Cafe & Magazine 「旅遊亭」 of エセ男爵

志すは21世紀的ドンキホーテ?
はたまた車寅次郎先生を師に地球を迷走?
気儘な旅人の「三文オペラ」創作ノート

宗教と象徴

2014-02-13 12:20:45 | 教養・文化・歴史
<添付画像>小さな如来像(殆んどハンドボールの大きさ…)
(撮影月日)平成24年1月13日
      昨年12月上旬に他界した実弟の四十九日法要に参加
(撮影場所)本照寺本堂玄関先
(撮影機材)FUJIFILM X100S 
(撮影者) トーマス青木

 A.H.さんの投稿された画像3枚(正月明けのイタリア旅行中撮影されたもの)を拝見。 実に訴求力あってあれこれ考えさせられた次第です。 ヨーロッパの教会や寺院の建造物や絵画も、日本の仏教寺院の仏像や絵画も、表現したいことの共通性を感じます。 それは全て、人間の『愛と幸せ』を象徴するものであると考える限りにおいて、それが異なる宗教と雖も、到達するところは一つです。 しかししかし、宗教の存在するところに富と金が集まる。そこに人間の欲得権力が咲き誇ると悪が芽生える。 A.H.さん仰せの『え~~~?って人間』は、こんなところに屯する輩でしょう。 そこらあたりが人間社会の面白いところです。この度、私は私の実弟の死去に纏わる一連の出来事で、あらためて宗教と人間の死、加えてお寺と日本人の関係の将来像を観た気がしています。そんな時のA.H.さんのこのFB記事に出くわし、なにやら私ごとのように人生の悲喜交々、その多くを感じました。 ごめんなさい、書きすぎました。
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 上述のこと、フェイスブックのコメント欄に記述しようと思って書き下ろしたもの。結局投稿を中止。FBから削除したメッセージです。 少しフェイスブックのメッセージとしては長すぎた。だから、《ごめんなさい。書きすぎました。》と締めくくっています。
 しかし、ブログ記事にしようと思い一旦コピペし、加筆削除等添削しようと思いながら草稿記事にてスタンバイしたもの。本日あらためて(添削無しにて)掲載に至る。尚、AHさんとはトーマス青木のフェイスブック友達のお一人です。

『ランプと蔦』;冬の景色

2014-02-10 17:08:57 | 小説家・トーマス青木
(撮影月日)平成26年2月9日
(撮影場所)ご町内;ウオーキングコースにて
(撮影機材)FUJIFILM X20
(撮影者) トーマス青木


 関東地区が大雪に見舞われている頃、すでに当地は雪をもたらす前線から外れ、雪解け2日目に入ったものの、寒さは一段と厳しい一日になった。
 寒い時期のウオーキングは(残念ながら今日的トーマス青木の場合)肺と心臓と脳内血管を害し、へたすると命に差し障る。さりとてこのまま一日過ぎてしまっては運動不足になる。と判断し、気分転換もかねて町内ウオーキングコース(約45分~60分)に出かける。
 本来ならば、気合入れて『歩くこと』に専念するのがウオーキング(というもの)であるけれども、没頭するには条件が悪く、逆に気が散るようにカメラ片手にスタートする。

 せっかくカメラを持ち出したのだから、
 「何かを撮影してみたい……」という意識が働く。
 久しぶりに歩くご町内(Bパターン周回)コースに、「撮影向きのスポットが在ったか無かったか?」等と、あれこれ思い出しながら、坂道を登ること約12~3分間。周遊コースの第一コーナーに差し掛かる。
 「そう、思い出した!」
 このコーナーの外周部分に位置するお宅の壁に蔦(ツタ)が絡まっているのを思い出し、立ち止まって撮影する。

 少しずつ角度や位置や撮影距離を変えながら(全部で)7回シャッターを切った。
 
 カメラは『フジフィルムX20』である。(ズームレンズ28mm~110mm仕様)
 蔦のディテールを写したく、出来るだけ壁部分に接近する。最広角部分(35ミリフィルムカメラ換算で28mm~35mm)を使い、街灯の撮影位置に気を遣いながら、壁(被写体)から約3~4メートルの距離で撮影する。
 
 「そうだ!今から春に向けて、ツタの葉が生え始めるであろう。ならば壁の色が変化する。蔦の這う曲線が変化する」 
 シャッターを切りながら、あれこれ想像する。
 「季節の変り目の様子を観察し、その変わり往く姿形を、楽しみながら撮影してやろうではないか!」

 Bコースは、苦行のウオーキング。
 「ウオーキングを続けるのに、大いなる励みになるぞ、、、」 
  
 

     (投稿:トーマス青木)