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小説「フォワイエ・ポウ」6章(第33回掲載分)

2006-05-30 15:27:40 | 連載長編小説『フォワイエ・ポウ』
Photo:("City of New York", from Wikipedia)

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「フォワイエ・ポウ」6章
                 著:ジョージ青木

1(客のマナーと店の方針)-(2)

騒音とも思える他の客のカラオケを聴きながら、カウンターで静かに酒を飲む常連客もいた。
山谷證券の浜田主任は、必ず週に2~3回、しかも早い時間帯に顔を出した。
彼は、
「他人のカラオケは、この店のBGMだ?」
と、自分から積極的に勘違いする。
さらに騒音の間合いを見計らって本田との会話を楽しむ、静かに酒を呑むタイプの常連客であった。1~2人で店を訪れた時、けっして彼はカラオケを歌わなかった。しかし、まんざらカラオケが嫌いなわけではなく、ある意味で積極的に楽しんでいた。浜田主任は必ず月に2~3回、10人前後の会社の若手グループを引き連れて来店し、カラオケ大会を開いた。
初めて来店したときには新入社員だった大塚も、相変らずフォワイエ・ポウに顔を出した。入社2年目になった大塚は、カラオケは絶対に歌わなかった。浜田主任とは違った意味で、1人静かに店の雰囲気を楽しむタイプであった。シーヴァスリーガルのロックをダブルで2~3杯、短時間でグラスを空けるが、あまり酒は強くなく、すぐに酔っ払ってしまう。酔えば必ず無口になる。酒を飲めば黙りこくってしまうのが、大塚の飲み方かもしれない。そんなときに限って、その日の仕事が芳しくなかったり、あるいは会社の上司にお叱りを受けたり、何らかの仕事上の鬱憤(うっぷん)を晴らそうと、大塚ひとり、苦しんでいる様子が伺えた。
そんな時、あえて本田から話しかけようとせず、静かに見守っている。本人からの相談がない限り、ひとり静かに飲んでいる彼に声をかけようとはしなかった。

