Cafe & Magazine 「旅遊亭」 of エセ男爵

志すは21世紀的ドンキホーテ?
はたまた車寅次郎先生を師に地球を迷走?
気儘な旅人の「三文オペラ」創作ノート

'07.的?「鈴蘭観察記」 (2/3)

2007-04-29 15:54:28 | つれずれ紀行
<添付画像>我家の庭に住みついた「スズラン」
撮影日時:平成19年4月29日・正午過ぎ、 
天 候:朝から、あっぱれの「快晴」
撮影後記:全く芸の無いハイライト撮影なれど、左隣のどんぐりの木の葉に遮られ、陰影できる・・





        「・・・・・」




年間を通じてみれば、こういう非日常的(いつもと違った)エセ男爵記事、たまには在っても良いか・・・







 「・・・!」


 前回撮影の4月25日からおおよそ1週間になる、、、。


 この時期、今年のスズランの花は、七分咲きといったところか?







 「・・・・」


 このところ多くを語りたくない「エセ男爵」ブログ・・・


           合いも変わらず叙情的詩歌俳諧の素養なき「エセ男爵」・・ 

    珍しくも可笑しくも無情にも、僅か6行にて記事を終了する、、、。



 <・続く(あともう1回)・・>



PS: 前回投稿「07的鈴蘭観察記(1/3)」ご報告でのの「咲き具合」は、こちらからご参照いただけます。

'07.的?「鈴蘭観察記」 (1/3)

2007-04-25 11:58:15 | つれずれ紀行
<添付画像>:我家に自生する「すずらん」・・
撮影年月日:平成19年4月25日、午前8時45分頃・・



 ところで昨年の事、(昨日ではありませんぞ!)

 平成18年4月16日を初日として、我家の庭の片隅に露地自生する「鈴蘭観察報告」と称し、古代ローマ将兵によるローマ凱旋時に吹き鳴らす、複数トランペット(かの時代、トランッペットなる楽器は発明されておらず!?)か? はたまた集団的ホルン!(角笛的金属製ホルンは存在したはず)の如く、高らかに大袈裟に、3回連載してしまった・・・

 一年前も前に掲載してしまったら、いかなる野暮天記事と雖(iedo)も、不肖エセ男爵ブログの歴史として、これは残る。

 書きしるした歴史は、時間が立てばたつほど骨董的価値を増幅するから、面白い。

 まるで、古代遺跡から出土する「茶碗のカケラ」をいかにも価値ありげに、もてはやす様なものか。 古代に乞食か低俗レベルの輩殻の使用していた只の100円ショップ的低き価値の茶碗でも、世紀的時間を経(he)れば「骨董品」扱いになるから、そこが人間の馬鹿さ加減にて、面白い。

 だから、歴史とは?
 
 他愛(taai)もない!

 歴史考察なんぞ、単なる非常識的日常の繰返しの事柄よ・・・

 すなわち、日々の経過を積み上げた単なる継続の記述から端を発した非科学的なる学問か? そんな非科学的学問研究に対し、いまだ憧れ見聞したくなる悪癖を持つ「エセ男爵的・こころ」なのである。

 そう、いくらバカバカしき行為といえども、続ければ「何某のカタチ」になり、論文的価値を持つに至るから、学問というものは単純であり、それを続けル馬鹿者を「学者馬鹿」というから、面白い。

 しかし、
       「継続は、ちから」なり。。。

 そう、かれこれ丸4年目!+2ヶ月間に突入する不肖ブログ≒「エセ男爵酔狂記」と致しましては、年次にまたがる記事掲載、在って良し? ならば、今年も少し我家の庭の片隅露地に定住して久しい「スズラン」の発育状況をご報告しなければ! と、思い立つ。 このところ9時近くまで眠っている我輩のテイタラクなる毎日的時間割振りにもかかわらず、今朝は珍しく早起き(7時半過ぎ)してしまったものだから久しぶりに馬鹿著ンデジカメを携え庭先に出て、撮影した。

 昨夜から振り続いていた雨は、辛うじて上がっており、去れど庭先の土はしっかりと水分含み、ご覧のとおり「すずらんの葉」には、わずかに光り反射する水滴の粒々をご確認いただけるであろう。

 昨年も申したとおり、5月連休にかけてほぼ満開になる「スズランの花」は、なぜか今年は早めに蕾み付け、すでに花として、カタチ相整っているものも見受けられる。

 「しまった・・・」

 そうなのです。

 スズランの茎の芽吹き始めたのは、かれこれ10日くらい前からであった。

 その時、一枚撮影して於けばよかった!

 育成観察には、芽吹く前の状態から芽吹いた時の状況までの連続性あって「自然科学的観察」なるもの成立する。 そういう意味ではいささか手遅れであるけれど、その手遅れを補う資料として、昨年の画像(平成18年4月16日の掲載記事)をご参照の上、見比べて頂ければ光栄です、、、。


 てな事でして、昨年と同じく、かくなる野暮天風「植物観察記事」をして当世流行的グリーンツーリズム的?且つ歴史的学問風?なる風格!を醸し出し?たく、5月連休がらみの連載記事に致します。


(いいわけ的追記): ま、本来ならば真面目に「やまとミュッセ」連載記事を書き続けねばならぬ所、若干の手抜きしているわけでありまして、軍事的歴史考察を書き連ねるは、極限なる精神的集中力を要するものにて、寝惚けた頭脳をレッドゾーン寸前までに過酷的回転必要とするもの、、、。 時として興乗らず、アイドリング状態を保ちたく自己内面興ざめの最中にて、今しばらくご猶予願いたいのであります、、、。

・続く・・> (4月29日投稿済み)




 <注>:
    平成18年4月16日記事・こちらから入れます・・
    平成18年4月22日記事・こちらから入れます・・
 

 

32nd America's Cup,,,

2007-04-20 22:15:35 | 研究:「ダンディズム」
The Photo from AC Magazine 32.(マガジン「アメリカズカップ32」より、引用掲載)


 先日4月4日記事投稿のあと、そろそろ手仕舞いなのか?
と、思いきや、
       なんと!
             まだ、レースは延々と続いているではないか!

