Cafe & Magazine 「旅遊亭」 of エセ男爵

志すは21世紀的ドンキホーテ?
はたまた車寅次郎先生を師に地球を迷走?
気儘な旅人の「三文オペラ」創作ノート

日曜テレビ朝日の番組に、櫻井よしこ女史をお見受けするものの・・

2006-07-10 04:58:15 | 趣味の話&本と雑学メモ
 昨日日曜日の午前中、久しぶりに「テレビ朝日」の政治評論番組に櫻井先生がご出演された。田原総一郎という賞味期限のとっくに過ぎた過剰過信「ナルシスト政治評論家」の司会なる自己満足情緒丸出し売国奴的輩殻は、ずっと以前から悪臭漂い、いかにも悪人風嘘つき発言の典型なる醜面は可能な限り視たくなく、神経に障る濁声も聞きたくない人物の一人。そんな彼をして、超左寄り我田引水的司会振りを忌み嫌う我輩。本来なら端っから無視し、曲げても観たくないテレビ番組を久しぶりに観た。なぜなら、櫻井女史のお姿が垣間見えたからである。
 テーマは、この度の「北朝鮮ミサイル発射騒ぎ」から派生する、今後我国のとるべき外交の在り方?、我国のとるべき外交姿勢と戦略について。であったと勝手に記憶をさかのぼり解釈する。

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《その-1》

 この事態に挑み、一貫して櫻井女史の述べられた論旨は、
*この度の「北朝鮮ミサイル発射」は、我国の外交にとって、きわめて有効なる外交カードにできる可能性大である。北朝鮮によるミサイル発射、大変よい機会を得たのであるから、この茶番劇をまず叱責すると共に「中華人民共和国」と「北朝鮮」に、五里霧中にて左翼化傾向甚だしき「韓国」も含め、さらには「ロシア」に対し、国際的政治の舞台にて「日本外交の手腕」を発揮する最大のチャンスが到来したと考えるべきである。
*以って、毅然として、国連決議云々はもとより、諸外国に対し直接的な働き賭けを早急且つ強力に精力的に行動し、世界の世論を日本にひきつけ、このよき機会に三莫迦隣国の愚考と愚行を糾弾し、
*大きく日本の国際的立場のより優位なる確立に繋がるべく、マスコミは世論を動かし、且つ日本政府は断固揺るぎなき施策をとるべし・・・
などと、述べられていた。
しかし、上述の理路整然とした櫻井女史の発言は、発言時間の割り当て?が、あまりにも限られ短くセッティングされすぎているではないか。これまた情け無きかな、他の2名の出演者の発言内容は枝葉末端支離滅裂にて、櫻井発言のレベルとは格差があり過ぎ、いわんや櫻井発言の論旨に同調すべきであろうべき自民党衆議院議員(東京都選出の骸骨眼鏡オジサン)は、櫻井発言の後、櫻井理論の補足はおろか同じ内容を戯作(ゲサク)に引き降ろす役柄を、無意識にも頑張り通しているから滑稽を通り越し、すでにお話にならない。無論、司会者の田原は、櫻井女史ご発言の途中に何度も何度も女史の発言を遮ぎろうとするが、それにひるまず櫻井女史は最小必要な限りの発言と論立てを、最後まで継続されたから流石である。

かくして平和ボケ極左翼的テレビ朝日・賞味期限経過的「邪analist」≒田原総一郎の締め括りは、近頃訪中した報告と称し、これまた賞味期限の過ぎ去ったシナ大陸に於ける活動報道「田原の訪中・売国奴的活動」の宣伝取材報道に終わった。訪中報道を後半にもって来るは、番組最初に放映された北朝鮮問題への対応政策論議なるもの、せっかくの櫻井女史発言も「帳消し」となったか・・・
今はしかし、田原総一郎による媚中宣伝報道を以ってしても、すでに一般日本人視聴者の心眼を欺けるほどには至らないと願いたい。強いて言及すれば、田原の訪中報道は「北朝鮮ミサイル茶番劇」の愚かさを凌駕するほどに、バカバカしい小児性痴呆症的左巻きゼンマイ仕掛けによる「誇大妄想シナ共産国家礼賛主義者」の演ずる時代錯誤も甚だしく、且つ老醜漂う三流役者に看えてくる・・・

かくして、
桜井女史の「北朝鮮ミサイル騒ぎ」に対する我国の執るべき対応策は一貫しており、すべからく「日本優位に立つべき外交カード」として有効活用に徹底すべし。との、ご意見であった。櫻井女史ご自身の論旨を包括すれば、すなわち「我国の執るべき戦略」は、かの『論戦2006』論文に於いて、書き下ろされた「櫻井的正論」に基盤する事、テレビ討論中、櫻井発言の端々に於いて再確認できた。

櫻井よしこ著作「この国を、なぜ、愛せないのか」の締め括りを付けたい。
よって、一昨日(7月9日日曜日深夜)投稿、長過ぎる!記事の後半を分け、少々訂正し且つ僅かに加筆ののち、本日あらためて投稿する。

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《そのー2》

 さて、
 エセ男爵ブログとは、洒落た芸術漫遊の旅を志し「小説&エッセイ且つ芸術論評」を試みたく開設したもの。

 にもかかわらず、政治評論もどき記事の投稿をするは、いかにも無粋である事、百も承知している。しかしながら、文学芸術家の歴史過去を振り返ると、文筆家はもとより音楽家画家など様々なジャンルの芸術家によって「イデオロギー」や「思想」を盛り込んだ作品は多々あり、その数ははかり知れず、、、。さりとて、我が志向する芸術論議及び作品の範疇には、直接的な思想イデオロギーの類いに翻弄されたくない。表現したき思想や哲学は尚更の事、モノカキ屋を志すジャンルの末端に位置しようとする限り、あくまでも文章作品の行間隙間に於いて、可能な限り論理整然と志すところの意思は盛り込みたく、且つ思想的には片寄りたくないけれども、それは成熟した高度の文化を基盤に持つ民主主義自由主義の環境に於いて、初めて実現可能なる事柄であろう。文化と芸術の素養を深める鍛錬修行に励みつつ、以って、より高い教養を志すものにとって、重要且つ適切なる環境に位置すること、必要にして不可欠なり。
 若し、文化生活可能な活動環境が大きく変わり、文化的芸術的活動を自由闊達にできなくなるような「国の存亡行方」を左右するが如き「国家の難事」に出くわした場合、これらの難局難題を無視し逃避するは、我が精神構造からして不可能である。即ち、正面から反駁阻止したく、決して逃げない!
 社会的に責任ある知識人の片割れとして国家の難局から逃避するは、いかにも卑怯なり。と、心得る。
 現実逃避は卑劣且つ卑怯にて「我が最大の恥」と考える。
 以って正面から世の動きの理不尽さを叱責叱咤激励の為の放言は憚らず、且つ入念に論じなければならないと考える。さかのぼること60数年前、我国歴史に於ける国家運営の大失態(太平洋戦争敗北)に到る過程の中、あまた多くの我国知識人たちは、国家的試行錯誤且つ暴走に対し、いかに我が命をかけて国家救済の方法を論じ尽くすことなく避けて通ったか!かの時代に於ける我国知識人の無力無能さと現実無視且つ逃避は、国家存亡に関わる大失態に加担したに等しい。と、断言する。結果は無残であり、その後、戦勝国により与えられた「仮の昭和憲法」を今尚、我国をして独立国家のものと勘違いしているから滑稽すぎる。
 時代は21世紀。
 今の知識人の責任とは、国家国民の総意を動かす原動力となり、「新憲法制定」を是とする方向に導く事か。これ、最大の責務である。と考えるが、如何? 
 我国独自の自主憲法を持たない日本国民は、いかにも哀れである。自主憲法無き「その地域」に住まう日本人の国は、独立国家と称するに値せず。独立国家でないから、近隣暴力団的国家からは四六時中、恫喝を受けても致しかたない。
 我輩、少なくとも国家存亡の危機と難事から、逃げ惑いたくなく、外敵からの恫喝且つ危害に直面する場合、正面から受けて立ちたい、戦いたい!
 芸術を、こよなく志向且つ嗜好しつつ思考する酔狂気分の「不肖エセ男爵」に於いて、政治思想国際問題に大きく深入りするは、不本意なり。時代の動き世界の動きを資料として集約し、社会科学的に分析し、自身の論旨論評を纏め論文作成思考のプロセスはそうとうなる思考能力を必要とし、且つ肉体精神を消耗する。ひるがえって、小説作品なるものを創作するも、上述の社会科学分野に属する論文作成と同じプロセスにて組み立てられるものの、大きな違がある。小説創作には「別の次元の想像力」を注入しなければならず、これは社会科学論文作成との比較に於いて、大きく異なる所以である。
 我が人生の残された時間、限られた時間、可能な限り創造世界に没頭し、その分野で社会に貢献したい。

