Cafe & Magazine 「旅遊亭」 of エセ男爵

志すは21世紀的ドンキホーテ?
はたまた車寅次郎先生を師に地球を迷走?
気儘な旅人の「三文オペラ」創作ノート

長編小説『フォワイエ・ポウ』(24回連載) 5章 「男のこだわり」

2006-04-28 10:17:15 | 連載長編小説『フォワイエ・ポウ』
<添付画像>
撮影:2002年8月
場所:シンガポール・チャンギ国際空港免税店前
撮影概要:思いがけずもシンガポール空港内でイタリアの名車「ドウカティ」を見かけたのでデジカメのシャッターを切った。この撮影の後、2ヶ月ぶりに関西空港に向け、帰国する。免税売店の前にDucati999が展示されていた。こんな怪物的シロモノ、空港を歩いている人の中、一体全体何人の人がまともに乗りこなせるのか?あれこれ考えながら次々発生する疑問を解けぬまま、首をかしげつつ撮影する。景品として、ドカティー現役2輪レーシングマシーンを進呈するらしい。小説「フォワイエ・ポウ」との直接関連性はないけれど、小説の5章のテーマ「こだわり」によせて、こだわりのレーシングバイクDUCATIと自分勝手にオーヴァーラップさせてみた。
実は、F1レースならびにバイク好きの読者に見ていただきたいのである。そう、フォワイエ・ポウの読者「Kenbou-7さん」に敬意を表して!・・・
当連載の冒頭には、4~5回続けてDucatiマシーンの画像を掲載したい。

毎日一回、クリック応援を!(人気ブログランキング)

   ----------------------------------------------

5章

1(拘りの刃物)

(1)

「今日は店まで歩いていこう」
「ぶらぶらと、たまには街を歩くのもいい・・・」
6時には店に入っておきたい。それまでに、途中のデパートの台所用品売り場に立ち寄るつもりでいた。今日は珍しくも、自からショッピングするつもりでいた。
いつもの自転車は事務所に置いたまま、いつもより早めに事務所を出たのは午後3時45分。完全な日没までには、まだまだ1時間以上の時間はある。
ジャケットを引っ掛け、マフラーと手袋をつけたものの、暖房の入っている事務所を出たとたんに急激な温度変化を感じた。
「ウー、さすが寒いぜ、なんだかよく晴れているなあ、今日は特に・・・」
今日はいつもとは違っていた。コートを着用しないで夜の店に向かう。自転車に乗っていると、コートの長さはむしろ邪魔になり、自転車を運転するのに不都合であるからだ。しかし、今日は自転車に乗るのではなく歩くわけだから、いつもとは状況が違う。
(ま、いいか、わずかな距離だからこのまま歩いていこう)
事務所ビルの外に出た本田は、コートを取りに戻ろうかと思ったが、そのまま歩きはじめた。飲み屋の仕事は立ち仕事であるから、けっこう足が疲れる。がしかし、歩いて疲れる足の疲れとは、疲れの性質が違う。
(歩くのもいい、ときには、しっかりと歩かねばならん!)
と、自分に言い聞かせながら、早足に歩き始めた。こうして歩けば、いつもとは違った風景に視線が向いていた。
閉め切られた事務所内の濁った空気から開放され、さらに歩きながら感じていた。
(わかる、自分の体が酸素を求めている。半日近く事務所に立てこもっていてはいけない!)
(今日は歩いて、歩いてそして、身体に酸素を取り込もう!)
酸欠状態になっていた身体全体に、空気中の酸素が肺から血液に溶け込み、血管を伝わって体の全体すみずみまでに送り込まれる。酸素が注入された身体の活力はよみがえり、おのずと気分はすがすがしくなる。酸素補給の必要性がわかったら、冷たい空気を深呼吸で吸い込みたくなる。冷たい外気にふれるのに、ようやく抵抗感のなくなった本田は、歩きながらの深呼吸も自然のしぐさとなり、思わず空を見上げていた。
瀬戸内沿岸地方の冬、雪が少なく、よく晴れ渡って湿っぽくない。
師走の乾燥した夕空は、抜けるように青い。
西方向のビルの谷間に見え隠れする山間の空をながめれば、そのまま宇宙まで突きぬけるように晴れわたり、照度の高い茜色の空間は分単位で変化し、変わる色彩はサーモンピンクと真紅の色模様に転じながらも、照度の低い群青の色彩に取り囲まれ、いよいよ全体の照度が落ちていく。
今日も日が暮れていく。
(寒い!今夜の星は、かなりきれいに輝くだろう・・・)
(群青色の夜空か、もうしばらくすれば、今夜は特にたくさんの『冬の星座』がちりばめられるにちがいない。閉じこもった店の中で、今夜も呑み助の相手するのか)
(落ち着いて夜空も眺められないぜ・・・)
まもなく日の暮れる快晴の夜空を想像し、絵を描きながら、本田は師走の雑踏を足早に歩いていた。
(やはり、いつもの年と、いつもの師走と、街の様子が違うんだよなあ・・・)
人通りの多さは、変わらない。
しかし、毎年恒例のジングルベルの雑音騒音は、繁華街では聞こえて来ないのだ。
昭和62年の初秋に『昭和天皇ご重態』と発表された後、日本国民こぞってお祭り騒ぎをひかえ、年末にいたっても表立った祝い事、個人はともかく組織や会社ぐるみでの忘年会騒ぎなど、自主的に?あるいは傍目に気を使ってかどうか、とにかく控えに控えていた。
この年末に於ける控えめな繁華街の騒音、ジングルベルの雑音の低さも、控え目な範疇にあった。大型の忘年会が消滅している夜の街のビジネスも然り、昭和天皇ご重態に配慮した自主規制のあおりを食っていた。客足少なくはかどらず、当然ながら夜の街の商売はふるわなかった。
しかし自覚症状のないその業界の人物が約1名、いた。
それは誰か。すなわち、比較対象となる実績を持たない本田幸一であった。夜の業界に足を踏み入れたその年、これが昭和の終り、すなわち昭和時代最期の師走が、最初の師走であった。

街中に騒音を撒き散らさない、聞き飽きた『ジングルベルの曲』の代わりに、本田は『ホワイトクリスマス』のメロディーを口ずさみながら、ゆっくりと目的地に向かって歩いていた。すでに本田の時代はビンクロスビーではなかった。物心つく前に78回転のレコードから流れ聞いていたビンクロスビーの声、歌い方、テンポとバックバンドの古めかしさは、全て本田の記憶にあった。かわりに、アンディー・ウイリアムスの声質が、本田の脳裏を駆け巡った。くわえて、古式豊かな大きなマイクロフォンの前で歌っているアンディー・ウイリアムスの姿が、目の前にちらついていた。
(自分は不謹慎だろうか?この昭和天皇ご重態の折に・・・)

ホワイトクリスマスのメロディーが2度ほど繰り返された頃、目的地に到着。わき目も振らず、エスカレーターに乗って5階の日用品売場へ直行する。刃物を置いているショーケースの前に到着。デパートの店員に、いちいち場所を聞く必要はなかった。本田はすでに2週間前に下見をしていた。何がどこにおいてあるか、そして目的の商品は、価格は?品質は?用途は?何がベストなのか?何を買うか?ほぼ決定していた。2週間前の下見の時、あれこれ見れば見るほど本田の欲しいものはたくさんあった。全部欲しかった。買いたくなった。予算や経費の計算など、良い商品を観て欲しくなったら関係なくなり、分別のない子供の心になりかかってしまった。
ようやく商売は、始まったばかりである。十分に先が見えていない今は無駄使いしてはならない事くらい、理論的な判断はつく。だから我慢する。今すぐに必要なものと、たちまち必用でないものを選り分けようと決定し、ここは大人の分別をもって選り分けた。
(良いものを選ばなければ、すなわち本職用のものを買おう)
自分の腕前とは関係なく、いや、腕前以上の『よいもの』が欲しかった。
(プロ仕様の高級ペティーナイフ1本のみ、それだけを買おう!・・・)
いよいよ今日は、それを購入する日であった。

