(添付画像:光陽展広島展・「ティータイム」)
<作品の紹介>
作品番号: 46
作者氏名: 北 川 悦 子 (会員)
作品題名: 『ティータイム』
受賞名: 会員奨励賞
住 所: 東 京
毎日一回、クリック応援を!(人気ブログランキング)
---------------------------------------------
<其の1>
光陽展広島展に赴いたのは6月末、早いもので、すでに1ヶ月になる。本日こうしてあらためて「作品・ティータイム」を拝見しながらも、当日の光景をまざまざと思い浮かべ得るほどに、この作品、我が脳裏に残像として鮮明に残っている。
「静けさと安堵感」の伝わってくる作品。
冷たく静寂なる「静か」さではなく、暖かい「静か」さなのである。
「ティータイム」なる作品のタイトルは、解る。
暖炉のある住居。
ならば、所は、場所は、おそらくヨーロッパの、とある街、とある住居の一室、、、。
この作品の暖かさは、まず暖炉の存在から感じ、漂って来るのか、、、。
暖かさは人間の佇む生活空間でなくてはならず、人的空間の証拠に、暖炉の上部右から電話器と花、さらに楽器(マンドリンか)など配置、暖炉の左前方にテーブルが位置する。暖炉に火を入れれば、周囲上部は加熱するか。断熱施工されていると仮定するも、加熱を忌み嫌う木製楽器マンドリンと精密機械であるはずの電話器など、ゆめゆめ暖炉の周囲に配置すべきではなく、たぶん、暖炉に火を入れない季節時節の想定であろう。
さて、この作品のすばらしさは、光りの表現。と、視る。
暖かさの表現に、まずは左手壁の上窓から、斜めの光りを差し込ませておられる。背景の壁を斜めに照らし出す。その光りは壁に反射し部屋全体にちりばめられているであろうと思わせる。この絵画には、もう一箇所の光源がある。暖炉手前の石床に、右手の下方向から斜めに差込み、石版(たぶん大理石であろう)の床と、ティーカップやティーポットの配置されているテーブルの足元を、強力な光源で照らし出している。この光源が、この作品の奥行きと立体感をもたらしているのではないか。
しかし、人工光源でない限り、左右全く異なる方向からの強力な太陽光が差し込んでくる事は考えられない。自然光に頼って撮影した写真芸術ならば、全く撮影製作不可能な「画面」であるけれど、絵画という技巧により、人工的作為により描かれた「作品」なるか。
結論して、
自然科学的に考えれば不可思議な場面構成であるが、何故か調和がとれている。その調和は、「暖かな静けさ」と「和み」を演出する。
さらにこの作品の最大の魅力をご披露し且つ絶賛したい「理由」、在る。
それは、作品の中に見事に配置されている、、、
「楽器」・・
「ティーセット」・・
「電話機」・・
「花器と花」・・
これら絵画調和を醸し出しつつ構成される小道具の、微細に描かれている「緻密精度」なるもの最高度の技巧にて詳細且つ緻密に描かれ、まるで本物を見ている以上の表現力。鍛え抜かれた絵筆の成せる業、はたまた作者:北川悦子女史の天分的感性から沸き出でた結果か。楽器マンドリンたるは、今直ぐに手にとって奏でる事可能に想え、電話器からは今にもテレフォンコール架かって古式豊かなベルが鳴り響きそうな感じすら思えて来る。ティーセットは、欧羅巴ポーセリンの質感あり。高品質なるセラミックの肌合いは見事、いかにも具現に表現済み。今直ぐに、指で弾(ハジ)けば、かん高い磁器の音が鳴り響くに違いない。
いわずもがな、暖炉は、絵画演出舞台の華麗なる大道具である!