 ここで少し話の矛先を転じ、まとめてみたい。
 たとえ話の引用の対象が大きすぎるが、かの「小説の神様」と称された天才小説家・志賀直哉先生に於かれても、時に「政治思想の世界」に触れられたイキサツ、在り。志賀小説は、絶品秀作である。が、論評には傑出すべきもの見当たらず、評論文は多くを残されていない。そんな背景においてしても、すばらしき論評が今の世に残っている。「志賀直哉著・リズム」を転載引用し、この度の「空騒ぎ」の何某かを、あわせて考えてみたい。
 この文章、いかにも歯切れよく当時のプロレタリア小説嫌悪なる志賀直哉師の意向を、十二分に表現されている。プロレタリア文学集団を非難中傷且つ激評したものと論されている。問題論争も多々あったと、当時の文壇論評には種々記されている。
しかし、この論文『リズム』。いかにも、我輩の大好きな文章である。

 巷に転がるモノカキに於いてして、日本国を愛する日本人の一員として、時に、「政治社会問題」に傾倒没頭、且つ激怒、憤懣やるかたなき時もあり!
と、ご容赦いただきたい。

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《そのー3》

 このくだり、
 本日のもっとも重要な付録にて、「本日の本論」である!何度もお読みになっておられる方も是非あらためてお読みいただきたく、お忙しい方は二度に分けていただき、是非にも読破頂きたい!》

志賀直哉全集 (第1巻)

岩波書店

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志賀直哉作品より(昭和6年1月 読売新聞)、論文『リズム』
(全文引用・・)
 偉(すぐ)れた人間の仕事 ― すること、いうこと、書くこと、何でもいいが、それに触れるのは実に愉快なものだ。自分にも同じものがどこかにある、それを目覚まされる。精神がひきしまる。こうしてはいられないと思う。仕事に対する意志を自身はっきり(あるいは漠然とでもいい)感ずる。この快感は特別なものだ。いい言葉でも、いい絵でも、いい小説でも本当にいいものは必ずそういう作用を人に起す。一体何が響いて来るのだろう。
藝術上で内容とか形式とかいうことがよく論ぜられるが、その響いてくるものはそんな悠長なものではない。そんなものを超絶したものだ。自分はリズムだと思う。響くという連想でいうわけではないがリズムだと思う。
このリズムが弱いものはいくら「うまく」出来ていても、いくら偉そうな内容を持ったものでも、本当のものでないから下(くだ)らない。小説など読後の感じではっきり分かる。作者の仕事をしている時の精神のリズムの強弱 ― 問題はそれだけだ。
マンネリズムがなぜ悪いか。本来ならば何度も同じことを繰り返していればだんだん「うまく」なるから、いいはずだが、悪いのはいっぽう「うまく」なると同時にリズムが弱くなるからだ。精神のリズムがなくなってしまうからだ。「うまい」が「つまらない」という藝術品は皆それである。いくら「うまく」ても作者のリズムが響いて来ないからである。
中央公論社正月号の文芸時評で広津君が、「今さら諸君の芸術が、功利主義と結婚することは考えられない。それよりも、うまい文学を書く以外に、文学に何の意味があろうという気持ちで進んでくれる方が、諸君の道であるとともに、また我々も望むところである」と書いている。そして諸君の主な一人に自分を入れているが、他の諸君は他人故自分は知らないが、自分は「うまい文学」という意味が一寸気にかかるので、仮りに過去の仕事がその範囲を出ず、これからもある期間は、それを出られないとしても、少なくとも「うまい文学」以上に目標を置いて努力精進しなければ仕方がないと思っていることを明らかにしたい。怠けてばかりいる自分に広津君がそういうのは無理はない。しかし自分の事となればそう思っておさまってはいられない。広津君の言うように自分が「うまい」小説家かどうか分からないが、所謂(いわゆる)「うまい」ということは小説家の目標にはならない。うまくなればいくらでもうまい小説が書けるだろう。いくらでも書ければ作者自身にとって「うまい」ということは何の魅力もない。自身に魅力のない仕事を続けるという事、すなわち行きづまりだ。既成作家が行きづまったという中にはうまくなり過ぎ、しかもリズムが衰えて来たという意味があるだろう。
「今さら諸君の芸術が、功利主義と結婚することは考えられない」これも自分はそう考えない。もし「諸君」の作品が芸術主義であっても読む者をして仕事に対する意志を感じさせるくらい、立派なものになった場合、それが功利主義と結婚しないとはいえないと思うからだ。ラジュムの発見者がラジュムの用途までいちいち意識しなかっただろう程度に功利主義との結婚を作者がいちいち意識しないとしても、功利主義、いいかえれば自分の作品の普遍性というものを全然否定しては仕事は出来ないと思う。自分は知らない、しかしどこかでよき実を結ぶ、この約束を信じないいかなる芸術家もないと自分は考えるのだ。
ここにプロレタリア運動に熱心な、小説のよくわかる男があるとする。この男はおそらく日本のプロレタリア作品を読むより西鶴を読んだ方が何百倍も仕事に対する意志を強く感ずるかもしれないという説はどうだろう。レーニン(のことは何も知らない)が生きていて日本語が読めたらそういうかも知れぬ。自分がレーニンだったら、はっきりそう言ってやる。
最近感心したものについて少し書く。
西鶴 ― 大下馬(おおげば)、織留(おりどめ)、落ちつきはらっている。しかもリズム強く、何でもない浮世の些事を書いて、読む者の精神をひきしめてくれる。
フィリップの「野鴨雑記」リズム強く、捨身なところ大いによし。熱情的な点もいいが、少し熱情過ぎて不安心なところあり。この点西鶴のつっぱなした書き方、効果強し。西鶴でもフィリップでも、話、いきなり塀を飛越し、向こう岸へ行って、また続けるような「うまい」ところあり。これを技巧と考えるのは浅い。彼らのリズムがそれをさせるのだ。本人からいえばこれは意識的でもなく、無意識的でもない。
フィリップは四五年前金子洋文に紹介された。このことをこの間来たあるプロレタリア作家に話し、もう一つ、「ゴー・ストップ」というものを津田青楓にすすめられて読んだことを話したら、その後万朝報に洋文が「ゴー・ストップ」を勧めたようにその人が書いて洋文を攻撃していたそうだ。これはその人の誤りだ。
この間大阪の友達の家で小さいコロー作の風景画(硲氏蔵)を見た。油画のことで感銘書きにくいが、非常に感服した。近年見た絵の稀なる収穫だった。こういうものになると東洋画も西洋画もない感じだ。感服するのに油画として、などいう意識はまるで起らなかった。いいものというものはいいものだと感じた。
武者の「二宮尊徳」も大変面白かった。自分の祖父が今市時代の尊徳の弟子だった関係で、尊徳の名は子供から親しんでいたが、まとまって知ったのは今度が初めてだ。尊徳の捨身なリズムの強い生活には非常にいい刺激を受けた。尊徳の時代といえば政治思想の今より動揺激しい時らしいが、その渦に少しも巻込まれた形跡のないのは不思議なくらいだ。傍目も振らず自分の目標へ一本槍で進んでいる。
勝海舟の「氷川清話」では、尊徳は一本気の土百姓として簡単に扱われているが、政治以外頭にない海舟としてはもっともなところもあるが、今日(こんにち)になってみれば一家を再興し、一ヶ村、三ヶ村を興すために十年もかかって捨身で働いていた尊徳が、当時、時代の一方を一人で背負っていた観のある海舟よりも、はるかに根本的な生命ある仕事をしていたと思うと面白いことだ。尊徳を南州や海舟の上に置き、世界に誇っていい偉人だという武者の説には大賛成だ。
時代の流れに乗って仕事をする奴はその時、時代の流れがなければ何もしなかったかも知らぬ弱みがある。尊徳は時代の流れには没交渉な奴だった。むしろ時代の流れは尊徳に合わなかった。それでも尊徳は我流の一本槍で、維れ(これ)日も足らず、捨身に進んでいかなる時代にも普遍である教えを身をもって残していった。実に強い。武者の「二宮尊徳」は平易に書いた面白い本としてお勧めする。
 