あいかわらず早い時間に、ふらりと本田の店に立ち寄ったある晩の浜田主任は、自然に身体の力を抜き、静かに本田に話しかけ始めた。
「マスター、ちょっと聞いていただけますか。今から私の履歴と素性をひと通りマスターに聞いて頂きたいのです・・・」
珍しくも自分の身の上話しをしたいという。
「あらためて浜田さんの自己紹介、興味あるな~・・・。是非聞かせてくださいな。いや、その実、私からも浜田主任の事、一度お尋ねしたいと思っていたし・・・」
「あ、ありがとうございます。マスターからそう言っていただけるとは、僕としてはたいへん光栄です」
「ところでさ、浜田さん、今お幾つ?今年で何歳になるの?」
「はずかしながら、もう29になります。いよいよ来年は三十路(みそじ)ですよ。父親は、『早く結婚しろ!』って、私が帰省する度にうるさく言ってくるのですが、私は、まだしばらくは独身でいたい、とても結婚なんてしたくない」
「そう、浜田さん、今現在のあなたは女性に『もて過ぎ』なのです。でも、世の中、星の数ほど女がいる。いくらでもいい子がいるのだから、なにも慌てて結婚する事ないよ・・・」
「いや、ハンサムな男だって、世の中に星の数ほどいますよ。確かに、僕は背が高く、顔も、まずまずだと思っている。確かにもてます、女の子には不自由していません。だから結婚しなくてもいい、もっと遊びたい、という事とはまた違うのです」
「それもそうだ・・・」
「僕の出身地は四国。3人きょうだいの末っ子です。兄弟というのはおかしいのですが、上は2人とも女、つまり姉が2人いるのです。おやじは真珠の養殖をやっていまして、僕に『あとを継げ』と、いっているのですが、真珠なんてもう日本でつくる時代じゃなくなった。とっくに、海外で作ってます」
「なるほど・・・」
「養殖の技術は、日本から持ち出しですよ。つまり、海外へ日本から技術進出してましてね・・・」
「実家は、真珠の製造業ですか?おもしろいな~」
「宇和島が、実家です。四国の中でも一番のいなかですよ。親父の筋書き通り結婚して、いなかに帰って何をするか?やはり、真珠つくるしかないのです」
「いなかには帰りたくない。分かる、浜田君のその気持ち。ところで、その外国の真珠養殖の話、どこでつくっているの?」
「海洋汚染の少ない真珠の育ちやすい環境は、いま、オーストラリアですよ。コストの高い日本で養殖しなくてもオーストラリアで、いくらでも真珠が取れるのです。日本の販売業者は、そうとうオーストラリアに向かっていますよ」
「実家の家業を継ぐ。そして、家業を引き継いだままオーストラリアに行けばいい。いいな~・・・ 年がら年中、オーストラリアのきれいな海を眺める。毎日大自然を満喫しながら真珠をつくる、なんて・・・」
本田は、単純に考えた。
「いや、今から、オーストラリアに行って、真珠の商売をスタートするなんて無駄ですよ。そうとうな資金力がいるのです。我家にそんな資金力、あるわけないですよ。たとえあっても、親父がビタ一文出しはしません。」
「ダメですか、そんなものですか・・・」
「それよりもマスター、どう思いますか?ぼくはメキシコに興味を持っているのです。今からはもっともっとアメリカ大陸そのものがひとつの経済圏になる。やはりアメリカ経済は強い。そんな中、物価の安いメキシコあたりへ中南米と南米、さらにカナダを含んだ投資が、一気に急増する時期が訪れているのです。しばらく様子を観ていて下さい。今の米ドル、おおよそ120円を上下していますよね。140円くらいまでに戻ると思っている日本企業人の多い中、いまに米ドルは、狂乱しますよ。たぶん、私の予想ですが日本円が急騰して、今に1ドル100円を切って、ひょっとすると1米ドルが70~80円になる時代がきますから、、、。日本の外国為替と証券市場は大騒ぎになりますよ。ひょっとしたら今あがりっぱなしの日本の土地も大暴落するかも、、、。今の日本財界、特に銀行、甘い。甘過ぎるのではないかと思っています。そんな時、いやそうなる前に、アメリカにビジネスの拠点を移してしまう。トレーダーを、ニューヨークあたりに行って、自分でやっても良いとも思っています。住まいの拠点は、物価の安いメキシコに移住して、メキシコに住めばいい。そしてニュ-ヨークで事務所を持ち、アメリカとメキシコを行ったり来たりする。そんな感じで、アメリカと日本の橋渡しをしながら金融コンサルタントでも開業できれば。と、思っているのです。もちろん、住む場所はメキシコですよ。アメリカでは、仕事のみ。メキシコ女性はきれいだ、観光写真で見る限り。マリアッチの音楽もいい。年中暖かい海岸のリゾートに住み、現地人のお手伝いさんを使って、おいしいメキシコ料理を作ってもらう。週末は、マリンスポーツを楽しむ。ウイークデーは、投資ビジネスのコンサルの仕事に集中する。あくせく働かず、やるときにしっかりやる、ホリデーはしっかりエンジョイする。な~に、スペイン語なんて、半年もあればクリアーできますよ。メキシコに生活の拠点を持って、そんなメリハリのある生活ができる。それが僕の夢です。そんな夢が目の前にある、すでに手の届くところにある・・・」
熱のこもった浜田の話を、カウンターの中の本田が受ける。
本田の表情は、いつもと変わりない。にこにこと微笑みながらも、しっかりと耳を傾けている。
「ウム、その考え、大賛成!」
「同感です!」
「ありがとうございます」
「浜田主任の話、そうとう今夜は冴えているよ。いやいや、まいりました。浜田さんの発想の展開は実に面白い・・・」
本田好みの話題である。
「ありがとうございます」
お互い、目の前のビールジョッキに手が伸びる。
しばらくの間、聞き役に回っていた本田は、ようやく自分の口を開き始めた。
「ところでね、質問ですが、メキシコの物価はそうとう低いはず。そうですよね? たぶん、浜田さんのことだから、すでにデータを承知した上で、メキシコの事を話しているの?」
「そう、今のメキシコの物価ですと、例えば、年収1千万円の給料があれば、そう、その5倍、つまり5千万円の年収くらいもらっている感覚でOKです。だから、今と同じ給料もらって贅沢な暮らしをしながら、お金もたまる。こんな世界、いつまでたっても、日本ではできっこありませんよ」
「ところで浜田さん、いちど相談しようと思っていましたが、少し株を買おうかな、と思っているのです。大塚君が、なんだか悪戦苦闘しているようで、彼にこの話をしようと思いながら、ここはやはり、あなたに話すべきだ。と、思って、今日はじめて口を切ったのですが、どう思いますか?」
「いや、マスター、だめです。もう今から株を買ってはいけない。はっきり言っておきます。絶対に株に手を出してはダメですよ」
「え? あなたは証券会社の人間でしょう?毎日そんなことばかりお客にふれ回っているの?」
「とんでもない!マスターだからお教えしているのです。そして、僕たち一部の証券マンは、それが分かっていてお客に株を買わせているのですから、毎日の営業がつらい。大塚だって、それで毎日悩んでいるはずです」
「そうですか。ウム、私は株の事はよく分からない。実は、全く興味ない。でも、国際金融の話はおもしろい。そうか、アメリカ経済圏がもっと大きくなるか?」
「必ず、そうなります・・・」
と言いながら、浜田主任はビールジョッキに手を伸ばした。
本田が話し始めた。
「いや、メキシコはよく知らないが、ブラジルはおもしろいと思っています・・・」
「もう3年前になるかな?確かに物価は安いし、浜田さんの話を聞いていると、またブラジルに行きたくなった。でも、日本からは遠い。地球の真裏にあたるからね。当時、ガイドやっている友達と2人で、韓国焼肉に行った。なぜか、焼肉はコリア風の味付けが世界一、おいしいのです」
「ロース2人前とカルピ2人前、注文した。ビールは大ジョッキに5杯ずつ飲んだ。その時の肉の量はすごかった。なんと、1人前が500グラム。だから、2人の目の前には2キロの肉が現れた! 切り分けられスライスされ、皿に盛り付けた牛肉のヴォリュームは圧巻でしたぞ。美味しかったあ~」
「最後の1枚も残さず、2人で2キロの焼肉を平らげた。さらにお互いビビンバを1人前ずつ、野菜焼きと白菜キムチとを食べ、そして、お金を払いましたよ。たしか、日本円で5千円程度の現地紙幣を支払いました。そうすると、3千円くらいのお釣が戻って来た。そんな経験ありますよ。でも、あの当時は30代の前半。今だったら大ジョッキ5杯は難しいし、2人で2キロの肉は、今だと、もう食べきれないだろうな・・・」
今度は浜田が目を輝かしながら、本田の話を聞いていた。
そして、
「マスター、今からは海外ですよ!」
「日本脱出計画作戦を立てましょうよ。その作戦本部は、このフォワイエ・ポウでどうですか?」
「あ~、それもいいな。でも、この話、一般企業の中堅管理職に始まって、そんじょそこらのサラリーマンやOLのお姉さまに話したって、何のことか解りゃしないよ・・・」
そんな飄々とした本田の会話と立ち居振る舞いは、ますます浜田を喜ばせた。
「ハッハッハァァ~ おもしろい、おもしろい。なるほど、その通りですね、、、。。たしかに、それもそうですね。こんな話、本田マスターには解っていただけるんだよな~」
ここは酒の席、互いに酒を飲んだ上で、こんな訳の分からない夢物語の渦中にはまり込んだ2人の会話は、ようやく行きつくところに行き着いた。海外脱出計画などという、2人きりの非現実的な結論らしきものに辿りついた。
バイトの学生も、他の客もいない「フォワイエ・ポウ」で、2人は誰にも邪魔される事なく、ついに大声で笑ってしまった。