<・・続く・・>

*人気ブログランキング参加中!人気blogランキングへ

連載小説「フォワイエ・ポウ」を通してお読みになりたい方、あるいはもう一度読み直したい方、こちらのカテゴリー「長編連載小説フォワイエ・ポウ」からご覧いただけます(こちらから入れます)。

東ジャワ紀行 (5/10)「東ジャワ州ルマジャンの漁民たち」

2006-04-27 08:27:45 | インドネシアとバリ島の話

 捕れたばかりの、
      いや、釣れたばかりの、カジキマグロをご覧頂きたい。

 これを肴に、今夜は「盛大な晩酌!」と、いきたいものです。

(晩酌に参加したい!と思う方も思わない方も、下記バーをクリック願いたい!)
毎日一回、クリック応援を!(人気ブログランキング)

----------------------------------------------------

<飴風呂転載記事>

2005-02-27

「刺身だ! 晩酌だ!・・・」

<テーマ>:エセ男爵・東ジャワ紀行

   (本文)

           とれたての?

      いや、釣りたての?

 浜上げしたばかりの?

適切な漁師専門用語を知らないけれど、たった今、浜辺に着いたばかりの漁師さんに「カジキマグロ」?を見せてもらった・・・

場所は、東ジャワ州南海岸、ルマジャン県のとある海岸。

当地の漁師ご一同さんは、かくも原始的な漁法で、大魚を5~6匹?釣上げていた。
が、中でもこの「さかな」が一番大物であった。カメラを向けたら、こうして見せてくれたのです。
かれらの自慢げな「得意そうな顔」が、ご覧いただけますか?
(写真画質が悪いから、ちと無理か?)

何しろ竹竿一本を丸木の脇に伸ばす、それをアウトリガーに仕立てられたのみ。
まるっきし丸木舟に錆びついた50cc?エンジンを船外機に改造し(どれだけ踏波性能があるのか?わらないのであるが)目の前の外洋(インド洋)に乗出し、漁業を営んでいる。

「ちょっと乗ってみないか?」
カメラを持ってる我輩に誘いをかける。
「ちょいと乗って、外洋に行って海側から陸地の写真を撮ったらすばらしいですぜ」
と、誘われた我輩は恐れをなした。
丸木舟は、我輩の尻がはまるかはまらないか、そんな大きさ(直径)を切り出し削りだした太さのいかにも頼りない超小型船舶である。
いったん海に乗出せば、足の先から頭のテッペン迄、満遍なく塩をカブルは必定。
「勘弁してくれ」
「我輩はどうなってもいいけど、塩をかぶれば瞬時にして、手元のカメラが使い物にならなくなる」
とんでもない話である。
次に来る時に「防水カメラ」を持ってくるからそのときにお願いしますよ・・・
と、断りました。

いや、防水カメラでは準備不足である。
実は、常識的に救命胴衣が必要なのです。
と、思いました。

 <続く・・>

*人気ブログランキング参加中!人気blogランキングへ




連載小説 「フォワイエ・ポウ」 (23回)4章「新たな展開」(マスター本田の新鮮な出会い!)

2006-04-25 11:46:30 | 連載長編小説『フォワイエ・ポウ』
(the Photo, which picked up from "Wiskyfun.com"・・)

時計は、いよいよ午後11時を回った。

(今夜はダメだ。もう、店を閉めるか・・・)
と思ったやさき、約3~4センチほどか?
店のドアが開いた。

<・・・上記、先回掲載分>

(いよいよ第4章の締めくくり。マスター本田には、新たな出会いと発見がある・・・)

毎日一回、クリック応援を!(人気ブログランキング)

   --------------------------------------------------

長編連載小説『フォワイエ・ポウ』
                    著:ジョージ青木

4章

(新たな展開)

(2)-2


(誰なのか、客か?)
店の入り口の前に、たしかに人の気配がする。
本田は、とっさに声をかけた。
「いらっしゃいませ・・・」
「どうぞ! お入りください」
遠慮がちにドアが開く。
1人の男性が店に入る。
一見したところ、その男性客は20代前半の若者である。
「あの~ 今日、初めて来るのですが・・・」
「あの~ 私のようなものがこのお店に入ってもいいんでしょうか?」
「初めてのお客さまですね。大丈夫です。どうぞ、ご遠慮なくお入りください」
いささか小柄で細身の痩せ型、細面の顔つきは青白かった。若者らしからぬ生活の疲れが見え隠れする。始終うつむき加減の若者は、たえず遠慮がちなそぶりを見せ、何故か、はにかんでいた。
「当店は、会員制でも何でもありませんから、どうぞご遠慮なくお入りください、さ、さ、どうぞ!」
若い客を招き入れた時から、本田の萎えた気分はがらりと変化した。溜まった有毒な副産物は瞬時にして蒸発。たちまち消えてなくなっていた。
「どうぞ、カウンターへ、どうぞ・・・」
ドアを開いて入ってくる若者は、なぜか足元ばかりを見ており、本田と目を合わせようとしない。絶えず、うつむき加減の若者は、のろのろと歩きカウンター席の隅っこに腰をかけようとした。
「どうぞ、こちらにおかけ下さい」
若者に声をかけた本田は、カウンターの中ほどに手を差し向けながら、グラスとお絞りでセットした位置に案内する。
「あ、ありがとうございます」
カウンター席にかけた若者は、何かにおびえているように、萎縮し、表情を崩さず、身体は、椅子に座ったまま硬直させたままである。
「今日は早い時間にお客さんがいらしてましたが、日曜日ですからね、この時間になると暇になります・・・」
ここは、まず、本田の方から声をかけた。
「何かご用意しましょう。なにが宜しいですか?」
「お酒ください、いや、あの~・・・ お酒ありますか?」
「おさけ、日本酒ですか?」
「はあ~・・・ はい、そうです」
「申し訳ございません、当店は、日本酒をおいていないんです」
「そうだ、そうですね。でしたら、ウイスキーを・・・」
「はい、分かりました。銘柄は、何が宜しいですか?」
「あ~そうか・・・」
若者は、銘柄を決めるのに戸惑っている。
というよりも、ウイスキーの銘柄がよく分かっていない。こんな若者を気の毒に思った本田は、彼に助け舟を出そうと思った。丁寧に、親切に分かりやすく、まして自尊心を傷つけないように、この若者に対応しようと決めた。
「もう、どこかでお酒飲んでらっしゃいますよね?」
「はい、ご飯食べながら、ビールを少し、それから、日本酒も飲んできました・・・」
(若者の顔が少し青白いのは、すでに酔っ払っている証拠だ、加えて、かなり飲んでいるに違いない!)
と、ここでようやく本田は気付いた。
「まだ飲めますか?」
本来、こういう質問は客に失礼であり、それなりの客に対しては侮辱にもなりかねない危険な質問であったが、この若者には、あえて質問した。
「ハア~ もう少し、飲みたいです。高くてもおいしいお酒を呑みたいのです。ですからマスター、何か、マスターのお勧めを教えて下さい。そして、それを飲みます。どのウイスキーがおいしいですか、マスターにお任せします」
いささか対応に困った。
この店を初めて訪れた客、しかもあまり洋酒のことが分かっていない若者に対し、いくら高級な酒が飲みたいと要求されても、限度を考えなければならない。
ワンショットで5千円以上、そんな高価なウイスキーもある。この店にも置いてある。がしかし、たぶん彼にはその価値が分からないはず。たとえ客からの要請があったとしても、こんな高価な酒を彼には勧められない。必ず、びっくり仰天するであろう。あれこれと、それなりに、本田はこの若者に気をつかっていた。
(ならば、どうするか?)
少し考えて、オールドパーを取り出した。
「どれをお勧めしようかな? そう、まず、バーボンよりもスコッチの方がいいでしょう。これ、オールドパーです。これにしましょう」
ボトル棚から取り出した新しいオールドパーのボトルを手に取った本田は、あらためて若者に見せた。オールドパーは、本田の好きなスコッチウイスキーのひとつであったし、もちろん、すでに封を切っているボトルもある。しかしこの際、この若者に対し、且つ、日曜日の珍客に対して、本田自身の敬意を表したく、ここは敢えて新しいボトルを開けることにした。
うつむきかげんのうつろな眼だった若者の目は、ようやく活気を取り戻し、その視線は、はっきりとボトルに向けられた。
「はあ~、オールドパー、ですね?」
「そうです」
「そう、それ頂きます。お願いします」
「はい、わかりました。それで、どうしましょう?」
「ロックにしますか、それとも水割り?・・・」
若者は即答した。
「いいえ、ストレートで、お願いします」
「はい、では、ストレートで・・・」
と、返答したものの、本田は迷った。
(大丈夫かな、かなり飲んでいるようだが、ストレートを飲んだあげく、ここで酔っ払って、あげくの果ては眠むってしまうか、まして、暴れてもらっても困るのだが・・・)