<本文・完>

(上記、「志賀直哉著・リズム」の全文模写転載にて、著作権違反に相当するか?エセ男爵にして文学者志賀直哉先生をして永遠の師と想い憧れ拙ブログへの転載作業を成す。以って、善意あれこそ毛頭悪意無き所業なり。と、自負するものなり。が、しかし万一、関係者各位より抗議あらば、即刻関係者には「ふしてお詫び」し、且つ、処罰処分を受けること、逃げ隠れせず座してお待ち申し上げるものです・・・)

志賀直哉〈下〉

新潮社

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志賀直哉〈上〉

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 *上記、「あまぞんどっとこむ」引用の「志賀直哉」論評、我が尊敬する作家のお一人・阿川弘之先生の著作なる大論文である。先ごろ、(3カ月がかりで)ようやく読破した。改めて読書感想文なるものを書いてみたい。が、その前にもう一度、志賀直哉全集を読みたくなった。(志賀作品を読み直さねば、論評は書き切れないであろう。と、あらためて思う・・)
国を思うて何が悪い―一自由主義者の憤慨録

光文社

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阿川先生も(お怒りになり、お叱りを受けるかもしれないけれど)、小説家というよりも、論評家乃至歴史的偉人(例えば旧日本帝国海軍歴史の著など)伝記作家としての作品には、戦争礼賛等変な片寄無く冷静沈着に歴史の流れを書き記された作品に光り輝くもの、多い。しかし、珍しくも阿川先生にして、上記「日本を愛する放言の書」あり。いささか時代を経たものの、現在の日本の有り体に照らし合わせると尚一層理解を深めること可能となるか。そして、今の時代に通じるもあり・・・
(もう一度読み直したい、阿川先生流儀『社会風刺なる放言』のちりばめられた「一冊」である)

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拝啓櫻井よしこ様;(3/3)続・読書感想文「この国を、なぜ、愛せないのか」 、志賀直哉先生を想う・

2006-07-09 00:08:00 | 趣味の話&本と雑学メモ
 「この一冊」
 論戦2006の読後感は?
 と、問われれば、、、
 そう、たいへん重かった。
 『論戦1994~6(』初刊)から比較して来れば解る。各論文の論調及び内容は、毎年毎年毎回毎回少しずつ厳しくなり難しくなり、重くなっているのかも?・・・
 
 我が読後感は、必ずしも爽快にならない・・・
 憂い悩み安堵できない思い詰めさせられる「もの」は多く、且つ比重は大にて、ずしりと脳裏に刻まれている!結果、やるべき我が作業は滞り、遅々として、前に進まなくなる・・・
 でも「この一冊」、読んで良かった・・・

 桜井女史の「ジャーナリスト」としての姿勢は、この10年来、終始一貫変わらずにいらっしゃる。
 「ジャーナリストの禁じて」なる『二枚舌』など、一切お使いにならず、マスコミ世界に媚びること、一切なし。ジャーナリストがジャーナリズム世界に媚を売る姿、いかにも無様でみっともない。常識ある我々一般国民は、大多数のジャーナリストが大衆にメディアに媚びる様子、何度も感じ、しばしば読み、テレビに到っては日々反復の連続にて、味悪き無作為情報ばかりを食らって満腹しつつ、溢れんばかりに見聞きしている。
 繰り返し言うが、しかし、櫻井よしこ女史から発信される論旨論評は、日本人の誰もが精神的背骨(バックボーン)として、すなわち精神的体躯の基本軸としなければならない「日本人としての正常なる歴史認識」に立脚さて、日本人として「自国を愛する」基本姿勢を片時も崩されずにご自身の論評を展開されているからすばらしい。 

 本日記事投稿記事作成着手の前、
櫻井よしこ著「この国を、なぜ、愛せないか・論戦2006」
なる一冊、
 本日午後ようやく完読した。

この国を、なぜ、愛せないのか~論戦2006

ダイヤモンド社

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 この読書感想文の投稿を以って「この一冊」に関する感想文シリーズを締め括りたい。

(お姿もお心も美しき日本の誇る女性論客桜井女史の益々のご健康とご発展を願っておられる方、以下ランキングバーのクリック応援願います!)
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《そのー1》

 はからずも数日前、北朝鮮から複数回にわたって複数のミサイルが発射され、一億総日本国民の慌てふためいた様相に対し、我輩の「思うところ」は、既に記事にして投稿した。(「前回関連記事」のご参照は、こちらから入れます・・)

 北朝鮮ミサイル発射関連報道乃至論評の99%は各論ばかりにて小手先の対処方法ばかりである。
 目先の各論ばかり、一番肝心な「我国の将来・先を見据えた包括的総論」は、皆無ではないか!
 なぜに、シナ共産政府+韓国狂気政府を含めた三莫迦隣国井戸端会議に参加するが如く、小手先対処法の解説?そればかりに終始しているか?我輩には皆目理解できない!
 常識的なことばかりを面白おかしく且つヒステリックに、ときにもったいぶって知識を振りまき、それを聞き観る視聴者は、僅か2日間にて日本滅亡に直結する恐怖心は薄れてしまいつつあり、替わって、北朝鮮監督演出なる「三文オペラ・ミサイル発射劇」の劇画動画鑑賞者になり切ってしまいつつあるからバカバカしくも情けなくてしかたない。
 さて、本日、9日の日曜日。テレビ屋さん各局は、それぞれの政治番組を連ねている。しかし今、我国が直面している本当の問題点、もっとも核心に触れる評論家の発言は、はたして出て来るのであろうか?
 多いに期待しつつ、見守りたい・・・

 そして、
核心に触れるとは? 

 櫻井女史におかれては、すでに著書「この一冊」にて総括的対処法は既に述べられておられる。

 言わずもがな、

 国を愛すがために、「憲法改正」ありき!

 すなわち日本国にして、一刻も早く「真なる独立国家」として立ち上がらなければ、これら三莫迦隣国の脅威は止まることなく、挙句の果ては「我国を滅亡させる」歴史的事実なるもの、刻々と迫っている事を・・・
(図らずも不肖・エセ男爵にして、我国独立国としての「新憲法制定」の必要性、過去何度も繰り返し述べている・・・)

括りとして、
国を愛し、国と国民の安全と将来の発展を願い続けられ、毅然とジャーナリズムの在るべき筋を通し続けられている櫻井よしこ女史に、最大のエールをおおくりし、今後益々お元気にて正統なる日本人ジャーナリストの旗頭となられ、大任をお勤め下さるよう(私、末端の読者の一人として)お願い申し上げます。

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 <明日記事に続く・・こちらから入れます!

小説「フォワイエ・ポウ」7章(第42回) さかえさん!目的達成なるの?・・

2006-07-07 20:12:30 | 連載長編小説『フォワイエ・ポウ』
<添付画像>:エドゥアール・マネ作品「ウエイトレス」 IMAGE: "EDOUARD MANET". Serving Boxseat by The Waitless.

 BAR「フォワイエ・ポウ」を巡る人間アラカルトの描写、いよいよ核心に迫っていきます。
 引き続き、マスター本田の健闘、どうぞ宜しく応援してやって下さい!

