Cafe & Magazine 「旅遊亭」 of エセ男爵

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光陽展「広島展」によせて・(特別感想文になってしまった・・)

2006-07-14 21:24:20 | 怒素人的美術蘊蓄録
<添付画像>:「光陽展広島展・会場風景」
(撮影場所:広島県立美術館地下特別展示会場・撮影日:本年6月下旬)

昨夜(7月13日)出張先より帰宅して開いた「The Mail」!
2度読み返し、慌てて返信したメールです。
大学先輩OT氏から、大変興味深いご指摘と質問を寄せて下さった。
先の記事、光陽展鑑賞感想文シリーズの関連にて、(一旦、先輩OT氏の許可を得て)記事として投稿する事にいたしました。

以下、『交信メールの記録』です。

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Re.Re.Re: 光陽展(広島展)によせて(5/6)-2作品テイータイムを鑑賞する、を読んで。(昨夜、夜中近くに送信・・)

OT先輩
UTくん

こんばんわ。
メール、大変ありがとうございます。
そしてお詫びです!
日曜日から出張に入り、先ほど広島に戻ってまいりました。
出張中、何故か自分のパソコンのOutlook Express の調子が悪く、メール配信元のOCNBOXから直接受信送信の遣り取りししていた時、誤って、OT先輩から頂いている(10日月曜日付け)のメールも、迷惑メールと一緒に配信元から(根元から)削除してしまったようで、本日帰宅し、たった今、UTから先輩宛メールcc配信を貰って気が付いた次第です。
彼からccメールを送って貰うまで、結果は先輩からのメールを無視且つ削除。ご返事も書いておりませんで、大変申し訳ございません。
あらためてお詫び申します。
不手際、どうかお許し下さい。
さっそく今から、落ち着いて拝読し、改めて明日、お礼と感想の感想メールをお送りさせて頂きたく、どうぞ宜しくお願いします。

不肖エセ男爵 拝

----- Original Message -----
From: "t u" (我が旧友UT氏)
To: "O T" (先輩OT氏)
Cc: "ese-danshyaku
Sent: Thursday, July 13, 2006 10:23 PM
Subject: Re: 光陽展(広島展)によせて(5/6)-2作品テイータイムを鑑賞する、を読んで。


> OT 様
>
> このメール何度も何度も読みました。
> そして「エセ男爵」君のブログの絵画何度も何度も見ました。
> 感じた事は、自分が少し恥ずかしかったことです。
>
> 実は彼のブログはいつも覗きます、そして自分はポイント要員の自覚逞しく協力している程度です。もちろん興味やら彼の熱心さには敬服しております。 
> だけどOTさん程、真剣に、真面目に覗いておりません、何もかも見過ごしていた様に思います。 何もこれは彼のブログを軽視していた訳ではないのですが、捉え方が違っていたのですね!
>
> OTさんのコメントを何度も読む内に、小さなものに対する幅広い捉え方を教わった様に思います。
> 何もかも一生懸命見つめると面白いですネ、またこんな類のコメントを楽しみにしております。
>
> それと詩歌の件ですが、どうも自分で勝手に構えてしまってうまくいきません、素直に詠めばいいとの思いはあるのですが、・・・正直格好つけようとする下種な思いがのさばるんでしょうね。でも人の作られた詩歌に心を奪われ、その状況に浸り、その気になるのはとても好きなんです。 結局見栄がある内は駄目ですかね?
>
> では・・・また。
>
> 2006.7.13. T.U
>
> ----- Original Message -----
> From: "O T"
 To: "ese-danshyaku"
> Cc: "e-U T"
> Sent: Monday, July 10, 2006 12:12 PM
> Subject: 光陽展(広島展)によせて(5/6)-2作品テイータイムを鑑賞する、を読んで。
>
>
>> ese-danshyaku殿
>>
>> この作品には光源が4箇所取り込まれています。左手壁の上窓からの強烈な太陽光線、その反対右側からは暖炉の手前側が白く描かれるほどの強烈な照射光があり、マンドリンと花瓶の前にもそれが描かれている。次に、右窓から照射されているであろう光源が暖炉の手前に一箇所あり、その反射光で暖炉の中味が見えるように描かれている。さらにもう一箇所は同じ方向の位置からテーブルの足元を照らしている。
>>
>> 左手壁の上窓からの光源が太陽なら、男爵がご指摘の通り、「人工光源で無い限り、左右まったく異なる方向からの強力な太陽光線が差し込んでくる事は考えられない。自然光に頼って撮影した写真芸術ならば、全く撮影製作不可能な「画面」であるが、絵画という技法により人工的作為により描かれた「作品」なるか」、と感想を書いていますね。同感です。
>>
>> でも、私にはこの作品に、もう一つの大きな不自然さを感じざるをえないのです。確かに4箇所の光源があり、全体が明るい事は感じられますが、実際の環境はどうだったのでしょうか。テーブルの上にあるコーヒー茶碗やポットには光と陰がまったく存在していません。暖炉の側壁のように光を受けている感じは描かれていますが、テーブルの上にある物は全部ベタ状態です。4つの光源が描かれていても陰がないのはなんとも不思議な絵画というか、私にはよく理解できません。しかも、部屋全体がいかにも明るすぎます。4つの光源には必ず陰が存在し、部屋も明るい場所と暗い場所があるはずです。この絵画からはそれらを現実的に感じられません。もう一つ。花ですが、これもどんな花なのか、想像させてくれませんし、花瓶も形が不鮮明でどんな花瓶なのかもよくわかりません。特に花瓶の下部はなにがどうなっているのでしょう。花はそれともアートフラワーなのか?とにかく、よくわかりません。
>>
>> 男爵のコメント「絵画という技法により人工的作為により描かれた『作品』なるか」だとすると、自然観察が無視された、想像で作成されたかもしれないかかる絵画を光陽展(広島展)が採択したのは、いったいどのような芸術性を評価したからか。素人にもわかる、切り込んだ絵画評論が欲しいところです。ご教示願いたく。
>>
>> O T.