 サッカーのルールよりもさらによく解らない「アメリカズカップ」の競技方法、且つこの大会のレースのスケジュール、、、。

 まして、競技期間の長さと粘っこさには恐れ入った・・・

 ようするに、今年の7月一杯まで、第32回アメリカズカップの優勝にむけ、各国参加ティーム(挑戦ティーム)はトーナメント方式にて競い合うのである。 挑戦ティームのトップと、前回優勝ティームのスイスティームは、ファイナルレースにて勝者を決める。つまり、優勝決定戦に向け、いまだに地球規模的イヴェントは続いているのである。

 また、ホームページには、第32回ヴァレンシア大会に至るまでの「アメリカズカップ」の小史まで案内されているから、我輩のような素人にはうれしくて、そして、ありがたい、、、。 
"Back where we started,,,
 そして、なぜ?32回大会の開催会場がスペインのヴァレンシアになったか?!31回大会で何が起きたか? 優勝ティームのスイスによって「開催会場」決定権が決まり、スイスティームの指定によってヴァレンシアになった、その経緯など、公式ホームページにて紹介されているから抜粋しておく。

On the 2nd of March, 2003, Team Alinghi made history by defeating Team New Zealand to win the America's Cup, and bring the Auld Mug to Europe for the first time in 152-years.

 という、いきさつ、
詳細は America's Cup 32. のホームページを開いていただきたい。
Alinghi wins the 31st America's Cup


 <上記載画像>は、31回大会にてスイスティームの優勝カップを手にした瞬間、、、。

AC Management is created to run the 32nd America's Cup,,,

On the 3rd of March, 2003, Team Alinghi announced the creation of AC Management, a new company established in The Protocol as the event authority for the 32nd America's Cup.


<添付画像>:今大会に於けるスイスの Team Alinghi、、、
   クルー! 一丸となっての、
       美事なティームワークにて帆走する、「雄姿」・・


 そして、
 なぜ、ヴァレンシアがホスト・シティー(開催都市)に選ばれたか、下記HPをご参照いただきたい。
Valencia is selected as the Host City

(以下、さわりの部分、記されている。)
Announcement DayAfter overseeing a rigorous selection process, on the 26th November, 2003, AC Management revealed Valencia, Spain as the Host City of the 32nd America's Cup. Among many other reasons, Valencia is chosen for its reliable weather patterns, which will help ensure racing starts on time. The city has plans to transform the commercial port area into a dedicated race village, and its central location on the Mediterranean means the racing is within easy reach of over 300-million Europeans.

 優勝ティームは、スイスの「Alinghi(アリンギorエリンギ;正確な発音、わからない)ティーム」を見守るには、この度一番の観戦者多きヨーロッパ大陸に近い地中海を選んだとしている。 この文面からは、優勝ティームの意向は表記されていないけれど、、、。

 大会パートナーは、天下の「ルイヴィトン」になったこと、以下、経緯云々、さわりの部分のみ記してある。
"Partners support the 32nd America's Cup"
On the 26th November, 2003, Louis Vuitton was revealed as the Principal Partner for the 32nd America's Cup. Continuing a long history of support for sailing's most prestigious event, the partnership agreement with Louis Vuitton was an important milestone for the Cup. Louis Vuitton was quickly joined by official partners Endesa, Grupo Santander and Alcatel as well as supporters Nespresso, Dockwise, Adecco and Ford.

 どのみち、優勝ティームが開催地決定権を持つ。 今どきの、きな臭い金権ばら撒き的且つアンダーグラウンド的な決定要因を含み捲くった「オリンピック誘致合戦」など、アメリカズカップの場合は今のところなさそうであるが、もっと頼もしい名誉と莫大な資金も動いている事は確かである。 また、次回の34回大会開催都市決定方法は、少し変化する可能性も出てきたようだ。

 しかし、確かなことは「優勝ティーム」の勝ち取る崇高な栄誉と、途方もない資金であろう。

 さて、
 以下、本日までの順位表を転載しておく、、、。
そして、表に記載されている数字文字の手引きを掲載しておきます。
A.順位
B.獲得ポイント数
C.参加ティームの国名
(Three Letter Code にて表記。例えば日本の場合JPNとなる。スリーレターコードの翻訳は前回掲載記事をご参照願います)
D.その次の数字がわからない。調べておきます。
E.参加ティームの名称

      ------------------------------------

Ranking (ランキング・A.C.公式ホームページより・・)

1 (4pt) NZL 92 Emirates Team New Zealand
2 (3pt) USA 98 BMW ORACLE Racing
2 (3pt) ITA 94 Luna Rossa Challenge
2 (3pt) ESP 97 Desafio Espanol 2007
5 (2pt) ITA 99 Mascalzone Latino - Capitalia Team
5 (2pt) SWE 96 Victory Challenge
5 (2pt) RSA 83 Team Shosholoza
5 (2pt) ITA 85 +39 Challenge
9 (1pt) FRA 93 Areva Challenge
9 (1pt) GER 89 United Internet Team Germany
9 (1pt) CHN 95 China Team

 さて、優勝決定戦に向け、もう3ヶ月近く楽しめる。
 しかし、残念ながら我国に於けるTV放映はない。 レースバトルの静止画像は見れても、動きは見れない。 ヨットレースは激烈な海のバトルにて、多くの艇の帆やマストはしばしば破れたり折れたり、、、。 艇の帆走のための「よい風」を掴むがためにグッドウインドのスポットに填まるべく先を競い、競うが為に、時に、艇と艇はぶつかり合い、まるで帆船時代の海賊か軍艦のような「海上の戦い」を展開する。 
 最新鋭且つ万全の技術力で「高速ヨット」を建造し、幾多の経験と感により風を読み、磨きぬかれた操船技術にて帆走し、相手のヨットと競い合い、いずれか一艇のみ勝利する!・・・

 ゥムム、、、

 レース展開を想像しただけで、鼓動高鳴り背筋に電流が入るか・・・

 その動き、せめて動画で観たいものだ・・・


  そして、
       繰り返し言及する、、、。

    我輩の尺度を以ってして、America's Cup に参加したティームそのもの、且つ、参加ティーム同士のルールに則ったレース中のバトル展開こそ、類い稀なるダンディズムの極致である、、、。 


 (・終・・) <またアメリカズカップ記事、書くかも知れない・・>


Louis Vuitton Cup - Ranking ルイヴィトンカップ・ランキング(こちらから入れます)

<追記>:4月5日掲載の関連記事「ついに佳境に入るか・・」云々は、こちらから入れます。

広報記事:『Cafe&Magazine旅遊亭』のこと・・

2007-04-17 01:55:10 | つれずれ紀行
<添付画像>:ご存知「日本三景」の一つ、世界遺産「厳島神社」の大鳥居
撮影日時:平成19年3月下旬の夕刻
撮影場所:宮島にて



 平成19年3月吉日、よく晴れた朝、不肖・執事のThomasを編集長とし、 明るく軽快にオープンした「Cafe&Magazine旅遊亭」を再度ご紹介したい!