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長編連載小説「フォワイエ・ポウ」

        7章
                            著:ジョージ・青木


2(けじめ)-(1)

JGBの団体が歌合戦を済ませ、ようやく引き上げたのは9時半過ぎである。この団体、9割以上が女性客。従業員の多くは近隣の市町村や郡部から、JR山陽本線に乗り1時間かけて通勤する連中も加わっているので、いつも引き上げるのは早かった。早く始まり早く引き上げる客は、店にとって誠にありがたい顧客であった。

団体客の退散とほぼ入れ替わりに、別の旅行会社の人物が店に入ってきた。店の雰囲気と酒を楽しむ。と、いうのではなく、マスターの本田を尋ねて来たのである。
彼の名は小笠原忠一(おがさわら・ただかず)。今日も9時過ぎまで残業し、同じ事務所の女性従業員を伴ってどこかで食事を済ませ、さらに同じ女性の従業員を伴ってフォワイエ・ポウに繰り出してきた。
近畿地方に本社のある昭和旅行社、広島営業所勤務の従業員である。営業所の従業員数は所長を入れて3名。当時代の典型的な零細旅行会社である。
このところ、小笠原は頻繁に本田の店を訪れていた。
カウンターに座るなり、冷たいウーロン茶を注文し、いつも1時間くらい本田と話して引き上げる。本田の店では一切アルコールを口にしない。カラオケを歌ったり、けっして長居をしない。せいぜい長くて1時間半もいれば彼の目的は十分果たせたのであるが、今夜はなぜか2人で来店し、約1時間ばかりの間に5杯のウーロン茶を飲み干した。引き上げるときは必ず、水割り1杯の料金とほとんど変わらないウーロン茶の飲み物代金を、きっちりと支払って帰る。他の客に迷惑をかけるような自発的行為はない。が、しかし、地声ともいえる太くて低い大きな声でバイト生を呼びつけ、ウーロン茶のおかわりを命じ、あまりにも大きな声であるから他の客はそんな小笠原の態度に対し、この店フォワイエ・ポウのイメージに似合わない違和感を覚えていた。
そんな小笠原には、フォワイエ・ポウに出入りする確たる目的があった。夜な夜なカウンターを挟んで、ヨーロッパツアーの日程の組み方を本田に相談するためである。小笠原にとってこの店での本田との会話は、まさに仕事の延長線上であるから、アルコールは一切口にしなかった。
今夜も、小笠原から本田に報告があった。
「今日、ようやく出発日が決まりました。6月の第2週目の金曜日。シンガポール航空で大阪から出発します。フランクフルトに直行します・・・」
「小笠原さん、直行便はないだろう。シンガポールで乗り換え、つまりフライトチェンジするはずだよ。さらに南回りだから、たいへんな時間が掛かるよなあ~」
本田は不安を感じながら、小笠原の安易で短絡的な『旅の説明』の為の専門用語の使用方法の僅かな間違いを訂正する。もし、参加者に対し、「この便は直行便です」という説明をしているならば、その時点ですでに三流旅行営業マンの烙印が押される。
「もちろん、シンガポールで約半日待機し、夜のフランクフルト行きに乗り換えますが・・・」
「そう、それをお客様に説明しておかないと、たいへんだ。まあ、説明済みならそれで良い。大丈夫」
ウーロン茶を口に運んだ小笠原は、一息ついて、また、しゃべる。
「それでこの日程、現地滞在は7日間。いや現地は8泊。日本発着の前後とも機中泊となりますから、合計で10日間になる。このスケジュールでどうでしょうか?」
「・・・」
本田は、単純に返事ができない。
小笠原の事務所から携えてきたアタッシュケースを開きながら、なにやら紙切れを無造作に取り出しながら、さらに本田に話しかける。
「これ日程表です。ちょっと目を通してみてくださいよ、お願いしますよ。私はこれで良いかな?と思っているのですけれども、なんだか本田さんからご覧になって、もし問題点があれば、指摘していただくと、本当に助かりますが・・・」
今までカウンターの中で立って対応していた本田は、ついにカウンターから出た。熱心な小笠原の問いかけに対し、いつになく本田は真剣になっていた。カウンターの内側から表に出るなり、直ぐに小笠原の傍のカウンター客席に座りなおし、あらためて小笠原の作ったスケジュール表に目を通した。
そのスケジュールとは、
まず早朝、フランクフルトに到着。到着したその日の朝、フランクフルト空港からに直ちにハンブルグに移動。
そしてハンブルグに3泊し、当地で開催される製造機械博覧会を見学。その後、フランクフルトからさらに南下すること一時間半、大学の町ハイデルベルグに一泊。翌日からさらに強行軍が続きシュツットガルト、ミュンヘンなど一泊ずつ、バスでの移動が続く。さらにノイシュバンシュタイン城を観光してその同日中にスイスのルッツエルンに入り、一泊。翌日はインターラーケンに移動し、一泊し、ユングフラウヨッホまで登山電車で登り、さらにその同日中にジュネーヴに移動し、一泊。さらに翌日TGVでパリに移動。パリで一泊し、帰国の途に着く。
たいへん忙しい。
さらに問題がある。ハンブルグの博覧会見学に加え、なんとドイツとスイスで一箇所ずつ、合計2箇所の企業訪問を予定する。となっている。
「忙しいスケジュールです。くわえて中身が濃い。これ、企業訪問のアポイント取り付けがたいへんでしょう。出発まで、もう1ヶ月も猶予がない。もうすでに、訪問先が決まっていますか?」
「いえ、今現在、本社で手配進行中です。大丈夫です」
「そうですか? ところでこれ、当然小笠原さんが添乗員で現地に行かれますよね。たいへんでしょうが、がんばってください」
「ハア、はい、そうです。ありがとうございます」
あくまでも小笠原は元気よく、なぜかしかし本田の目には、自分の手でヨーロッパツアーが取れた、団体の営業ができた、という彼自身、本田の前で自慢したい意思が見え隠れしている。元業界の先輩である本田の前で鼻を高くしながら、何処となく突っ張っているように伺えた。
本田にスケジュールを見せ、一応は激励の言葉をかけてもらった小笠原は、いっそう大きな声ではしゃぎ始めた。バイトの学生に対し、必要異常に大きな声でウーロン茶のおかわりをオーダーする。

そんな時、木村栄は本日2度目、再びフォワイエ・ポウに入ってきた。

   <続く・・>

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* 小編連載小説「フォワイエ・ポウ」の既刊版は、こちらから入れます。

拝啓櫻井よしこ様、続・感想文「論戦2006」号外!(椿事!北朝鮮のミサイル発射の蛮行に寄せて・・)

2006-07-06 14:57:50 | 教養・文化・歴史
究極は、
家族親族隣人挙って安住できる郷里を守るために、国民自らの手で「国の安全を確保し、且つ平和を守り抜くこと」か・・・

昨日の北朝鮮ミサイル発射騒ぎ!
その後は如何?
今朝、何か新しい変化はあるか?
などと、
時間の無駄を承知で、朝っぱらから暫く「暇人&奥様向けテレビ」を見ていたら、安全保障問題の専門家なる佐々淳行氏ならびに志方俊之氏、さらには小池政行氏(外交評論家)ご出演、某番組放映中なり。
暫く、テレビを観た。

本日、やや長い記事、読み続けて下さる方、
ここで、
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  【 本 論 】

<第1項>

国際問題外交政治には程遠い「タレントもどき」の素人的質問に対し、上述の3氏に於かれては、以下の様に「問題点と今後の対策」を締め括られていた。
Q:今後、日本はどう対応すればよいか?
A:小池政行氏より、
 *「国連の安全保障理事会」にかける。目的は、北朝鮮制裁の目的にて国際レベル対応の道へ導く。以って、問題解決する。
A:佐々淳行氏より、
 *迎撃ミサイルシステム(パトリオット3=PAC3)を早急に装備配置し、ミサイル防衛体制を確立すべし。
 *と、同時に、万一日本本土落下(日本への直接攻撃を意味するか?)に備え、「国民保護法」を確立し、各都道府県市町村レベルまで保護法の実施運用可能なるよう、手立てを打たねばならない。
という、我国のとるべき対応策への回答であった。
「タレントもどき」の司会者どもは、上述回答の内容をあまり理解できていない様子。ともかく、上記回答にて番組終了した。
ともあれ、昨日、
北朝鮮ミサイル発射に関するTV報道のほとんどは、一億二千万総日本人猫も杓子も、まるで幕末動乱期の日本庶民と同レベルに見えた。北朝鮮ミサイル発射は予測できていたにもかかわらず、如何にも突如突然の出来事のように勘違いし、怯え、怒り、恐れ、あげくの果ては(一部、超左寄り、賞味期限?の過ぎたネボケ評論家も先頭に立ち?)我国政府発表の対応策の手ぬるさ批判をする。まるで、「黒舟来航」を連想させるが如き江戸末期、幕末の動乱に翻弄されている鎖国政治の続いた負の遺産。これ、戦後の平和憲法を与えられた平和ボケ集団、江戸時代の世界観なき日本人庶民の如くに見えた。
そう、
当たり前の如くに思い出せば、最初の北朝鮮ミサイル騒ぎは1998年。
既に8年も経過するに、我国の危機管理体制は一向に進展していない。
そして今朝、現在継読中櫻井女史の著「この国を、なぜ、愛せないか」の然るべき項目を開いてみた。


