Cafe & Magazine 「旅遊亭」 of エセ男爵

志すは21世紀的ドンキホーテ?
はたまた車寅次郎先生を師に地球を迷走?
気儘な旅人の「三文オペラ」創作ノート

ゴールデンウイークと日章旗;気高く、強く、美しくあれ(by 櫻井よしこ女史)…

2008-04-30 13:15:45 | 教養・文化・歴史
<添付画像>:「大和櫻塾」ますらお塾長より……
(転送年月):平成20年4月22日
(撮 影):ますらお殿下・福岡にて


 トノゴジラ!こと「ますらお」殿下より頂戴した画像(先の4月22日)をメールと共に掲載し、来るゴールデンウイークの餞(hanamuke)とする。

 「……?」

 「ご、ご質問ですか? Golden Weekに、なぜ餞がひつようか!ですって?」

 たぶん必要でしょう。 1.5億?の日本国民挙って、国の内外に向け暫し小旅行を楽しむはず。 旅には「ハナムケ」が必要なり。 日本国国旗を打ち振って、旅の安全を祈るは、日本の非常識かもしれないけれど、これは「世界の常識」である。

 「何故にサクラと日章旗か!」ですって?

 ハイ、此れには「いわく」あり、無許可ながら当画像をお贈りいただいたときの下記「ますらおさまメール」を公開し、その出処を明らかにするものであります!

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<Date of received :2008/04/22>

本日、博多は快晴。
チャンスとばかり、スタンドで洗車して、車をこどもの日仕様に・・・
昔は岬の断崖であったと思われますが、今は海が見える小山の上の「愛宕神社」駐車場へ・・
小さい駐車場では、車のお払いや、赤ちゃんのお宮参り等が居てほぼ満車。
写真撮るのに駐車場の突端まで行きたかったのですが断念。
代わりに、まだ桜が残っていたので、無理やり納めました。
海軍旗仕様は、慌ただしかったゆえ撮り忘れましたので、拙ブログ「軒並み日の丸・・」の携帯写真でご容赦を・・
取り急ぎ、写真のみ送ります。

     ----------------------------------

 以上、
 ますらお殿下から頂いたメールです。

 ま、なんですなぁ。

 祝祭日には「国旗掲揚する!」という習慣が消滅しかかったた我が国。 あらためて我国政治は4流!加えて(今や)我国経済は3流?に成下がり、教育5流に落魄れた日本国?

 「自分及び家族の平和と繁栄は、国家の衰退とは無関係だ!」

 等と考え思い上るのは、如何にも無責任的『平和ボケ』にて愚かなり、、、。

 ここは一つ、あらためて『美しき國のあり方』を考えてみること、「暇なゴールデンウイーク」を過ごす諸兄姉にとっては必要不可欠なこと。。。

 あれこれ思いつつ『大和櫻塾・ますらお塾長』の心意気を、再度、エセ男爵ブログにてお披露目したい、、、。 

                         <…完…>

* トノゴジラこと「ますらお殿下」主宰、『大和櫻塾』ブログは、こちらから入れます


PS: 末筆ながら、我が敬愛する櫻井よしこ女史の(昨年発刊)の書籍! サクラと国旗にちなんで(再度)紹介しておく。

気高く、強く、美しくあれ―日本の復活は憲法改正からはじまる
櫻井 よしこ
小学館

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山口県光市 母子殺害事件…

2008-04-23 18:45:45 | 教養・文化・歴史
<添付画像>:(mainichi.jp news より 抜粋画像)
 平成20年4月22 広島高裁 光母子殺害事件 

 この9年間、気になって仕方のなかった事件『山口県光市の母子殺害事件』の差し戻し控訴審のニュース報道を視た。
 あまたのくだらないTVニュース報道の中、昨日は久しぶりに「晴れ晴れする」報道に出会えたこと、心から喜んでいる。
 中でも、被害者家族の本村洋さん会見での一言一句は清廉正義にて、苦節9年堪え忍ばれて尚日本国刑法及び少年法の研究についやされた結果、選び抜かれた「文言理路」は整然とされ、中途半端なTVコメンテーターや勉強不足甚だしきよろずTV評論家の出る幕皆無。況や「記者会見」に及んだ報道各社各局のインタヴュァーから寄せられる愚問の数々は、小児性平和惚け痴呆症の症状丸出しにて、恥ずかしきこと多かりき、、、。
 踏み込んで本音を言えば、一番恥ずかしいのは我輩なり、如何にも刑法に疎いエセ男爵として一夜明けた本日平成20年4月23日、以下の通り「本山洋さん語録」として、永く拙ブログに記録し留め置く価値ありと判断し、以下、Yahoo&毎日新聞と産経新聞記事を抜粋掲載する。

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Yahooニュース[産経新聞]より…【主張】母子殺害死刑 常識に沿う妥当な判決だ

