩宅に突然お電話をおかけし、運良く先輩は在宅中。久しぶり(1年ぶりでしょうか?)に先輩のお声を聞きながら、「我が思い」の追加、電話会話にてお話した次第です。
OT先輩の撮影された写真は昨年の晩秋、拙ブログにて公開している通り、たいへん審美眼正しき晩秋情緒溢れる画像。(晩秋の榛名湖、はたまた草津温泉の画像、是非あらためてのご参照!こちらから入れます)
学生時代から英語は堪能というよりも、すでに群を抜いており学生時代に「通訳資格」試験合格された数少ない秀才。ご自身の能力を活かされた仕事をされ、今尚、専門分野の特殊翻訳作業をなさる「つわもの」。
いつの頃か、趣味にて「俳句」を。なんと、優雅にて侘び寂びの情緒世界を理解される人物です。
英語の達人が、何の因果で俳句の世界へ?そして、我が同級の友UT君も俳句をやっているとか。
そのような御仁との遣り取り、ご披露申し上げたくなったのです。
そして、(本日午前中の電話の会話にて先輩にお伝えした)我輩の「追記説明」?!とは、

1) 実は、先輩と同感にて、左右2箇所の光源以外にもう2箇所の光源の存在を感じつつ、たぶん2箇所の強力な光源から発せられた(壁と床からの)反射光であるか?と、感じつつ、

2) 描かれている絵画の中、複雑なる「光源」の存在なくしては描けない、すなわち「自然光」から逸脱した世界を描かれているわけで、(特に)写真をやっているものにとっては不自然な構図である事、無様極まりないが、それをもって「人工的なる絵画の世界」である。と、不自然さに妥協した「不肖・エセ男爵」自身の存在あること、認めました。

3) 尚、当該作品「ティータイム」は、アイスホッケーのゴール、いやハンドボールのゴールの大きさに匹敵する作品面積(正確なる絵画の号数は、光陽会HPに記載されています)であり、絵画中の各小道具は、微細を通り越して緻密。マンドリン・電話機・ティーセット等々の細部、見事に丁寧に描かれ、道具が多すぎて一度に細部まで鑑賞するには、到底至らず。物理的に不可能なり。と、判断。各小道具に目をやるだけで終日掛かるならば、日を変えて鑑賞すべし。鑑賞する異なる日々それぞれに、異なる角度にて満足できる可能性は大であり、

4) 鑑賞した後の満足感は、絵画の魅力と評価に繋がるものであること、あらためて申し上げた次第です。(たぶん、好き嫌いの世界なのでしょう・・・)しかし、不自然さを感じ始めたら、その瞬間から「その作品」に対し、必ずや「アキ(厭き)」なるもの到来するか。等と、・・・

5) しかししかし、詰まるところ自分自身、絵画は全くの素人なり。本来、絵画評論に及ぶなど恐れ多く、ならばいかにも無知なるを以って、下馬評を論ずるは、作品ティータイムの作者様ならびに審査員の方々に対し無作法なる仕業にて、ひいては「我が無知なるを以って赤恥をかく」顛末に至るを避けるがあまり、感想論評の結論をぼやかした感、無きにしも非ず。。。
などと、電話の直接会話にて、先輩OT氏にご説明申し上げた。

かくして本日、時間は午前から午後に、経過・・・
経過と共に、自分自身の反省材料など内部発覚するから、面白い・・・
つまり、自分自身の「赤恥」が見えてきたのです。
自分自身の芸術感覚に対する教唆、すなわち、精神的内部告発に発展してしまったのです。

そして結論は・・・
先の投稿「志賀直哉小論文・リズム」に於ける、芸術表現に必須なる「作者の勢い」を感じなくなった作品は、いかなる美文であろうと「マンネリズム」に分類され、芸術作品として魅力のない「駄作」に位置するものとして、我が芸術鑑賞感想文としての「詰めの甘さ」を自覚。すなわち修行の足りなさをあらためて認めるものの、さりとて落胆することなく、さらなる修行に励む心意気を、先輩OT氏からご教授頂いた次第です。