<第2項>

小泉政権になって早くも5年経過。
一体全体、国民のために、小泉首相は何をやってくれたか?
と、なる。
彼は頑張った。我輩は、それなりに彼の政治家としての資質を絶賛し、且つ彼の為した政治活動を高く評価する。
しかし小泉首相に残された時間は、あと3ヶ月足らず。
首相の卒業旅行という意味合いで、米国に「遊びに」行っている?などと、非難中傷する報道の直ぐあとに、この度の北朝鮮ミサイル騒ぎが起きてしまった。
今尚、幕末のレベルから脱しきれない平和ボケ日本人のうろたえる様子を看ながら、何を以って近隣暴力国家から「吾が身」を守るか?
この命題を解き明かす方策は、周辺隣国の協力や助けを請うものでなく、国際連盟に助けを請うものでもなく、マスコミによる近隣諸国の情勢を何百回報道して、問題解決には至らない。
米国軍事力の庇護受ける以外に方法なし。
しかし、志方さん(佐々さん?)曰く、
若し間違って、あるいは意識的に、北朝鮮ミサイルが日本国内に落下した場合、米軍基地所在地に直撃のない限り、米軍の軍事対抗手段は、一切これを発動し得ない。と・・
若し間違って、米軍基地以外の場所に落下した場合、日本政府から米国大統領に直接請願し、米国大統領のお許しが出ない限り、日本国の受けた被害の報復は、米軍からは不可能。と、いう「発言」がでた。
加えて、(日本軍の日本軍による)迎撃ミサイルの配置(ミサイルディフェンス計画)の実施は、あと5年掛かる。
おっとどっこい!
「タレントもどき」司会者の一人が尋ねた。
Q:「では、5年以内に、若し、ミサイルが日本に落ちたらどうすればよいのでしょうか?」
A:「ハ、ハ、ハ、現在の我国は何もできませんねえ~」
タレントもどき、曰く、
「あ~、こりゃたいへんだあ~ ああ、怖いよなあ~」
と、来た、、、。

以上、当該TV番組は終わった。

「・・・?」
では今、なにを如何すればいいのか?
迎撃ミサイル配置はとっくに済ませておかねばならないし、もう、終わっていなければならない。国民保護法案?もうすでに、訓練に入っておかねばならない。
それらみな、出来ていない。
小泉首相がサボっていたからか?
違う。
国民の総意が成熟していないから、小泉首相及び与党は、何もできないのである。

ミサイル配置も、国民保護法実施も、すべて枝葉末端である。
まず第一に、昨年の衆議院解散の後、絶対多数の与党議席を確保した小泉内閣の最大目標は「憲法改正」であったはず。
憲法改正、否、新憲法制定なくして「我国日本の安全」は守れない。
以ってポスト小泉なる次期首相の責任は、重い。次期首相は、次期内閣は、新憲法制定発布内閣でなくてはならない。
そう、

国を愛し、日本人の手で国を守らなくて、一体世界中の何処の誰が我国日本を守ってくれるか?
それは、我々国民一人一人の力を結集し合ってこそ、ようやく自国を守れるのではないか!
我が国の世論の総意あってこそ、新憲法制定は可能となる。
国を愛そうではないか!我々日本人の手で、国を守ろうではないか!

   【 本文、完・・ 】


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PS:関連参考資料として、「櫻井女史著作論文」の抜粋、及び本日発行なる「小泉メールマガジン」抜粋をを添付します。是非ご一読下さい。

<添付画像>:《日本海上自衛隊イージス艦 (Kirishima-Kongo class Destroyer)ウイキペディア百科事典より》
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<添付資料-1>

櫻井よしこ女史、著。
『この国を、なぜ、愛せないのか』(ダイヤモンド社)[記事抜粋]

第1章8項』(p30~p32)

『自民党圧勝でも問われる首相の資質と国家観』

参議院で郵政民営化法案が否決されるや否や、小泉純一郎首相は同法案を可決した衆議院を解散した。参議院で法案が否決されたから衆議院を解散するというのは理屈に合わないが、”殺されてもいい”と血を吐く勢いで言ってのけた小泉首相の前には、理屈など通用しないかのようだ。世論は首相の言葉と気迫を歓迎し、支持率は上昇中だ。
(2行省略)

小泉人気は、しかし巧みな自己演出によって作られたものにすぎず、その内容は実に空疎である。
たとえば、小泉首相は、改選議席が事項両党で過半数に達しなければ辞任すると述べた。
(3行省略)

・・・つまり、辞任に追い込まれる可能性は小さいのだが、”辞任の覚悟”で”退路を断った”形を作り上げることにより、小泉首相は”潔さ”を多くの有権者に印象づけ、低落傾向にあった支持率を一挙に回復した。
この種のレトリックの使い方もまた、政治力のうちであり、私はそのこと自体を批判する気はない。だが、高い支持率を得て、一体なにを成し遂げようとしているのかは問わずにいられない。支持が高まれば高まるほど、首相は、どんな国つくりをしてほしいと考えているのかを、正確に理解すべきだ。
国民が求めているのは、しっかりとした国家の土台を築いていくことだ。しかし、其の要望に必ずしもこたえてこなかったのが、これまでの小泉政治である。
振り返れば、小泉政権は2001年4月の総裁選挙で、「自民党をぶっ潰す」「8月15日に必ず靖国神社に参拝する」との公約で圧倒的支持を得た。
(4~5行省略)

以後、2回行なわれた国政選挙で、小泉自民党は、いずれも議席を減らし続けてきた。その理由を拓殖大学役員教授で政治学の遠藤幸一氏は、「保守系無党派層の自民党離れ」であると分析する。
遠藤氏は、最近の世論調査で注目すべきは、自民党支持の理由として「民主党政権では困るから」をあげる人が増えている事だと指摘した。彼らは自民党ゆえに支持するわけではないのであり、現在の日本の危機はまさにこの点にある。「自民党が自民党であるがゆえに支持する」と多くの有権者が言えないのは、現在の自民党があまりにも正体不明だからだ。正体不明の政党となりつつある第一の理由は、明らかに公明党との協力関係が自民党の性格を変えていきつつあるという事実だ。政党として自立して独自の基盤を持たなければならないにもかかわらず、公明党との関係ゆえに、憲法改正や教育基本法改正という自民党の最重要課題についてさえも、独自の主張を打ち出しえていない。
高い支持率を投票日まで維持し、自民党が圧勝するとしたら、小泉首相は其の力を自民党再生、引いては日本再生にこそ使うべきだ。自民党再生の第一歩は、間違いなく憲法改正の実行だ。吉田茂は商人国家としての日本を是としたわけではなく、9条改正をすべしと考えていた。岸信介も池田隼人も、同様である。
政界再編含みの政治の流動化するなかですべてが混沌としている今こそ、政治も原点に戻るときではないか。だからこそ小泉首相に、先人の想いを理解し受け継ぐ能力があるか、真っ当な国家観を抱いているかが問われている。首相の資質がまさに、日本の運命を決するといってよい。

(「週間ダイヤモンド」2005年9月3日号)

*誤字脱字文字変換ミス等、の場合、お許し願いたい!

上述、櫻井女史論文。昨年秋の解散総選挙以前に書かれた論文であるが、しかし、現在にも活き、尚、通ずる。確たる女史のご意見に「同感・賛同」の方、是非下記ランキングバーをクリック願いたい!