  <・・続く・・>

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拝啓櫻井よしこ様(終章)・読書感想「何があっても大丈夫」(日本人の語学学習について・・)

2006-05-28 13:23:11 | 趣味の話&本と雑学メモ
<第二章>

かくして、再び、櫻井さんの話に戻る。
さて、上記「この一冊:何があっても大丈夫」からの抜粋により、櫻井さんの学歴過程と英語の接点、社会人となった時点の就職先は(図らずも)「ジャーナリスト」への道、そして現在あること、その過程を辿ってみた。
昭和40年代前半、大学進学を目的として英語学習をされていた。
当時の高校生として一流私学の入試に合格する程度の英語の学力とは、現在の高等学校英語教育及び学力と比較した場合、どうなのか?等という「野暮な対比」は一切無視してみたい。
しかし、けっして見過ごせない観点がある。
当時、日本での大学進学を放棄され、進学を目的とせずにハワイに渡航された。レストラン従業員として現地で仕事を始められた櫻井さんにとって、仕事をこなす為の「日常英会話」の必要性に、困惑されたに違いない。まず、英語を学問としてではなく、生活の為、生きる為、英語をサヴァイヴァルの道具として使うことから入られたのだ。しかし英語を(会話として)使う場所は、たかだかハワイの日本人経営のレストランであった。ハワイの場合、白人社会の真っ只中に放り投げられた状況とは違い、スムーズに英語会話生活に入れた可能性は高い。(なぜならば、想像の枠内であるが、当時の日系レストラン従業員のほとんどは、日系2世ないし日本人により従業員構成されていたはず。したがって、英語と日本語をごった混ぜにした職場環境であったと考える)
しかし、問題は大学に進学された時点である。
「その一冊」につぶさに記されている如く、大学における一般教養の講義についていける英語の力量は構築されていなく、「そうとう苦労した」と、記されている。しかもその苦労の中、(Bクラスといえども)奨学金を取得されたとも記されてある。学力なくして奨学金の交付許可は、ない。したがって大学進学後、日々の講義に追いつくために、日々の英語学習には、砂を噛む如くに無味乾燥なる努力を、ひたすら続けられたにちがいない。専門課程の専攻は東洋史。と、ある。東洋史を学ぶには、世界中のいずれの大学を探しても見当たらないほどに、ハワイ大学における東洋史研究は格好の場所であったと考える。(実は我輩、ハワイ大学の背景につき、なんら予備知識皆無であること、断っておきたい)