めったに使わないストレートグラスを、棚から取り出した。

小さなストレートグラスを、おもむろに若者の前に置いた。

さらに若者の座っているカウンターの正面に立ち、まったく封を切っていないオールドパーのボトルを置いた。

(ちょいと、見せておいてやろう)

目の前の若者に対し、全ての動きを見せる演出を思い立ち、即興の演出を即座に自作自演した。

彼の目の前で全ての動作を見せる。
まずはボトルの封を切って見せ、
若者の目の前にあるストレートグラスに、
封を切ったばかりのオールドパーを、
ぎりぎりグラス一杯まで、注ぎ、
グラスを満たした液体が、
グラスから溢れ出す一歩寸前で、
本田の動作は止まった。

「お待たせしました」
「オールドパーのストレートです」
「どうぞ、召し上がれ・・・」

いかにも青白く、活気のなかった若者の表情がにわかに豊かになった。腐りかかっていた目は、正常な輝きを取り戻している。そんな若者の目線は、本田の動作の一部始終を見守っていた。
「ありがとうございます、いただきます」
若者の右手が小さなストレートグラスに伸びた。そのままグラスを持ち上げると、いや、グラスに触っただけでも、その瞬間、中の液体はグラスの外にこぼれ出す。
しかし、手が伸びると同時に、今までうなだれていた顔が動き、口が突き出てきた。右手がグラスに届くのとほぼ同時に、若者の唇がグラスに届いていた。
グラスに届いた若者の唇は、半端なストローよりも上手く、グラスの中のアルコールを吸い上げる。差し出した右手が、わずかにグラスを持ち上げたときには、すでにグラスの中の液体は半分に減っていた。中身が半分になったグラスを自分の目で確かめた若者は、再び、グラスをカウンターに置いた。
「ああ~、おいしい・・・ ほんとうに、美味しいです」
にわかに若者の顔がほころび、ようやく笑みが出た。
「チューハイより、おいしいです」
(焼酎と比べてもらっては困るんだよな~)
と、言いたかったが、けっして本田は口に出さず、無言の笑顔で答えた。答えの代わりに、若者に質問した。
「お客さん、チューハイは、お好きですか? 焼酎はお好きですか?」
「・・・」
若者からは、すぐには答えが帰らなかった。

この時代、ようやく焼酎が近年の市民権を得た頃だった。今日のように、日本全国各都道府県にまたがり数え切れないほどの焼酎は市中に出回っていなかった。わずかに、麦焼酎と芋焼酎等、数点が飲み屋にある時代であった。当時のチューハイなど、今になって想えば、おしゃれな飲み物であったかもしれない。しかし当時の焼酎は、やはり、労働者っぽいノミスケノのための酒であった。
思わず(チューハイより美味しい!)と、声を発した若者は、マスターの本田に対し、いささか恥ずかしい思いをしていた。だから、本田の質問に、答えられなかった。
「今まで別の居酒屋で、今日も一人で、チューハイ飲んでいました」
「あ~ そうだったの」
「日本酒じゃなくて、焼酎飲だったの」
「そうです」
「そうなんだ」
「家でも、いや、寮で飲むのも、焼酎の水割りです」
「寮に住んでいるのですか?」
「そうです、自動車メーカーに勤めていますから、今は社員寮に住んでいます」
「そうですか・・・」
「あ、遅くなりましたが自己紹介します」
「わたしは、竹本です。それで、みんなから竹ちゃんと呼ばれています。ここでも今からは『たけちゃん』と呼んでください」
「竹本さん、竹ちゃん、はい、竹ちゃん、私、本田と申します、宜しくお願いします」
「マスターは、本田さんですね」
「・・・」
本田は微笑みながら頷いた。
竹本は、話を続けた。
「でも、お名前は直接呼べません、私からは、今から『マスター』と云います」
話し始めた若者、竹本は、なぜか元気を取り戻していた。来店した時の陰鬱な雰囲気、負け犬のような悲惨な表情は、すでに、どこかに消えてなくなっていた。
「ところでマスター、ここは初めてじゃないんです」
話題を変えた竹ちゃんは、あらためて真剣な表情になった。
「この2週間で3回、来ました。でも、いつも入り口まできたら足がすくんでしまって、店の中に入れないんです、一度はドアを開けて、店の中をのぞいたのですが・・・」
「・・・」
やさしく頷くだけにとどめた本田は、しばらく無言を通した。いや、敢えて本田から言葉をはさまないようにしながら、ひとまず、竹本の気分を楽にさせ、彼の話したい事を引き出し、詳しく聞いてみたいと思った。
「日曜日に店が開いているとは、思いませんでした・・・」
「はい、日曜日もあけますよ」
「でも今日はよかった、ようやく店に入ることができました」
竹本の話は続いた。
「僕は山口県の出身です。高校卒業して直ぐに、広島の自動車工場に就職しました。工業高校だったから、事務員ではなく工員で入社したんです。勤務シフトのほとんどが夜勤ですから、普通のサラリーマンがお酒飲むときに僕たちは仕事を始めるんです。夜勤があけたらもう朝になります。もう、くたくたです。会社の社員食堂で朝ごはんを食べたら、まっすぐ寮に帰ってお風呂に入る。ゆっくり、入れませんから、いつもカラスの行水です。ほとんどシャワーを浴びたら終わりです。だから、からだにまみれた汗と油と埃が染み付いてしまって、カラスの行水では完全に油が落ちない。だから油の臭いが染み付いているから恥ずかしくて、スーツを着ている人ばかりが集まるこんなお店には入りたくても入れないんです。こんなお店には・・・」
「いや、竹本さん・・・」
本田が若者の話しをさえぎろうとした。
本田が話かけたとたん、今度は竹本が話をさえぎった。
「マスター、竹ちゃんと呼んでください。そのほうが、僕に似合っている、マスターから竹ちゃんといっていただくほうが、僕はうれしいのです」
「では、竹ちゃんと呼びますよ」
あらためて、本田は竹ちゃんに語り始めた。
「竹ちゃん、そんなことないよ。油の臭いなんて、ぜんぜんしない。手もきれいだし、服装も清潔そのもの。私は全然気にならないし、竹ちゃんはとても工員なんかには見えません。第一私にとって、お客さんの職業なんてものは関係ない。どんな職業だって、仕事をする事はたいへん立派な事だ。私が一番嫌いな人間はね、半端な不良と安物のやくざです。ゴロゴロよたよた、まともな仕事をしないで人に迷惑かけながら遊んで生きている人間、私は大嫌いだ。そんな奴が世の中で一番みっともない!」
竹本は、静かに本田の話を聞いていた。本田の話にしっかりと耳を傾けながらも、彼の目はにわかに潤みはじめた。光るものが浮かんできた。しかし、本田の話は続く。竹本の涙をみた本田は、それでも話を途絶えさせなかった。
「とにかく雰囲気的に、竹ちゃんから漂ってくるもの、それは石鹸のにおいだ。若者には、清潔な石鹸の香りが一番にあうのですよ。だから、私から見れば竹ちゃんは、すてきな若者です。そんな若者に来ていただけるなんて、当店は大歓迎です。今度からそんな遠慮は必要ない。遠慮なく、いつでも好きな時に店に入って来てください。大丈夫だから・・・」
本田がここまで話しを続けた時、竹ちゃんの両目から大粒の涙が数滴、カウンターにこぼれた。竹本は、自分の泣き顔を隠そうとはしなかったし、涙も拭き払おうとはしなかった。カウンターの中の本田は、話を中断した。しかし、平然とした表情で若者の顔を見つめたまま、目を離そうとはしなかった。

