Cafe & Magazine 「旅遊亭」 of エセ男爵

志すは21世紀的ドンキホーテ?
はたまた車寅次郎先生を師に地球を迷走?
気儘な旅人の「三文オペラ」創作ノート

『大人の遠足』いざ東寺へ;季刊誌『ぎをん』のこと (No-2)

2018-12-04 17:45:31 | 小説家・トーマス青木

<添付画像>東寺五重塔
撮影月日:平成30年4月14日
撮影場所:京都東寺
天 候:思いっきり春の曇天
撮影機材:FUJIFILM X100S
撮影者:トーマス青木

先日、記事書きました、
季刊誌『ぎをん』のこと、以下の通り、投稿文を公開しました。
 ご一読ください。

    ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~


 タイトル・・・ 『大人の遠足』いざ東寺へ

           著:(カフェマガジン旅遊亭 代表)
            トーマス青木


 進行方向右手に五重塔が浮かび上がります。

 朝、広島を出発。
 JR新幹線に乗り二時間弱、昼前に京都駅到着後、徒歩十分、一人旅に出て東寺に向かいました。これで東寺は四度目。 郷里広島のお寺主催京都旅行の旅程に、東寺参詣が組み込まれていました。
 それは六年前の五月の中旬、初夏の爽やかな頃、高層木造建築物の粋、東寺五重塔に出会い、金堂と講堂に圧倒され、続いて、きらびやかな薬師如来像、その中心に大日如来を配置された立体曼荼羅に遭遇。驚嘆します。

 想えば昭和二十年、冬。
 原爆投下の半年前に、私は投下地点より半径1.5キロ以内の場所で生を受けました。 かすかな記憶に残る戦後まもない広島市の中心地の、平坦な三次元空間に異様な突起物が見えた瞬間に、ゾクッと背中が震え、覚えていないはずの三歳の幼児ながら、ほのかな記憶の中を漂う恐怖のどん底に叩き込まれたのです。その瓦礫の突起物こそが今なお残る原爆ドームなのです。

 我が街の記憶は、廃墟から街路樹の生え揃った美しい街並へ、復興に次ぐ発展を遂げた七十数年間、現在の景観へと生まれ変わっていきます。その途中、広島をよく知らないままに、父親の転勤に伴って山口県下を巡ります。小中学生時代を他県で過し、郷里広島に戻り、そんな私が就職したのは旅行会社の外国担当部署でした。

 そのおかげで、ヨーロッパの古い街並みはしっかりと観て回りましたけれども、日本の歴史や文化伝統とは縁遠い半生を過ごしていたのです。

 ごく最近まで、和の美、侘び寂び、木造建築物の美しさとは程遠い空間に我が身を置きそれで『よし』とする自分がいました。

 『食』はフランス料理や中華料理を嗜み、
 住』は古都ヨーロッパの街中の石造りのアパートに住まい、
 そして、
 世界を股にかけて仕事をすることをよしと考え理想に描きながら、人生後半に差し掛かった自分がいました。

 そんな時、忽然と京都東寺が現れ出でます。

 五重塔・金堂・講堂・南大門や弘法市と出会い、俄然、目から鱗が落ちてきました。
 日本の木造建築物の偉大さ、仏教神道と相俟った日本歴史の深遠さ。すでに七百年も継続し現在に至る弘法市は、庶民経済活動の歴史絵巻であり、生の証を今に指し示しています。
 万事、比較対象物あってこそ違いが明らかになり、その良さが分ります。

 一瞬にして焼け野原と化した平坦な瓦礫の街並みしか目に入らなかった幼少時代の私は、大人になって先ずヨーロッパの石築文化に触れ、そして今、日本の偉大な木造建築物に接し、東寺即ち仏教を介在し、日本の美とその歴史と文化に立入る。
 漸く私自身、三つ目の心の眼が開いたようです。

 何度観ても飽きることの無い東寺、その佇まい。日本の歴史と文化を封じ込めた空間東寺へ、可能な限りお参りしたく思い、日帰り遠足か?宿泊掛けの修学旅行か!等々、プランを練りながら過ごしている今日この頃です。 

                  ― 完 ―