 事の発端は単純です。

 人生の大半は、ほとんど「郷里」にいつかない生活を続け今日に至りましたところ、今頃になって「郷土の探訪」をしてみたくなったのであります。 当面は「世界遺産」の宮島から情報発信からはじめています。 焦らず、少しずつ、半径を広げたく考えています。


 添付画像は、ご存知「厳島神社の大鳥居」。

 ちょうど大鳥居に、逆光線差し込む地球自転なる時間との戦い? 夕暮れ時のシャッターチャンスに恵まれた、自己満足的「快心のショット」をご披露してみました・・・
  カフェ&マガジン旅遊亭の、カテゴリー「みやじま大鳥居100景色」にて「その瞬間」の感想を述べていますので、是非ご一読下さい。

 

 話題を戻し、
 タイトルは「Cafe&Magazine旅遊亭」と称し、お洒落な大人の集う「ヴァーチャル空間」を想像創造し、寛げる情報交換の可能な「4次元的スペース」を目指したいのです。 できれば記事の共同著作等のコラボレーションにも取り組みたく、ブログで知り得た「なかま」のヴァーチャル的広場になれば幸いです。

 まだ、始めたばかりのブログ、、、。 記事投稿少ないけれど、お勧めのカテゴリーをご紹介しておきます。 エセ男爵の読者諸兄姉におかれましては、ご叱責を始め、ご意見・ご感想、ご提案など頂ければ、まことに光栄であります。
 
 是非一度、『Cafe & Magazine 旅遊亭』にお越し下さるよう、エセ男爵ブログ記事にてご紹介です。

 ブログ「エセ男爵」共々、今後ともどうぞ宜しくお願い申上げます。



PS: お勧めカテゴリーのご案内です。

   宮島「大鳥居100景」
   
   第7回『みやじま雛めぐり』

   宮島四季歳々

やまとミュージアム初見学雑記(2)

2007-04-15 00:05:15 | 趣味の話&本と雑学メモ
<画像>:戦艦大和の模型・呉市海事歴史科学館(大和ミュージアム)展示場より・・

 ?! 何と?


 添付の戦艦大和巨大模型は、縮尺10分の1ですと?




 28mm広角レンズで撮影しても、この巨大模型全体を「画像に収める」には難しい、、、。 

 さすがに「プラモデル大好き人種」! 日本人の為せる業か?

 本当によくできた模型である。

 よく作られた「模型」であるけれど、これを博物館入り口右手の大広間に展示してあるとは! この大広間はたぶんメイン展示会場のはず。 ならば、どうも納得できない・・・

 下記添付画像(ウイキペディアス百科事典より引用転載)と上記画像、見比べていただきたい。下記掲載写真は、まさしく現代の「石川島播磨重工呉造船所」のドッグと同じ位置、写真画像上部やや右手に見える貨物船のさらに右手辺りは、現在の「やまとミュージアム」の位置にて、JR呉駅付近か。


<写真引用>:)呉海軍工廠で建造中の大和(1941年9月20日)
 
 呉海軍工廠にて建造された「戦艦大和」、大枠の工事終了ののち、つまり進水式の終わった後の艤装工事中の画像と見る。

 撮影に使用されたレンズは、たぶん50mm標準レンズか。 それにしても、たまたま見学当時に撮影した大和模型の構図と、上記転載した実物実写画像の撮影角度はよく似ているから、不思議である。



 建造されて直ちに日本海軍最新鋭現役戦艦として軍籍に入った後、しばしば軍装備改装の工事されたと云われ、就役当時(上記掲載写真)は左舷右舷甲板中央部に副砲一基ずつ合計2基あった。 しかし、やまとミュージアム展示の模型に左舷右舷中央部の副砲を撤去し対空砲火に置き換えた、改装後の大和モデルか。戦艦大和の竣工就役当時、かくなる大艦巨砲主義はすでに時代遅れにて世界一を誇る46サンチ砲搭載の大戦艦といえども時はすでに遅し、海戦も航空機動部隊による航空戦時代の一歩寸前であった。かくして、いち早く対航空戦の必然性あって高射砲及び高角機関砲などハリネズミの如く装備された。

 そして、この模型こそ「戦艦大和」の最終段階「艤装」された実物に近い「モデル」であること、理解できる。

 「・・・!」

 だから、そこで話題戻し、模型としては立派ですが、、、

             「・・・?」

 先ほどまで戦艦陸奥の40サンチ主砲の原物を見学した後、『ブラモデル的ヤマト模型』を見るのは、まことに興醒め? 

                ・・・あまり面白くない。

 云いかえれば、現実味がなさ過ぎて「模型の大きさ」のみを自慢する「幼稚な表現方法」か。 この博物館のオープンされてのち、ほとんどの見学者が「この大きな模型」に感動しているらしいけれど、あくまでも模型は模型である。

 あまり感動しない! 面白くもなく可笑しくもない・・・

 「戦艦大和の巨大模型」をみても喜ばない喜べない感動しない我輩は、ひねくれ者なのか?・・・

 そう、子供は別にて「対象外」!

 おおいに喜べ! 喜ぶべし、喜んでよし!!

 しかし、いくら大きい戦艦大和模型といえども、たかが模型を見て喜ぶ我国成人男子在るは、如何なものか? 漫画を見て喜んでいる、TVの馬鹿騒ぎ番組をノー天気で見て喜んでいる? それと同等と考えるが如何?

 つまり、日本人成人男子並びに中高年野郎どもの不甲斐なさ幼稚さに、あらためて異を唱えたい。

 てなことで、
 まずは「やまとミュージアム」初入館の第一印象、模型の「馬鹿でかさ」にそこはかとない空しさを感じる・・・



  <・続く・・>


<注>: やまとミュージアム初見学雑記(1)は、こちらから入れます。


<参考URL>:

(1) 呉市海事歴史科学館(大和ミュージアム)〒737-0029広島県呉市宝町5-20 TEL0823-25-3017 FAX0823-23-7400
(2)ウイキペディア百科事典「戦艦大和」は、こちらから入れます。

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(参考資料)
呉市海事歴史科学館(大和ミュージアム)の「コンセプト」を下記に抜粋掲載する。