 少年といえども凶悪で残酷な事件を起こせば、厳罰でのぞむという裁判所の強い姿勢がうかがえた。社会の常識に沿った、極めて妥当な判決と受け止めたい。
 犯行当時18歳1カ月の少年に死刑を適用するかどうかで注目されていた山口県光市の母子殺害事件の差し戻し控訴審で、広島高裁は元少年(現在27歳)に死刑判決を言い渡した。
 差し戻しとなった今回の広島高裁の判決は、被告・弁護側の主張をことごとく退ける厳しい判断を示した。弁護側はこれを不服として再び上告したが、今度は最高裁で確定する可能性が高い。
 事件は9年前に会社員、本村洋さんの妻(当時23歳)と娘(同生後11カ月)の2人が殺害された。殺人や強姦(ごうかん)致死などの罪に問われた元少年は1、2審では殺意を認めた。1審山口地裁は死刑の求刑に対し、被告が18歳の少年だったことや計画性がないなどを考慮、無期懲役の判決を下し、広島高裁もこれを支持した。
 しかし、最高裁第3小法廷は一昨年6月、「量刑ははなはだ不当で、特に考慮すべき事情がない限り死刑を選択するほかない」と、広島高裁に審理のやり直しを命じた。この時点で元少年に死刑の判決が言い渡される可能性が極めて高くなっていた。
 ただ、差し戻し審では全国から集まった計21人の弁護士が「死刑回避」を最大の目標に大弁護団を結成、検察側と全面対決する異例の展開となった。弁護側は法廷で、被告が1、2審で認めた殺意を否定し、事件は傷害致死だと主張するなど、事実関係そのものを争った。
 「何とか被告の元少年を死刑から免れさせたい」とする弁護戦術とみられるが、その主張には無理があり、社会常識では到底理解しがたいものだった。
 差し戻し審は元少年が供述を変遷させたことなどを「不自然で不合理、信用できない」とし、「犯行は冷酷、残虐にして非人間的な所業である。死刑の選択を回避するに足りる特に酌量すべき事情があるとまではいえない」と厳しく糾弾した。2年前の最高裁判決にほぼ沿った判断である。
 今回の差し戻し審判決は、司法の少年事件に対する厳罰化の流れを加速させることになろう。また、来年から始まる裁判員制度の裁判員にも参考となる判断基準を示した意味ある判決といえる。

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光母子殺害:【本村洋さん会見詳細】<1>
「裁判所の見解は極めて真っ当」

 山口県光市で99年4月、母子を殺害したとして殺人と強姦(ごうかん)致死罪などに問われた当時18歳の元少年(27)に対する差し戻し控訴審で、広島高裁は22日、元少年に死刑判決を言い渡した。遺族の本村洋さん(32)は判決を受けて会見した。会見の詳細は次の通り。

 --今の心境を。

本村 これまで9年の歳月がかかってきましたけど、遺族が求めてきた死刑判決が下ったことに関しまして、判決を下して下さった広島高裁には感謝しております。今回の裁判の判決の内容を全部聞いておりましたけど、裁判所の見解は極めて真っ当だと思いますし、正しい判決が下されたと思います。被害者遺族は司法に感謝して、被告人はおのれの犯した罪を後悔して、社会が正義を再認識し、司法が威厳を保つことで、民主主義、法治国家は維持されると思いますので、そういった判決が出たことを心から感謝しております。

 --5月11日の夕夏ちゃんの誕生日にお墓参りをされるとお話しされていたが、予定通りお墓参りをされるのか? また墓前にはどんな言葉を。

本村 できれば早く墓前に報告してあげたいと思いますので、5月11日の娘の誕生日を待つ前にお墓の前に行く時間があれば行きたいと思っています。墓前にかける言葉っていうのは、まだ自分の気持ちも整理できていないので、まだありませんが、ただ一つのけじめがついたことは間違いないと思っているので、この判決の内容については報告してあげたいと思います。

 --常に葛藤し続けてきたという思いを述べられていましたが、今の気持ちを。

本村 決して喜ばしいことではないと思っています。厳粛な気持ちでこの裁判所の判決を受け止めています。遺族としては当然、応報感情を満たされたわけですから、報われる思いはありますが、社会にとってみれば、私の妻と娘、そして被告人の3人の命が奪われる結果となったわけです。これは社会にとって不利益なことです。

 私はこの事件にあってからいろいろ考えておりますけれど、やはり刑法っていうものは社会秩序を維持するための目的を達するための手段だと思っています。死刑という大変重い判断が下されましたが、これで終わるのではなくて、私たち遺族もこの重い判決を受けて真っ当に生きていかなければいけないと思いますし、社会のみなさまにも、どうすれば犯罪の被害者も加害者も生まない社会を作るのか、どうすればこういう死刑という残虐な、残酷な判決を下さない社会ができるのかを考える契機にならなければ、私の妻と娘も、そして被告人も犬死だと思っています。死刑の存廃等の問題が騒がれるようになるかもしれませんけど、刑罰はどうすれば私たちが安全な環境を作れるかということを考える契機にならなくてはいけないと思いますので、そういった方に社会が向いていくことを望みます。


光母子殺害:【本村洋さん会見詳細】<2>
「どこかで覚悟していたのではないか」

 --今日の判決までに9年、長かった?