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<添付資料-2>

小泉内閣メールマガジン 第241号   2006/07/06

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[らいおんはーと ~ 小泉総理のメッセージ]
● 北朝鮮のミサイル発射に抗議/世界の中の日米同盟

その他、[大臣のほんねとーく]記事省略する・・

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[らいおんはーと ~ 小泉総理のメッセージ]

● 北朝鮮のミサイル発射に抗議/世界の中の日米同盟

 小泉純一郎です。

 昨日未明より、北朝鮮は数回にわたって弾道ミサイルと見られる飛翔体を発射しました。

 日本を含む関係各国による事前の警告にもかかわらず発射を強行したことは、日本の安全保障と国際社会の平和と安定、さらには大量破壊兵器の不拡散という観点から重大な問題であり、日朝平壌宣言に反する疑いもあります。

 わが国は、直ちに北朝鮮に対して厳重に抗議しました。さらに、北朝鮮がミサイル発射凍結を改めて確認し、これを実行するとともに、六者会合に早期にかつ無条件に復帰することを強く求めます。

 政府は、北朝鮮に対し、万景峰号の入港禁止措置をはじめとする制裁措置をとることを決定しました。日本は、日米同盟に基づくアメリカとの協力をはじめ、六者会合参加国を含む関係国との連携をさらに進めるとともに、国連安保理事会においてしかるべき対処がなされるよう働きかけます。

 先週は、カナダの首都オタワを訪問し、28日、ハーパー首相と日加両国の経済関係の拡大に向けた協力や、北朝鮮の問題、G8サミットなど国際社会において日本とカナダが協力すべき課題について話し合いました。今年の2月に政権についたハーパー首相とは、初めての会談でしたが、じっくり話し合うことができました。

 その日の午後にワシントンに入り、翌29日、ホワイトハウスでの歓迎式典に続いて、ブッシュ大統領と会談しました。

 在日米軍再編の問題などの二国間関係のみならず、テロとの闘い、イラク及びアフガニスタンの復興支援、北朝鮮の核、ミサイルと拉致の問題、イランの核開発、国連改革、エネルギーと環境の問題、貧困や疾病対策など、議論は世界の平和と安全などに関する幅広い話題にわたりました。

 北朝鮮の問題については、時間をかけて議論しました。ブッシュ大統領は、拉致被害者家族の横田早紀江さんとの面会について、感銘を受けたと話していました。自分の子供がそのような被害に遭うことを考えれば、横田さんの悲しみは、日米両国の誰もが共有するものです。

 戦後60年間にわたって、日本は日米関係を重視してきました。そして、日米関係の重要性を認識しつつ、国際協調を維持してきました。これは、第二次世界大戦の教訓を踏まえて、それが最良の選択であると考えてきたからです。

 これは、日本の外交政策の基本であり、今後も変わることはありません。

 日米関係が良好でなくなった場合、それを他の国で補うべきだとの意見がありますが、私はそのような意見には与しません。日米関係が良好であればあるほど、中国、韓国をはじめとするアジアの国々との関係も良好になるというのが私の考えです。

 一部に誤解があるようですが、日米関係さえよければ他の国との関係はどうなってもよいなどとは決して言っていません。日米関係ほど重要な関係はないと言っているのです。

 戦後、日本はめざましい成長と発展を達成しましたが、それは戦争の教訓から反省し、日米関係を重視して、国際協調体制を築いてきたからこそ実現できたことです。世界の中の日米同盟を強化し、発展させ、世界が直面するさまざまな課題の解決に向けて、世界各国と協力していきたいと思います。

 その日の夕方、ホワイトハウスで開かれた晩餐会で、私は、次のような挨拶をしました。

 『私は、ちょうど5年前の2001年6月30日に、初めて大統領にお会 いしました。会談後、キャンプ・デービッドの森の中で大統領とキャッチ ボールをして以来、大統領とは心と心が通いあう友人として、日米友好関 係を育み、様々な課題に同盟国として協力して取り組んでまいりました。

  大統領とのキャッチボールのおかげで、2年前の9月のヤンキー・スタジアムにおける始球式に自信を持って臨むことができました。アメリカの新聞USAトゥディ紙は「ほぼ完璧なストライク」と報じています。

  大統領は、よく、第二次世界大戦中に敵対関係にあった日米両国が、今日では、自由と民主主義の大国として、世界において最も緊密な同盟国となったことを紹介されます。

  第二次世界大戦終結から数カ月しか経っていない1946年の正月、昭和天皇は、

 「降り積もる 深雪(みゆき)に耐えて色変えぬ 松ぞ雄々しき 人もかくあれ」

 との御製(ぎょせい)を詠まれました。

  日本が焦土と化し、全国民が敗戦に打ちひしがれているときに、おそらく皇居の松を見ながら詠まれたのでしょう。降り積もる深い雪に、多くの木は葉が落ちて色も変えている。その中で松は全く衰えず色を変えていない。人もこうあって欲しい、と詠まれたのだと思います。日本の歴史の中で最も困難なときに、昭和天皇はこの歌を詠んで国民を励まされたのです。

  それ以来、日本国民は、まさにこの心意気で、自助と自律の努力を重ねてきました。しかし、同時に、戦後の日本の目覚ましい発展が、終戦直後のアメリカの寛大な支援に負うところが大きいということを日本は忘れていません。

  戦争中、日本国民は、アメリカ人を鬼のようにおそれ、憎むように教育されていました。しかし、目の前に現れたアメリカ人は、実は大変温かい心の持ち主でした。日本国民は、アメリカとアメリカ人の懐の深さに驚くと同時に深い感謝の念を抱いています。

  かつて南北戦争がまさに終わろうとする1865年3月、リンカーン大統領は2期目の就任演説で、
  「悪意を何人に対しても抱かず、共感の心をすべての人々に持ち、・・・ 国の傷をいやし、・・・ 我々の間だけでなく、全ての国々との間において、公正かつ永続的な平和を達成し育んでいくために、あらゆる努力を払う。」
 と述べました。

  このようなアメリカの心こそが、日本人の心を力づけ、日本の復興を可能にし、日米間の確固たる友好関係の礎を築いたのだと思います。

  一度は戦火を交えた両国が、今、共通の価値観に基づき、友人として、同盟国として、世界の様々な課題に協力しながら取り組んでいるのは、本当にすばらしいことです。

  2001年9月11日の同時多発テロは、アメリカのみに対する攻撃ではなく、人間の尊厳や自由を尊重する人類全体に対する挑戦でした。テロや大量破壊兵器の拡散は、私たちの生活を脅かすものです。私は、自由と民主主義をまもるために日々毅然として立ち向かうブッシュ大統領に心から敬意を表します。

  私は、若い頃見た映画「真昼の決闘」の中で、たった一人で、正義のために勇気を持って、4人の無法者に立ち向かうゲーリー・クーパーの姿に、アメリカを重ね合わせることがあります。しかし、あの保安官ゲーリー・クーパーとアメリカの間には大きな違いがあります。アメリカは一人で悪に立ち向かっているわけではありません。常に同盟国、友好国とともにあります。そして日本はアメリカとともにあるのです。

  私は、大統領とともに、日米同盟の重要性を認識し、同時に世界の国々や国連等とも協調しております。今後とも、テロとの闘い、アフガニスタン及びイラクの民主化と復興、貧困の撲滅、大規模災害への対応など幅広い分野でアメリカとの協力関係を一層発展させていきたいと思います。

  私は、明日、大統領夫妻とともに、エルビス・プレスリーの故郷であるメンフィスを訪問します。若い頃の私にとって、アメリカといえばプレスリーであり、まさに青春の思い出そのものです。私が初めて覚えた英語の歌は、エルビスの「I want you, I need you, I love you」でした。

  私は、今後とも、基本的な価値と利益を共有する日米両国が、「I want you, I need you, I love you」の言葉のように、お互いにとってなくてはならない存在として、世界の平和と繁栄のために協力し、ますます発展していくことを祈念しつつ、皆さまとともに杯をあげたいと思います。

  乾杯。』

 翌日訪れたテネシー州メンフィスでは、エルビス・プレスリーの元夫人プリシラさん、お嬢さんのリサ・マリさんに出迎えていただき、グレースランドで大スターゆかりの品々を時が経つのも忘れて拝見しました。ブッシュ大統領ご夫妻をはじめ歓迎してくださったアメリカのみなさんに心から感謝いたします。