A. 博物館建設の趣旨

 呉市は,明治22年に呉鎮守府,明治36年には呉海軍工廠が設置され,戦前においては,戦艦「大和」を建造した東洋一の軍港,日本一の海軍工廠のまちとして栄え,また,戦後においては,戦前から培われてきた技術が新しい技術と結びつき,世界最大のタンカーを数多く建造するなど,我が国が戦後約10年ほどで世界一の造船国へ発展する一翼を担い,有数の臨海工業都市として発展し,地域の産業発展のみならず,日本の近代化に大きく貢献してきました。呉市海事歴史科学館(愛称:大和ミュージアム)は,明治以降の日本の近代化の歴史そのものである「呉の歴史」と,その近代化の礎となった造船,製鋼を始めとした各種の「科学技術」を,先人の努力や当時の生活・文化に触れながら紹介し,我が国の歴史と平和の大切さを認識していただくとともに,科学技術創造立国を目指す日本の将来を担う子ども達に科学技術のすばらしさを理解していただき,未来に夢と希望を抱いていただくことのできる「呉らしい博物館」とすることにより,地域の教育,文化及び観光等に大きく寄与することを目的とします。

● 博物館の基本方針
1. 造船技術等を通し,呉の歴史を後世に伝えます。(歴史的見地)
2. 呉が過去から深くかかわってきた科学技術を 新しい時代に生かします。(学術的見地)
3. 市民が生涯学習を実践していくための環境整備を行います。  (教育的見地)
4. 周辺施設と調和を図り,人々が集う施設とします。(まちづくり的見地)

● 博物館の方向性
1. 地域と一体となった博物館
2. 呉の歴史がわかる博物館
3. 科学技術の素晴らしさ・科学の原理のわかる博物館
4. 市民の自発的な学習を支援する博物館
5. 人が集まり情報を受・発信する博物館
6. 楽しむ場となる博物館

    ---------------------------------------------------------

B. 大和ひろば Yamato Hiroba

全長26.3メートルもある10分の1戦艦「大和」は,設計図や写真、潜水調査水中映像などをもとに,可能な限り詳細に再現しました。この10分の1戦艦「大和」は大和ミュージアムのシンボルとして平和の大切さと科学技術のすばらしさを後世に語り継いでいます。


 (以上、大和ミュージアム公式HPより、引き抜き引用掲載する・・) 

やまとミュージアム初見学雑記 (1);「輝く海軍写真帖」に寄せて・・・

2007-04-11 17:25:35 | 趣味の話&本と雑学メモ
<添付画像>:
撮影場所:広島県呉市「やまとミュージアム」の正面入り口
撮影日時:平成19年3月、中旬
天候:真冬に逆戻りしたかのごとく、春遠い冬型の曇天・・
撮影機材:CONTAX GI / Lens: Carl Ziss, Biogon2,8 28mm / Film: by Kodak,ISO400, to CDR-Cpoy,,,

* 「やまとミュージアム見学」の記事連載は、先に掲載した「拝啓 ますらお さま」・・に寄せ、tonoゴジラさまよりご寄贈頂いた「輝く海軍写真帖」に触発され、記事投稿に至るものである、、、。
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 今年3月中旬のこと、鉛色に曇った冬型気候的なる朝にもかかわらず、晴れやかな気分にて、いつもより早く起床する。前日より見学予定していた「やまとミュージアム」に行く。

 な、なるほど! たしかに変わった・・・

 JR呉駅構内はこざっぱりと建替えられ、呉駅前の様相は一変し近代化されているではないか! 海運業者関係の事務所や倉庫しかなかったはずの駅裏南側には、何と大型小売店舗も併設されているではないか、、、。想えば、かれこれ20年以上も呉駅界隈に所用なかった我輩の四半世紀を回想し始めるから面白い。まるで、浦島太郎丸出しであり、かくなる「呉駅周辺の風景」は、時代錯誤甚だしき我輩の目には「異形」としか写らない、、、。
 
 JR呉駅改札口から一旦は、正面出口に迷い出でる。

 あれこれ市街案内地図を見ていたら、地元の親切なオジサンは一人、躊躇する我輩に話しかけられ、ご親切にも「やまとミュージアム」への道順且つ方角を案内して下さった。
 「かくなる我輩は、広島人ぞ!」
 (その昔、呉にはよく来たものだ! でも今現在、我輩の躊躇振り不案内振りを地元の人たちからご覧になれば、呉市内はおろか県外の人間に見えるかも?・・・)
 たぶん、我輩の姿は、いかにも県外より呉市訪問した如く、「にわか観光客」にも見間違う立ち居振る舞い、その中年紳士は、いかにもそんな我輩のたどたどしき一挙手一投足を垣間見られた後、哀れに思われたに違いない、、、。
 ま、それほど多くの人々訪れる呉市になったは、「やまとミュージアム」のおかげか?・・・

 いかにも変わり果てた呉市異形(イギョウ)の一部、呉駅ビルに隣接の大型店舗を通り抜け、駅裏に出でてみれば、何と呉湾内の海岸の一部であった所は埋め立地に様変わりしている。 そこに「やまとミュージアム」と称する立派な博物館は新造されているのだ。
 さっそくミュージアムの正面入り口を撮影する。

 !?! 視界の右手に入る巨大鉄棒あり、、、。
 鉄棒は、何と! 戦艦陸奥(to Wikipedia,,,)の主砲ではないか!



 一刻も早く、目的の「やまとミュージアム」に入館するはず・・・!

 しかし今、それどころではない・・・

 しかと我輩自身の裸目にて、「戦艦陸奥の40サンチ主砲」の現物を、近く傍によって確かめなくてはならぬ、、、。

 画像では掴みきれぬけれど、上記画像に収めた一見「巨大鉄パイプ」の管の穴は、直径40cm であるか?!

 「ムム、直径40センチの弾丸を発射させるには、これだけ巨大な「鋼鉄パイプ(銃身?砲身!)を必要とするか?!」

 ちなみに、戦艦大和の主砲は46センチなのだ。僅か6センチの主砲の大きさの違いは、戦艦陸奥の排水量32,700トンからほぼ倍増にして、戦艦大和の排水量約7万トンの違いに至るのである。

 ま、とりあえず、(上記掲載画像をご参照・・)40サンチ主砲の巨大砲弾込めする「主砲の根元」に屯する人物(女性)の身長と巨大鉄パイプの根元の大きさ、比較していただきたい。




 そして、視た!

 しかと視ましたぞ!