<・了・・>

(光陽展鑑賞感想文は、今後二回投稿予定。いよいよ最終項に続きます・・・)

7月3日投稿「作品:ティータイム」の鑑賞感想文(こちらからご参照頂けます)

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(参考資料はこちらから・・)

「光陽会」(会本部ホームページはこちらから入れます。ホームページ内には、今回展覧会作品の受賞作等、もっと上質な画像をご覧になれます)

小説「フォワイエ・ポウ」7章(第43回) さかえさんの目的達成は途中放棄?挫折か?・・

2006-07-12 23:30:25 | 連載長編小説『フォワイエ・ポウ』
<添付画像>:旧「オーベルジュブランシュ富士」の誇るフレンチレストラン入り口手前右手の「ウエイティングバーカウンター」。開業前、夕刻、オーベルジュフランシュのメインゲート、ロビー方向から撮影する。(撮影年月:2004年晩秋)

 BAR「フォワイエ・ポウ」を巡る人間アラカルトの描写、いよいよ核心に迫っていきます。
 引き続き、マスター本田の健闘、どうぞ宜しく応援してやって下さい!

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* 前号「フォワイエ・ポウ・第42回」掲載は、こちらからご参照できます。

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「長編連載小説フォワイエ・ポウ」7章
                            著:ジョージ・青木

2(けじめ)-(1~2) ~(3)a

そんな時、木村栄が顔を出した。

今までに本田が会ったことのない、別の飲み屋の女性との2人ずれであった。バイト生の石井君がスマートに対応し、木村栄のキープボトルから水割りを作った。
あまりにも小笠原の怒鳴る声が大きく、まして小笠原の席の横に座っている本田に気を使っていた。
その後トイレにたった木村栄に、本田は話しかけた。
「さかえさん、ごめんなさい。もう少し待ってくれないかな。もうすぐ帰るから、彼が帰ったら話し聞こう。それまで待ってほしいが、大丈夫かな・・・」
木村栄はさすがに疲れていた。本田の目には、彼女がかなり酔っ払っているようにも伺えた。
「本田さん、まだしばらく、店開いてますよね。今何時かな?」
時計は11時45分を指している。
「いちど私、帰ってきます。連れの女性もいますから、一緒に引き上げます。そして、あらためて一人で出てきます。そう、一時までには出て来れますから、いいですか?」
「私はかまわないよ。そうだ、さかえさん。それがいい。一度帰ってらっしゃい。そのほうがゆっくりできる・・・」
水割りを一杯注文し、それを空けた木村栄は、小笠原たちの気付かぬまま、静かに店を出た。

めったに遅くまで店にとどまらない今夜の小笠原は、ウーロン茶のおかわりの連続。お茶のがぶ飲みでがんばっていたが、夜中の12時になるとさすが疲れたと見え、ようやく引き上げた。


(2)