 メンフィスは、アメリカ公民権運動の父、「I have a dream」という有名な演説をしたマーティン・ルーサー・キング・ジュニア牧師が暗殺された地でもあります。暗殺された場所をそのまま遺した国立公民権博物館も視察しました。

 今週末には、これからの中期的な成長戦略と財政健全化の基本方針となる「骨太の方針」を決定します。そして、来週は、中東のイスラエル、パレスチナ、ヨルダンを歴訪し、ロシアのサンクトペテルブルクで行われるサミットに出席します。

 これからも、日米同盟と国際協調を外交の基本に、国際社会の責任ある一員として、国際社会が抱える様々な課題に取り組んでいきたいと思います。

(以降、小泉マガジン一般記事、省略)

  ------------------------------------

「編集後記」

 昨日未明3時50分過ぎ、私は、北朝鮮によるミサイルの発射の第一報を受け、直ちに官邸に駆け付けました。官邸では、総理と関係閣僚等による安全保障会議などが開かれ、情報の収集、分析、対応の協議など大変緊迫した一日でした。こうした事態に備え、日頃から様々な状況への対処を検討してきたので、適切に対応できたと思います。

 今回、北朝鮮が繰り返し7回(7月5日19時現在)ミサイルを発射したことは許し難いことです。我が国として毅然とした厳しい対応をとる必要があり、万景峰92号の我が国への入港を禁止したことを含め具体的な措置をとりました。今後、北朝鮮がどのような行動をとるのかも不明です。米国を始め関係各国と緊密に連携しつつ、北朝鮮の対応を見極めながら更なる措置を検討していきます。(じんえん)

総編集長:内閣総理大臣 小泉純一郎
編集長:内閣官房副長官 長勢甚遠
発行:内閣官房内閣広報室(〒100-8968 東京都千代田区永田町1-6-1)

<以上、小泉メールマガジンより引用>

我国マスコミ世界の「覗き見趣味的無責任さ」!を、問う・・・

2006-07-05 17:13:50 | 教養・文化・歴史
今朝起きてみると、北朝鮮のミサイル発射の報道ばかり!
既に、北朝鮮ミサイルは1998年?に発射されているのであるから、いざ2度目のミサイル発射が実行された場合、如何に?


<其の-1>

これ、我国の対応策はとっくに構築されていても不思議ではなかろうに、、、。政治家も政府役人もマスコミもマスコミを取巻く知識人も、さらには我々一般国民も、一億2千万の総日本国民は一体全体この10年間に、危機管理国防に関して何をしていたのか?我ながら、今更以って恥ずかしい!(かくして、書きたくない記事を書き始める・・・)
そう、
もっとも厄介な問題は何か?となれば、三莫迦隣国の不埒なる行動ではなく、未だ以って国を失う恐怖に危機感の皆無なる日本国民なり。

「国を愛する」という必要不可欠なる『国民的総意』なくして、当然のこと自国にて有しておらねばならぬ「自国自力の防衛力」にて、未だに国は守れず!、これ、全く構築されていない所以である!

嗚呼、情けないかな、かの安倍官房長官の記者会見はしどろもどろ。
これも致し方なかろう。
事実上、米国調査機関からの報告乃至通達が無ければ我国政府には「軍事関連情報」の収集方法はないからだ。未だ調査中?詳細確認も定かでない、核心もない、政府の方針も定かでない報道を、TV各局はヒステリックに報道する。いかなる対処をするか?外交戦術は?長期的外交戦略は?果たしてどうなるのか!暫く様子を見たい。その間、時期を同じくして竹島海域を韓国調査船がうろつくのを、我国外務省は「警告」を伝えるのみ・・・
これまた予測されていた事!
以上2件、この数年以内に国を滅ぼされかねない「我国周辺国よりの不意討ち」なれど、今は暫く、政府やマスコミの動き、様子を見たい。

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<其の-2>

しかし昨日、本日の突発事件のその影に隠されてしまい「報道無視・軽視」された「由々しき出来事」あり。

巷の茶飯事に頭を悩ましたくない我輩なれど、わが郷土で起こった不埒なる事件。どうしても捨て置けない。
本日添付画像、我が故里の地方新聞「中国新聞」の一面記事である。
その一面の最下部に「「天風録」なる寝ぼけたコラムがあるので、是非拙ブログの読者にご紹介し、且つ、我輩の意見を示したく『丸写し』した。(中国新聞社殿、もし万が一、記事模写に問題あれば訴えてほしい。ならば、貴社からのお叱り、我輩喜んで受けて立ちましょう・・・)

  ----------------------------------------------------
(以下、中国新聞社2006年7月5日、一面記事より引用)

「天風録」より・・
遺族が提供した一枚の写真。人形をあしらったピンクのシャツに帽子姿で、うれしそうに微笑む。小学一年生の七歳。東京ディーズニーランドへ家族旅行した時の木下あいりちゃん。かわいい盛りである ▲広島市安芸区で昨年十一月、下校途中で無残にも将来の夢を立たれた。「自分の命よりも大切な宝だった」と父親の自衛官賢一さん(39)。まな娘を突然奪われ、「極刑以外は受け入れられない」と訴え続けてきた ▲死刑を求刑されたペルー人の被告(34)に広島地裁はきのう、無期懲役の判決。賢一さんの無念さは察するに余りある。「性的暴行の上殺害され、犯人は二度も命を奪った。性被害の事実を詳しく伝えてほしい」と願う。親としてはつらいが、相次ぐ性犯罪の抑止につながると思うからだ。 ▲この父親の言葉は、光市母子殺害事件の遺族本村洋さん(30)の思いと重なる。七年前、残虐な犯行で妻子を奪われた本村さんは、被告の死刑を求め、遺族の思いや犯罪被害者の権利を訴え続けてきた。一、二審は無期懲役だったが、最高裁は高裁に差し戻し。死刑の可能性は大きくなった。 ▲木下さんも本村さんも「死刑にならないのならこの手で」とまで言う。その激しさに一瞬、ひるむ。愛するわが子を失った遺族でないと、心のひだまで分からない ▲一方で、「死刑」はあまりにも重い。三年後に裁判員制度が導入される。あなたなら二つの事件をどう裁く?と問われても、戸惑うばかりである。

(以上、記事転記、終了・・)

  --------------------------------------------------------------

まず、
広島地方裁判所は、一体何を考えているか!
光市の本村さん裁判は7年以上に及び、未だ結論を得ず。ひるがえって広島市安芸区の木下さん裁判は、わずか7ヶ月で結論を出すか?
(光市の本村さん事件云々は次回において…)

かくして木下あいりさん「幼児強姦に及び殺人、その後は死体遺棄」なる殺人事件に対し無期懲役の判決は、いかにも不可思議であり、我国司法の軟弱な制度に、我輩は強く反発反対し、不満と怒りを持つ。

まして、当該地方新聞の記事に、あきれてしまう。
上述、「天風録」記事の無責任さに、激怒する。

担当記者の「締め括り」(下記引用)、いかにも無責任である!
>▲木下さんも本村さんも「死刑にならないのならこの手で」とまで言う。その激しさに一瞬、ひるむ。愛するわが子を失った遺族でないと、心のひだまで分からない・・・
 *これ、ジャーナリズムの無責任さか!覗き見趣味か?つまり、他人のことだから、「心のひだ」まで理解できない!と、括る。
>▲一方で、「死刑」はあまりにも重い。三年後に裁判員制度が導入される。あなたなら二つの事件をどう裁く?と問われても、戸惑うばかりである。・・・
 *ジャーナリストが戸惑ってどうする!自身の自信ある良識見識見解なくして、記事を書くな!
 *新聞社が、その社を背負って立つ社会的責任ある記者が、あろうことか、記事の最後に「戸惑って」どうする!