 この口径40センチ主砲の「弾丸込め」する部分を!・・・

 専門兵器用語ど忘れにて、恥ずかしながら素人用語を使えば「砲門閉塞器(器≠装置!か?)」部分である。

 直径40サンチの巨弾を巨砲の根元部分から込めて発射する「大砲」の根元部分にかかる「火薬炸裂圧力」なるもの、如何に莫大なものか、逆に想像できる。だから、弾丸直径(40cm)の約4倍以上の直径の大きさであること、この眼でしかと確認した。さらに驚きなるものは、この主砲閉塞装置は、純度の高い「真鍮合金」でできているのだ。膨大な火薬量の炸裂は、瞬時にして砲身内部はたいへんな高温(たぶん数千℃)に晒される。高温に晒される砲身は錆びるし腐食する。

 この腐食に耐える金属こそが「真鍮合金」であると、あらためて認識する。かくして真鍮合金は、海洋船舶の大切な部分に多用される、重要貴重な「銅の合金」であること、なんとなく知ってはいたものの、実物を見て確認し、そして再認識する。




 上記画像は、ご存知!巨大戦艦の「推進器」と「舵」である。(舵は2枚、装備されていたはず!舵に使用する鋼材だけで、マグロ漁船の一艘程度なら、楽に建造できるのではないか!?・・・)

 ちなみに、後ろに写っている「乗用車」の大きさと比較願いたい!
(普通乗用車の20台程度は作れそうだ・・・)

 このスクュリュー2本!
* 投稿後加筆:(上記、コメント欄にて訂正!実は4本のスクリューを装備している・・)
 これが戦艦陸奥(排水量2万7千トン?)の巨体を、26ノット以上の速力にて海上を突っ走らせる推進器なのだ! 見聞きしたところによると、現在船舶の推進器にも同じ素材(真鍮)が使用されているとのこと。すなわち、80年も前に建造された戦艦陸奥(姉妹戦艦・長門)のスクリュー(推進装置・船のプロペラ)と、ほぼ同じ素材を今尚使用するとは、我国はすでに80年数年の以前に、完璧なまでの造船技術を持っていたことに他ならない。



 スクリューの製造は、まず設計図通りの鋳型に流し込んでスクリュー原型を鋳造してカタチを作る。その後は手作業により、経験豊富な熟練技術者の手作業により、微細な造型と厚みとバランスなど、整えられると聞く。 かれこれ100年ほど前に、我国海洋船舶造船技術は「世界の最先端」を走っていた事実を実証する歴史の証人(証拠品)は我が目前にある。 さらに、この巨大プロペラを4基もくっ付けて回す強力なエネルギーは、精工且つ巨大な重油ボイラー4~8基搭載していたはず、、、。



 上記掲載の絵画、在りし日の「戦艦陸奥」の雄姿である。

 そして、なぜか、戦艦陸奥の写真は少ない、、、。

 上記絵画は、改装される以前の「戦艦陸奥」の竣工当時の原形をとどめた姿として、貴重であろうか、、、。

 さて、
 話は「やまとミュージアム」見学から大きくそれてしまい、且つ、中途半端な記事になったか、、、。

 本日記事、かくして連載に入る。

 <・続く・・


 以下、
    
  (参考資料)

     ----------------------------------------------------------------------


「戦艦陸奥」(ウイキペディアより

 艦歴

発注:
起工: 1918年6月1日
進水: 1920年5日31日
就役: 1921年10月24日
その後: 1943年6月8日に爆発、沈没
除籍: 1943年9月1日
性能諸元(竣工時)
排水量: 基準:32,720t
全長: 251.80m
全幅: 28.96m
吃水:
機関: 80,000馬力
最大速: 26.7ノット
航続距離:
兵員:
兵装:


(以下、同ウイキペディア英語版より・・)

[Japanese Battleship, 'Mutsu']

Career
Laid down: June 1, 1918
Launched: May 31, 1920
Commissioned: October 24, 1921
Status: Sunk by internal explosion, June 8, 1943
General Characteristics
Displacement: 42,850 tons
Length: 221.03 m (725 ft 2 in)
Beam: 34.59 m (113 ft 6 in)
Draught: 9.50 m (31 ft 2 in)
Propulsion: Geared turbines, 4 shafts, 80000 hp (60 MW)
Speed: 27 knots (50 km/h)
Range: 5,500 nautical miles at 16 knots (10,200 km at 30 km/h)
Complement: 1,368

Armament:
 Eight 16 inch (406 mm) guns
 Twenty (later eighteen) 5.5 inch (140 mm) guns
 Eight 5 inch (127 mm) anti-aircraft guns
 Up to 98 25 mm AA guns

Aircraft carried: 3
 
  ------------------------------------------------------------

 以上、
 ウイキペディア百科事典より、日米資料を対比転載する、、、。

 なさけなや、、
 日本語版よりも英語版の方が、より詳しい「緒言」在るのは如何なものか?! すなわち、逃げ隠れするばかり、あるいは大東亜戦争の現実から眼を背けるばかりがのうではない。今や21世紀。ならば「過去の現実」に眼を開き歴史として正しく認識し、認知し、将来に伝えるは「文明国家」に住まうものの責任であり、教養の一部と考える。
 感情的且つ小児性痴呆症的思想の介入なくあくまでも冷徹に、社会科学的切り口により「我国の近代史」に曲解誤解あってはならず、且つ近代史の生き証人ご存命の時にこそ、書き物にされていない「口頭伝承」は大切と考える。これら現実と事実を風化させることなく後世に伝えて頂きたく、もって正しき歴史認識の必要を、あらためて想う、、、。
 さて、
 「やまとミュージアム」とは、上述の目的を全うすべき「性格」をもった博物館といえるかどうか? たった一度の見学では、よく理解できない、、、。

 そんなこんな、平成19年春爛漫の真っ只中なる本日の心境なり、、、。

拝啓 ますらお さま ・・

2007-04-09 10:25:15 | 教養・文化・歴史
<添付画像>:DC「輝く海軍写真帖」(ご送呈、tonoさんより・・)


 「輝く海軍写真帖」なるものブログ名「tonoゴジラ」氏こと、ますらおさまから先日ご郵送頂いた「貴重品」である・・・

 そして、まずはブログ記事掲載により「確かに拝受致しましたこと」公示し、ますらおさまに感謝の意を表したいのであります!