本村 時が長いか短いかは簡単に言えない。遺族にとっては長い月日。熟慮に熟慮を重ねた結果、出たのならば、判決は一層重みが増したものだと思いますので、来るべき時が来たものとしてこの判決を受け止めております。

 --退廷時に被告が振り返って一礼したことについて受け止めを。

本村 私はこれまで、被告が退廷する姿を見ないようにしていましたが、今日は退廷の姿をずっと見ていました。彼の表情からはあまり感情を読み取ることできなかった。どこかで覚悟していたのではないかと思える落ち着いた顔という印象を受けました。

 --死刑というものがあるからこそ迷い、悩んだと聞いた。判決を聞いてどうか。

本村 死刑という問題は、法治国家にとって古くて新しい問題で、答えはないものと思います。ただ、人の命をもっとも大事だと思って尊ぶからこそ死刑という制度があった。この判決を受けて、死刑は重過ぎるという人も適罰という人もいると思います。ただ、それを論じても意味のないことで、どうすればこういった犯行や少年の非行を防げるかということを考える契機になると思う。死刑というものがなくて、懲役刑や、短いものだったりした時、だれがこの結末を注目し、裁判経過を見守ってくれるのか。死刑というものがあって、人の命をどうこの国が、法律が判断するかを国民のみなさんが一生懸命考えてくれたからこそ、これだけの世論の反響を呼んだ。当然いろんな議論があります。いずれにしても目的は安全な社会を作ること。どうすれば犯罪を減らせるか、死刑を下すほどの犯罪をなくすことができるかということに人々の労力を傾注すべきだと思う。両手放しに死刑は必要だとか、間違っていないとは言えない。常に悩みながらこの制度を維持することに本当の意味があることだと思いを新たにしています。

 --判決を聞いている間、被告の背中をずっと見ていた。どのような思いで?

本村 今回の判決文を聞いて、まさに私が思っていた疑問をすべて解消しており、被告に聞いてほしかったことでもありました。すばらしい判決文だと思います。それを被告は聞いて、彼の残された日々を彼がどう受け止めてどう歩むか考えてほしい。真剣に聞いているのか、彼がどんなことを考えているか見極めたくて見つめていました。今日、彼が何を考えていたか知ることはできませんでした。

 ただ、彼は発言する機会を奪われたわけでない。本当に事実と異なれば主張すべきだし、うその供述をしたのなら悔い改めるべきです。彼の人生だったり、裁判で言ってきたことが差し戻し審ですべて反故にされた。少なくともいったんは犯行事実を認めて謝罪して反省したのに翻したのが悔しい。最後まで事実を認め、誠心誠意、反省の弁を述べて欲しかった。そうすれば、もしかしたら死刑は回避されたかもしれない。なぜ遺族の感情を逆なでして、ああいった供述をしたのか。心の弱さゆえにうその供述をしたのであれば正直に述べてほしいし、そういった心境や悔悟の念をくみ取る報道機関もあっていい。そして被告が反省した姿を社会に見せることが防犯の力になると思う。    


光母子殺害:【本村洋さん会見詳細】<3>
 被告の反省文は「生涯開封しない」

 --被告は傍聴席に一礼しましたが、どう感じましたか。

本村 最後に彼が一礼してくれたことは見届けました。彼がどういった心境で頭を下げたのか、まだ分かりません。ただ、判決文をしっかりと読んで、心から謝罪ができる日が来るよう願っています。

 --被告の反省文は本村さんは開封はされるのでしょうか。

本村 いいえ。開封は生涯しないと思います。今回の裁判所の見解であったように、明らかに自らの罪を逃れたいがために書いた反省文であると思いますし、あれは彼の本当の気持ちが書かれていない可能性が高いと思っています。ですから判決以降に書かれた手紙であるなら読む準備があると思いますけれど、それ以前に書かれた手紙は生涯開封しないと思います。

 --彼にかける言葉は。

本村 胸を張って彼には死刑を受け入れてもらいたい。胸を張れるまでには相当苦悩を重ね、自らの死を乗り越えて反省しなければいけないと思う。そうした境地に達して自らの命をもって堂々と罪を償ってほしいと思う。できればそういった姿を私たち社会が知れるような死刑制度であってもらいたいと思います。

 --今回の少年は(犯行時)18歳。ハードルが外れ、今後、少年の死刑判決が続くと思いますか。

本村 そもそも、死刑に対するハードルと考えることがおかしい。日本の法律は1人でも人を殺めたら死刑を科すことができる。それは法律じゃない、勝手に作った司法の慣例です。

 今回、最も尊うべきは、過去の判例にとらわれず、個別の事案をきちんと審査して、それが死刑に値するかどうかということを的確に判断したことです。今までの裁判であれば、18歳と30日、死者は2名、無期で決まり、それに合わせて判決文を書いていくのが当たり前だったと思います。そこを今回、乗り越えたことが非常に重要でありますし、裁判員制度の前にこういった画期的な判例が出たことが重要だと思いますし、もっと言えば過去の判例にとらわれず、それぞれ個別の事案を審査し、その世情に合った判決を出す風土が生まれることを切望します。

