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一度読んで、又読む・・「ヨーロッパの貴族、その歴史」

2008-03-29 13:45:45 | 趣味の話&本と雑学メモ
ヨーロッパの貴族―歴史に見るその特権

刀水書房

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貧乏貴族と金持貴族 (人間科学叢書)
マイケル・L. ブッシュ
刀水書房

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 わけあって(ボンクラ小説の執筆資料の骨組み構築の目的で)、とある面白くない本を開いている。


 【その-1】

 昨年のちょうど今頃、インターネット書房の「あまぞん」でまとめ買いした書籍のなか、「欧羅巴貴族」についての歴史的考察本だ。 捻じり鉢巻のハッチャキになって3週間もかけて読破したもの。 桜前線あれこれ云われるこの時期、ぼんくら小説の執筆は乳?否!遅々として進まず、やや寝ぼけ眼的に2度目の通読挑戦を計画しているのですなぁ~。

 ちなみに
 
 「……?」

 「そう、まことに馬鹿げているかも?……」

 何ゆえに馬鹿げているかと言えば、

 第一に、読み進めるに難解な、なんとも「やっかいな翻訳本だ」と言うこと、、、。
 第二に、昨今の世界情勢且つ我が国の現実社会の動きとは何等関係なく、読んでもあまり役に立たないということ。
 第三に、あまりにも典型的翻訳調子であり、読んでいて前後関係の文章は難解にて流暢ではなく、何度も何度も前ページを開きなおして読み進めるから非能率極まりない。 つまり、日本語としては余りにも読み進めにくい悪文の連続に加え、たぶん翻訳前の原典が古典ギリシャ語を含む汎欧羅巴語にて書かれているはず。 したがって翻訳者の非凡なる語学力をもってしても、かなり難解な翻訳作業だったはず。 著者もたいへんだったに違いない。

 ま、読んで楽しむための書籍として「この一冊」を取り上げれば、不快極まりない。 でも、この手の西洋史訳本には多く見かけるものかも、、、。 まあ歴史研究家の日本語力不足によるものか?はたまたオリジナルの文章が拙いのか?よく解らなくなって来るけれど、これには訳がある。 その訳とは、たぶん(訳本の原典を開いていないので確かではないが)英語フランス語ドイツ語スペイン語イタリア語のみならず、中央東欧さらには北欧からロシアにまたがるありとあらゆるヨーロッパ諸国の言語で書かれているはず。 この本の翻訳者は、そうとう多岐にわたる語学に通じた歴史学者のはずであり、それを考慮すれば、なるほど、砂を噛むような「この一冊」の日本語の羅列をもって「駄訳・悪訳」と決め付けるのはもってのほか。

 念のため、というより、著者と翻訳者の、類稀なる語学力並びに歴史的研究の深遠なることに『畏敬の念』をこめて、
  * マイケル・L. ブッシュ (著), Michael Laccohee Bush (原著),
  * 永井 三明 (翻訳), 和栗 珠里 (翻訳), 和栗 了 (翻訳)

 この一冊を通読したおかげで、他の西洋史関連書籍では見えなかったヨーロッパ中世史の「別の側面」が見える。 

  それぞれ国によって異なるものの、ヨーロッパ社会には今も尚、中世貴族の影響が多々ある(らしい)。 さらに、我国日本をよくよく見れば「ヨーロッパ封建社会」の貴族制度に近似していると思われて仕方ない。

 この一冊から見えてきたヨーロッパ社会における貴族とは? (今となっては正確無比ではないけれど)以下に記してみる。
A)中世封建時代の『大地主』
B)(時の)王の要請により、騎馬に乗って戦場に参加できる『戦士』(つまり騎士)
C)共和制国家ではなく、それ以前の専制君主的国家社会の時代になってから(おおよそ16世紀~18世紀)あたりから形成された中世国家社会の『高級官吏』

 以上、ヨーロッパ諸国共通して「この3種類」(大地主・騎士・国の高級官吏)の貴族が居たらしい。


 【その-2】

 となれば、このあたりから我国貴族社会と比較すればおもしろい。

 1.分類(A)にあてはまる貴族階級を我国にあててみると、なんと!「士農工商」の『農』のボスまで該当するか?時代をさかのぼれば平安貴族が全国の村々(邑々?)を割り当てられていたもの。 しかし鎌倉幕府以降の武家社会においては、武士の頭領がこれをあてがってもらったらしい。(正確には少々違うが) 室町時代から戦国時代を経て江戸時代に入った頃には、あらためて武家の頭領である江戸幕府が全国津々浦々の大名に、これらの土地所有をあてがったもの。 にもかかわらず諸大名には「お国替え」あり、一部の大名を除いてはいつなんどきおとりつぶしにあうか解ったものではなかった。
 ならばこの部分、おおよそ近世に近くなっては「村の庄屋」が実質的土地持ち的存在であり、明治維新以降は明瞭に「庄屋」あるいは都会の「豪商」あたりが土地持ちとなったはず。
 つまり、百姓の親分『庄屋さん』は、日本の貴族の一員だったのだ!