 ますらおさま、ことtonoさん! たいへんありがとうございます。

 かくなる上は、我が宝物の一つに加えさせて頂き、大切に保管しつつも、昼となく夜となく、旧日本帝国海軍の雄姿に目を凝らしたく、楽しみは倍増いたしました。

 何故に?
かくも大切なる資料を不肖エセ男爵メに対し、お送り下さったか。その経緯は、下記にご紹介申し上げておく、、、。

 tonoさん(3月20日付)記事、
野暮用で実家を散策していたら、ぼろぼろになってはいるが、立派な表紙の付いた古い写真帖が出てきた。 ・・云々・・・
 から、始まるtonoさん流儀!
 名調子による「平成白樺派」的記事(上記、クリックして入れます)を、是非ともご参照いただきたい。



 ご送呈頂いた「写真帖」の某ページは、上記添付画像の如くである。

 6~70年以前の写真帖ともなれば、我輩にとって「古文書」に等しい。

 現在の撮影技術並びに印刷技術と比較すれば、当時の写真撮影機材にて撮影したフィルムから印刷物にするプロセスは、現在の画像印刷技術とは比較し難い複雑な手順を踏まねばならなかったはず、、、。
 我輩、印刷技術の専門家ではないけれど、ある程度は理解できる。
 そんな時代物の「写真画像」を鑑賞するひと時は、いかにも有意義な時間の過ごし方である。しかも、楽しい。
 しかし、画像を解説する「当時の日本語」を読み解く作業は、それなりに難題であろう。つまり、当時の「書き言葉」と、今の「書き言葉」の相違には目を見張るものあり、写真解説文に使用されている漢字も、現代の漢字とはかなり異なるはず。しかし、(必ずや)何とか読めるであろう。古い時代といっても明治以降の日本語、まして戦前昭和の時代の日本語を読み切れないでどうする!

 とにかく楽しみが増えました。

 「・・・?」

 「おお、そうだ。書きましょう!記事掲載しましょう・・・」

 そうです。
 
 先月(3月)末のこと、我が街から、わずか目と鼻の先(JRローカル線にて30分間の至近距離)にある呉市の「やまとミュージアム」に行った時の所感雑感あり、、、。
 これまた戦慄驚愕懐古感涙無くして「ミュージアム内」の「その場」に、片時も立ち居残るは、耐え難く偲びがたく、かくして我輩にとっては、平常心を保ちつつミュージアム館内の周遊は不可能なり、、、。まして、「記事に書けない」難しいシロモノを引っさげています。阿川弘之先生の名著「軍艦長門」の読書感想も途中まで、これまた締め括っておかねばならんぞ、、、。
 (それなりに、積み残したブログの宿題多し・・・)

 まずは、「YAMATO Museum」見学の事、少し(全部書くとなると論文になる!)記事書いてみますか、、、。


ついに佳境に入るか!「第32回アメリカズカップ・バレンシア大会」・・

2007-04-05 01:58:55 | 研究:「ダンディズム」
<添付画像>:THE TEAMS OF THE 32nd AMERICA'S CUP 本記事掲載の画像は全て、「第32回アメリカズカップ・オフィシャルウエブサイト」より引用していますので、あらかじめ申し添えます。

The teams of the 32nd America's Cup are composed of the best sailors, designers, sailmakers, nautical engineers and boat builders in the world. While it is the sailors who get the glory, ultimate success comes only through the efforts of the entire team; some 100 people all working with the same goal in mind - to win the fabled America's Cup.


 ウム、読者諸兄姉に於かれまして、この記事お開きになる頃にはそろそろ結果が出ている頃かもしれません・・・

 「・・・?」

 我慢に我慢を重ねたが、この画像を垣間見ると、もうたまらない、、、。



Valencia - 03.04.2007
The 2007 season of the 32nd America's Cup begins in testing conditions
The final season of the 32nd America's Cup opened with racing on a complicated spring day in Valencia. The changeable weather meant the leaderboard was shuffled on each leg of the race course, with a massive wind shift on the final run of the first race denying +39 Challenge a fairytale ending. Instead, BMW ORACLE Racing charged out of nowhere, passing six boats on the final run to win the contest. More,,
 
 このところ、何故かチマチマと、瀬戸内海の小島をうろついていたから、スペインはヴァレンシアの沖合い? 地中海の出来事を記事にしたくなった。

ほんとうは、
 バレンシアに行きたいが、すでに手遅れである。

 ・・ったく、ホテルも予約は取れないそうだ。。。

 そう、4月4日(一昨日)から、第32回アメリカズカップの

以下、「参加チーム一覧」・・・

Defender(ディフェンダー)
ALINGHI
Societe Nautique de Geneve - SUI
スイス

Challenger (In order of acceptance) (挑戦ティーム)

BMW ORACLE RACING
Golden Gate Yacht Club - USA
米国

+39 CHALLENGE
Circolo Vela Gargnano - ITA
イタリア

TEAM SHOSHOLOZA
Royal Cape Yacht Club - RSA
南アフリカ共和国

EMIRATES TEAM NEW ZEALAND
Royal New Zealand Yacht Squadron - NZL
ニュージーランド

LUNA ROSSA CHALLENGE
Yacht Club Italiano - ITA
イタリア

AREVA CHALLENGE
Cercle de la Voile de Paris - FRA
フランス

VICTORY CHALLENGE
Gamla Stans Yacht Sallskap - SWE
スエーデン

DESAFIO ESPANOL 2007
Real Federacion Espanola de Vela - ESP
スペイン

MASCALZONE LATINO - CAPITALIA TEAM
Reale Yacht Club Canottieri Savoia - ITA
イタリア

UNITED INTERNET TEAM GERMANY
Deutscher Challenger Yacht Club - GER
ドイツ

CHINA TEAM
Qingdao International Yacht Club - CHN
中国(香港)

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THE TEAMS OF THE 32nd AMERICA'S CUP「アメリアズカップ・ティーム情報」公式サイト(日本時間2007年4月5日午前1時15分頃、上述公式サイトの確認)によると、本日のスペイン・ヴァレンシアの天候その他、各ティームの成績等々、下記のとおりである。

Valencia
16°C (摂氏16度)
SW 10.2KTS (南西の風?風力10.2ノット!約時速20キロ弱か?ヨットレースには頃合の風速か?・・・)

さて、本日まで各参加チーム順位は如何か?


RANKING 04/04 - 15:23
(4月4日15時23分現在・確か日本との時差8時間だから、日本時間では昨夜(4日)の午後11時23分?まことに新しい情報を伝えてくれるインターネット世界の為せる業か?!すばらしいことだ・・・)たぶん、読者諸兄姉の同サイトオヒラキの時はまた違った情報になっているはず、、、。


Team Pts(参加ティームのポイント数)