(残念ながら、添付画像にて細部の再現不可能。読者に対し、訴求力無きところ、
如何ともし難く誠に心もとない・・・)
<其の2>
先回記事「フェルメールを回想する」に記したとおり、自分勝手にフェルメール作品とすり合わせて「この作品」を鑑賞した。それは決して、フェルメール作品「Milk-Made(ミルクを注ぐメイド)」と比較し、構図的にも作画意図にも、ほとんど類似点はない。
まず、
フェルメール作品には「メイド」なる女性が描かれており、ミルクを注ぐ動作の動きあり、女性の衣服にはフェルメールブルーと称される「独特の青色」が配されている。そして、背景の壁には何ら飾り気無く、わずかに左手上部の窓際に、物入れの篭らしきもの、ぶら下がっているだけのシンプルな背景である。
しかし、最大の違いは、フェルメール作品のまるで和室の障子紙でも通したような柔らな広がりを見せる間接照明的「光源表現」と、この作品の直線的「光源」の違い。等々、「光源反射」の表現の違いである。
実は、この作品「ティータイム」を拝見した瞬間、思い立ったのがこの「光源問題」なのであった。さらに贅沢を云えば、この作品「ティータイム」の全体的色調に、若し「ティータイム作品」の中に、フェルメールブルー的「青色」の配置があったら、この作品はどうなっているか?
若し、ティーセットの配置されてあるテーブルに、青色の布切れ一枚あったら、鮮やかにして藍色のフェルメールブルー的青色の「テーブルクロス」をさりげなく、テーブルの然るべき位置に配したらどうなっているだろうか?
「・・・?」
そんな我が幼稚な鑑賞眼にて「幼児的欲求」を物申したくなるほどに魅力的な、北川悦子女史作品「ティータイム」なのである・・・
正直、申し上げます。
「飽きないのです・・・」
「毎日の朝晩、出張あれば週末に、あるいは毎月2~3回、この絵画を鑑賞し続けたいのです!」
<・続く・・>
光陽展の出展作品「ティータイム」に絶大なる賞賛を! かくして是非、下記ランキングバーをクリック願いたい。
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(参考資料はこちらから・・)
「光陽会」(会本部ホームページはこちらから入れます。ホームページ内には、今回展覧会作品の受賞作等、もっと上質な画像をご覧になれます)
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光陽展広島展に赴いたのは6月末、早いもので、すでに1ヶ月になる。本日こうしてあらためて「作品・ティータイム」を拝見しながらも、当日の光景をまざまざと思い浮かべ得るほどに、この作品、我が脳裏に残像として鮮明に残っている。
「静けさと安堵感」の伝わってくる作品。
冷たく静寂なる「静か」さではなく、暖かい「静か」さなのである。
「ティータイム」なる作品のタイトルは、解る。
暖炉のある住居。
ならば、所は、場所は、おそらくヨーロッパの、とある街、とある住居の一室、、、。
この作品の暖かさは、まず暖炉の存在から感じ、漂って来るのか、、、。
暖かさは人間の佇む生活空間でなくてはならず、人的空間の証拠に、暖炉の上部右から電話器と花、さらに楽器(マンドリンか)など配置、暖炉の左前方にテーブルが位置する。暖炉に火を入れれば、周囲上部は加熱するか。断熱施工されていると仮定するも、加熱を忌み嫌う木製楽器マンドリンと精密機械であるはずの電話器など、ゆめゆめ暖炉の周囲に配置すべきではなく、たぶん、暖炉に火を入れない季節時節の想定であろう。
さて、この作品のすばらしさは、光りの表現。と、視る。
暖かさの表現に、まずは左手壁の上窓から、斜めの光りを差し込ませておられる。背景の壁を斜めに照らし出す。その光りは壁に反射し部屋全体にちりばめられているであろうと思わせる。この絵画には、もう一箇所の光源がある。暖炉手前の石床に、右手の下方向から斜めに差込み、石版(たぶん大理石であろう)の床と、ティーカップやティーポットの配置されているテーブルの足元を、強力な光源で照らし出している。この光源が、この作品の奥行きと立体感をもたらしているのではないか。