閉店時間の午前1時になっても、木村栄はフォワイエ・ポウに現れなかった。
バイト生の石井君は、午前1時ちょうどに引き上げたので、本田は独りになった。
(そろそろ店仕舞いしよう。洗い物の済ませるには30分はかかるだろう。それで若し、手仕舞いの作業が終わっても、さかえさんが来なければ、もう店を閉めて帰ろう・・・)などと、本田はこの時間になって木村栄が店に現われると期待もしなく、長く待つ気もなかった。
そんなときである。
「失礼します・・・」
ドアの開く音と共に、なぜか、いつになく極めて淑やかでおとなしい声が聞こえた。木村栄の声に間違いなかった。店のドアが開き、ジーンズ姿の木村栄が入ってきた。
「遅くなってすみません・・・」
「あ~ やはり戻ってきたのだ。よかったよかった。必ずさかえさんが戻って来ると思って、今まで待っていました・・・」
木村栄の姿を見て、本田は喜んだ。
「いや、一度家に帰るとなんだか急に疲れが出ちゃって30分ばかり、うたた寝しちゃった。慌ててタクシーを呼んで、それでこの時間になりました、ほんとうにごめんなさい・・・」
木村栄の言い訳に対し、本田は何も答えず穏やかに微笑みながら彼女のセリフを聞きいていたのであるが、あらためて彼女の姿を確認した本田は、ある約束を思い出した。
「そう、思い出した!ところで、さかえさん、おなかすいていませんか?」
「・・・」
彼女の大きな目は点となり、その瞬間ますます大きく目を見開きながらも、本田の突然の質問に彼女からの答えができない。
「そう、私の質問した意味を説明しましょう。今から、この時間から、『ニース風・ハムのワイン蒸し焼き』を作ろうと思いますが、召し上がりますか?」
一旦自宅に帰り、すでにうたた寝をしてしまった木村栄の胃袋は、すでに眠っていた。すでに空腹を感じなくなっていた。
しかし木村栄は、あえて・・・
「はい、しっかり。おなか空いています。本田さんの『噂の料理』、是非頂きます。作ってください」
「ウム、わかった・・・」
実のところ、すでに疲れていた本田は今から調理をするのは面倒だった。まさか木村栄から(食べたい!作って欲しい!)などとリクエストが入るとも想定していなかった。すでに下ごしらえは済んでいたから、残る作業は仕上げだけ、である。本田は真夜中過ぎた時間になってからは、油を使い火を通す作業は、あまりしたくなかっただけである。
しぶしぶ本田は作業を開始した。が、決して態度には表さなかった。
(さかえさんとの約束を果たさなければ、自分自身の男がすたる。このメニューを仕上げるのに5分とかからない。こうなったのも成行だ。油煙を被るのも木村栄に対するリップサービスのツケが回っただけだ。リップサービスもいい加減にして、今後、口を慎まなければいかんな・・・)
とか何とか、ばかばかしい自問自答を自分の頭の内部で繰り返しながら、本田はフライパンを振っている。
このあいだ約3~4分間。なぜか2人とも無言である。もちろん本田は、相手と話しながら調理する姿勢を忌み嫌った。彼にとって「調理中」は真剣勝負である。
本田の作業は一段落し、盛り付けをはじめた頃、言葉を発したのは、木村栄だった。
「本田マスター、足が長いですね」
「後ろ姿、とてもすてき、ほんとうにきれいです・・・」
調理を始めた時間から数分の間、カウンターの中で動いている本田の背中から足元に至るまで、本田の後ろ姿の全体を、木村栄はしっかりと観察していた。
「・・・」
さすがに本田も、これには返す言葉が見当たらなかった。が、あえて返事しなければならないと思い、そして答えた。
「いや、さかえさん、そんなことない。自分の足の長さは普通の長さだよ。強いて言えば、ズボンの履き方が上手なだけだよ。ズボンを履く時はさ、それなりの要領があるのだ。まず、きちっと腰元の骨盤の上の位置と、両横のベルトの位置を合わせる。そして、幾分ズボンの前を、下げる。間違ってもズボンの前を、釣上げてはいけない。足を長く見せようとして、釣上げてズボンを履くと、ますい、みっともない。だからズボンはきちっと下げすぎもせず、上げすぎもせず、きちんと自分の決めた骨盤の定位置を定めて、その位置で履く。位置を決めたら、その位置をかえない。そして幾分ズボンの前の位置を後ろの位置より低くする。そうすれば、後ろから見たとき、ズボンのラインがきれいに出る。まして、お尻にズボンの股上が食い込んだりはしない。それで良い。たったそれだけですよ、ズボンの履き方で、気を付けなければならないことはね。だからさかえさんが勘違いしただけさ・・・」
とっさの思い付きの理屈を、急遽頭の中で組み立ててセリフに書き換え、本田は一気にしゃべった。
答えを出さなくても構わないと思われるこの木村栄の発言に対して、本田はしっかりと答えた。つまり、無言では、まずい、よくない、このまま黙って聞いていては、答えを出さずに放っておいては、まずいことになる。答えなければならない木村栄の発言の重さを感じた今夜の本田は、いつもと違った雰囲気の真っ只中にいた。
「でも、マスターの足は短くない。日本人の標準よりはかなり長いですよ・・・」
「私より足の長い男は、この世の中にゴマンといる!でもね、スーツの着こなしには長年気を使って苦労してきましたよ」
「そう、本田さんのスーツ姿、本当にステキなのです。サンチョパンザで最初にお見受けしたときから、いつもステキなスーツを着ていらした。やっぱ、男性の背広も、着こなしなのよねえ~」
以前から、木村栄は本田の立ち居振る舞いのスマートさに関心をしめしていた。
「そういう意味では経験豊富?というか、年期が入っている。わずか、それだけのことで、人生世渡りのうまい下手とは何のかかわりも無い事さ・・・」
と、微笑みながら本田は、ようやくここに至ってさりげなく木村栄と視線を合わせた。
本田と視線を合わせることの少ない木村栄にとって、気恥ずかしくもあった。しかし大胆に本田と視線を合わせた。本田と視線を合わす彼女の眼は紛れもなく、大人の女が男に信号を送る目であったけれど、本田はその信号を完全に見落としていた。
スーツに関していえば、中にはすでに着潰して捨てたもの、今でも着れるもの、様々数々のスーツを持っていたがこの商売を始めてからというのも、スーツを着なければならぬ機会は極端に減った。この年齢になるまでの本田は、毎年2~3着、仕立てのスーツを新調しているほどに、身だしなみには大いにこだわっていた。本田の概念として、彼にとってスーツとは、戦国武将の鎧兜と同じか。すなわち、彼自身の戦場に赴くための必須な道具、甲冑にも等しい存在であった。毎年毎年、これも長年にわたって、シーズン変化と共に、スーツを着替え、気分を変えながら仕事に専念した。スーツは商売道具の一部であると心得ていた。こだわっていたのは入社2年目くらいまで。それ以降の本田は、こだわりが常識に変わり、身のこなし、立ち居振る舞いの中に溶け込んでしまっていた。今までに、多くのサラリーマンや会社経営者自営業者を観察し続け、すでに男を観察する目の肥えていた木村栄には、本田の持つ特性が際立って目に写っていた。