天上に釣上げられた大きなスピーカーから、ゆとりをもって流れ出る静かなモダンジャズ。端正なピアノ演奏に語りかける、マリンバの音の流れ。ドラムからのシャープな音は、スローテンポのメロディーにめりはりをつける。流れ出るモダンジャズの曲を縫い合わせるように、2人の沈黙は続いた。
沈黙は、数分続いた。
一言も声をかけない本田に対し、ようやく竹本は口を開いた。
「マスター、お話の途中、すみません。ちょっとトイレに行ってきます」
と言いながら、トイレに駆け込んだ竹本はしばらく出てこなかった。
今、竹本がトイレでいったい何をしているのか、本田には予測がついていた。
いや、すべて分かっていた。

<・・4章・完了>

(続く-5章へ)
 次回掲載予定:4月28日金曜日


*人気ブログランキング参加中!人気blogランキングへ

連載小説「フォワイエ・ポウ」を通してお読みになりたい方、あるいはもう一度読み直したい方、こちらのカテゴリー「長編連載小説フォワイエ・ポウ」からご覧いただけます(こちらから入れます)。

東ジャワ紀行(4/10)「ルマジャン県にて・・」

2006-04-23 16:38:48 | インドネシアとバリ島の話
<添付画像>:東ジャワ州ルマジャン県南海岸の漁村にて。

 空路スラバヤから首都のジャカルタ迄、約1時間かかる。ならば、インドネシアのジャワ島は、日本列島の本州全土に当たるといっても差し支えない。
 ならば東ジャワ州の大きさ、といえば近畿地区と中国5県を一緒にしたくらいの大きさか?あるいは一回り小さいか?そんなものであろう。
 
 マランに滞在中に、隣のルマジャン県に数回足を運んだ事がある。地図上の距離は、マラン市からルマジャンまで、おおよそ170km。この距離、日本国内ならば2時間少々か。しかしこちら東ジャワ中で実際に車で走ると、道なき道の2つ山越えて6~7時間くらいかかる。山越えの途中、山賊モドキが出る。(本当ですよ)したがって約2時間かけて一度スラバヤに走り、さらにスラバヤから4時間かけて走る。走行距離は約4倍。しかし道路状況が断然よいのでこちらを選ぶ。道路状況がよいといっても日本との比較ではなく、山賊の出没する山道との比較也。
 この画像、ルマジャンの海岸の漁村を訪れた時のもの。丸木舟で外洋に出で釣上げた獲物を漁師が見せる。
 先日スラバヤ初訪問から一足飛びにマジャンへ。時系列が少し狂うが、話はそこから始める。
(飴風呂のブログ記事を転用)

 今以上に迷走試行錯誤?アットランダム(at randum)な飴風呂時代の記事を整理いたしたく、「東ジャワ紀行」の連載を以って時系列とスト-リーなきストーリーの大枠を整理しながら進めていく。
 まあ~
何と申しましょうか、当時の記事はまるで系統たてた紀行文にしたためようという意思等まるでなく、毎日の記事投稿をするのが精一杯であったようだ。もうこういう記事の書き方から脱却しなければならない、と、あらためて反省している。と、云いながらの、あえて当時一年前の記事原文をとどめて置きたい。

毎日一回、クリック応援を!(人気ブログランキング)

  --------------------------------------------

<飴風呂時代記事本文>
2005-03-03
どう、料理すれば良いか?
テーマ:ブログ

おはようございます。
今日も早朝から、
また、
ルマジャンの漁師さんの話し。

どうやら、この魚も自慢の釣果?のようです。
写真左奥に、ペンキが剥げ上がりさび付いた年代ものの「船外機」があります。
今度来るときには船外機エンジン(中古で十分だ)を寄付したい気分です。
グラスファイヴァーボートは、その次にしようか・・・

さて、情けないかな、
この魚の名前が解りません。
   
   どなたか、お教え願いたい。


ところで、
今夜の酒の肴に「どう調理するか?」悩んでいます。
刺身?まあいけるでしょうが、かなり大味でしょう。
大味(おおあじ)、間違いなし。
どのみち、熱帯魚の一種でしょうから、大味でしょう。

白身の魚か、青身なのか?
切り裂いてみないと、これまた解らない。


*白身であれば、

まあまあ、郷に入れば郷に従いまして、ひとつここは「インドネシア流」に低温の油でじっくりから揚げし、それから「甘口・超ピリ辛」のあんかけで食べようと思います。結構いけるんです。川魚だってこの方法で臭みがなくなります。ついでに、本来の味も吹っ飛んでしまいますが、マ、しょうがないでしょう。

*青味だったら、どうするか?

砂糖と魚醤にラオチューか紹興酒を絡め、生姜をスライスして、鷹の爪をばら撒いて、これをタレにして、サーと煮付けにするか?

でもって、酒は?
どうする!
ない、
ジャワ島には酒飲みがいないから、「銘酒の現地調達」は?たいへん難しい。
となると、
ビールか?
最初のいっぱいはビールでなくちゃなりませんぞ。
しかし、
今日は、白ワインがいいな~。
オーストラリア産で十分、
白ワインをしっかり冷やし、
揚げたての、魚で、冷たいワインをぐいぐいやる。

お、
そうだ、
調理方針、決定!
やっぱりここは切り分けて、
パン粉つけて、
魚のフライにしよう。

以上、
朝っぱらから今夜の晩酌の話し、どうかご勘弁ください。

なにせ、エセ男爵の「狂人的痛飲酒狂紀行」ですから、お許しを・・・

(そして、原始農業を営むインドネシアの漁師さんたちにエールを贈っていただける方、是非下記バーをクリック願いたい!)
*人気ブログランキング参加中!人気blogランキングへ

鈴蘭の記録(2/3)「咲きはじめたぞ・・・」

2006-04-22 13:58:55 | 趣味の話&本と雑学メモ
<写真>:(本日撮影、我家に自生するスズランを観る・・)