 --日本の司法に与えた影響については。

本村 私は事件に遭うまでは六法全書も開いたことがない人間でした。それがこういった事件に巻き込まれて、裁判というものに深く関わることになりました。私が裁判に関わった当初は刑事司法において、被害者の地位や権利はまったくありませんでした。それが、この9年間で意見陳述権が認められましたし、優先傍聴権も認められる。例えば今回のように4000人も傍聴に訪れたら、遺族は絶対傍聴できなかった。それが優先傍聴権があるために私たち遺族は全員傍聴できた。これからは被害者参加制度ができて被害者は当事者として刑事裁判の中に入ることができる。

 そういったことで司法は大きく変わっていると思いますし、これから裁判員制度をにらんで司法が国家試験、司法試験を通った方だけではなく、被害者も加害者も、そして一般の方も参加して、社会の問題を自ら解決するという民主主義の機運が高まる方向に向かっていると思います。実際に裁判に関わって、まったく被害者の権利を認めていない時代から、意見陳述が認められて、傍聴席も確保できて、そういった過渡期に裁判を迎えられたことは意義深いと思ってます。

 --今の裁判の問題点は。

本村 すべての問題が解決したわけではありませんし、例えば今回、9年という歳月がかかっている。これは非常に長いと思います。ですから今後、裁判の迅速化とか今後検証していく余地はたくさんあると思う。法は常に未完だと思います。未完だと思って常により良い方向を目指して解決していくべきだと思います。

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〔毎日新聞JP Newsより転載……〕

光母子殺害:解説 被害者2人…「境界事例」で判断
 量刑が最大の焦点になった差し戻し審で、広島高裁は結果の重大性を重視して極刑を選択した。たとえ少年でも故意に複数の命を奪った事件は、積極的に死刑を適用すべきだとの司法判断を明確に示したと言える。

 06年6月の最高裁判決は、元少年が事件当時18歳30日だった点を「考慮すべき一事情にとどまる」とし、差し戻した。これに対し弁護側は、元少年の成育環境による未熟さを背景とする偶発的事件と主張。1、2審で認めた殺意や強姦の意図を争い、高裁が弁護側の主張をどこまで認めるかが焦点となった。

 最高裁は83年の永山則夫元死刑囚(97年執行)に対する判決で、死刑選択の判断基準として9項目を挙げた。判例をみると被害者の数が重要な要素とされるが、明確な基準はなく、被害者2人の場合は、判断が分かれる「境界事例」だった。更に、永山判決以降、被告が少年の事件で死刑判決が確定したのは2件だけで、いずれも被害者は4人だ。

 高裁が従来の量刑判断から大きく踏み出した背景として、来年始まる裁判員制度を前に「死刑基準を明確化したもの」と指摘する専門家もいる。厳罰化を求める世論が高まる中、死刑に慎重であるべき少年事件で示された今回の判決は、量刑を巡る議論に一石を投じるものだ。【安部拓輝、大沢瑞季】

毎日新聞 2008年4月22日 13時28分

今年の「すずらん」

2008-04-20 18:15:15 | つれずれ紀行
<添付画像>:自宅の庭に繁茂する「すずらん」…
(撮影場所):我家の庭(西北方向の)木立の影的場所、、、
(撮影日時):平成20年4月20日・午後5時20分頃
(天 候) :快晴(気温22℃)


 これで3年目、三回目?になる、、、。

 我家の庭の片隅にガンバって毎年、可憐な?すずらんの花を咲かせる記念的草花の身勝手なご報告は、一昨年(平成18年)より始めて、早くも3年、、、。

 例年(昨年か?)に比較して、今年は何故か、育ちが早いのだ。

 今年で3年連続掲載のロングラン記事?≒「すずらん」は、なんだか『セ男爵ブログ』の歩んだそれなりの歴史と共に、毎年初夏を告げる歳時記的すずらんレポート(定番)になりました。

