Cafe & Magazine 「旅遊亭」 of エセ男爵

志すは21世紀的ドンキホーテ?
はたまた車寅次郎先生を師に地球を迷走?
気儘な旅人の「三文オペラ」創作ノート

宮島港の日章旗・2

2008-12-31 16:45:15 | つれずれ紀行
 こうしてみると、やはり大きい・・・

 畳8枚(8畳)?

 いや、6畳か?少なくとも4畳半はあるのだ。

 こんな大きさの日章旗は、恥ずかしながら生まれて(半世紀以上も経って)はじめて見た。 しかも見た場所は、広島県廿日市市の宮島港で、、、。

                          (日の丸の話・完)

   (第1章は、こちらから入れます)

正月準備!(宮島港の日章旗)1

2008-12-30 11:45:45 | つれずれ紀行
<添付画像>宮島港の「日章旗」
(撮影日時):平成20年12月29日午前9時45分頃
(天 候):曇天
(撮影場所):広島県廿日市市宮島町・宮島港正面入口前


 この2年間、通いなれた宮島港ビル正門前の広場に「シカの糞」1つ落ちていないのに気が付いた。 すなわち、滅法綺麗に掃除されているから驚いたのは昨日12月29日朝のこと、、、。

 いつもゴミ箱の置いてあるところには「門松」が設営されており、ふと見上げると日本の国旗『日章旗』が掲げられているではないか! 宮島港ビルは2階建てにて如何見積もっても「この日章旗の大きさ」は、たぶん畳六畳敷きの大きさであるか。

 「気付かなかった!」・・

 というより、

 「こんなの見たこと無い!」

 恥ずかしながら我輩は「こんな大きな日章旗を見れるのは彼の戦艦大和か軍艦長戸の艦橋に立たねば見れぬもの・・」と、勝手に昭和ノスタルジーに浸っていたのであるけれど、何と、我ご町内「宮島町」で拝見できるとは思っても見なかった。
 このところ度々宮島に通っているけれど、お正月はおろか年末に宮島に来ることは、まずもって無い。 例え人出の多いお正月に来ても、この位置に掲げられたこの大きさの日章旗に気付かずに通り過ごしてしまうところだった。

              (・この記事、続く・・)

追憶:「TYさん宛、私信メール」より・・

2008-12-26 10:15:15 | 趣味の話&本と雑学メモ
あれから4年前?の冬場、ブログを始めた当初に投稿した記事を転載したい。
 この頃、「書く事」に執念を燃やしていた時期。富士山麓のオーベルジュに「助っ人稼業」のコンシェルジェとして出向いていた時、お客様でお見えになったYTさんと知り合った。以後、何故か(たぶん、同じサービス業に従事しているもの同士の気心が通い合ったからか?)メール交信多くなり、メール上でのお付き合いが1年ばかり続いた。当事、「意のまま」に書き連ねた文章を転載する。
当時は元気がある。 「文章創作」に対する貪欲な意欲が伺われる。
少し(数年前の)「自分の歴史」を振り返ってみることも必要!と思い、訂正なしに掲載してみた。 こうして振り返ってみると、なんとも恥ずかしき事多々あれども、今の自分と比較すれば、逆に「今の自分」の行動に「恥ずかしき事」多いかもしれない・・・