アメリカの研究者から見た「東洋史」、(今現在の自分自身にして勝手に思うに)なんとも魅力的である。当時、いや今もそうであろうが、いかなるアジアの国々を駆け巡り捜査探索にあたろうと、アジアの歴史即ち東洋史を紐解くにあたり、民族的偏見なくして適確に正視し、左右のぶれなく、真っ当に「見聞判断」可能なるは、アジアに於いてではなく米国を含む西欧諸国のいずれかに存在するはず。ならば当然、今尚、米国ハワイ州にして、アジアの歴史全体を見回すこと可能なる「物見の塔」があっても不思議ではない。

いまや、櫻井さんと同年代の日本人の歴史認識は如何なものか?

多くの日本史研究者は存在する。
その全てとは云わないが、イデオロギーの色眼鏡なく、民族主義的国粋主義的な偏見なくして「日本史」を含む「東洋史」を研究した学者は、果たしていずこに存在するか。まして、日本を含む東洋史に於ける「近代史」を紐解いた研究者は稀であろう。櫻井よしこ先生をして、そのお一人。と、考えるが如何。確たる歴史認識から、我国に於ける全てのジャーナリズム正義は始まる。と、思うが如何?
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何があっても大丈夫

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話戻って、
ハワイ大学で学ぶ学生諸君は広くアジア諸国から参集し、学生生活を営む。その合間、必ずや英語を駆使する。教授陣にいたっては、深き愛情と真剣な態度で東洋を研究する人材を必要とし、洋の東西を問わず広く世界中から集積しているはず。英語を母国語としている学生と、母国語としていない学生、さらに学生と教授の間における、「英語によるディヴェート(議論・論戦)」、日常の学生生活における英会話を通しての交流。教授陣との公私共に渡るコミュニケーション。奨学金を得ているといえども、「生活費」にゆとりのない櫻井さんは、学業の合間にアルバイトによる現金収入を計り、アルバイトにも時間を割かれている。が、おのずとアルバイトを通して「学業・研究」以外の場面を体験されている。
そのような環境にて、東洋史を専攻された櫻井さんの「先見の明」に、先ずは拍手!
最大にして最高の敬意を表したい。
かくして、社会人となってからも、「米国人女性ジャーナリスト」の秘書として就職し、これまた英語と日本語の狭間で格闘する日々、言い換えれば、生活のために英語を道具として仕事をされ、現在の桜井さんが存在する。
フリージャーナリストとして独立されて今日に至るまで、日々の英字新聞はもとより、英文誌の購読通読は日常茶飯事、ジャーナリストの使命を果たされる目的にて、情報収集のために語学を駆使されているに違いない。
見事なり。見事に、英語を駆使されている。

タイミング的に、ここで補完しておきたいことがある。
なにも、英語を使える日本人が、優秀で立派だということではない。はからずも櫻井さんのご職業は、ジャーナリスト。かの職業の第一の活動は「正確なる情報収集」のはず。ならば、日本語のみに限定された「情報収集範囲」では真に不十分であり、少なくとも英文により発信された情報誌を解読できないようでは、まともなジャーナリストとはいえない。ということ、櫻井さんの場合に限らず、ジャーナリストたる人種の仕事道具として、語学は必須である。と、断言したいだけのことである。

何度も云う。

尊敬に値する『日本人女性』、その「お一人」なり。

教育が拓く未来―変わり始めた現場からの提言

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<第三章・結論>

今、小学校高学年からの英語教育が叫ばれている。
賛成か?
否か?
と、問われれば、そのどちらでもない。
すべからく「初等教育」に必須事項なるは、

* 読み、

* 書き、

* そろばん、、、

以上3点、あるのみ。

これ、小学校で上記3点セットの基礎ができているのかどうか?
しつこく云うが、
まず、上記の『3点セット』を完璧にすること、肝要。
若し、
本気で外国語教育をやるとするなら、英語のみならず第2外国語まで義務教育で実行したらどうか?いまや、(母国語とあわせて)3ヶ国語以上を運用可能とならねば、グローバル時代は乗り切れない。