しかし、人工光源でない限り、左右全く異なる方向からの強力な太陽光が差し込んでくる事は考えられない。自然光に頼って撮影した写真芸術ならば、全く撮影製作不可能な「画面」であるけれど、絵画という技巧により、人工的作為により描かれた「作品」なるか。
結論して、
自然科学的に考えれば不可思議な場面構成であるが、何故か調和がとれている。その調和は、「暖かな静けさ」と「和み」を演出する。
さらにこの作品の最大の魅力をご披露し且つ絶賛したい「理由」、在る。
それは、作品の中に見事に配置されている、、、
「楽器」・・
「ティーセット」・・
「電話機」・・
「花器と花」・・
これら絵画調和を醸し出しつつ構成される小道具の、微細に描かれている「緻密精度」なるもの最高度の技巧にて詳細且つ緻密に描かれ、まるで本物を見ている以上の表現力。鍛え抜かれた絵筆の成せる業、はたまた作者:北川悦子女史の天分的感性から沸き出でた結果か。楽器マンドリンたるは、今直ぐに手にとって奏でる事可能に想え、電話器からは今にもテレフォンコール架かって古式豊かなベルが鳴り響きそうな感じすら思えて来る。ティーセットは、欧羅巴ポーセリンの質感あり。高品質なるセラミックの肌合いは見事、いかにも具現に表現済み。今直ぐに、指で弾(ハジ)けば、かん高い磁器の音が鳴り響くに違いない。
いわずもがな、暖炉は、絵画演出舞台の華麗なる大道具である!
(残念ながら、添付画像にて細部の再現不可能。読者に対し、訴求力無きところ、
如何ともし難く誠に心もとない・・・)
<其の2>
先回記事「フェルメールを回想する」に記したとおり、自分勝手にフェルメール作品とすり合わせて「この作品」を鑑賞した。それは決して、フェルメール作品「Milk-Made(ミルクを注ぐメイド)」と比較し、構図的にも作画意図にも、ほとんど類似点はない。
まず、
フェルメール作品には「メイド」なる女性が描かれており、ミルクを注ぐ動作の動きあり、女性の衣服にはフェルメールブルーと称される「独特の青色」が配されている。そして、背景の壁には何ら飾り気無く、わずかに左手上部の窓際に、物入れの篭らしきもの、ぶら下がっているだけのシンプルな背景である。
しかし、最大の違いは、フェルメール作品のまるで和室の障子紙でも通したような柔らな広がりを見せる間接照明的「光源表現」と、この作品の直線的「光源」の違い。等々、「光源反射」の表現の違いである。
実は、この作品「ティータイム」を拝見した瞬間、思い立ったのがこの「光源問題」なのであった。さらに贅沢を云えば、この作品「ティータイム」の全体的色調に、若し「ティータイム作品」の中に、フェルメールブルー的「青色」の配置があったら、この作品はどうなっているか?
若し、ティーセットの配置されてあるテーブルに、青色の布切れ一枚あったら、鮮やかにして藍色のフェルメールブルー的青色の「テーブルクロス」をさりげなく、テーブルの然るべき位置に配したらどうなっているだろうか?
「・・・?」
そんな我が幼稚な鑑賞眼にて「幼児的欲求」を物申したくなるほどに魅力的な、北川悦子女史作品「ティータイム」なのである・・・
正直、申し上げます。
「飽きないのです・・・」
「毎日の朝晩、出張あれば週末に、あるいは毎月2~3回、この絵画を鑑賞し続けたいのです!」
<・続く・・>
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「光陽会」(会本部ホームページはこちらから入れます。ホームページ内には、今回展覧会作品の受賞作等、もっと上質な画像をご覧になれます)
先日紹介されたお隣にある船の絵も夕陽が差してました。
たしかに光があたってる事で絵が生き生き見えます。
男爵さんが撮る写真も光があたる角度を大事にされてますね。
そう、絵画画面に描かれている光の按配が、気にかかってしかたないのです。
私は「絵画」はやっていませんが、写真はいささかプロの先生にお教えを請っていた時期があります。その割にはうまくないのですが・・・
かくして写真芸術は、「光りと影」の織成す芸術。などと、昨年11月の記事にしています。
これをよくご記憶されているTSさん、さすがです。そして光りと影とその入射角度、TSさんのコメントに織り込んでいただいたTSさんに、まずは感謝です!