   -----------------------------------------------    

「飴風呂投稿記事」より転載・・・

2005-02-17
回想と進展
テーマ:Weblog
某・私信(メール)より、
2005/01/中旬・発信

YTさま

 「多忙」とは、何を意味しての多忙なのか?
 などと、突き詰めて考えていけば特に私の場合、けっして多忙ではありません。
 ただ、オーベルジュの3ヶ月間は多忙でした。
 なぜなら、拘束時間が長い上、自分で時間をコントロールできていなかったという意味からです。
 また、お休みの日も2回に1回は東京に出張。以前の会社の先輩や友人の会社のよろず相談、出版社の社長との会合など、前もってアポを「組み立て」、ミーティングのスケジュールで一杯でした。
 くわえて、上記の延長線上に「酒の席」が付加するからこれまた重労働です。
 しかし、東京に出向けば「オーベルジュ」のワンパターン的時間拘束から外れ、私の本来の動きで十分な対応が出来るわけですから「多忙」とは感じない動きでして、「良い疲れ」を生じさせる能動的な「正しい行動」なのです。
 福岡出張も、上記のパターンでした。
 さて、この3年間、私は可能な限りビジネス面での「多忙さ」を回避するよう時間を組み立てており、平均して3時間(労働)を心がけています。その代わり平均時間にして約4時間、「読書」と「執筆」に割く時間を如何にして捻出するか?に、苦心しています。この2つをあわせて約7時間労働、ということになります。
 本来、読書嫌いではなかったと思いますが読書に割り当てる時間をあまりにも無視してきたきらい(記憶かな?)があります。
読書に割り振る時間がもったいない、その間に一人でも一件でも多くのクライアントにお会いし、営業活動に時間を充てなければならない。
 出来るだけ多くの人に会い、情報交換や仕事の打合せの時間がほしい。と、真剣に思い行動しながら四十代の半ばまで過してきたのです。
 加えて活字に目を通すという意味では、(当時の物理的キャパとして)十分に活字に触れていた、と、勘違いしている状況下にありました。つまり、会社(特に大企業)組織にいれば(すなわち企業人であった現役時代)、明けても暮れても毎日毎日、特に管理職になってからは、机の上は書類の山積み状態なのです。稟議書や社内通達、公館庁や航空会社その他関連産業からの通達書類社案内パンフ等など、それはまるで洪水か?はたまた津波?のごとく、一日で目を通しきれないばかりの膨大な文章に、必ず目を通さなければならない状況下にありました。流し読み状態がほとんどで、実際には読んでいなく、読んでいると勘違いしていたのですが、、、。
 さらに、文章作成について、
学生時代から(卒業後)管理職になるまで、クライアントの査証取得のための英文経歴書はたまた英文推薦、旅券早期取得申請書を外務大臣あてに作成する(やや定型文章)等お役所関連文章か、後半は旅行のパンフレットに掲載する文面くらいを書くだけで、本来の文書らしきものは書いたことがなかった。あらためて文章を書き始めたのは脱サラ後、独立した後、イヴェントか企業の新規プロジェクト提案のための「企画書・提案書」を創作し始めてたのが切っ掛けで、ようやく自分の文章を書かなければならなくなったのです。
 また、パソコン以前のワープロ(すでに20年前から導入していたのですが)による文章を書くまでは全て手書きでした。
今考えれば、手書きでそこそこの文章を作る、面倒で面倒で、今はもうダメ、考えただけでそら恐ろしくなりますが、当時はそれを実行していたのです。
しかし今、書けば書くだけ、さらに書こうと思えば思うだけ、ますます書けなくなります。
 理由は、文章を書く基礎が出来ていないからです。
 しかし、美文でなければ書ける。
 美文を書こうと思うからかけないのだ、と、開き直れば何とか書けるようになりました。