 満開?は、いつも5月連休の頃、、、。

 また今年も幾度かに分けてすずらん画像発表します、、、。
 

拝啓 志賀直哉先生…

2008-04-16 10:35:50 | 趣味の話&本と雑学メモ
<添付画像>:河出書房新社・日本文学全集(14)志賀直哉集

 このところエセ男爵的「ブログ更新不振症候群」の真っ只中にて、なかなか治癒しないから困っている。(困っているのは「トーマス青木」君であって我輩のことではない……)
 たぶん、この症候群に冒された最一回目は2006年夏場から秋口まで、さらに第二回目が昨年2007年8月上旬から晩秋までか? 第二回目の症状は未だ完治せず、現在も尚継続している。と云っても過言ではなかろう……
 彼の症候群の原因解明するに及ばず、既に十分な自覚症状を心得ているのだ。 言い換えれば「文章書けない症候群」であり、書こうと思えば思うほどますます書けなくなる「精神的障害」のことである。 書かなければますます書けなくなるという事だから、始末が悪い。
 てなことで、この厄介な精神的障害を乗り越えるには「良書の読書」しか解決方法がなく、このところむさぼるように明治大正昭和初期の巨匠たちの小説を再度紐解き始めたのである。いわゆる日本文学の古典の再読を始めたのだ。ここはしかし、やたら濫読ではなく、やはり好みの作家あり。好みでない作家の小説を読んだら最後、ますます日本語がいやになってくるから決して読まないよう心がけ、まずは夏目漱石に森鴎外あたりから始めて行き着く所、やはり我輩の場合は志賀直哉先生に到達する。 本音は「司馬遼太郎」先生から「開高健」さんなのだが、このあたりの再読となるともう一年掛かる。
 「ま、今回、これはやめておこう……」
 さて、志賀直哉の場合、猫でも杓子でも知っているのは「暗夜航路」。
 コレを読むのはヤバイ。暗夜航路は志賀作品の中でも駄作!?否、百歩譲って未だ当方の解明理解不行き届き?さらに譲って難解な交響曲的クラシック音楽か?と我輩は思う。
 やはり短編がよい。
 志賀直哉短編は、今から先の人生に於いても時にふれ折にふれて繰り返し読みたいものだ。
 さて本日、禁じて中の禁じてをやってみたい。つまり、偉大なる日本文学の巨匠の作品を丸ごと写してブログ掲載するというものだ。
 モノカキを志す人間、美しい文章を書きたいと願う人間は、だれでもやって通らなくてはならない手法がある。それは唯一、好きな作家の文章を「手書きで書き写す」こと。つまり「写経」と同じ、、、。
 エセ男爵は、否、不肖トーマス青木は、尊敬してやまない志賀直哉先生作品の中、「清兵衛と瓢箪」を模写してブログ掲載する。トーマス青木作品として発表掲載すればコレは歴然として盗作になるけれど、出処をはっきりさせて「トーマス青木的駄文」でも付け加えれば、コレは立派な文学論評になるからして怖くない。
 何故に志賀作品をよしとするか?
 志賀直哉先生の文章から、無駄な修飾語は一切見当たらず、物事を裏から眺めるような捻くれた感性も無く、あくまでも貴族趣味風の「自己主張」と「我が儘の一途」なのであり、そこには志賀流「男の粋」と「ダンディズム」に満ち溢れつつ「無粋」の腐臭は一切無く、漂ってくるのは香り高い白樺派の貴族的エスプリである。
 これを夏目漱石的に喩えれば、ひとえに「坊ちゃん」的な勢いであり、コレが夏目漱石的で良いのであって、「それから」的人生観に見受けられるデカダン風な逃避は全く無い。(志賀作品の中「暗夜航路」にこの逃避を感ずる…)
 「瓢箪と清兵衛」の文章表現から志賀直哉的嗜好が漂ってくる。発表された時期はなんと大正2年。今からかれこれ90年も以前に書かれた作品であるが、現代に通ずる美文である。(志賀作品の中、美文と称される作品はもっと外にあるようだが)我輩は小説の主人公「清兵衛」に、志賀直哉的美しさと力強さを感じる。(夏目漱石「坊ちゃん」に通ずる強引さを感じつつ)イチズに美形の瓢箪を好む清兵衛の素直な美的感覚に、志賀直哉好みの「理想の少年像」を観るのである。たぶん、当時の志賀先生は主人公清兵衛の持つ感性を「良し!」とされたに違いない。学校の教師にも両親にも理解されない「美的センス」や「卓越した能力」を持ち合わせた少年の可能性の芽を次々と摘み取りつぶしてしまう大人の閉鎖的常識は、今の時代にも通じる事象であるか。
 父親との間の不理解に悩む若き志賀直哉の例(たとえ)を挙げてみれば、
 「その夏、おおよそつまらぬことから、私は父と衝突した。一週間ほどして、父は宮城県の方に新しく買った小さな銅山を一緒に見に行かぬかと誘った。私は不思議な気がした。……」から始まる作品「山形」に、その確執が伺える。
 『清兵衛と瓢箪』の清兵衛は志賀直哉自身への置き換え可能にて、清兵衛の父(職業は大工)は志賀直哉の父(職業は鉱山経営の実業家)と同列であるか。
 この志賀直哉的切り口の小説は、過去のほとんどの論評において「私小説」的とも「微視的感覚」の小説とか称されながら、文学評論家的な枠組みで一括りにされているのが気に入らない。志賀直哉の感性は、そんなに狭小なものではなく、私的でもなく、もっと広大なところにあったと思うけれど、我国評論家感覚の視野狭く度量少なき証拠こそ、過去の「文学論評」の中で暴露されているようだ。だから評論家の屁理屈は不様でおもしろい。(ま、付け焼刃的論評論は急遽中止、こちらの勉強不足が丸出しになってますます恥をかく…)
 清兵衛の感性を通して、志賀直哉的深遠な人生哲学と美意識や美観が観えて来るのだ。日本的美観を通り越して西洋的美感を包括して止まず、この頃(明治末期から大正初期頃)すでに地球規模的なずうずうしさを持っていた日本人志賀直哉の世界観が伺える。つまり「清兵衛の凝り性」は志賀直哉の非日本人的な頑固一徹であり、「清兵衛の美的感覚」は(ここは瓢箪に置き換えられているけれど)志賀直哉の求める美の世界の象徴であったはず、、、。
 この志賀直哉的心意気を、こよなく尊敬してやまない、、、。
 まぁ~ いろいろ考えると面白い。
 前置きが長くなりすぎた。
 〆て、
 一時期の志賀直哉先生が遊んだ「広島県の尾道市」を舞台に展開する小説「清兵衛と瓢箪」!初めての方はこれを機会に是非ご通読いただきたい。既に読まれた方は再読されたし。。。

 そして「反省」!