 今朝の気温はは3月上旬並、季節はずれの寒い朝を向かえた。ちなみに庭の温度計は7度示している。
 
 薄日差す曇り空は早朝で終わり、昼にかけて、晴れるどころか、ますます雲は厚く垂れ込めてきた。
 
 そして、午前11時頃より、小雨に変わった。この小雨、今にも氷雨になりそうな気配だ。
 
 書斎から雨音を聞いて、気が付いた。

 「そうなんだ!そろそろスブランが咲き始めるのではないか?」

 と、
思い立って庭に出たのは午後の1時前。気温は僅か11度。冬に舞い戻ったように冷たい雨がぱらついている。デジカメは小脇に抱えたまま、着ているセーターにくるみ込み、庭に出た。

 ウム、いよいよです。

 いかにも「鈴らん」の名の如く、直径4~5ミリ?程度の鈴の格好をした花が付いている。いまだ、花開く前の蕾状態のものも多い。次から次へ、茎と葉の間から、表面に出で、ささやかな鈴蘭の花が咲きはじめていた。

 4月16日との違い?
 そう、
 はっきり確認できるのは、先週日曜日(4月16日)に投稿した時よりも、茎が倍以上の長さになっている。

 こうして庭のスズランを観察するのは何年ぶりか?たぶん、30数年ぶりであろう。今日に至るまで、微細に観察したことはない。

 落ち着いて家庭に居つく間もなかった四半世紀。瞬く間に過ぎ去ったこの30年間。このスズランは毎年、この時期になると、茎吹き葉広げ、ひそかに花を咲かせ続けた。庭のなかでも日当たりの悪い場所、西北西の一画に陣取る。一言も不平不満を云わずして、静かに、忍び、強靭に、粘り強く、生き延び、庭の一角に鈴蘭の領域を広げ、現在に至ったのである。
 
 かくして、
  「スズラン殿に、敬礼!・・・」
 
 ウム、、
 ゴールデンウイークになる頃、もう一度「満開のスズラン」を見てみたい。

 そして、想う。
 スズランの忍耐力を、あらためて見習いたい。
 
(可憐ながらも、力強く生き延びていくスズランのバイタリティーに声援をお贈り頂ける方、是非、以下の緑色バーをクリックして下さい・・)

毎日一回、クリック応援を!(人気ブログランキング)

PS:今年も順調にスズラン畑は、自らのテリトリーを拡張しようとする。すでに面積にして畳の2~3畳分はあろうか?
そう、
完全に一坪以上はある。
若し、読者の方で「スズランを分けてほしい」と想っていらっしゃる方には、喜んでお分けしたい。しかし、お送りするのが問題だ。せっかくお分けしても輸送費がかかってしまうので結構コスト高となるか。それとも、「宅配便の配送料くらいなら、負担しても構わない!」と、おっしゃって頂ければ、問題ないのであるが、、。
何かよい方法はないだろうか。
そう、、、
気持ちだけ、お贈りした事にするか・・・
そういえば、楽農大学に寄贈する手があった。
迷惑だろうか?  かくして躊躇する。。。。

連載小説「フォワイエ・ポウ」 (22回) 4章「新たな展開」(本田マスターは、焦る・・)

2006-04-21 10:05:50 | 連載長編小説『フォワイエ・ポウ』
<添付写真>:1999年7月中旬、マドリッド市内のタブラオにて、(フラメンコの関連記事、こちらから入れます<昨年5月1日投稿記事へ>)

連載小説「フォワイエ・ポウ」を通してお読みになりたい方、あるいはもう一度読み直したい方、こちらのカテゴリー「長編連載小説フォワイエ・ポウ」からご覧いただけます(こちらから入れます)。

    <一日一回クリックを!>
*人気ブログランキング参加中!人気blogランキングへ

 -----------------------------------------------   

  長編連載小説「フォワイエ・ポウ」 (著)ジョージ青木

         4章(新たな展開)

          (2)―1

休みは、盆と正月のみ。
そのほかの祝祭日は、なにが何でも店を開けるぞ!
休日?
休日なんてものは、全くとる必要ない。
24時間365日間、店を開けようが閉めようが四六時中、家賃はかかっているのだ。
と、自分が自分で誓った本田は、日曜日の今夜も店を開き、ひたすら客を待っている。しかし今夜のフォワイエ・ポウには、人の気配が全くない。わずか一人の客も、今夜は来店しない。
開業して半月経った昭和六十二年十二月中旬の日曜日、時計はすでに午後11時なろうとしている。
午後7時の開店から、マスター1人ですでに4時間を過ごす。
最初の2時間、つまり9時頃までは、好きなミュージックを聴きながら、来客を待った。なんとか辛抱できた。午後9時過ぎてからの2時間は、苦行そのものであった。本田には未だ経験したことのない『客を待つ辛さ』というものを、全身で受け止めていた。
(さて、どうしたものか?)
(店で客を待つしか、対処の方法はない・・・)
(今の自分は、店で待機しなければならなく、それ以外の選択肢がない。例えば、自分の城から打って出て、敵を討ち取るような訳にはいかない・・・)
「営業は我輩の天職である!」
と、思うまでのものでもなかったが、サラリーマン時代の本田は営業に自信があった。成功していた。自分からお客の懐に飛び込み、度重なる同業他社との熾烈な競争の末に、団体旅行客の獲得競争に勝ち抜いてきた経験がある。旅行の幹事さんのところに何度も足を運び、自社の安全生と優位性を説明し、ひいては自分自身の実力と信頼性を説明し、ようやく理解して頂いた後に、仕事が獲得できる。事務所のカウンターや自分のデスクで待っていて、大きな仕事が入ってきたためしは未だかって一度もない。
(座って電話を待っていても、客はとれないのだ!)
営業の第一歩は何か、まずはお客様のもとに自ら積極的に足を運ぶ事が営業の第一歩であり、顧客獲得のための何にも勝る第一手であった。
飲み屋の商売はどうか?
今は、今夜の今は、どうするか?
自分には、いったい何ができるのか?
なにをすればいいのか?
まず自分の店で、お客が来るのを待たなければならなかった。
(自分は待てない。待つくらいなら出向いていって自らの道を切り開きたい)
しかし、フォワイエ・ポウという店を持った時点から、本田には待つ事そのものが、営業の基本姿勢なのであった。
(今夜も明日もあさっても、カウンターの中で待機し、満を持して、訪れる客を待つのか・・・)
(待つ仕事、今からも、続けられるだろうか? 自分にできるのか?)
(あ~ いかんいかん、ダメだダメだ!)
(とても自分には『待つ商売』なんぞ向いていないぜ・・・)
こうして何度も自問自答し、さりとて自問自答の結論は導かれず、結論の出ない議論を繰り返しつつ、繰り返しをすればするほど出口の見えない迷路にはまり込んでいく。こんな埒のあかない堂々巡りを繰り返しても、まともな結論は決して出せないことが分かっている。解かっているにもかかわらす、それを繰り返しながら、刻一刻、時間経過と共に神経を磨り減らしている。神経をすり減らしたその後に副産物が発生する。それはけっして益のない副産物であるが、必ず発生する。そんな副産物が一旦発生してしまうと、それは簡単に消滅しない。消滅しない無益な副産物は全身に溶け込み、積もり重なれば害毒となって本田の心身に影響を及ぼす。害毒は、時間経過と共にさらに積もり重なり、ついには沈殿する。
こうして2時間にわたる自問自答の副産物が蓄積され、心の中核に溜まり澱んだものがさらに肥大し、いよいよ本田の表情に現れた。張り切ろうとすればするほど気分が萎える。気分が萎えれば萎えるほど肥大化するものがある。
それは、自信喪失の肥大化であった。
いつまで待っても来ない客を待つほど辛いものは無く、待てば待つほどつらくなり、つらくなればなるほど自信喪失が大きくなる。
時計は、いよいよ午後11時を回った。