さあ、若し、万が一、自分自身が被害者家族であったらどうするか?
はっきり自分自身の意思を申し上げたい!
 1)まずは、冷静に、高裁に上申する。
 2)その傍ら、然るべき東南アジアの知人に依頼し「暗殺者」をノミネートする。以って加害者の殺害(私刑)を計画する。
 3)暗殺者には金品の謝礼を用意し、速やかに、この度の加害者の暗殺を実行する。
 4)自分自身も、暗殺に加わるから、暗殺の首謀者となる。しかし、暗殺首謀者になるも、辞さない、怯まない。生涯に一度、晴れて、本物の「007ジェームスボンド」役を、潔く受けて立とうではないか!
つまり、
大切なわが愛娘を、強姦・殺害・死体遺棄した「極悪人」に対し、自分自身の命をかけて必ずや「報復」をする。報復終了した後、毅然として、凛として、正々堂々と「関係官庁」に自首する。殺人者としての罪を自ら償う…
かくして殺人者となり、我が罪を償うとは、すなわち死刑を宣告されるも辞さない覚悟、とっくにできている。強姦という猥褻卑劣最悪の屈辱を受け殺害された、年端も往かぬ幼き我が愛娘のために、自分の命を投げ出す覚悟と実行能力、既に持っている。
これ、洋の東西を問わず、今昔を問わず今も尚、且つ将来も、本能的且つ常識的に「男」の持つ「役割分担」にて、人間世界の常識ではないか!

 わが子を愛し、わが家族を守り、地域の安全を管理維持し、もって国を愛し、国の安全を守ろうとする「国民」がいて、なぜ悪い。もって、売国の輩を排除し、自国を守る自国の憲法を策定し発布するのになぜ反駁する自国民が存在するか。日本の国籍を持つ我国一般庶民は、なにを以って新憲法制定に躊躇するか!
三莫迦隣国からの繰り返しなる恫喝に、日本人は何故にうろたえ、忘れようとし、目の前の辻褄併せに躊躇するか?
これまた不思議でしかたない・・・

「・・・!」
「何ですって?」
「1人殺害しただけでは『死刑』にならないんですねえ~」
「ならば、ついでに光市の本村さんの仇を討ちましょう!」
「・・・?」
「何、3人殺害しないと死刑にならない?そうか・・。ならばもっと派手に!被告の弁護士団でも道連れにしますか・・・」
「・・・!」
「ご同意、感謝!」
しかし、まあ~・・
「なんとも情けなき、優柔不断を通り越した被去勢人畜的なる判決よ・・・」

この判決(我が尺度にて)、いかにも軟弱且つ姿優柔不断なりと断言する。

広島地方裁判決のあり方に「疑念と不審と異議」をお持ちの方、是非とも「不肖・エセ男爵ブログ」のランキングアップ!ご協力願いたく、下記のバーをクリック応援して下さい。
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PS:本日予定であった「小説フォワイエ・ポウ」は、次回に投稿いたします事お許し下さい。

光陽展「広島展」によせて(5/6)-2 「作品 :ティータイム」を鑑賞する・・

2006-07-03 11:22:58 | 怒素人的美術蘊蓄録
(添付画像:光陽展広島展・「ティータイム」)

<作品の紹介>

 作品番号: 46
 作者氏名: 北 川 悦 子 (会員)
 作品題名: 『ティータイム』
 受賞名:  会員奨励賞
 住  所:   東 京


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   ---------------------------------------------

<其の1>

 光陽展広島展に赴いたのは6月末、早いもので、すでに1ヶ月になる。本日こうしてあらためて「作品・ティータイム」を拝見しながらも、当日の光景をまざまざと思い浮かべ得るほどに、この作品、我が脳裏に残像として鮮明に残っている。

 「静けさと安堵感」の伝わってくる作品。
 冷たく静寂なる「静か」さではなく、暖かい「静か」さなのである。
 「ティータイム」なる作品のタイトルは、解る。
 暖炉のある住居。
 ならば、所は、場所は、おそらくヨーロッパの、とある街、とある住居の一室、、、。
 この作品の暖かさは、まず暖炉の存在から感じ、漂って来るのか、、、。
 暖かさは人間の佇む生活空間でなくてはならず、人的空間の証拠に、暖炉の上部右から電話器と花、さらに楽器(マンドリンか)など配置、暖炉の左前方にテーブルが位置する。暖炉に火を入れれば、周囲上部は加熱するか。断熱施工されていると仮定するも、加熱を忌み嫌う木製楽器マンドリンと精密機械であるはずの電話器など、ゆめゆめ暖炉の周囲に配置すべきではなく、たぶん、暖炉に火を入れない季節時節の想定であろう。

 さて、この作品のすばらしさは、光りの表現。と、視る。
 暖かさの表現に、まずは左手壁の上窓から、斜めの光りを差し込ませておられる。背景の壁を斜めに照らし出す。その光りは壁に反射し部屋全体にちりばめられているであろうと思わせる。この絵画には、もう一箇所の光源がある。暖炉手前の石床に、右手の下方向から斜めに差込み、石版(たぶん大理石であろう)の床と、ティーカップやティーポットの配置されているテーブルの足元を、強力な光源で照らし出している。この光源が、この作品の奥行きと立体感をもたらしているのではないか。
 しかし、人工光源でない限り、左右全く異なる方向からの強力な太陽光が差し込んでくる事は考えられない。自然光に頼って撮影した写真芸術ならば、全く撮影製作不可能な「画面」であるけれど、絵画という技巧により、人工的作為により描かれた「作品」なるか。

 結論して、
 自然科学的に考えれば不可思議な場面構成であるが、何故か調和がとれている。その調和は、「暖かな静けさ」と「和み」を演出する。
 さらにこの作品の最大の魅力をご披露し且つ絶賛したい「理由」、在る。

それは、作品の中に見事に配置されている、、、

 「楽器」・・

 「ティーセット」・・

 「電話機」・・

 「花器と花」・・

 これら絵画調和を醸し出しつつ構成される小道具の、微細に描かれている「緻密精度」なるもの最高度の技巧にて詳細且つ緻密に描かれ、まるで本物を見ている以上の表現力。鍛え抜かれた絵筆の成せる業、はたまた作者:北川悦子女史の天分的感性から沸き出でた結果か。楽器マンドリンたるは、今直ぐに手にとって奏でる事可能に想え、電話器からは今にもテレフォンコール架かって古式豊かなベルが鳴り響きそうな感じすら思えて来る。ティーセットは、欧羅巴ポーセリンの質感あり。高品質なるセラミックの肌合いは見事、いかにも具現に表現済み。今直ぐに、指で弾(ハジ)けば、かん高い磁器の音が鳴り響くに違いない。
 
 いわずもがな、暖炉は、絵画演出舞台の華麗なる大道具である!

(残念ながら、添付画像にて細部の再現不可能。読者に対し、訴求力無きところ、
如何ともし難く誠に心もとない・・・)


<其の2> 

 先回記事「フェルメールを回想する」に記したとおり、自分勝手にフェルメール作品とすり合わせて「この作品」を鑑賞した。それは決して、フェルメール作品「Milk-Made(ミルクを注ぐメイド)」と比較し、構図的にも作画意図にも、ほとんど類似点はない。
 まず、
 フェルメール作品には「メイド」なる女性が描かれており、ミルクを注ぐ動作の動きあり、女性の衣服にはフェルメールブルーと称される「独特の青色」が配されている。そして、背景の壁には何ら飾り気無く、わずかに左手上部の窓際に、物入れの篭らしきもの、ぶら下がっているだけのシンプルな背景である。
 しかし、最大の違いは、フェルメール作品のまるで和室の障子紙でも通したような柔らな広がりを見せる間接照明的「光源表現」と、この作品の直線的「光源」の違い。等々、「光源反射」の表現の違いである。
 実は、この作品「ティータイム」を拝見した瞬間、思い立ったのがこの「光源問題」なのであった。さらに贅沢を云えば、この作品「ティータイム」の全体的色調に、若し「ティータイム作品」の中に、フェルメールブルー的「青色」の配置があったら、この作品はどうなっているか?
 若し、ティーセットの配置されてあるテーブルに、青色の布切れ一枚あったら、鮮やかにして藍色のフェルメールブルー的青色の「テーブルクロス」をさりげなく、テーブルの然るべき位置に配したらどうなっているだろうか?

 「・・・?」 
 
 そんな我が幼稚な鑑賞眼にて「幼児的欲求」を物申したくなるほどに魅力的な、北川悦子女史作品「ティータイム」なのである・・・

 正直、申し上げます。
 「飽きないのです・・・」
 「毎日の朝晩、出張あれば週末に、あるいは毎月2~3回、この絵画を鑑賞し続けたいのです!」

  <・続く・・>

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