 独立してから、そしてこの最近、いやハンガリーから帰ってから(かれこれ6~7数年前から)は特に、現役サラリーマン時代と比較して(一人で行動している。と、いう意味)、あまりにも情報の入手源に乏しくなり、情報そのもののパイが小さくなりった。つまり情報量の驚くべき少なさに恐怖感を持ち始めたのです。
この状態では、必ずや時代に取り残される、と。
 (今は少し違いますが、、、)
 そこで考え、思いついたことは何か?
 本屋さんに走り本を買い求め、猛烈に読書がしたくなり、自分の専門分野?の「新本」などなど、手当たり次第に読みまくったのです。
 逆に、新聞や週刊誌を読まなくなりました。読んでみても、情報のぶつ切りであり記事を書く編集者あるいは記者の「情報と知識の貧弱さ」が、認識できるのみで、ほとんど役に立たない読み物であると解りました。
 その代わり、(先輩の薦めもあって)タイム誌を定期購読しはじめてすでに15年になります。タイム誌の記事について一言。これは情報の収集という意味でも、情報の整理という意味でも、先を見通すという意味でもたいへん重要な定期刊行物であると認識しています。タイム誌の記者連中は、平べったい日本人新聞雑誌記者やTV取材陣とは大きく違います。自分で取材し自分で記事を書き、きちんと自分の意見見解を述べ、記事に対する責任を持って「レベルの高い」文章(と、写真=写真もすばらしいですよ)を競って投稿し、それを毎週続けている。世界中の英文ノモ書きプロ集団の「文章」が読め、的確な時代の流れを掌握できると思うからです。これ、あくまでも比較対照的な論法発想でして、その比較の対象はあくまでも日本の3流新聞やTVニュースです。欧米と比べ、あまりにも貧弱な日本のマスコミの取材能力と、取材陣の体制に流される「無能さ」に辟易しています。(ま、コレこの問題にはこれ以上触れないようにします)
 私の専門は英文学ではありません。しかし、タイム誌を読み続けているおかげで、このところようやく英語がわかるようになって来ました。英語でビジネス契約、英語で文章が書けるかな~?と、ようやく思えるようになりました。
 しかし、英文の組み立てと、日本語の文章の組み立てと、全く「構造」が違う。ですから、英語を読む、英語の文章を書く、と、日本語の文章が書き辛くなります。が、これ、言訳です。まだまだ修行が足りない証拠です。明治の文豪「森鴎外」かはたまた「夏目漱石」か、当時の皆さん、英語も漢文も出来た人達が、日本語で小説を書いていた時代があるのです。映画「ラストサムライ」の脚本の基礎となった新渡戸稲造先生の著作「武士道」も、当時の英文で書かれており、小冊子ですが、なかなか中身の濃い立派な「英文著書」です。当時(100年前)の英文の中、日本の伝統的な思想(武士道という狭義の意で)を、欧米人の知識人層に説き紹介するため、聖書から始まり、ヨーロッパ中世の騎士道、さらには近代西欧思想との比較引用され、日本の武士道を比較説明している論文文章構成には「驚愕」の限りです。
 そうです。
 当時の西欧人にとって(日本文化を全く知らない)、若し、比較対照可能な「西欧思想と文化」の引用と解釈が皆無なら、この「武士道」の英文著作は繰り返し読んでも読んでも解釈不可能意味不明であり、当時の西欧知識人から無視された。に、違いありません。新渡戸博士は見事に「比較対照」を引用され、難しいながらも理解可能の門戸を開かれたわけでして、いつ?年齢、幾つの時から?何処で何処から?そんな見識を重ねる時間があったか?実際、新渡戸博士は農学の研究で若くから渡米され、何時からか解りませんが(確か)キリスト教徒になられ、アメリカ人女性と結婚された。そういうバックグラウンドがあったにせよ、尋常ではない。即座に比較対照がこのレベルにいかないまでも、こうして思えば、自分自身がいかに怠け者であるか、もう一回生まれなおし二度人生を繰り返しても追いつけないほどに学問をやってらっしゃる、等と考えると、あらためて往時の日本人知識人に敬意と尊敬の念を抱くのです。
 まず、自分の意見を書くこと、人様に理解可能な文章を書くことは大切であり、たいへん難易度の高い所業なのです。

 もう一度、私の実態に戻ります。
 英語は、まず読めないと書けない。多くの英文を読みこなし、ようやく書けるようになったのです。頭の片隅に残っている「どこかで読んだ英文」の語彙や言い回しの組み合わせを引用しながら書いているのは事実です。
ですから、
 日本語も、そうしなければならないと痛感してまして、最近になって「コレだ!」と思う著者の「近代文学」を読み始め、本来中学生時代高校生時代に済ませておかなくてはならないこと、今になってやっているようなテイタラクなのです。がしかし、残念かな若き頃に読んでないわけで、ひと歳取った今、初老に差し掛かった歳になっても、尚、それでも、まず、読まなくてはコトが始まりません。読むことに、ようやく飢えて来たのです。
 そんなわけでして、
 確かこの3~4年、猛烈に読書を重ねていますが、オーベルジュにいた期間、それが出来なかった。
 しかし逆に考えれば、(一度メールで触れていますが)Field-Workができて、たいへん満足してます。
 今改めて必要な「フィールドワーク」が出来るなら、3ヶ月間の読書を中断してもやぶさかでなく、むしろ読書を中断してでも「やりたかった」内容でして、差引勘定はプラスであったと判断しています。

 その点、「書くことが好きです!」と宣言したYTさんに、あらためて拍手を送ります。
 今からも、おおいに書いてください。
 また、書くこと、(あなたは)上手ですよ。たいへん面白く読んでいます。
 私で差し支えなければ、どんどん読ませていただきますから、(私が)多忙になるくらい感じるくらい、書いてみてください。

完全禁煙30日目にして、はやくも脱禁煙か?

2008-12-23 17:45:45 | 小説家・トーマス青木
 聞きました、、、。
 
 やはり自己管理が下手、意志薄弱、環境変化に弱い? そんな不良中年男が(既に初老か?)うちの執事トーマス青木君なのであります。

 あの日、午前中
  「本日を以って『完全禁煙30日目』となった!」・・
と、一人嘯(うそぶ)いていたのは、何処の誰か!?!

 でも、なんだかそれには訳があるらしい。

 な、なぬ?!