(今夜はダメだ。もう、店を閉めるか・・・)
と思ったやさき、約3~4センチほどか?
店のドアが開いた。


<・続く・・>

*人気ブログランキング参加中!人気blogランキングへ

インドネシア東ジャワ紀行 (3/10) 「スラバヤ市内へ・・」

2006-04-20 12:12:00 | インドネシアとバリ島の話
 スラバヤ入り (2)

<飴風呂より、転載する>

テーマ:エセ男爵・東ジャワ紀行

写真-「東ジャワ州関係者訪日記録」
(1999年晩秋、東ジャワ州マラン市長以下5名の来日、10日間の滞在。福岡から東京へ向けて同行案内する。途中2日間広島に遊ぶ。世界遺産の宮島を見学中のワンショット。この時デジカメを買ったばかり、いかにもカメラ操作に不慣れ、今にして想えば全く出来損ないの一枚である。御免!・・)


毎日一回、クリック応援を!(人気ブログランキング)

---------------------------------------------------------

『東ジャワ紀行(3)』(スラバヤ市街に入る)

スラバヤ空港に到着したが、出迎えに来てくれるはずの新聞社の人間の姿が見当たらない。
「さて、どうしたことか」
税関を通り、ごった返す到着ロビーに出るが、すでにそこは建物の外、野外なのである。
目の前の道路はタクシーと出迎えの一般車がごったに入り乱れ、さらに見渡すと駐車場があるが、どこも満杯の様子。
駐車場に入ろうとしている数十台の車が列をなし、ひしめき合っている。
税関区域から野外ロビーのドアを出るなり、人・人・人の群れ・・・
これでは通路も何もあったものではない。
「皆さん、出迎えなのか?」
「ひまだから、暇つぶしに空港に遊びに来ているのか?」
どう見ても、国際線の飛行機とは関係のない連中が、ここに群がっているのは確かである。
なぜだか、我輩には分からない。
「暑い、暑いぞ」
周囲には、湿気と熱気がむんむんしている。
突然、たどたどしい日本語が聞こえた!
「バロンさん~、ヨウコソ~スラバヤへ!」
「オマチシテイマシ~タ!」
5~6メーター前方に、見たことのないちょっと太目の30台の若者が声をかけてくるではないか。
「ヌヌ~、見たことない、いかがわしいド~、この人物は・・」
と思いながらさらに周囲を見たら、何と知っている人物が約1名、出迎えに来てくれているではないか。
「おう、ミスター・アッバス!お久しぶりです」
「ウエルカム・トウ・スラバヤ」と来た。
我輩は、ほっとした。
ハゲ頭に褐色の顔、ちょび髭を生やした、いかにもアラブ系の脂ぎった面持ちのインドネシア紳士ミスター・アッバスは、当地中小企業組合の理事長さんなのである。
瞬間、思った。
「なぜだ? 理事長が迎えに来てくれるの?」
「ジャワポス(Jawapos: スラバヤに本社を持つ、全インドネシアNo.-2。メージャーなる新聞社)の若いのが来ないの?」
どうもおかしい。
「でも理事長が迎えに来てくれたのだから、いいではないか」
と、納得して、彼の車に乗る。
運転手は理事長の甥。
助手席には、先ほど我輩に声をかけてくれたB君。
日系企業に勤務、組み立て現場の係長をやっていると言う。
後部座席に理事長のアッバス氏と我輩が乗り込む。
中小企業日本視察団に加わり、彼は1ヶ月前に初めて日本を訪れている。
その時、日本での知人が誰もいないのであった。
誰も彼に話しかけない。
気を使い、かわいそうと思い、我輩が英語で話したら、通じた。彼はほっとして、それから顔を和ませ始め、雰囲気が良くなった。

アッバス理事長と我輩の信頼関係は、そのときに始まった。

車はするすると空港を離れ、スラバヤ市内のホテルに向かうはずであるが、
「昼食をとらないか」
と、
我輩に向けてアッバス理事長が提案する。
時計を見れば何と、すでに午後2時半ではないか。
シンガポールからスラバヤまで、滞空時間2時間の間、当然スナックが出る。我輩は珍しくそれを(少し)頂いているから、このまま夕方まで空腹状態の方が体調管理に良い。しかし、どうも理事長は昼食をとっていないらしく、ここは「お付き合い」というものであるから、シブシブであるが、昼食同行をOKする。
ジャカルタと比較すればスラバヤは「イナカ」である。
田舎が良い。
まず、道路が、違う。
空港からスラバヤ市内までは一本道、片側一車線である。

ほっと一息ついたのは、つかのまであった。

混む、混む、上りも下りも車が混みあっている。込み合っている車の間をバイクが潜り抜ける。すり抜けたらさらに2~3台がその後をついて、さらにすり抜ける。ここではバイクの二人乗りも常識のようだ。とにかく危ない、危険だ。あちらこちらからクラクションが鳴る、鳴る、鳴る・・・・。皆が乗っている車には排気ガスで充満している。
なんと、行き交う乗合バスには乗客がスズナリ状態だ。
当然ながらバスの窓ガラスは全て全開状態、すずなりの乗客は排ガスと外気の熱風にさらされているではないか。
乗降者口から3~4人の乗客が取ッ手を持ってぶら下がり、どことなく粋がっている。
「よくやるよな・・・」
我輩は思わずつぶやく。

スラバヤの初日、いよいよ市街に入った。
新しい街並みと古い街並が入り混在するスラバヤ旧市街は、メンスストリート沿いに大きな街路樹が植えられ、南蛮情緒のわずかに残る活気あふれる街の様子を呈していた。

しかし、マナーの悪いバイクと車の排気ガスと騒音にはうんざりしている。

「つきました。昼食のレストランに着きました」
車を降りる。
「なな、何だ。これは日本レストランではないか」
アッバス氏が気を利かせて、日本レストランに案内してくれたようだ。
入ってみた。
なな、なんと、これは焼肉レストランである。しかも食べたい放題ビュッフェスタイルのレストランだ。
肉の大好きな男爵は、食べた、食べた。
気がついたら彼らは全員、昼食を済ませており、男爵だけが黙々と「韓国風焼肉」を食している。
海外での日本食はあまり好まない男爵は、某日本レストランに着いたときは、うんざりしていた。
が、食べ始めると「日本レストラン」すなわち日本料理の銘を打った「韓国風焼肉」が気に入ってしまった。
聞けば、経営者はインドネシア人ではなく、なんとアラブ人なのだ。インドネシアを基点に、幾度となく日本に足を運んだ時に得たヒント。焼肉ならばインドネシア人の口に合う。

「なるほど・・・」
躊躇なく、わけもなく、納得する。

「また来よう、インドネシア料理に辟易したら、韓国焼肉だ!」
と、独り言をつぶやき、支払いは理事長が済ませ、皆でレストランを出た。

アッバス理事長は、喜んだ。
我輩が喜んでいるのを確認し、喜んだ。

こうして、初回のスラバヤ珍道中が始まったのである。

<・続く・・>

*人気ブログランキング参加中!人気blogランキングへ

連載小説『フォワイエ・ポウ』(21回):4章「新たな展開」(本田の感じる幸せとは?)