 アァ~、こんなこと書いてるからますます書けなくなるのだ……

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[日本文学全集(14)志賀直哉集]より抜粋記載 P304~P307(約3,400文字)

   ― 清兵衛と瓢箪 ―

 これは清兵衛という子供と瓢箪との話である。この出来事以来清兵衛と瓢箪とは縁が断(ki)れてしまったが、間もなく清兵衛には瓢箪に代わる物が出来た。それは絵を描くことで、彼は嘗(katu)て瓢箪に熱中したように今はそれに熱中している……

 清兵衛が時々瓢箪を買って来ることは両親も知っていた。三四銭から十五銭位までの皮つきの瓢箪を十ほども持っていたろう。彼はその口を切ることも種を出すこともひとりで上手にやった。栓も自分で作った。最初茶渋(chya-shibu)で臭味をぬくと、それから父の飲みあました酒を貯えて置いて、それで頻り(shikiri)に磨いていた。
 全く清兵衛の凝りようは烈しかった。ある日彼はやはり瓢箪のことを考え考え浜通りを歩いていると、ふと、目に入った物がある。彼ははッとした。それは路端に浜を背にしてズラリと並んだ屋台店の一つから飛び出して来た爺さんの禿頭であった。清兵衛はそれを瓢箪だと思ったのである。「立派な瓢じゃ」こう思いながら彼はしばらく気がつかずにいた。 ――気がついて、流石(sasuga)に自分で驚いた。その爺さんはいい色をした禿頭を振り立てて彼方(mukou)の横丁へ入っていった。清兵衛は急に可笑しくなって一人大きな声を出して笑った。堪らなくなって笑いながら彼は半町ほど馳けた。それでもまだ笑いは止まらなかった。
 これほど残りようだったから、彼は町を歩いていれば骨董屋でも八百屋でも荒物屋でも駄菓子屋でもまた専門にそれを売る家でも、凡そ瓢箪を下げた店といえば必ずその前に立って凝(ji)っと見た。
 清兵衛は十二歳でまだ小学校に通っている。彼は学校から帰ってくると他の子供とも遊ばずに、一人よく町へ瓢箪を見に出かけた。そして、夜は茶の間の隅に胡坐をかいて瓢箪の手入れをしていた。手入れが済むと酒を入れて、手拭で巻いて、鑵にしまって、それごと炬燵へ入れて、そして寝た。翌朝は起きるとすぐ彼は鑵を開けてみる。瓢箪の肌はすっかり汗をかいている。彼は厭かずにそれを眺めた。それから丁寧に糸をかけて陽のあたる軒へ下げ、そして学校へ出かけて行った。
 清兵衛のいる町は商業地で船つき場で、市にはなっていたが、割に小さな土地で二十分歩けば細長い市のその長い方が通りぬけられるくらいであった。だから仮令(tatoe)瓢箪を売る家はかなり多くあったにしろ、ほとんど毎日それを見歩いている清兵衛には、おそらくすべての瓢箪は眼を通されていたろう。
 彼は古瓢にはあまり興味を持たなかった。まだ口も切ってないような皮つきに興味を持っていた。しかも彼の持っているのは大方所謂瓢箪形の、割に平凡な格好をした物ばかりであった。
「子供じゃけえ、瓢いうたら、こういうんでなかにゃあ気に入らんもんと見るけえのう」大工をしている彼の父を訪ねて来た客が、傍で清兵衛が熱心にそれを磨いているのを見ながら、こう言った。彼の父は、
「子供の癖に瓢いじりなぞをしおって……」とにがにがしそうに、その方を顧みた。
「清公、そんな面白うないのばかり、えっと持っとってもあかんぜ、もちっと奇抜なんを買わんかいな」と客が言った。
清兵衛は、
「こういうがええんじゃ」と答えて済ましていた。
 清兵衛の父と客との話は瓢箪のことになって行った。
「この春の品評会に参考品で出ちょった馬琴の瓢箪という奴は素晴しいもんじゃったのう」と清兵衛の父が言った。
「えらい大けえ瓢じゃったけのう」
「大けえし、大分長かった」
 こんな話を聞きながら清兵衛は心で笑っていた。馬琴の瓢というのはその時の評判な物ではあったが、彼はちょっと見ると、 ――馬琴という人間も何者だか知らなかったし―― すぐ下らない物だと思ってその場を去ってしまった。
「あの瓢はわしには面白うなかった。かさ張っとるだけじゃ」彼はこう口を入れた。
 それを聴くと彼の父は目を丸くして怒った。
「何じゃ、わかりもせん癖して、黙っとれ!」
 清兵衛は黙ってしまった。