あらためて、
英語は必須かどうか?
小学校教育にとらわれず、大人の日本人として捉えた場合を論ずるならば、
論外なり!
英語ができて「当たり前」の時代に、とっくに突入している。

  <・・完・・>

(前章(第一章)をご参照になりたい方は、こちらから入れます)


<表題イメージ画像>:ショーンコネリー卿「ウエブサイト」より、抜粋。(こちらから入れます・・)
* ミシェル・コネリー(ショーンコネリー夫人)の絵画より。我々日本人も、本気で子供を大切に育て上げねばならぬ!等と、当記事を書いている最中に突如として「少子高齢化問題」も、頭に浮かんだ。ミシェル夫人、心温まる絵画をご紹介下さり、たいへんありがとうございます。)考えれば、頭の痛い「問題だらけの我国」日本なのだ!「そろそろ、社会問題考えるの止めて「ダンディーシリーズ」でも投稿して、気分転換しましょうか?・・・」

拝啓櫻井よしこ殿(続・々)読書感想「何があっても・・」(語学習得に於ける「自然体と必然性」・・)

2006-05-26 22:23:50 | 趣味の話&本と雑学メモ
<序論> 
前回投稿分に続き、我が「愛読の一冊」:櫻井よしこ女史の半生を綴った『何があっても大丈夫』の中から、女史の学歴並びに就職にいたる「くだり」につき、以下(想い付くまま勝手気儘に)、著書本文の丸写し以外の方法で「抜粋」してみた。
この抜粋には目的がある。英語学習の根本的な取組み方法と、義務教育に於ける英語教育について、一石を投じてみたい。と、いう目的である。

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* 前回関連記事[続・読書感想文)『何があっても大丈夫』に寄せて、(ジャーナリストの語学力?)]は、こちらから入れます・・

先の「前編」の締め括りに記している如く、櫻井女史のハイティーン時代から成人に、更には「就職」、社会人に至り、フリーのジャーナリストとして、女史の独立されるまで。

以下、「何があっても大丈夫」より、抜粋、、、。

1)『モーボサンセン』=孟母三遷<P-55>なる「よしこさんの母上の決断」により、
2)<P-58> 櫻井女史13歳の時、大分県中津市から急遽引越。母上の実家新潟県に転居される。千谷駅よりさらに山間の村真人町万年へ。真人中学に2学期より編入。その後、さらに母上の決断により、櫻井女史14歳の時、<P81>長岡市上田町に引越し。長岡市立東中学に編入。さらに旧帝国海軍の英雄・山本五十六元帥を生んだ名門長岡高校へ進学。当時、男子校の伝統を受け継ぎ、一学年あたりの女子生徒の比率は1割以下であった。
3)高校卒業時点で、すでに東京の私立大学受験合格。しかし、突然の経済的な問題の発生と、父上の要請により、単身ハワイへ渡米する。ホノルル空港到着の「その当日」から、父上の経営されていたレストランの手伝いを始める。(大学進学を思考される心のゆとりなるもの、当時は皆無なのであったろうか?)
4)約1年後、ハワイ大学入学。専攻は東洋史。と、紹介してある。
5)<P-234> ハワイ大学卒業の後、帰国(1971年早春)。帰国を目前にして、ハワイ大学教授の推薦紹介により、帰国後の就職先は決まる。そして帰国後、米国誌「クリスチャン・サイエンス・モニター東京支局」に勤務。支局長エリザベス・ボンド氏の秘書として、(ジャーナリスト実務を全うするという意味での日本語を、全く解せなかったボンド女史?の)初めて日本で活動されるボンド女史の、目と耳の役目をこなされる。
6)<P-226> 上述、米国系情報誌東京支局の閉鎖により、ボンド女史は本国へ引き上げる。同時に櫻井女史はフリージャーナリストの道を歩み始める(1973年)・・・・・
(以上、抜粋終了・・)
何があっても大丈夫

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 尚、本日本論に入る前にあらかじめ、読者に「おことわり」しておきたい事あり。(下記事項2個所より、いずれかお選びいただき、ランキング確認の為のクリック願います!)

一つ、
櫻井女史の敬意呼称は省略、以後(ただし本日投稿、以下の文面のみにて)「櫻井さん」と称すこと、!(問題あり!?我がブログの人気度に多大に影響するか!?こちらを開いて「ご確認」下さい・・)

二つ、
恥ずかしながら、不肖エセ男爵の歴史的背景なる素性を弱冠なりとも「明かす」こと、
(引き続き不肖・エセ男爵ブログの応援、宜しくお願いします!)