2006-04-19 11:06:50 | 連載長編小説『フォワイエ・ポウ』
(カラオケを用意しろ、カラオケの機械を入れよ!)
と、本田に直接提案する若者2人がいる。
初めて訪れた店にもかかわらず、ことのほか、宮島は本気になってマスター本田に向かって『団体予約』の申し込み願いを始めていた。
彼らと交わす会話の中、わずか数十分の間の本田の心は、久しぶりに活き活きと躍動していた。感じ、思い、考え、短時間にまとまった感想がめくるめき、それらの事柄はようやく整理できた。整理できた後、ある結論に到達しようとしていた。
(・・・以上、前回4月14日掲載分・・)20回掲載をご覧になりたい方は、こちらから入れます。

毎日一回、クリック応援を!(人気ブログランキング)

----------------------------------------------------------------

4章

1(新たな展開)

(1)―3

本田の気分はすこぶる爽やかで、超優秀な若者として敬意を表していた。くわえて理由や動機の如何を問わず、何故かこういう若者が当店を訪ねてきた現状を喜んだ。優秀で、ものの道理がわかる、上品で、且つ他の客に迷惑をかけない上質な客の来店を、心から望んでいた。

バレンタインの12年ものは、安くない。
2人の学生は、このけっして安くない酒をきっちりと1杯だけ飲んで、話の内容はまとも、しかし話し方はまるで、関東漫才のごとくに歯切れよく、面白く可笑しく大げさに、必要な話しを放ちばらまき、30分も過ぎれば申し合わせたように、マスターに再会を約束し、笑ってにこにこ勘定を済ませた学生2人は店を引き上げた。

学生諸君がスマートに引き上げた後、本田は再び、いや、ようやく五反田と小林のカウンター前に移動した。

「先生、さすがですね。あの学生さんたち、初めて来られたのですよね。今夜は、ぜったいに楽しんで帰りましたよ!」
五反田から口を切った。
「ごめんなさい、お待たせしちゃって・・」
「いいえ、大丈夫です。2人でしっかりお話し楽しんでましたから、でも、勝手にお隣の席の会話も聴かせていただいてて、先生をお待ちしながら、もう、すっかりいつもの二倍ほど、楽しみました」
「ありがとうございます。ところでさ、五反田さん。先ほどの話し、お差し支えなかったら、もう一度聞かせて下さいな・・・」
「はい、いや、実は単純な話なんです。私達の会社の社員仲間も是非、ここに来てみたいと言っているのがいましてね。ですから今度、そんな仲間を一緒に連れて来たいのですが、宜しいでしょうか」
五反田は真面目に、真剣に質問した。彼女には彼女なりに、こういう質問をしなければならない理由があった。
ちょうど1年前に、話はさかのぼる。五反田は、社内の研修を受けず独学で、昨年の冬の旅行取扱い主任者試験に合格した。最もビジネススクールには通った。しかし、詳細抜きの合格結果のみ、彼女の勤務するセクションはもとより、当然ながらJGB広島支店全体に、五反田が合格したホットニュースは、流れた。
「いつ、どこで、五反田は受験勉強していたのか?」
そんな社員仲間の質問に対し、五反田は素直に答えていた。
ビジネススクールに通っていた事実、本田という素晴らしい講師に恵まれ、自分自身の学習意欲が増幅された事。などなど、社内で求められた質問と質問者に答えていた。限られた範囲ではあったが、ビジネススクールで、本田が講師を始めた事実は、彼女の社内で広まっていた。そんな本田の講義を受けてみたい、と思い始めた若者も、少なからず五反田の勤務する社内にいた。
そんな本田が、こんどは夜の商売をはじめたと言う。
その情報は、小林美智子から五反田に流れた。この本田の情報は、五反田の仲間内にも伝わった。つまり、講師としての本田に興味を持っている人間にも、伝わったってしまった。
「だから、本田先生に是非会ってみたい。なんて云う、先生のフアンが我が社内にいまして、『そんなバーだったら、行ってみたい。連れて行って欲しい』等と言って、先生にお会いしたがっていまして・・・」
「あ~、そんな事でしたか・・・」
一寸迷ったが、本田は即答した。
「ウム、そうか。そうですか。構いません、どうぞその方たちとご一緒に、お越しください」
意外にあっさりと、本田は答えた。
「あ~うれしい。みんな喜ぶと思います。今度一緒に来ますから、できたらそれまでにカラオケを入れて於いてください。あ、ごめんなさい、先ほどの学生さんの真似しちゃいました」
カラオケを入れたくなかった開店前のコンセプトを引きずっていた本田は、今夜、ようやくカラオケを入れようと考え始めた。
ビジネススクールの教室がバーのカウンターに変わった。講師と生徒という立場が、マスターとそのお客という立場に変わった。わずか二年であるが、時間が進み、変わった。
五反田恵子はあらためて、講師としての本田を思い出し、当時の感想を酒の肴に本人の本田に話していた。ここはしかし、五反田が自分から話したというより、五反田が話し良いように本田が誘導した。といった方が、より正しい。
「本田先生の雑談がことのほか楽しかったのです。みんなそうだったと思います。雑談になれば、それは先生ご自身の体験談だったりして、お客様との実際のやりとり、旅先でのハプニング、聞かせていただくお話しのすべてが、たいへん興味深いものでして、今でも本田先生のお話をすると、わが社の若い職員は皆、一生懸命、私の話を聞いてくれます。何というか、話を切り出されるタイミング、その落しどころ。落ちが出ればさらに元に戻り、本筋であるべき講義内容への戻りかた、その関連性と話のタイミング、すてきなのです。これを全部組み合わせたもの、それってみな客商売につながるもの、旅行会社のスタッフに備わっていなければならないものなんです・・・」
「あら、わたしひとりでしゃべってしまって、もうしわけございません、ごめんなさい、本田先生・・・」
「ウム、なるほど、五反田先生、よくわかります。お話お聞かせいただいてありがとうございます」
「いやです、お許しください、そんなご冗談おっしゃって・・・」
本田は、うれしかった。
こうして一定の時間を経た今、教え子の1人から、こんな話を聞かせてもらえる本田。これを素直に「しあわせ」と思えるようになった本田が、カウンターの中にいた。
(人に、他人に、喜んでもらえる事、これが幸せなんだ。しばらく忘れていたが、思い出した・・・)
久しぶりに、本田自身の幸せの味を、味わった。

<・・続く(次回掲載予定=4月21日金曜日)・・>

連載小説「フォワイエ・ポウ」を通してお読みになりたい方、あるいはもう一度読み直したい方、こちらのカテゴリー「長編連載小説フォワイエ・ポウ」からご覧いただけます(こちらから入れます)。

*人気ブログランキング参加中!人気blogランキングへ

インドネシア東ジャワ紀行(2/10) 「スラバヤ上空・・・」

2006-04-18 16:23:00 | インドネシアとバリ島の話
 壊れている街?地球上にあるか?

現代世界には有り得る。
何を以って『壊れている街』と云うか。
人の手で、無作為に開発された街のことを云う。
それは一体どこにあるのか?

ある!