 ある日清兵衛が裏通りを歩いていて、いつも見なれない場所に、仕舞屋(shimotaya)の格子先に婆さんが干柿や蜜柑の店を出して、その背後の格子に二十ばかりの瓢箪を下げて置くのを発見した。彼はすぐ、
「ちょっと、見せてつかあせえな」と寄って一つ一つ見た。中に一つ五寸ばかりで一見ごく普通な形をしたので、彼には奮いつきたいほどにいいのがあった。
 彼は胸をどきどきさせて、
「これ何ぼかいな」と訊いてみた。婆さんは、
「ぼうさんじゃけえ、十銭にまけときやんしょう」と答えた。彼は息をはずませながら、
「そしたら、きっと誰にも売らんといて、つかあせえのう。すぐ銭持って来やんすけえ」くどく、これを言って走って帰って行った。
 間もなく、紅い顔をしてハアハアいいながら還って来ると、それを受け取ってまた走って帰って行った。
 彼はそれから、その瓢が離せなくなった。学校へも持って行くようになった。しまいには時間中でも机の下でそれを磨いていることがあった。それを受持ちの教員が見つけた。修身の時間だっただけに教員は一層怒った。
 他所から来ている教員にはこの土地の人間が瓢箪などに興味を持つことが全体気に食わなかったのである。この教員は武士道を言うことの好きな男で、雲右衛門が来れば、いつもは通りぬけるさえ恐れている新地の芝居小屋に四日の興行を三日聴きに行くくらいだから、生徒が運動場でそれを唄うことにはそれほど怒らなかったが、清兵衛の瓢箪では声を震わして怒ったのである。「とうてい将来見込のある人間ではない」こんなことまで言った。そしてそのたんせいを凝らした瓢箪はその場で取り上げられてしまった。清兵衛は泣けもしなかった。
 彼は青い顔をして家に帰ると炬燵に入ってただぼんやりとしていた。
 そこに本包みを抱えた教員が彼の父を訪ねてやって来た。清兵衛の父は仕事へ出て留守だった。
「こういうことは全体家庭で取り締まって頂くべきで……」教員はこんなことをいって清兵衛の母に食ってかかった。母は、ただただ恐縮していた。
 清兵衛はその教員の執念深さが急に恐ろしくなって、唇を震わしながら部屋の隅で小さくなっていた。教員のすぐ後ろの柱には手入れの出来た瓢箪がたくさん下げてあった。今気がつくか今気がつくかと清兵衛はヒヤヒヤしていた。
 散々叱言を並べた後、教員はとうとうその瓢箪には気が付かずに帰って行った。清兵衛はほッと息をついた。清兵衛の母は泣き出した。そしてダラダラと愚痴っぽい叱語を言いだした。
 間もなく清兵衛の父は仕事場から帰ってきた。で、その話を聞くと、急に側にいた清兵衛を捕らえて散々に撲りつけた。清兵衛はここでも「将来とても見込みのない奴だ」と言われた。「もう貴様のような奴は出て行け」と言われた。清兵衛の父はふと柱の瓢箪に気がつくと、玄能(gen-nou)を持って来て、一つ一つ割ってしまった。清兵衛はただ青くなって黙っていた。
 さて、教員は清兵衛から取り上げた瓢箪を穢れた物ででもあるかのように、捨てるように、年寄った学校の小使にやってしまった。小使はそれを持って帰って、くすぶった小さな自分の部屋の柱へ下げて置いた。
 二ヶ月ほどして小使はわずかの金に困った時にふとその瓢箪をいくらでもいいから売ってやろうと思い立って、近所の骨董屋へ持って行って見せた。
 骨董屋はためつ、すがめつ、それを見ていたが、急に冷淡な顔をして小使の前へ押しやると、
「五円やったらもろうとこう」と言った。
小使は驚いた。が、賢い男だった。何食わぬ顔をして、
「五円じゃとても離し得やしえんのう」と答えた。骨董屋は急に十円に上げた。小使はそれでも承知しなかった。
 結局五十円でようやく骨董屋はそれを手に入れた。 ――小使は教員からその人の四カ月分の給料をただもらったような幸福を心ひそかに喜んだ。が、彼はそのことは教員には勿論、清兵衛にもしまいまで全く知らん顔をしていた。だからその瓢箪の行方については誰も知る者がなかったのである。
 しかしその賢い小使も骨董屋がその瓢箪を地方の豪家に六百円で売りつけたことまでは想像も出来なかった。

 ……清兵衛は今、絵を描くことに熱中している。これが出来た時に彼にはもう教員を恨む心も、十あまりの愛瓢を玄能で破ってしまった父を恨む心もなくなっていた。
 しかし彼の父はもうそろそろ彼の絵を描くことにも叱言を言い出して来た。