 医者の薦め?で、
「あの日の午後禁煙ガム購入し、夕刻から愛用したのが原因のひとつ・・」
分かる分かる、、、
 半端に、禁煙ガムなんて噛んでいるからタバコ吸いたくなるのよ。 口をモゴモゴさせてると、逆にタバコに手が向くか?喫煙の誘発原因になるであろうよ。
 もう1つは、
 「あの日から2日連続で、初めて出会った見知らぬ『中年男』に(急遽指導員として)仕事を教え込まなければならなくなった、云々・・」らしく、
 日夜問わずトーマス青木君の一挙手一投足をその中年男に仕込まなければならなくなった、とのこと。 たぶん、平素はフテブテシク、頭のテッペンから足の先まで神経を行き届かせている(つもりの)執事トーマス青木は、見知らぬ中年男にさり気なく、
「一流の自分を、それなりに、格好良く見せよう」・・
という意識が高揚し、禁煙30日の快挙を破ってまでも「突っ張って括弧良くダンディーそのもの!?」に(自分を相手に)見せなければならぬ事態が生じたに違いないと、(我輩は)推察する、、、。

 まぁ、トーマス君が完全禁煙3ヶ月(実際の金変?否、正真正銘の禁煙は3ヶ月、3年、それから6年間必要ということらしいが)経ったところでエッセイでもしたためてもらい、上述の事変につき細かく、ことの経緯を教えてもらいたいものだ。 ならば、エッセイ禁煙談議(仮称)の連載は、来年2月くらいから拝読可能か?・・・

PS: はぁ! あっ、そう?
 なんだか、先週金曜日12月19日に、トーマス青木君愛用の銘柄マルボロライト20本入り一箱買ってその日のうちに10本ばかり喫煙し、翌日土曜日には午前中と夕方の黄昏時に数本吸ったとのこと。翌朝日曜日には3本残っていたものを、昼までに全部吸ってしまったらしい・・・
 ?ん?・・
 そう、それから一本も吸っていないとのこと。たぶん、このまま禁煙が続くものと信じてやまない、、、。

完全禁煙30日目!?!

2008-12-19 10:45:45 | 小説家・トーマス青木
 遂にやりました、、、。

 やれば出来るものです。

 完全禁煙30日目のトーマス青木は、今、まさにタバコを吸いたくなっているのです。 なぜならば、完全禁煙といっても『禁煙パッチ』を貼り付けているのですから、ニコチン類似成分の補給は継続しているわけで、完全にタバコ中毒から脱したわけではないのであります。
 まずは、タバコを吸うという動作的習慣、タバコを吸う所作、この癖、このカタチから脱却しなければならんでしょう。 もちろん、身体に染み付いたニコチンを体から抜く事、しかもニコチン禁断症状を抑えつつ、、、。 そのために少しずつ禁煙パッチを小さくして、、、。
 等々、
  あれこれ書いていると、
    やたら煙草が欲しくなる!!!!!!!!!!・・・・・

 「こんちくしょ~ タバコ止めてたまるか!」

 「・・?・・・・」
 
 一人(一個)の人間の心の中に複数の人格が棲み分けており、片方の人格は「煙草をやめよう」としており、もう一方の人格は「タバコを吸い続けて宜しい!」という信号を出し続け、相反する信号が絡み合ってしてしまうから始末が悪いのであります。

 あれこれしているうちに亦、煙草が吸いたくなってきた。

 ブログ記事書いているとタバコがほしくなる。 今日はこの辺りでキーボードを離れ、またあらためて禁煙物語(仮称)の不連続エッセイ書きます、、、。

                    <トーマス青木>


 PS: タバコを吸い始めたのが18歳。 大学一年の夏休みからでありまして、延々40有余年の長きに渡って煙草に慣れ親しむ日常を過ごしてきたわけであるますから、大切な生活文化の一つなのであります。
 ならば、喫煙という生活文化は、ダンディズムに通じるものあり。
 これを随筆にして、後世に残しておかないと割が合わない。と、思っている今日この頃です、、、。  

田母神論文から回想される「三島由紀夫」の美学?