それはインドネシアのジャカルタである。
(以上、私論・・)ジャカルタの壊れた街については、あらためて書こうと思う。

ジャカルタはインドネシア共和国の首都。そのジャカルタから東に向かって空路1時間、バリ島からは西に向かうこと空路45分の距離、東ジャワ州の州都スラバヤに降り立ったときの印象を記している。

東ジャワ州の州都スラバヤ(東ジャワシュの案内は、こちらから入れます)に、初めて降り立ったときの印象を書いている。

*人気ブログランキング参加中!人気blogランキングへ

   ------------------------------------------------------

2005-2-28(飴風呂掲載記事)
「大丈夫か?スラバヤの街。 壊れていないか?」 (1)
テーマ:エセ男爵・東ジャワ紀行


(-本文-)

シンガポールから空路約一時間半、、、

(キーーーーン・キーーーーン・キーーーン)・・・

水平飛行・巡航速度を保っていたジェットエンジンのかん高いトーンから、

(ホオオン~ホン ホオオン~ホン ホオオン~ホン ホオン~ホン)・・・

低いノイズに変りはじめた。


「飛行機の運転手は、踏み込んでいたアクセルを少し離したか? 」

「心もち、速度を落としたか・・・」

「ハンドルはうまく捌いているか、切っているか」

「間違ってもバリ島まで暴走したらイカンよ・・・」

「水平飛行は10分そこそこで、バリ島まで行ってしまうから注意して、スラバヤ上空でハンドル切ってよ・・・」

「いよいよスラバヤ到着だな」

着陸前のエンジン音の変化、つまり高音から低音へのエンジン音の変化、それはエンジンの回転が徐々に遅くなりパワーが落ち始めた事を意味する。
いや、パワーを落とし着陸体制に入った証拠である。

「分かりきったことである・・・」

「機内のナビゲーター画面を見れば、それが分かる・・・」

8千メーターを指していた高度が徐々に低下し、今は3~4千メーターまで下がっている。

今度は座席の窓から主翼をみる。
いつの間にかフラップが出ており、これによりジェット機の速度を落としても十分な浮力を確保すべく準備ができている。

「そろそろスラバヤに到着だな・・・」

入道雲ひとつ見えない1999年秋の午後、こうして好天に恵まれたスラバヤへの最初の旅が始まろうとしていた。

いよいよ進行方向の右手下方、ジャワ島が見え始める。

機体の窓から眺める水平線と地上の角度が徐々に変わっている。つまり、ジェット機の高度が下がり、ますます地上が近づいてきた、と判る。

さらに遠望すると、陸と空の合間に山脈が見える。
相当高い山並みと見受けられる。
東ジャワ州には2千メーター級の活火山や休火山がひしめき合っていると聞く。上空から見ると、絶景壮観です。
秒単位で高度が下がれば地上の景色が鮮やかに映り、東ジャワ特有の赤土の地表の一面にちりばめられた民家の屋根が黄土色に統一されているのがくっきりと見え始める。

スラバヤの街の全景が現れる。

「お~、コローニアル風?南欧風の街並みだ!情緒あるね~これ。ウム!」

「そうだ!どこかで見た記憶があるぞ。そう、これ、まるで30年前のジャカルタではないか・・・」

発音すれば「スラバヤ」の音、響き、どことなくエキゾチックである。

穢れなき海、

波打ち際に押し寄せる穏やかな波、

豊かな椰子の葉陰に覆われ、

赤道直下の日差しを和らげる。

昼なお涼しい南国の港町、穏やかな佇まい、、、。

そんなメランコリーな情緒に想いを馳せつつ、ジェット機はますます高度を下げる。

「何だ!これは?」

海岸線に張出したスラバヤ国際空港の滑走路を目の前に、何と波打ち際と陸地の間に敷きつめられた見事な「水田」が視界一面に広がって見えてきた。

「オヌシ、まじめにやってるな・・・」

「豊かな農業、主食のお米を真面目に作っているではないか? インドネシア人はすばらしい!」

我輩の心は初の「スラバヤ訪問」に浮き立っていた。

(実は、我輩の見た「水田」は、そうではなく、エビタだった。つまり海老を養殖する田んぼであった。そしてスラバヤ空港の先ットにあるエビ田は使用済み、放棄されている様子、、、)

「やや?どうなってるんだ?」
「のんきに海老を食し、居酒屋でいっぱい飲んでる間に、無意識状態で?自然破壊しているとは・・・」

えびを食す(我輩も食す!)日本人がインドネシアの海と自然を破壊し、促進しているのだ・・・)自然破壊の問題、あらためて語ろう。

気分を元に戻そう・・・

なつかしの名曲、不朽の名作、『ブンガワンソロ』のメロディーが脳裏に浮かぶ。
これ、口ずさもうとしていたら突然、

ドォ~ン・・・ (ジェット機のタイヤが滑走路に着地した音です)

シンガポールを飛び立ち約2時間、

当たり前であるが、

いや?

ぼんやりしていたら、突然に、
ジェット機はスラバヤ国際空港に滑り込み、無事着陸していた。


<続く>
 
*人気ブログランキング参加中!人気blogランキングへ

  -------------------------------------------

<画像:インドネシア伝統芸能の「影絵」ワヤンの一こま

ワヤン Wayang

語源は 影 の意

ワヤンクリ Wayang Kulit ・・・・・ 牛皮に透かし細工と彩色をした平面の人形
ワヤンゴレ Wayang Golek ・・・・ 木製の立体人形
ワヤンオラン Wayang Orang ・・・・ 生身の人間が演じる
ワヤントペン Wayang Topeng ・・・ 人間が仮面をつけて演じる

上演の伴奏として ガムランが付属し編成は奏者2~3名から20名を越えることもあり演目によって歌い手が加わる奏者のリ-ダーは ダランと称し物語りの声音を兼務する。特に ワヤンクリ の場合は人形操作の役割が最も重要となる。
物語りの内容は、インドの古代叙事詩ラーマヤナとマハーバラタが中心。ダランの技量により現代風の改変や風刺を加えこの伝統芸能を今日に伝えている。本来の上演目的は 結婚式やイスラム教徒の割礼式など 通過儀礼の余興として行われ主に個人の主催者が依頼し、夜8時すぎから翌朝5時ごろまで続く。。。
(・・上記、引用文・・)

鈴蘭の記録 (1/3) 「可憐な花が咲くまで・・」

2006-04-16 15:48:30 | つれずれ紀行
<添付画像>:(我家の庭の片隅に自生する「すずらん」・・)

 数日振り続いた雨が終わり、今朝はよく晴れわたったすがすがしい朝をむかえた。
 雨上がりの庭に出てみると、いつの間にかスズランの茎が伸びているではないか。
 この場所、我家の庭の中でも一番日当たりの悪い北北西。敢えてそんな場所を選ぶようにして、ひそかに、静かに、おとなしく、しかも力強く群生し、毎年咲き誇る場所を確保してやまない「スズランの花」を斜に見ながら初夏を向かえる事、はやくも21年がたつ。

 とにかくこの時期になると、元気よく、必ず芽を、もとい、茎を吹き出す。

 このスズラン、元ネタは北海道から持ち帰ったものである。

 約37年前のこと、北海道へ2回目の旅行をした時に「おみやげ」で買って帰ったアイテムの中、「スズランの鉢植」があった。このスズラン、サラリーマン時代は転勤先を共に転居してきた同士である。けっして枯れず、負けず、衰えることなく増えるから、大きな鉢に分けた。分けたら、また増えた。増えたから鉢を増やした。持ち歩きつつ、その先々で人様にお分けした。そんなサラリーマン時代に別れを告げ、光陰矢のごとし、、、。 瞬時にして21年が過ぎ去った。

 可憐なイメージのスズラン。しかし、けっして可憐ではない。こうして今尚逞しく、春の訪れと共に茎を伸ばし、必ず5月連休の頃にはささやかにも満開の花を咲かせる。
 こうしてみると、スズランはますます元気か・・・
 想えば四半世紀の長きに渡り、苦節を共にしたこのスズラン、こうして見れば自ずと初心に帰る。初心に帰ればあらためて我が人生を振り返り、且つ、淡々と想う処あり、、、。

 5月連休まで、スズランの花が満開になるまで、デジカメで記録しておきたい。次の日曜日に、もう1~2度、スズランの画像を投稿したい。

(一見?可憐に見えるが、しかし逞しい、、。そんなスズランを愛でて下さる方、是非ランキング応援願います・・・)
毎日一回、クリック応援を!(人気ブログランキング)

<ウイキペディア百科事典より抜粋>:
スズラン(鈴蘭)はユリ科(APG植物分類体系ではスズラン科)スズラン属に属する多年草の総称。君影草(きみかげそう)の別名もある。花言葉は「幸福が訪れる」、「純潔」。