『ハム料理』の調理が終了した。
視線を合わさずに、視線はさらに盛り付けられた料理に向けたまま、
「はい、お待たせしました」
出来上がった料理を、カウンターの彼女の前に置き、ワイングラスを取り出し、あらためてよく冷えた白ワインを注ぎ、ようやく全ての作業が終了した。
「さあ、どうぞ!『ニース風ハムのワイン蒸し焼き』です。ごゆっくり、召し上がれ・・・」
木村栄の座っているカウンターの正面に、スマートに盛り付けられた『ハム料理』の一品料理を差し出しながら、ようやく本田は木村栄にあらためて声をかけた。
「うわ~、すてきです」
「わたしが想像していたより、もっともっとすてきな料理なんだ。蒸し焼きされたハム。なんとも美味しそうな香りが漂ってくる。キャロットにグリーンアスパラがソテーされているし・・・」
「なになに?」
「スパゲッティーサラダもくっ付いている。真ん中からカットされたプチトマトの色もきれい!」
カウンタの中の本田は、いつものように微笑みながら彼女に声をかける。
「さかえさま、褒めのお言葉を頂き、たいへんありがとうございます・・・」
「このお皿もすてきだし、それよりもなによりも、料理の素材の組み合わせと盛り付けが、すてきです」
「ありがとうございます。どうぞ、まず一口、召し上がってみてください!」
ようやく木村栄はナイフとフォークを持ち、一口分の大きさにハムを切り分け、口に運んだ。
「・・・」
「いかがですか?」
「本田さん、私の会話、ちょっと待って下さい・・・」
彼女は、ハムを二回ほど切り分け、2回ほど口に運び、手元の白ワインを口にした後、ようやく話し始めた。
「ほんとうに、おいしい!」
「そう、よかった。ありがとうございます、さかえさま・・・」
「もう冗談よしてください、さかえ!と、呼び捨てにして下さって良いのですから、もう、そんな丁寧言葉の冗談は止めてください」
「さかえさまの貴婦人としての口先だけの『お取り扱い』?一旦中断しましょう。ね、そうしましょう!さかえさん・・・」
その実、木村栄は、本田の今日のこの冗談の始まりのタイミングと、切り口のセンスに、おおいに感動し素直に喜んでいたていた。もし、本田以外の男から、同じような口調で話しかけられていたら、とことん不快に感じ、激怒していたに違いない。本田だから、木村栄は素直に自然に受け入れる。結果、心地のよいジョークとして受け止めることができていた。
「まず、オイシイ!の一言です。ワインのほのかな酸味と、それからブランデーの甘味が、活かされている。夜食にぴったりです。それよりも何よりも、本田さんが自分で料理つくるなんて、驚きです。わたし、自分の手料理など何もできない・・・」
「気にしない気にしない、さかえさん。私だってお店で作るから、お客さんの為につくるから、体が動く、結果として料理にできる。もし、自分が家庭の主婦だとして、毎日家族の為に料理を作るとなるとたまったものじゃない。自分には、家庭料理なんてできっこありませんよ」
「そんな事、分っています!」
「とにかくこの料理は素晴らしい。そして、ほんとうに私が言いたい事は、何か? それは、本田さんの感性なのです。ほんとうにセンスがいい。そんな本田さんのセンスが素晴らしい。それが言いたかったの・・・」
2人の会話は続いた。話しを続けながらも、木村栄の両手と口は忙しく動いた。わずか15分と経たないうちに、皿に盛り付けられた料理は全て、見事に平らげられていた。