                    (大正2年1月 読売新聞にて)

出処:『日本文学全集(14)』志賀直哉集 抜粋記載
 P304~P307(約3,400文字)

日本文学全集(14)志賀直哉集
昭和41年6月2日 初版発行
昭和44年9月1日 五版発行
定価:580円
著者:志賀直哉
発行者:中島隆之 / 印刷者:多田基 / 装幀者:亀倉雄策
発行所:株式会社河出書房新社

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〔参考資料〕以下紹介の「ちくま日本文学全集」の中に『清兵衛と瓢箪』の集録があるようだ。 志賀先生ご自身の論評もあるとの事、興味深い日本文学全集の現代版か、、、。

志賀直哉 (ちくま日本文学全集)
志賀 直哉
筑摩書房

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謹啓 ますらお殿下さま…

2008-04-11 10:45:45 | 小説家・トーマス青木
<添付画像>:福岡市内フタバ図書の店先にて、
・出 処: 「ますらお殿下」よりお贈り頂いた画像より
・受領月日:平成20年2月9日


 二重人格者?否 多重人格差保有者である我輩にして「小説家・トーマス青木」なる半面(半面か?)を持っている事、既にご承知の通りである。 トーマス青木君は、このところ『黄昏のポジョニ・ウッチャ』の第二巻発刊に向け、執筆作業に明け暮れているからして、当エセ男爵ブログ記事更新はイマイチ侭ならぬ。 さりとて2枚看板的ブログ「旅遊亭」の方は「書けない書く余裕がない……」等の言い訳しながらも、なんとか書いている。 ブログ書かないのなら全く書かなければいいものを、中途半端に書いている。 中途半端な行動は無粋なり。 無粋はダンディズム失格である。 ダンディズム研究しつつも未だにダンディズムらしきものが身に付かない「エセ・ダンディー」な男こそ、すなわち「エセ男爵の舎弟」トーマス青木君なのだ。 志ばかり高くして事実は志から程遠い男の書く小説は如何なるものか? 凡作か?秀作か? はてサテ、結末はどうなるのか?それは作品読んでからのお楽しみ!!!
 いやなに昨日(4月10日)、かくなる無粋な小説家トーマス青木君を以って旅遊亭ブログにて下記添付の記事並びに冒頭の画像を記事にした。 記事更新をサボり捲っているエセ男爵ブログとしては勿怪の幸いにして、本日記事に転載するのでご了承頂きたい。

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【4月10日付「Cafe&Magazine旅遊亭」記事、転載】

 トーマス青木的には「ブログ記事更新」に難渋しつつ、加えて(特に今年に入って)時間の経過を忘却すること多く、妄想に瞑想や回想に回顧や懺悔から夢想へ自己嫌悪等々試行錯誤且つ精神的暴走に感情的急停止を繰り返し且つ休眠しつつ、あらためて今年2月中旬に頂いたメールを紐解いたところ、Cafe&Magazine旅遊亭&エセ男爵酔狂記 Part-IIブログの朋友最右翼、敬愛なる 『大和桜・ますらお殿下』から頂いたメールにたどり着いたのであります。が、あらためて貴重且つ栄誉あるシロモノであると判断。否、再確認!
 つまり、
 長編小説『黄昏のポジョニ・ウッチャ Part-I』の読後感ならびに当該書籍の「店頭展示」の画像を頂戴しているのでして、でもって、先ほど殿下に賞味期限切に近い感覚にて「お願い」のメールをお出ししたところ、快くご了解頂いたのでさっそくブログ記事に転載しました。  

                                       <旅遊亭:編集部>     

     -------------------------------------
 〔以下、平成20年2月9日付けメール本文〕
こんばんは。
 やっと読み終わりました。
 語調は、何となく、ブログの波長が感じられまして、男爵様、否トーマス青木氏の生来お持ちの物でしょうか?
 恥ずかしながら、「ポジョニ・ウッチャ」が地名であることすら存じませんでした。
 ヨーロッパとはいえ、東欧のハンガリーとは、なかなか舞台が面白いですよね。
 電車の運転席の横に立つ・・・・・何となく分かりますねぇ。
 ブログに出てくるビールと肴! 
 小説にも、嗜好はそのまま出るんですね。
 人物の描写が、私には分かりやすかったです。
 福岡空港が出てきたりして「それがどうした!」と言われても、ジモピーとしては、何だか嬉しい物ですね。
 話しは始まったばかりとも言えますね。
 次回が楽しみになりましたから、見事嵌ったかな?(´∀`*)ウフフ

 因みに「福岡大学」の近くの「フタバ書店」では、添付写真の様に、直木賞「私の男」の隣に並んでおりましたよ。
 ここはレジが大きなフロアの真ん中なので、置いてあったのは、入り口から二番目の棚の平積みエリアでした。
 こうやって置いてあると、「それは、ブタペストから始まった」というのは、結構受けそうですね。

 それでは!
      
    ***************************************  
    
黄昏のポジョニ・ウッチャ
トーマス青木
リトル・ガリヴァー社

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