<以上、Eメール3通。大学の「先輩OT氏、同級生UT氏、不肖エセ男爵」なる3者間によるメール交信文より転載・・>
   
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OT先輩には、我が追記の感想文としてEメール返信にて「お答え」しようか!とも、思ったのですが、結局本日午前中、OT先輩宅に突然お電話をおかけし、運良く先輩は在宅中。久しぶり(1年ぶりでしょうか?)に先輩のお声を聞きながら、「我が思い」の追加、電話会話にてお話した次第です。
OT先輩の撮影された写真は昨年の晩秋、拙ブログにて公開している通り、たいへん審美眼正しき晩秋情緒溢れる画像。(晩秋の榛名湖、はたまた草津温泉の画像、是非あらためてのご参照!こちらから入れます)
学生時代から英語は堪能というよりも、すでに群を抜いており学生時代に「通訳資格」試験合格された数少ない秀才。ご自身の能力を活かされた仕事をされ、今尚、専門分野の特殊翻訳作業をなさる「つわもの」。
いつの頃か、趣味にて「俳句」を。なんと、優雅にて侘び寂びの情緒世界を理解される人物です。
英語の達人が、何の因果で俳句の世界へ?そして、我が同級の友UT君も俳句をやっているとか。
そのような御仁との遣り取り、ご披露申し上げたくなったのです。
そして、(本日午前中の電話の会話にて先輩にお伝えした)我輩の「追記説明」?!とは、

1) 実は、先輩と同感にて、左右2箇所の光源以外にもう2箇所の光源の存在を感じつつ、たぶん2箇所の強力な光源から発せられた(壁と床からの)反射光であるか?と、感じつつ、

2) 描かれている絵画の中、複雑なる「光源」の存在なくしては描けない、すなわち「自然光」から逸脱した世界を描かれているわけで、(特に)写真をやっているものにとっては不自然な構図である事、無様極まりないが、それをもって「人工的なる絵画の世界」である。と、不自然さに妥協した「不肖・エセ男爵」自身の存在あること、認めました。

3) 尚、当該作品「ティータイム」は、アイスホッケーのゴール、いやハンドボールのゴールの大きさに匹敵する作品面積(正確なる絵画の号数は、光陽会HPに記載されています)であり、絵画中の各小道具は、微細を通り越して緻密。マンドリン・電話機・ティーセット等々の細部、見事に丁寧に描かれ、道具が多すぎて一度に細部まで鑑賞するには、到底至らず。物理的に不可能なり。と、判断。各小道具に目をやるだけで終日掛かるならば、日を変えて鑑賞すべし。鑑賞する異なる日々それぞれに、異なる角度にて満足できる可能性は大であり、

4) 鑑賞した後の満足感は、絵画の魅力と評価に繋がるものであること、あらためて申し上げた次第です。(たぶん、好き嫌いの世界なのでしょう・・・)しかし、不自然さを感じ始めたら、その瞬間から「その作品」に対し、必ずや「アキ(厭き)」なるもの到来するか。等と、・・・

5) しかししかし、詰まるところ自分自身、絵画は全くの素人なり。本来、絵画評論に及ぶなど恐れ多く、ならばいかにも無知なるを以って、下馬評を論ずるは、作品ティータイムの作者様ならびに審査員の方々に対し無作法なる仕業にて、ひいては「我が無知なるを以って赤恥をかく」顛末に至るを避けるがあまり、感想論評の結論をぼやかした感、無きにしも非ず。。。
などと、電話の直接会話にて、先輩OT氏にご説明申し上げた。

かくして本日、時間は午前から午後に、経過・・・
経過と共に、自分自身の反省材料など内部発覚するから、面白い・・・
つまり、自分自身の「赤恥」が見えてきたのです。
自分自身の芸術感覚に対する教唆、すなわち、精神的内部告発に発展してしまったのです。

そして結論は・・・
先の投稿「志賀直哉小論文・リズム」に於ける、芸術表現に必須なる「作者の勢い」を感じなくなった作品は、いかなる美文であろうと「マンネリズム」に分類され、芸術作品として魅力のない「駄作」に位置するものとして、我が芸術鑑賞感想文としての「詰めの甘さ」を自覚。すなわち修行の足りなさをあらためて認めるものの、さりとて落胆することなく、さらなる修行に励む心意気を、先輩OT氏からご教授頂いた次第です。

<・了・・>

(光陽展鑑賞感想文は、今後二回投稿予定。いよいよ最終項に続きます・・・)

7月3日投稿「作品:ティータイム」の鑑賞感想文(こちらからご参照頂けます)

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(参考資料はこちらから・・)

「光陽会」(会本部ホームページはこちらから入れます。ホームページ内には、今回展覧会作品の受賞作等、もっと上質な画像をご覧になれます)