ありがとうございます。
でもって、
だから先回、
「フェルメール」を取り上げておいたのです。
もちろん、この「作品・ティータイム」と、フェルメールの「ミルクメイド」の光りは、光源もその光りの使い方もいささか違ったもの。
印象派は、太陽の照り輝く直射日光をふんだんに取り入れた「色彩表現」をしているから印象派なのでしょう。
おもしろいですねえ~・・・
「午後の昼下がりに
こういった空間で寛いでみたい」
と思います。
それも絵の魅力の1つなのでしょうか?
最近忙しくて、
だからこそこういった印象なのかもしれません…
>こういった空間で寛いでみたい」・・・・
な、何と!
すてきです!!!!
私自身の事にて恐縮ですが、長きに渡り東欧に滞在中、フェルメール作品のミルクメイド的台所風作業部屋らしきところにも縁あり出入りした記憶あり、まして、この「作品ティータイム」に良く似ている「ほぼ中流の上的家庭の居間らしき場所」にも、暫く滞在した記憶など様々に、追憶且つ回想していたところなのです。しかも午後の昼下がり、寛ぎたくなる気分にして・・・
まさに刀舟さんと同じ気分なのです!
「絵画鑑賞・感想文投稿」に関する、刀舟さん初のコメント!たいへんありがとうございます。
絵画を鑑賞して、音楽を聴いて、詩や小説を読み、何かを感じる事。その「何かを感じれば」、立派な芸術鑑賞者の一員です。
知ったかぶりして「かく云う」私自身、恥ずかしきかな、絵画は全くのド素人。しかし最近になり何故か、「好きなもの」を「好き」である。と、素直に表現できるようになったのですから不思議です。自分の好きなものは即ち、よい芸術作品であるという自分自身の内なる事実。自分が好きで良しと想えば、それでよし!その繰り返しを以って、芸術鑑賞と称するのではないでしょうか。
そして、芸術鑑賞の意義は何処にあるか?と問われれば、「作品を鑑賞」することにより、作品から感じる何かを回想発想し、自分の「空想世界」を創造し、「気分の転換」を発想するところに、芸術の持つ価値の存在あり。と、考えるのです。
これ、まさに本日、見事に刀舟さんのなさっている「想像的行為」そのものではありませんか!
本日、刀舟さんコメントに、あらめて感謝。
加えて素晴らしいコメントを頂き、感激です。
今夜は本当にありがとうございます。
さあ、
明日に向かっての幾つかの「よい夢」を数えつつ、今夜もぐっすりと眠れそうです。
\(^o^)/
おめでとう御座います。
よって、そのような精神状態で絵をみると。。。
ただ、
この絵の中に座りゆっくりとした時を過ごしたい。
と思ってしまいます。
絵画に関するブログと言うのははじめてみたので、びっくりしました。
また遊び来ます。
がんばってくださいね。ぽち。
私も拝見させて頂きたくお邪魔しました
色合いが鮮やかなそして癒しを感じる絵に
一瞬穏やかな気分になれた気がします
自然とはまた違った一つの癒しの空間・・。
それが絵なのかもしれません
またお邪魔させて頂きます
応援そして足跡
゛(*・・)σ【】ぽちっとな♪
してまいります
連日同じようなコメントが入り、
消すかどうか迷ってました…
ご指摘ありがとうございます。
応援して帰ります。