Cafe & Magazine 「旅遊亭」 of エセ男爵

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気儘な旅人の「三文オペラ」創作ノート

変り往く街中の佇まい(広島市中区立町界隈)

2019-02-01 11:51:00 | つれずれ紀行

 大都会ではないけれど、決して田舎ではない広島市内の『街中』、否、市内の『中心地』を漫(そぞ)ろ歩くと、何とも安心できる。

 うろついているときに、今までに見かけなかった、「最近になって新しくショーウインドウを増改築した?」という方が正しい呼称?であるか?洒落た飲食店の入口(ウインドウ)が気にかかる。

 こんな景色に出くわすと、トーマス青木はやたら小さな喜びを覚える。

 (どうして、なのか?何故か?)

 この記事の土台となったこの写真画像を撮影したのは今年の正月を過ぎてから間もなくの事、さらにブログ投稿すると決めたのは、今から約一週間前、まさか写真画像だけを掲載する流儀は持ち合わせていないから何か文章を書こうと思った途端に、

 (書く手が止まる、、、)

 (脳の回路に適切な文章が思い浮かばない・・・)などなど、

結局2月1日になって、ようやく書くための指が動き始めた。

 
 筆(PCのキーボードを抑えるための指)が進まなかった理由あり。つまりつまり、この一枚の画像から連想されるトーマス青木の思い出や歴史が走馬灯の如く脳裏を駆け巡ってしまったから、なのであります。

 以下、定位置から時間を移動させつつ『トーマス青木的走馬灯』を切り抜き(ピックアップ)してみますと、

一つ、
 まずこの画像は、かれこれ50年も前の記憶にある商人向け旅館から、今はビジネスホテル『ホテル山城屋』に変身。お洒落な雰囲気を醸し出す洋風ビジネスホテルの入口・エントランスゲート(The Entrance-Gate of Hotel Yamashiro-ya)の一角です。

二つ、
 昭和40年代に入って大学を卒業し「とある世界規模的運送会社」に就職。ようやく社会人としてデヴューしたのは何を隠そう、広島の『この地=立町2番29号』であった。配属された旅行部門の広島の拠点がこの地『立町』に存在した。(けれども既にかれこれ10年前に部門廃業し、同社同部門の痕跡はない)
 往時の山城屋旅館さんとはご近所も甚だしく、忘れようと思っても忘れようがありません。

三つ、
 世界一の運送会社勤務は、定年退職を迎える20年前に(中途)退職し、現在に至ったのであります。

 かくして、
 サラリーマン時代の良い想い出も消し去ることのできない良くない出来事も、今となっては懐かしさ余って仕方ありません。

 この一枚の『南欧風レストラン的ショーウインドウ写真』から、かれこれ半世紀にも亘る『追憶』があふれ出したのであります。

 〆て、
 あまり変わり映えのしない広島市中心部。と思っていた。けれども細部に目を凝らせば、けっこう変化しているのです。

 はや半世紀、
 間違いなくトーマス青木は十二分に歳を経た『証し』ここにあり。
 
 そう、
 このショーウインドウ写真が半世紀間に漂う時代の変遷を、静かに物語っているのであります。


    (投稿:トーマス青木)