1 SUI 91 21 (スイス)

1 USA 87 21 (米国)
         両チーム共、同ポイントにてサドンデス決勝戦をやるな?
3 NZL 84 18 (オランダ)

4 ITA 99 17 (イタリア)

5 RSA 83 16 (南アフリカ)

5 ESP 97 16 (スペイン)これまた南アフリカと同じポイント

7 ITA 94 14 (イタリア・第2ティーム)?

8 GER 89 11(ドイツ)

9 ITA 85 9 (イタリア・第3ティーム)?

10 FRA 93 7 (フランス)

11 SWE 96 3(スエーデン)

11 CHN 95 3 (香港チャイナ)


 以上、出場ティームの順位・・・

 な、何と初参加にて、スエーデンと同ポイント!チャイナは俄然猛然と、がんばっているのだ・・・

 「・・・!」

 一昨年になるか、先の記事にも書いたけれど、今大会に於ける日本ティームの不参加は、情けない。
 
 やっぱ、山岳国家のスイスが強い!
 前回大会優勝ティームはスイスなのだ。一体全体、山の国の人間にして、海洋ヨットレースになぜ強くなるか?!なったか!そこらあたりが本当の実も心も裕福な人的資源なのであろう。日本人は未だ貧しいのか、いや、この十数年間の何処かで、心貧しくなったのか?
 目先の小さな幸せしか求めなくなった一億総日本国民、、、。
 政府も役人も政治家も大中小企業もマス塵世界も教育世界も一般庶民の思考も志向も嗜好も貧弱この上なく、かくなる「海のオリンピック」?それ以上の名誉ある「アメリカズカップ」の財力と技術と命を掛けたバトルに、どうして参加しようとしないか!

 競争を止めたのか?

 国家と民族の名誉はどうした?

 「誉」や「栄光」などの精神的価値感を、忘れたのか!

 総日本男児よ!(女性蔑視一切なし!)
              うち揃って精神的「宦官」に成り下がったか・・・・ 

 なぜ?
あらゆるジャパンのTV局、「アメリカズカップ」の報道をしないのか?(それとも、我輩がTV観ていない証拠か?観ていないのかも・・・
 
 軟弱日本!何処へ行く・・・

 安倍総理よ、、、
 君もチマチマしたことばかりでうろたえずに、しっかりと「美しい国日本」再創生のために、総理になる前に本に書き、総理になったとき最初に約束したことを、まずやらねばならんぞよ。すなわち、平成新憲法制定のために全力を尽くし、その傍(かたわ)ら教育再生をしっかりしてくれるだけで良い。経済力は後からついてくる。否、もうしっかりと基盤はできているのだから、下手に政府役人や政治家の手を借りなくても、民間に任せておけばよいのである。しっかりとした国家と教育の2点セットさえ相整ってさえいれば、21世紀の日本の行方?まったく心配ない。と、考えるが如何?

 おっと、本日のカテゴリーは「ダンディズム研究」にて、これ以上、政治の世界への口出しは、慎むか。

THE 32nd AMERICA'S CUP Official Website

「・・・!」

 「なんですって、あぁ、英語なんか読めなくて結構!日本語もまともに読めないにくせに・・・」

(我輩は?ムム?未だにまともな日本語?書けないのだから、あまり大きなことは云えない・・)

 このところ、バタバタと馬鹿騒ぎや無駄な動き多くて、まともに本を読む時間なし、他人様のことに口出しする資格ない、みっともない・・・

 「・・・?」

 そう、ヨットレースはバトル!つまり戦争だから、ちゃんばら映画やブロレスやボクシングや相撲を、静止画像で観ても面白くないのと同じ・・・

 贅沢は一切云わない!

 
 せいぜい静止画像でも「ヨットレース」は美しい。

 これぞ、戦う男の姿(いや、きょうび女性の乗組員もいるのだ!)、ひっくるめてヨットやる人間は美しく、ヨットレースそのものがダンディーなのである。。。

<追記>:前回(2回投稿)掲載の「第1回投稿・America's Cup関連記事」は、こちらから、さらに 「第2回投稿・アメリカズカップ関連記事」こちらから入れます。



 <・完・・>


<注>:以下、4月20日追加記載・・・

(終わりにしよう!?と思ったところ、4月20日記事にて、また連載してしまいました。続きの記事、是非ご覧下さい。こちらから入れます・・・)



Pin-Point作戦 江田島周遊 (3/5) 「あれぇ?ここ!ほんとうに江田島か?」

2007-04-04 20:15:38 | つれずれ紀行
<添付画像・撮影データ>
撮影場所:広島県江田島市沖野島内の某地点にて、撮影方角は、たぶん、太陽の位置からして西南西か?否、南南西か! 方向音痴の我輩、撮影中は方向など考慮せず、今となってはますます解らなくなってきた。芸術写真撮影であれば全く関係ない。しかしこの度のこの種の作戦遂行には必須事項なのだ。ま、このあたりN君は専門家、任せておけば良い。また後で聞いておこう・・・
撮影日時:3月吉日午後2時30分
天候:雲多き晴れ・・・
撮影機材:例の愛機SONY旧式デジカメ(made on 2000?)。すなわち21世紀初頭の製造年度である。並居る高性能新鋭機の中、我がバカチョン旧式機材は画質劣れど、いまだ現役にて活躍中、、、。

     ---------------------------------------------------------------

<以下、本日の本文>

 先日投稿記事の添付画像撮影位置より、約5メーター右に移動してシャッターを切る。

 
 大切な事柄であるから、読者諸兄姉には事の他「現場」を明らかにしておきたい。かくして、かくなる場所の特定は、下記添付の地図よりご案内を始めたく、、、


「Yahoo地図帳(1/8000)」より引用、こちらをクリック頂ければ、即刻Yahoo地図に跳んで、縮尺自由自在に変化する。もっと広範囲に縮尺変えていけば、江田島不案内の読者も位置特定可能と思う。お試しあれ!




 位置、ご確認頂いた時点で、本論に戻る。


 「こりゃ、ダメだ・・・」

      ・・・もう、これ以上、何も考えない。考えるのは、止めだ。

 
 イメージ「エーゲ海」を語る等とは、ほど遠い! はたまた香港島の名勝地、且つ、かつての高級リゾートホテル「レパルスベイ・ホテル」を擁く裏香港のレパルス湾を思い浮かべ、その延長線上にて映画音楽の名曲「慕情」を口ずさむなど、もってのほかである。

 ここは「イースター島モドキ」かい?