2008-12-13 14:50:45 | 教養・文化・歴史
 トーマス青木の盟友『ジェームス赤木君』から小論文が届いて3日になる。 一度は「書き直し」をお願いした。 その理由とは、まずもってテーマがでかすぎ、概ね時流は今流なれど、小論文の登場人物を辿っていけば半世紀もの長い架け橋が見え隠れしてくるし、政治&思想に限定の薀蓄か?と思いきや国際金融問題まで発展するからめまぐるしく、落着いて読めるしろものではなかった。 1日置いて再度メールが届き、再び論文が添付されていた。 書き直しの速さに驚いた。 生き方や政治的嗜好や思想等々、彼とトーマス青木はほぼ同一方向性と価値観を持った人種である。が、こともあろうに三島由紀夫先生を語った論文を書いてきたから驚いた。 我輩としても、未だ聖域として立ち入ってはならぬテーマが三島由紀夫割腹自殺に関連した神々しき論陣であり、さりとて耽美主義に浸りきった自己敬愛主義者として三島像は、是をアンバランスの真骨頂として我が思考回路からはみ出している。 『憂国の師』的側面は尊敬に値し、芸術家ならびに文学者としての三島は評価し切れず、未だ未解決の領域に存在する人物なのである。 正直言って下手に取り扱いたくない歴史上の人物なのである。 なのであるけれども、あろうことかジェームス君が(2度に亘り)書いてきたから掲載することにした。 ジェームス君の『本気さ加減』に動かされたが、さて、思いのたけをぶちまけて文章にし、一旦人目に晒したらどうなるか? 晒した其処には、まず責任が生ずるから、他人様の批判や攻撃を受け切れるだけの理論的根拠を踏まえた文面でなければならぬ。 その自信の程は如何か? 時に自信に満ち溢れ、時に劣等感に苛まれ、時に喩えようのないジレンマに陥り自己嫌悪の坩堝に嵌る。 口角泡を飛ばし、言いたい事を無責任に音声的言語にて発するはたやすい。が、いざ書き物にすると是がなかなか出来ない。 僅か一年間でもって、ここまで書けるようになったジェームス君の感性と能力に驚きつつ、昨日投稿『作家三島由紀夫の考察』を再び読み返してみることにする。
  (by えせだんしゃく)  

 PS:ジェームス赤木氏のこと、既にエセ男爵ブログにて掲載済み。(こちらをご参照下さい・・)

『作家三島由紀夫の考察』;前航空幕僚長田母神氏論文を読み終えて・・

2008-12-12 18:55:55 | 教養・文化・歴史
 本日、モノカキ仲間&盟友ジェームス赤木氏の「寄稿小論文」を掲載します。

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 『作家三島由紀夫の考察』

 田母神敏雄前空幕長の歴史的意義のある論文を見て、直ぐに昭和四十五年十一月二十五日の事件を思い出した。三島由紀夫氏が陸上自衛隊東部方面総監部において、革命的思想の思いを遂げられず劇的に自決した。彼の気持は判らないでもないが、生きて後世に持論を語り続けて欲しかった。変動の激しい浮世の世界で思いきり言論の自由を叫ぶことも可能であるはず。結論を出すのが早過ぎた。
 三島由紀夫氏は日本の国を憂い真剣に青年達と語り合い、戦勝国から押し付けられた日本国憲法の不備を指摘、“憲法改正”を日本国民に向けて命を賭けて訴えるが、当時は、市場経済拡大を押し進めるムードが高まりつつある時代であった。一般大衆の国民には、過去の軍国主義国家の悪夢が喧伝され、すべての人達が平和で自由な生活を享受することを求める時代だった。
 平成の今の時代であればどうであったか?貿易立国日本は輸出で稼ぎ、経済大国の道を突き走る。表面は金持ちの経済力豊かな国になった。経済力だけで世界に通用するはずは無い。稼ぎ過ぎて武力の無い国の運命は、武力を持っている外国から言われるままのカモ扱い。必要でない物を輸入し貿易バランスを維持させられる。
 単純な発想と思われても声を大にして言いたい。「頭」だけでは解決出来ない時、「話し合い」で解決出来ない時の緊急事態が発生した場合は「力」しかない。
 要は、独立国家で「武力」の無い国は存在しない。軍隊を保有せず、交戦権を持たない憲法を容認している国は日本だけだ。憲法の解釈を捻じ曲げて、テロ対策の名目で自衛隊を海外出動させている日本国政府の指導者達は、立法府の国会で“憲法改正”案を上程し、堂々と諸外国からの脅威を排除し、日本国民の命と財産を守る自衛軍としての軍隊の保有と、国防のための交戦権を与えることを明確に決議することが喫近の課題と思う。
 近い将来、島国日本はロシア、中国、韓国、台湾等とそれぞれの島の絡んだ領有権の問題と“核”を保有しているらしい同胞誘拐容疑の北朝鮮で紛争が起きる可能性が大と考える。周辺諸国からの侵略に対する有事の備えが重要だ。
 日米安保条約を締結し、依存ばかりしているアメリカとの協調関係も大切であるが、従属させられることはない。彼等には基地を提供し、膨大な維持費(防衛予算)を与え、逆に養っている現状がある。割高の用心棒代を気前よく支払う日本政府がいる。「平和」を維持する代償は、国民への負担(増税)と軽く考える“国民の公僕”がいる。
 国家反逆罪にも問われず、都合のいい司法で守られている政治屋と高級官僚達にモラルは無い。いつかは、三島由紀夫氏の“心”を思い“責任”を感じて欲しい。
日本人同士が争いをしている暇は無い。お互いが助け合い一致団結出来る国民、それは単一民族の日本人だ。