(3)

「あ~ おいしかった。マスター、ご馳走さまでした」
「どういたしまして・・・ とにかく、さかえさんに喜んでもらって、今夜は非常にうれしい!」
こうして1時間以上雑談が続いたあと、本田が尋ねた。
「ところで、さかえさん。今夜、あなたが私に聞きたかったこと、何でしたっけ?」
「・・・」
木村栄は少し考えた。そして答えた。
「もういい。忘れてください」
「そうはいかん!」
「ますます聞きたくなった」
「いや実は、私の勤めている店、サンチョパンザは近々閉店するのです。寺元マスターは東京に行くそうで、誰かに店を売りたいの。寺本さん、あれで結構、狡賢(ずるがしこ)人なの。かわりに私が『本田さんの考え』、つまり意向を聞いてほしいというのです。いや実は山本美智子さんも昨夜フォワイエ・ポウを覗いたはず。でも、本田さん、気が付かなかったでしょう」
ここで本田はようやく思い出した。
「みちこさんだったの、昨夜のお客さん連れの女性は・・・」
「前もって頂いた電話も、自分が受けていなかったし、とにかくまずかった。それはたいへん失礼しました。でも、マナーとしてさ、できれば自分から言ってくれないと、こちらも分からない事あるよな・・・」
「ウッフッフ・・・」
めったに笑わない木村栄が、ようやく笑い声を吹き出した。
笑いながら木村栄は、心地よく快感を覚えた。本田が、山本美智子の顔を覚えていないという事実が、まず可笑しくて仕方がなく、さらに気位の高い山本美智子が、見事に本田に無視されたという不幸な出来事が、ひるがえって木村栄のプライドの高さをくすぐり始めたのである。女どうしのレベルの低い競争心であることくらい十分わかっていた。それにも関わらす、本田の山本美智子に対する無関心さを知れば知るほど、なぜか木村栄の気分は一転し、元気もよくなり気分も良くなった。

「本田さん、寺元のメッセージを伝えるなど、すでにどうでもよく、無視しても構わない。私は本田さんのお店フォワイエ・ポウに来る理由を作ってもらったの。それだけでいいの。もう忘れましょう。とにかく寺元マスターは、本田さんのことが気になるの。店がうまくいっているかどうか?そんなこと気にしてるの。だから、『うまくいってる、儲かっている』と、伝えておきました。以上、めでたしめでたし・・・」
本田には理解できない。
「ねえ、マスター、朝まで飲みましょうよ。こうなったら朝までつき合って下さい。お願い・・・」
本田は、ようやく時計を見た。
すでに午前3時が少し回っていた。

<・続く・・>

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