<第一章>

実は我輩、櫻井さんと同年代。数ヶ月先輩であるから、櫻井さんの辿ってこられた学生時代の時代背景は目の当たりに浮かんでくるし、よく心得ている。
さらに、櫻井さんが東京の大学進学を断念されハワイにて父上のレストラン経営現場に勤務。しかも、ただのウエイトレスとしてレストランのホールを走り回っておられた頃、我輩はのうのうと学生食堂でランチを食していた。加えて、高校時代から午後の授業をサボりつつ、当時洋画専門の映画館に入り浸り、(時代劇は別格として)故石原裕次郎小林明に代表される現代劇邦画には全く興味なし。ハリウッド映画とアメリカンサウンドにどっぷりと浸りこんでいた時代、高校生時代から大学時代なのである。当時、叔母から誕生日祝いで買ってもらった超小型の超高性能(当時)のソニートランジスターラジオをFEN(山口県岩国米軍基地からのラジオ放送)放送にチューニングし、英語で喋る米軍基地アナウンサーの英語の音に集中。そのうち、ヒットパレードの時間帯をキャッチ。夕方4時5時から始まる一時間番組「全米ヒットパレードの時間」、来る日も来る日もアメリカンポップスを聴きまくり、娯楽に必要であった英語に慣れ親しんでいた時期があった。ビートルズ時代の始まる以前、エルビスプレスリーから始まるアメリカンポップスに傾倒し、60年代のアメリカンポップスを愛し、そのうちモダンジャズに没頭し、崇め奉り、45回転ドーナツ版、さらには38回転LPレコードなるものを買いあさって、四六時中「英語の歌と音楽」を聴いた。
英語世界に憧れる切っ掛け、慣れ親しむ日々は、かして始まった。
大学受験の折、記憶を辿れば確か、英語の成績のみで大学受験合格した記憶あり。大学生活過程に於いて、講義の無い時にはジャズ喫茶店に入り浸り、タバコの煙パープルへイズ漂う中、コカコーラ一杯のみ注文し、喫茶店に長逗留する。モダンジャスの鑑賞にて数時間、時に半日も、喫茶店で過ごす。加えて映画館通いの連続。
映画ばかり観ていてもしかたなく(ある切っ掛けと動機あって)、他の活動を加える。クラブ活動はESS(英会話クラブ)に入部。恥ずかしながら、卒業するまで英語らしき英語は喋れなかった。
かくして、大学進学浪人なく就職浪人なく、エスカレーターに乗った如く卒業後の就職先は(好むと好まざるを考慮するまもなく)「旅行会社」であった。しかも配属先は、海外旅行部門。「こやつは弱冠、英語ができる!」と、会社の周囲及び先輩は大いなる誤解をしてしまい、未熟なる我輩を無作為に「海外旅行の添乗員」として入社一年目から起用(当時、稀な出来事であった)。こちら、さほど自信なく有難迷惑にて、渡航先にてサヴァイヴァル英語を駆使しつつ、何とか海外添乗員の業務をこなす日々。
かの地、櫻井よしこ様の居住先「ハワイ」にも、何度か旅する。現在とは大違い、当時のハワイはのどかそのもの。一年中現地の気候風土は良好にして、お金持ちしか逗留しないホテルの群がるワイキキビーチは安全にして平和そのもの、すべからく我輩にして平々凡々としたハワイ旅行の案内役、、、。そんな当時、間違いなく櫻井さんは汗水垂らし流し、家業の手伝いと学業に専念されていたはず。若し、縁あったならば現地ハワイのいずこかで、櫻井さんとの出会いは、あったかもしれない・・・
そんな年月を過ごしつつ、我が人生の転機あり(今にして想えば若気の至り・・・)
20年近くも安穏とした旅行屋の経験のみ。旅行業しか知っていない「遊びの案内」を本業とするヤクザな男、大企業的企業内温室育ちにして社会的発育未熟なる「モヤシ人間」、超若輩者の我輩。時は昭和の60云年、齢(よわい)40才にして、何を血迷ったか、順風満帆なる大手旅行会社を途中退社し、僅かな自己資金にて会社設立という暴挙をしでかす。自己満足的「粋な気分」にして且つ、早とちり。国際文化交流イヴェント業務を主たる業務として開業に至る。がしかし、当時さすがに国際感覚的発想貧弱なる典型の地方都市。そんな仕事は溢れていない!約3年にして(当時の金額にして1千2百万円也)不渡り手形をつかまされ、見事!倒産、、、。
縁あって、飲食業界に参入。しかし僅か2年間にて、飲食業界の3K的反復作業的物足りなさに閉口し、他人に任す。が、任した他人は、勝手気侭なやり放題にて経営は悪化。かくして飲食業界から撤退する。しかし他人に仕事を任せた当初、(43歳の時)あらためて英語の再学習に挑戦する。そして1年間、1300時間なる英語学習目標を設定するものの、最終的には1275時間にて投了。25時間の目標不達成時間を持ち且つ余し(無念かな)除夜の鐘を聞く。しかし、いずれ目標不達成と雖も、一年間1275時間に亘る英語特訓(聞く、話す、読むk、書くの繰り返し)を功を奏した。かくして我が目から「ウロコが数十枚」落ちる。確実に「我が英語の実力」は向上する。ここに至ってようやく「英語を道具」として、使いこなせる自信がつく。
そんなとき、縁あって東欧ハンガリーに赴く。現地にて気ままに仕事をこなしつつ生活し、適当に適当に、やっていくつもりが、またもや英語のお世話になる。英語圏でないハンガリーにて「英語の力」は、「生活のためのお金」を運んできた。さらにインドネシアとの縁ができる。全て観光産業関連のコンサルタント&コーディネーター業務として、、、。今尚、某インドネシア国立大学の客員教授として「不定期」にて経営学マスターコースのクラスを担当。その他現地企業関連のコンサルのため、はたまたセミナー開催に招聘されつつ、今尚、インドネシアに出没する。国内では、某レストランホテル関連産業の実務指導にもかかわりを持ちつつ現在に至る。
且つ、モノカキの真似事もスタートする。
「・・・?」
そして今、
我が若かりし頃の「失敗」に気がつき始めた。
あまりにも日本文学から遠すぎる位置に居ること、教養としての日本語をあまりにも無視してきたこと、取り返しのつかぬ事態に遭遇している。。。
つまり、
「振り返れば、まともに日本語を勉強していない!我おもうに、なんと、恥ずべき日本人であるか!」・・・・
本来、中学高校時代に読み漁っておかねばならなかった「日本文学」に飢えているから、今、恥ずかしきかな(すでに古典となりつつある)「有名小説家」の作品を読み漁り、あらためて日本語の「本来的な味」を味わおうと、時間の許す限り懐古風不良中年的文学青年に立ち返りたく、意識して、読書に費やす時間確保に努力している。以って「この3年間」。逆に今現在、「あまりにも英語から遠ざかり過ぎた」こと、反省する。たぶん6ヶ月間、英語から離れれば「ただの人」。英語の単語は刻一刻、我が脳の皺から蒸発し、単語記憶数量は激減していること、間違いなし。。。
かくして、
語学学習に関する「我が結論」あり、、、。
英語を学んだ後の、英語を使う「目的と目標」を持たなければ、英語は身に付かないと考える。
英語学習との目的は、まずは受験勉強の一科目としてではなく、「英語の語学力を身に付ける」こと自体が最終目的ではない。
もって語学学習の目標なるものは、英語の読解力とコミュニケーションの道具を以ってして、他の学問をより深める究めることにあるとする。
はたまた、英語を道具として使用し、エキスパートト的仕事あるいは生活の糧を得るための「道具=(one of Tools)」と位置付ける。ならば、いつ何時、必要に応じて試みる外国語学習の積み上げは、年齢に関係なく成立する。と、結論したい。
そして、
この英語学習と運用の話、もう少し、続けたい。。。