                         (著・ジェームス赤木)

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(編集後記 by baron_ese) トーマス青木の盟友『ジェームス赤木君』から小論文が届いて2日になる。 一度は「書き直し」をお願いした。 2晩於いて本日午後、再度メールが届き、再び論文が添付されていた。 僅か一年間でもって、ここまで書けるようになったジェームス君の感性と能力に驚きつつ、本日投稿『作家三島由紀夫の考察』を再び読み返してみることにする。
  (by えせだんしゃく)  

 PS:ジェームス赤木氏のこと、既にエセ男爵ブログにて掲載済み。(こちらをご参照下さい・・)

前防衛省航空幕僚長空将・田母神敏雄氏論文のこと(3)

2008-12-11 12:45:15 | 教養・文化・歴史
 まずは今一度、田母神氏論文(3段目)を再読願いたい。(先回投稿記事はこちらから入れます)
        
     --------------------------------------------

 《参 照》
(以下、田母神氏論文引用;第3段)

 一九二八年の張作霖列車爆破事件も関東軍の仕業であると長い間言われてきたが、近年ではソ連情報機関の資料が発掘され、少なくとも日本軍がやったとは断定できなくなった。「マオ(誰も知らなかった毛沢東)(ユン・チュアン、講談社)」、「黄文雄の大東亜戦争肯定論」(黄文雄、ワック出版)」及び「日本よ「歴史力を磨け」(櫻井よしこ編、文芸春秋)」などによると、最近ではコミンテルンの仕業という説が極めて有力になってきている。日中戦争の開始直前の一九三七年七月七日の盧溝橋事件についても、これまで日本の中国侵略の証みたいに言われてきた。しかし今では、東京裁判の最中に 中国共産党の劉少奇が西側の記者との記者会見で「盧溝橋の仕掛け人は中国共産党で、現地指揮官はこの俺だった」と証言していたことがわかっている「大東亜解放戦争(岩間弘、岩間書店)」。もし日本が侵略国家であったというならば、当時の列強といわれる国で侵略国家でなかった国はどこかと問いたい。よその国がやったから日本もやっていいということにはならないが、日本だけが侵略国家だといわれる筋合いもない。③
 
                     (抜粋引用・終り・・)

   ------------------------------------------

 要は、 第3段あたりから「シナ事変勃発」の頃に触れられており、関連書籍の紹介を丹念になさっておられる。 田母神氏をして張作霖事件の真犯人追求や盧溝橋事件発端の真相などの追求に血道を上げておられるか? 否、歴史という大きな重箱の隅を突いておられるのではなく、当時のシナ大陸におけるシナ軍閥跋扈の渦中に列強始め日本も巻き込まれたか、そんなシナ大陸を舞台とした我国近代歴史の有り体を書き連ねられたか。 こうしてシナ大陸史の1ページは、20世紀初頭の当時も、紀元前後の時代背景を小説化した『三国志の時代』とさほど変わらず混沌且つ曖昧模糊としているのであって、21世紀を迎えた中華人民共和国の今もさほど変わらないから馬鹿げているし面白い。 且つ、20世紀初頭の欧米列強等に次ぐ日本のシナ大陸進出はあくまでも経済進出が基本であって武力侵略ではない(と言う)事を(田母神氏は)表現なさりたいのであろう。と、我輩は解釈する。
 ならばならば、なおさらのこと、
 (残念ながら)書いて頂きたくなかったセンテンスがあるので指摘しておきたい。

>もし日本が侵略国家であったというならば、当時の列強といわれる国で侵略国家でなかった国はどこかと問いたい。よその国がやったから日本もやっていいということにはならないが、日本だけが侵略国家だといわれる筋合いもない。③

 論文第3段目の最後の締めくくりをなさったおつもりのこの文章は、むしろ藪蛇であり蛇足である。
 正直すぎる。
 「武官は正直でなければならん」し、「外交官は嘘吐きでなければならん」と、思うが、如何なものか。
 かくして、あくまでも『日本陸軍はシナ大陸を侵略をしていない』で貫き通さねばならん『あるべき論立て』のところを、19世紀的欧米列強によるアジア植民地支配の歴史事実に準えて、日本がシナ大陸で執った行動を列強の侵略行為と比較して「軽かった?小さかった?軽度だった!」などとほざく必要はない。 この辺り、田母神氏の「武人らしさ」かもしれず、左よりの理屈屋からすると突っ込まれる原因になったか。 上述のセンテンスは、削除しても論文の大意には何ら差し支えのないものである。 が、『要らぬお世話!』と、著者からお叱りを受けそうだ、、、。