 「それともなにか?」

 「なにとはなんだ?」

そう、
 この石仏?もどきの石彫人形の姿かたち&顔面を見た瞬間から、この地点が、南朝鮮(きょうび、「韓国」と云う)の「済州島」に見えてしかたないのだ。

 どうやら、この風光明媚なる「良き島」のほとんどの場所は、すでに私有地と化しているらしく、我々が足を踏み入れた某地点からすでに私有地らしき標識あり、上記記載のYahoo地図に於いて「旅行かばんマーク」の記してあるを承知。実は「某旅行かばんマーク」の施設見学を切に希望して風光明媚なる「この地点」に到達した次第。

 とにかく「この石ブツ」を観た瞬間から、がっかりした。いかにも趣味が悪すぎる・・・ 

 かくして、我輩はもとより同行の諸兄も同感、、、。

 どうやらこの界隈、悪しき趣味をお持ちの芸術家のお持ち物のようで、かくなる「結果作品」を創作され非凡な才能をお持ちの方々、好んで屯される場所のようである、、、。

 これまた同行諸兄も同感、、、。


 <・続く・・>
          (掲載済関連記事、こちらから入れます・・


PS:
A) 「Pin-Point作戦」!
    これ如き感性的なる体験にて「力」を落とさず、さらに継続したい・・・
B) 我が心の舎弟「執事のトーマス君」の主宰するブログ『Cafe&Magazine旅遊亭』!只今「宮島のさくら鑑賞会」日記掲載中にて、張り切って「桜の写真」撮っています。どうぞ見に行ってやってください。。。

                ----------------------------------------------

[参考資料]:(香港島レパルスベイ;by Wikipedia)



A view of "Repulse Bay" from the Ocean Park cable car ride,,,,,

Geography

General map of Hong Kong.

A view of Repulse Bay from the Ocean Park cable car rideMain articles: Geography of Hong Kong and Ecology of Hong Kong,,,

Hong Kong primarily consists of Hong Kong Island, Lantau Island, Kowloon Peninsula and the New Territories. The Kowloon Peninsula is attached to the New Territories to the north, and the New Territories spans northwards eventually connecting with mainland China across the Sham Chun River (Shenzhen River). In total, Hong Kong encompasses a collection of 262 islands in the South China Sea, of which Lantau is the largest. Hong Kong Island is the second largest island and the most populated. Ap Lei Chau is the most densely populated island in the world.

The name "Hong Kong", literally meaning "fragrant harbour", is derived from the area around present-day Aberdeen on Hong Kong Island, where fragrant wood products and fragrant incense were once traded.[7] The narrow body of water separating Hong Kong Island and Kowloon Peninsula, Victoria Harbour, is one of the deepest natural maritime ports in the world. ・・・(continue,,,)
<(Could you please open and read the Guidance of Hong Kong by wikipedia, from here,,,>

Pin-Point作戦 江田島周遊 2/5 「エーゲ海か?はたまた香港島の高級リゾートか?」

2007-04-02 08:48:00 | つれずれ紀行
?!!?!

 これ、エーゲ海にて撮影画像の「ひとコマ」から引用か?

 いやはや、エーゲ海には至らずとも、、

この風景を眺めていた我輩は、初めて訪れた当時の、香港島の格調高きコロニアルスタイルを、思い出した、、、。 古きよき時代の香港島のリゾート海岸を思い出しつつ、たちまちノスタルジックな気分になった・・・

 なぜに香港島か?

 その理由とは、
 かれこれ約50数年前の出来事にて、一世を風靡したハリウッドの二枚目男優「ウイリアムホールデン」先生主演による名画?「慕情」"Love Is a Many-Splendored Thing"(1955年作品) の、ロケ・シーン(ロケ地は"Hong Kong Island",,したがって大昔の香港島を云う)を思い出させてくれるような光景か? といっても、99%の読者はご理解いただけないであろう「大昔の映画」であるからして、以下、「尼存土徒混無」探しまくり頑張って結果OK! ・・・何とか引っ張り出したので、ご参照いただきたい。

慕情

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 映画は凡作中の超平凡作(我輩のものさしにて)、、、。

 Love is a many splendored thing,,,
  ・・・・・!?
      ・・・から始まる主題曲の歌詞、、、。

 強いて申上げておきますけれどこの曲、古今東西の声量ある名歌手であれば、誰が歌ってもさまになる曲なり。はたまたそれなりに技量あるフルオーケストラにて、(金管楽器がなり立てるブラスバンド演奏には不向き)弦楽器特有の優雅なる音色中心なるストリングス演奏にて、最高の気分となる。とにかく音符の並べ具合抜群にて(注:メロディーの良さを、云う・・)、こりゃぁ今もって映画音楽の最高峰に位置しますぞ。
 この時代、上述映画作品完成当時から、巷で流行りはじめた「映画音楽」なるジャンルに属する「映画音楽・慕情」は、今尚すばらしい名曲であるから、それを聴けば、凡そ、どんな筋書き映画(馬鹿単純なる恋愛映画にて今見ても誰も納得しないであろう)か、ご理解いただけるであろうし、「美しき音声」の旋律の良し悪しをご理解いただけたらば、我輩の申上げたき「感性」をお伝えすること可能なるか、ならないまでも、接近できるか・・・

 何故こんな話になったか?

 元をただせば、我輩の手に掛かった美しき「この海岸線画像」は、かの1955年映画作品『慕情』のロケシーンを連想させるに値する、十分なる美しさあり!と、自我自賛をダメ押しする材料且つ屁理屈。これを延々と且つクドクドと、述べているのである、、、。 


 まぁ~ 何と申しましょうか、ウイリアムホールデン出演作品の中、映画として立派なモノ?しいて云えば「戦場にかける橋」であるか。

戦場にかける橋

ソニー・ピクチャーズエンタテインメント

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 この映画の中の役どころ、ウイリアムホールデン先生は、またしても主演のようであるが、英国軍将校を演ずるデヴィットニーヴン大兄他、しぶい脇役による脇の絞め具合なくして成り立たない、これまた軟弱二枚目?甘さ以外の個性無き演技力不足丸見え丸出し俳優こそ、ウイリアムホールデンなのだ・・・
 (高倉健さんの演技力不足は許せるが、往年のハリウッド男優ことWiliam Holden の演技力不足は、とうてい許せないのだ・・)
 当時、我国日本の洋画鑑賞者に於いてして、本当に?ウイリアムホールデンのフアンなるものそん座していたかどうか? ひょっとする数少なき当時のバカチョン映画評論家の目盛無き物差しにて推し量ったヤラセ的評価ではないのか?不安になる。 ま、今更当時の、我輩十分にガキの時分の結果出来事を不安してもしかたないけれど、あの時代の大人の感性から発した評価は、何でもかんでも「ハリウッド映画賞賛」の時代の絶頂期にあったやも知れぬ。

 これ、元々、瀬戸内海に浮かぶ某島、江田島の話題にて、旧日本海軍兵学校のあった島を周遊調査したことから端を発した話し!

 話が大きくそれたところで今日のところはオヒラキにし、当記事の核心に触れる内容は、次回に続く・・・


 <・この記事は暫く(2~3回)、続く・・>「次回記事投稿済」!こちらから入れます

           (第1回投稿はこちらから入れます・・・