櫻井よしこさんのハワイに於ける実体験的語学習得の「流れ」をさかのぼり、航跡を読み取ってみたい。


    <・続く・・(5月28日日曜日投稿予定;投稿済みにて、こちらから入れます)・・>

ゆとり教育が日本を滅ぼす

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<表題イメージ画像>:ショーンコネリー卿「ホームページ」より(こちらから入れます・・)
画家:コネリー夫人の描くヨットハーバー風景。たぶん地中海の然る港を切り取ったもの、何故か今夜、ハワイのヨットハーヴァーと「かぶるもの」あり、、、
(そろそろダンディズムシリーズの投稿、復活したくなった・・・)

小説『フォワイエ・ポウ』6章(第32回掲載)

2006-05-25 17:26:00 | 連載長編小説『フォワイエ・ポウ』
<添付画像>:"FS Étoile";The Étoile ("star") is a French naval schooner used as a training ship. (informed by Wikipedia:記事最下部、ご参照下さい・・)


 マスター本田は、何時しか、あれほど嫌っていた「カラオケ」を店に入れていた・・・

 はたして本田流の「Bar商売」は?どうなる、どう変わる・・・

 いよいよ本日より第6章掲載開始!ますますの応援、宜しくお願いします。

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長編連載小説「フォワイエ・ポウ」
                         著:ジョージ青木  