 さて、田母神氏引用紹介の著作、あらためて拙ブログに於いて以下紹介しておきたい。
 

マオ―誰も知らなかった毛沢東 上
ユン チアン,J・ハリデイ
講談社

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 * 上下巻(2冊)にまたがる力作だ。そうとうなボリュームの著作。 さっそく(正月かけて)通読してみたい。



日本よ、「歴史力」を磨け―「現代史」の呪縛を解く

文藝春秋

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 * 我が敬愛する櫻井よしこ女史による「近現代日本史、勉学の薦め」であるぞ。 我輩は完読済み!



黄文雄の大東亜戦争肯定論
黄 文雄
ワック

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 * 黄文雄氏による日本国賞賛論。明治維新以降の日本の歴史における善意の切り口がうかがえる。 日本人が書いていないところが「この一冊の魅力」か。



 いすれにしても、歴史の解釈は多岐にわたる。
 解釈によってその国の歴史は大きく変わり後世に伝えられる。 だからこそ今、我々は我々の眼で日本の近代史を読み返さなければならない時だと痛感する。 多くを読み、書いてあることの裏を読み、異なる角度から分析し、自分なりの歴史解釈をしていけば良い。と、考える。 何度も言うけれど、田母神氏論文問題が「我国近代史再考」の切っ掛けとなり、今尚拘束され続けている東京裁判の呪縛から日本人を解き放ち、GHQ昭和憲法の軟弱性を見出して新たな平成憲法制定に結びつく「引き金(Trigger)」にならんことを願って止まない。



                 <・続く・・>

前防衛省航空幕僚長空将・田母神敏雄氏論文のこと(2)

2008-12-09 10:55:30 | 教養・文化・歴史
  田母神論の文全文を読み終え、最初の感想がある。

 一言でいえば、論文として書かれた内容はいとも平易。 田母神氏はこの論文の中で粛々淡々と近代現代日本の歴史を述べておられるだけであって、何ら(当時)現職軍人のトップの立場に支障をきたすであろう内容は、この論文から一言一句も伺えない。

 だから、何も目くじら立てて日本全国TV放送ではやし立てたり、防衛大臣が見解を求められたり、国会の予算委員会で田母神氏ご本人を引っ張り出してまで証人喚問的質疑応答をやったりする必要性は全くない。 それほどまでにしなければならぬ現代日本の常識が非常識であって、ここまでくれば異常と思えるほど日本人社会の社会常識が幼児化したか、自分の国の歴史認識を忘却したとしか思えない『報道世界』及び『政治屋世界』の慌てぶりは、この田母神氏論文から出たものであった。
 この論文が問題として取り上げられて数週間、またまた日本人の幼稚さ加減が露呈した。 一度も論文に目を通していない(であろう)TVコメンテーターや、左翼系野党議員や与党自民党議員でさえ、この論文騒ぎに参加し、ひと悶着言わないと非常識人であると勘違いしたようだが、どっこい、そうはいかない。

 一億総日本人に目を覚ましていただきたい。

 しっかりと目を覚まし、自分の国家日本の近代史に目を通して欲しい。 そして今あらためて、田母神氏の論文に書かれている昭和史のいろはを学ぼうではないか!

