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気儘な旅人の「三文オペラ」創作ノート

あとがき… 『大亜細亜の詩』

2020-02-29 16:24:12 | 小説家・トーマス青木
こんにちは、

 書籍『大亜細亜の詩』(だいあじあのうた)の出版案内を致します。
 
昨夜の早い時間に何とか最終校正を終了。
 昨年9月下旬から執筆開始。2ケ月後の11月下旬に脱稿予定。 
 にもかかわらず、それから一転二転、令和2年の正月明けになって出版社を変更。みらいパブリッシングさんに引き受けて頂き、来たる4月4日にて出版の運びに相成りました。

 さて、執筆を決めた時点で、気合入れて『心構えと目標』を語った(つもりの)『まえがき』と、晴れて脱稿後に言い述べた『あとがき』の両方とも本書には掲載しないこと決めました。とはいえ我ながら存分に気合を入れて書き下ろした「あとがき」は本文中の何にも況して本心を(小声で)語ったものであるから若し、
「ようし!この本を読んでやろう」等と、興味深いものを感じ取って頂く為には是非、あとがきから読んで頂きたく、そのためにも エセ男爵ブログに『あとがき』を投稿しておきました。
以下、ご一読ください。


    ー あ と が き ー

「この秋は本を書こう!」
 脳裏に浮かんだのは『本照寺と奇跡の人パール博士』という自分自身の合言葉だったのです。
 近代史という四次元の時空を移動できる夢の特急列車『大亜細亜ファンタジー号』に飛び乗って、明治から昭和の初めまで、「日本近代史の物見遊山をやってやろうぜ!」となればこの秋、好きなジャンルの読書に耽り、好き勝手に執筆三昧をやる……

 そうすれば、この秋の終わりには一冊の本が出来上がる。そのうえで『先々代住職筧義章師とパール博士を結ぶ』という歴史の絆と、さらには未来への絆を、この手で紡いでやろう……
などと簡単に考えて執筆作業を開始したのは、令和元年八月のお盆明けからでした。

 書き始めてみれば、近代史の整理整頓からは程遠い難作業になっていきました。つまり、三次元に広がる洋の東西と、歴史的時間の推移を跨って行き来するメニューは多岐にわたり、『宗教』と、『戦争』と、『政治』と、『経済』と、『文化』エトセトラ、エトセトラ……
図書館に百年間通っても結論の出ない、広大で深遠な世界に迷い込むか?……
その一歩手前で、決して歴史論文ではない『小説風な一冊』が出来上がりました。

 執筆を終えた今、あらためて、書くこと、とは何なのか? 整理しておきたくなりました。
 その結果、私の『書くこと』とは、『本照寺のことを書き残すこと』です。
 例えば、この一年の出来事は、互いに口頭で語り伝えることができます。しかし二、三十年以前の事になると、否、五十年前はどうか?となると、知っている人は少なくなり、さらに百年前となると、すでに直接語り伝える人は存在しません。こうなると何らかのカタチ、つまり文字で著されていれば、伝えらます。

 そしてこの度、何を書き残すかと言いますと、『本照寺とパール博士の石碑のこと』をテーマに、『本照寺の歴史』の流れを見つめ、纏め、独り言を喋っているように、書き残しておきたいのです。

『パール博士の碑文』から始まる歴史物語。その舞台には、本照寺三世代に亘る筧住職家のご活躍のシナリオがあり、それは、滔々(とうとう)と流れる近代日本史の中に展開します。今も尚、現代から未来に向け、その時々の歴史の事実は繫がり紡がれ、そして絆と絆が結ばれ、歴史は時空の流れに乗り、継続しています。時空という川の流れは、未来という大海に向かって絶え間なく、流れ出ていきます。
 この一冊は、そのような歴史の流れを行き交い、未来の大海に向けて航海する読者ご自身の船を舵取りする羅針盤になれば筆者冥利に尽きます。

  令和二年 早春
           
          トーマス青木