Cafe & Magazine 「旅遊亭」 of エセ男爵

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光陽展「広島展」によせて(最終項)3/3「思いで多き界隈・広島県立美術館」・・

2006-07-24 17:56:25 | 怒素人的美術蘊蓄録
 真夏のように暑い先月6月下旬の夕刻、湿度の高い空気の中、いよいよ瀬戸内海気候独特の「夕凪」の始まった頃、即ち午後6時半頃から夜の9時近くまで、全く広島市内の空気の流れは止まる。空気の流れが止まれば、ビルから発せられる熱気とコンクリート舗装道路からの熱反射、さらには市内を行き交う自動車からの熱気が充満し、照りつける太陽光線と共に「灼熱地獄もどき」の時間帯に突入する頃、広島県立美術館を後にした。

 八丁堀から白島にかけて、全長やく1.5キロの市電白島線の電車道路を西に渡ったところから、あらためて美術館の全景を写しておきたいと思いつき、振り返った。

 
広島県立美術館の入り口には、畳四畳半程度か?大きな白地に赤く「光陽展」の旗看板なるものの存在に気付く。

 撮影位置は、ほぼ真西から、、、。
 6月の下旬にもかかわらず「真夏の灼熱の夕日もどき」の太陽光。斜めにぶつかっているではないか!斜めの光線と影を「捉える」。が、写真の「心得」。等と、ふと思い出したが、いかに斜めの光線といえども、この位置からでは面白くない。面白くないが、この位置から撮影しない限り、他の雑多な建築物が混在するから面白くない。
 結果、妥協的に「オーライ」。
 かくしてこの位置からの撮影は、成功した。おかげで、ぜひとも撮っておきたかった、撮りたかった「対象物」。すなわち「光陽展広島展」の文字、これで何とか撮影できた。望遠レンズで撮ればもっときれいに大きく見えたであろう。しかしここは美術館の建物全風景撮影を主目的とするから、これにて「記録写真的結果?良し!」と、解釈した。
 ちなみに、この広島県立美術館の東隣(写真からすると裏側)には「縮景園」。さらにその東手は!
 わずか、中学3年生の2学期と3学期しか通わなかった「我が母校・幟町中学校」がある。手前(撮影位置の背中、西側)には、合同庁舎・広島地方裁判所からRCC中国放送局の本社社屋、西北隣には護国神社の境内と隣り合わせの「広島城」。さらにお城の北側に道路一本隔てて、我が母校「基町高等学校」などがある。
 そう、
 この界隈は、いささか喧騒なる広島市内の中でも閑静な場所、官庁街にして格調の高い地域である。且つ、懐かしい場所なのでもある。
 はからずも、生まれ故郷は広島なれど、小学校2年生の2学期から中学校3年生の夏休みまで、父親の転勤に伴って転校に継ぐ転校。幼少の頃の思い出は、希薄雑多にして且つ記憶散漫。中でも生活した時間のきわめて短い「青春時代」満載の場所は、この広島県立美術館の界隈にあり。締め括りに、そんな我が青春時代を思い出してしまった「光陽展広島展」の単独鑑賞会なのでありました・・・

おわりになりましたが、光陽会正会員竹村克男氏、こと「悠々さん」(ブログはこちらから入れます)に、あらためて感謝の意を表します。
今後とも宜しくご指導賜りますよう、何卒宜しくお願い申し上げます。

さて、
広島展の鑑賞は!
すばらしい作品の数々に感激しながら全作品を鑑賞。
我が感性は逐一躍動しつつ、異なる感動の連続、、、。
有意義な半日をプレゼントしていただきましたこと、たいへんありがとうございました。
 
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 (・完・・)

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(参考資料はこちらから・・)

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