 論文を読み砕いてみる。
 まずは時の政府(村山内閣を云う!)を挙げていとも簡単に『侵略国家日本』といいながら(何処かを侵略したと認めて周辺地域に詫びながら)、さて、侵略というコトバの意味は何か? 日本の世の中、侵略というコトバが解っていない。 まずは、『侵略の定義』をやっておられる。
 日米安全保障条約に基づき日本に駐留している米軍を『侵略軍』とは称さず、その軍隊を送り込んでいるアメリカ合衆国を『侵略国家』だと思っている日本人は誰もいない。 田母神氏は、この切り口から論文を書き始めておられる。 したがって「第①節」(拙ブログにて節①を設置し以後同類を使用す) さらに第②節に続く。 「第②節」はシナ事変当時の日本軍部とシナ大陸における蒋介石軍の日本軍に対する『テロ攻撃』の行為と、現在日本に駐留している米軍とを比較され理論構築されているから、解り易い。
 しかし、この第②節目こそ、我々日本人が歴史の教科書から抹殺されて久しい「シナ事変」(日中戦争)の歴史的事実が記されてあり、あらためてシナ大陸における日本政府の動きと当時のシナ大陸の為政者であった蒋介石及び毛沢東をめぐる政治的駆け引き、さらに田母神氏は、コミンテルンを背景に思想的な謀略がその時代を動かしていたことを述べられ解説されておられるに過ぎない。
 さて、
 田母神氏的歴史の史実認識が正しいかどうか?
 その認識とは、当時の日本軍がシナ大陸を侵略したかどうかについてではなく、当時のシナ大陸為政者権力者たちと日本軍の武力衝突の原因解明と状況掌握さらに結果について分析し、史実として、これを解明しなければならない。が、それは不可能に近いくらい難しい。 幸いにも、かの東京裁判資料が今も残っているはずであり、その資料を紐解けばおぼろげながらの答えは見つかるはずだ。 ご承知の通り、東京裁判は勝者が敗者を裁いた歴史上最も不当な国際的裁判であり、不公平に非人道的に日本の立場を裁いた結果に現在の日本国が存在し、そのために集約された資料の中には歴史の事実も収録されているはず。 不公平に収録された記録から、敢て、19世紀的欧米列強の狭間に在って国の存続を賭けた我国日本の辿った苦渋の政治的決断の数々を、昭和の近代史として、歴史的事実として捉え、詳細整理しなければならんと考える。 さらにGHQ編纂なる現行日本国憲法を改正しあらためて平成憲法制定に至るべし、、。と、田母神氏論文通読後の総括的感想としたい。

     <・続く・・

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《参考資料》

 以下、『田母神氏論文より引用』した前半約1/5を切り取り、<その1>と題す。

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『日本は侵略国家であったのか』

 著: 前防衛省航空幕僚長空将 田母神敏雄

<その1>
 アメリカ合衆国軍隊は日米安全保障条約により日本国内に駐留している。これをアメリカによる日本侵略とは言わない。二国間で合意された条約に基づいているからである。我が国は戦前中国大陸や朝鮮半島を侵略したと言われているが、実は日本軍のこれらの国に対する駐留も条約に基づいたものであることは以外に知られていない。日本は十九世紀の後半以降、朝鮮半島や中国大陸に軍を進めることになるが相手国の了承を得ないで一方的に軍を進めたことはない。現在の中国政府から「日本の侵略」を執拗に追及されるが、我が国は日清戦争・日露戦争などによって国際法上合理的に中国大陸に権益を得て、これを守るために条約等に基づいて軍を配備したのである。これに対し、圧力をかけて条約を無理矢理締結させたのだから条約そのものが無効だという人もいるが、今も昔も多少の圧力を伴わない条約など存在したことがない。①

 この日本軍に対し蒋介石国民党は頻繁にテロ行為を繰り返す。邦人に対する大規模な暴行、惨殺事件も繰り返し発生する。これは現在日本に存在する米軍の横田基地や横須賀基地などに自衛隊が攻撃を仕掛け、米国軍人やその家族などを暴行、惨殺するようなものであり、とても容認できるものではない。これに対し日本政府は辛抱強く和平を追求するが、その都度蒋介石に裏切られるのである。実は蒋介石はコミンテルンに動かされていた。一九三六年の第二次国共合作によりコミンテルンの手先である毛沢東共産党のゲリラが国民党内に多数入り込んでいた。コミンテルンの目的は日本軍と国民党を戦わせ、両者を疲弊させ、最終的に毛沢東共産党に中国大陸を支配させることであった。我が国は国民党の度重なる挑発についに我慢しきなくなって一九三七年八月十五日、日本の近衛文麿内閣は「支那軍の暴戻(乱暴で道理がない)を膺徴おうちょう(こらしめる)を以って南京政府の反省を促す為、今や断乎たる措置をとる」と言う声明を発表した。我が国は蒋介石により日中戦争に引きずり込まれた被害者なのである。②

「カスタムレイアウト」テンプレート 移行・・?

2008-12-07 17:45:45 | Weblog
つい3日前、不意に! いや、不覚にも?

   ?!?・・・

4年間も愛用し続けてきた「絵葉書テンプレート」額縁の造作が変わってしまったから面白くない。

 じつに、じつに、前のほうが使い勝手が好かったし、センスも良かった。

>「カスタムレイアウト」テンプレート 移行期間中です・・・

のんびりしているgooブログも、ひそかに頑張っているのだ。

べつにカスタムを求めていたわけではないのですが『変わってしまったこと』の報告です、、、。