 2.区分け(B)において、我国の歴史上、大名はおろか家老職並びに足軽頭あたりまで「高級武家」に包括し、彼らは全員、貴族社会に属する存在であったのだ。 つまり、従卒家来を引き連れて「騎馬」にまたがって戦場に駆けつけることのできた武士は、ヨーロッパ社会における騎士と同じであり、彼らもまた貴族であった。

 3.カテゴリー(C)の国家高級官僚は全て、貴族階級であった。 ま、これが当てはまるのは江戸時代になってから明治時代まで。 こうして一旦平安時代あたりまでさかのぼり、あらためて我国の明治時代を顧みれば、すべからく貴族社会の成り立ちが見えてくる。

 まぁ、よく似たものだ。 日本とヨーロッパ社会の歴史的成り立ちが、、、!

 さらに見えるは、
 (只なんとなく)広大だ!と思っていたら大間違いのヨーロッパ(西欧)社会。 ヨーロッパは思ったほどには広くなく、地球儀を眺めコンパスで測れば、北海道の最東端知床岬あたりから沖縄県は石垣島まで測ってヨーロッパに置き換えれば、な、なんと、英国はエディンバラからイタリアの長靴の先はシシリア島まで到達してまだお釣があり、エーゲ海半ばまで到達すること、あらためて理解し両地域の歴史的に共通するものすら感じるのである。 さらには、我国日本も欧州諸国も、いずれも農業を機軸に歴史的発展を遂げた事実。 封建制度あって階級(貴族)制度の出現は農耕社会に必然のものと改めて認識し、このあたりから日本とヨーロッパ文化の基盤の共通性を認識する。


 【その―3】

 ならば、さらに解る。

 今のヨーロッパ社会が「EU連合化」していることが。

 たぶん、今のヨーロッパ社会における諸国間の関係とは、明治維新から江戸期にさかのぼった我が国の藩閥体制とそっくりであり、今にしてヨーロッパ社会が経済の側面だけと言えどもヨーロッパ共同体を築いたわけであって、かくしてヨーロッパも21世紀になってようやく日本の近代化(単一国家)に近似してきたと考えても何等不思議ではない。
 上述は飛躍しすぎであるけれど、つまり、現代ヨーロッパ社会が如何に国と国のつながりが深いかについて、想えば中世ヨーロッパの主だった貴族のほとんどが親戚関係にあるのだから、あらためて単一の「ヨーロッパ共同体」が成立しても不思議ではない。

 こうして、
 点と線、
 時代をさかのぼって時間空間を加え、
 西洋(ヨーロッパ地域)という面を考えるには、
 どうしても欠かせないテーマが「ヨーロッパ貴族」の考察なり、、、。

 いや、なかなかどうして、こうして殴り書きするだけでも出てくるは出てくるは!

 貴族研究あってこそ「ダンディズム研究」に繋がるのであるか。

 このテーマ「研究・ダンディズム」(関連記事、こちらから入れます…)にて、不連続的に連載したい……

少しお洒落に Let's lunch,,, (11/6);ゴールドの輝き…

2008-03-18 11:25:30 | 食彩+酒の肴
<添付画像>:シリーズ投稿『少しお洒落に Let's lunch,,,』の最終記事を飾る【黄金縁の飾り皿】?…

 前回投稿記事(連載10/6)の画像と、見比べていただきたい。

 ようやくデザートを食す時間になったから、ようやく煙草を嗜める時がやってきたから、レストランホールからバーコーナーのカウンターに移動した。 したがってデザートを盛り付けてあるガラス皿からの色彩は、バーカウンターのマホガニー色、、、。

 連載(10/6)にて言及した通り、本来ならば、「テーブルクロス(白のリネン)」とを対比させ、デザートの色彩の冴え渡るよう意図した「透明なガラス皿」。

 かえすがえすも(返す返すも)……
 
 「若し、この場所がレストランテーブルの位置であったなら、どのような色彩バランスになっていたことか……」

 と、回想してやまないのである……。

 たぶん、もっともっと活き活きと、イチゴの紅色やブルーベリーの紫色にスポンジケーキとヴァニラアイスクリームの薄黄色等々の色彩が、透明なガラス皿一杯に映え亘っているに違いない。

 それにもまして、あらためて気付くことあり!

 幅2センチ強あった!と思われる「黄金色の縁取り」の美しさに、再度、驚嘆してしまうのだ。

 比較的、プラチナ・金・銀などから始まる貴金属製品にはさほどの興味を持たないけれど、この時ばかりは違っていた。 あらためてあらためて『黄金色の美しさ』に気付いたのだ。 これほどまでに、透明なガラス皿とその上に乗っかっているデザートの色彩バランスを引き立てて、尚且つ黄金色の持つ力強さを控えめに、主役であるはずの黄金色はむしろ脇役の立場になって、「デザートの色彩」を盛り上げ、さらには「デザートの味わい」を予測させるに十分な舞台演出は、この黄金の縁取りが担っているか、、、。

 ようやく解ってきた、、、。

 というよりも、レストランで食事する意味を、あらためて理解した。

 美味しい料理を提供し、安心して、寛げて、家庭では体験できない環境と空間の中で、『食の文化』をデザイン出来るのが本物のレストランである。 レストランサービスとは、そのようなも付加価値が必要で、その付加価値こそサービス業の真骨頂なのだ。

 いよいよ結論である。

 結論とは、
 そんな『すてきな空間(レストラン)』で食し、食文化を理解し堪能できる「人種」に、あらためてなりたいと思った、、、。
 

   <シリーズ記事「少しお洒落にlet's Lunch,,,」…完……>


 * 当シリーズの前回投稿記事は、こちらから入れます。