  6章

 1(客のマナーと店の方針)

(1)

「マスター、もう少しで氷がなくなります。氷が足りません」
「そうか、まずいな。まだ10時過ぎか。早めにコンビニに行って氷買って来てくれないか。そうすると、石井君は残ってくれ。牛島君、君、ちょいとコンビにまで走ってくれるか」
フォワイエ・ポウには、すでに2人のアルバイトがいた。石井と牛島。同じH大学の学生二年生と一年生である。石井の当店でのバイト歴はすでに10ヶ月、牛島はまだ1ヶ月のしんまいであった。2人ともよく動いた。
「はい、いってきます」
牛島の動きは決して俊敏ではないが、一旦仕事を引き受けたら確実に実行する。石井は、この店でバイトを始める前に、ファミレスのウエイターを半年間経験していた。フォワイエ・ポウのバイトを初めたその日から、店内での彼の動作は、俊敏。あわせて、客に対する立ち居振る舞いはさりげなくもスマートであり、常連客からの信頼は厚かった。
「レジから1000円持ち出して行け・・・」
正確に言えばレジではなく、手提げ金庫なのだ。レジスターマシンを置かなければならぬほど金銭の出入りはなく、出入りする金額もたかが知れている。客の前で、客の聞こえる範囲内で、まさか、金庫でもなく、まして手提げ金庫云々とはいえない。スタッフの内輪で、しかも都合上、手提げ金庫の事をレジと呼んでいる。
「はい、そうします。持ち出しのメモ、サインして残しておきますから・・・」
「オウ、そうしてくれ。いや、ちょっと待った。1万円札持っていって釣銭用に細かくしておいてよ」
「了解です」
牛島は、手提げ金庫から1万円を持ち出し、ゆっくりした動作で店を出た。
「しかし情けないよな~ 泣きたくなるよ。どうして製氷機が追いつかなくなるの?」
1日がかりで、つまり24時間でおおよそ5~6リッターの氷が製造できる。同じメーカーのパンフレットをみれば、同機種の1日当たり製氷量は10リッターとなっている。そもそも水道水から氷を作るのが製氷機。夏と冬の水道水の水温や室温によっても、製氷能力の違いは出る。このところ何故か、氷の消費量に追いつかず、
(30分と持たないぜ!今にも氷が切れてしまいそうだ・・・)
本田はつぶやいた。
開店当時から半年間の客足と、現在の顧客数とでは、桁違いに多くなった。顧客数が多くなったといっても、5~6人掛けのボックス席が3つ、カウンター席には7脚の椅子が置いてある。が、実際には6人掛けである。
その理由は単純なのだ。
入り口に一番近い席の前にはピンク電話がおいてあり、実質上電話をかけるための椅子。電話ボックスの椅子と勘違いしてしまい、客は電話の前の椅子に座ろうとはしない。
全席使用の場合、27人の客が座れるよう、設計してある。
席数が多いいといえば多いし、僅かその程度か、と思えば、それだけである。

(席数に見合った商売をすればいい・・・)
(せいぜいこのキャパが、フォワイエ・ポウの顧客収容能力である。自分の能力に合った手ごろな大きさの店だ。扱いやすい・・・)

全くの素人から水商売を始めた本田は、ようやく夜の商売に慣れてきた。
このところ、ひと月の間に4~5回は満席になる。時には満席以上になる。単一の団体でも、顧客数が30人以上になる場合がある。
「お客さま、申し訳ございません。すでに定員超過ですから、どなたか3~4名さま、カウンターの中にお入りいただけませんか・・・」
本田はあつかましくお願いする。
「はい、了解です。僕たち3人が入ります。入れてください」
「ご協力、ありがとうございます」
「マスター、マスター。なんだか店のスタッフになったような気がして、うれしいです。ありがとうございます・・・」
「いいえ、お礼なんて、とんでもありません。こちらがご無理をお願いしているのに・・・」
「お手伝いしますから、マスター、何でもおっしゃってください!」
なぜかカウンター内に入った客は喜ぶ。
大勢の仲間内から、自分だけが特別扱いされたと喜ぶ。さらにカウンター内に入るという、特別の経験ができることに興味を持つらしい。しかし実際はそんな客がカウンター内をうろつくと、スタッフにとっては仕事の邪魔になるので迷惑なのだ。が、この場合は仕方がない。

時計は、まだ午後10時を少し回ったところ。今からの時間がホンモノの商売の時間となる。閉店までには、まだまだ氷が必要であった。
(ありがたいことだ、今日はまだまだ、もっと客が来そうだぜ・・・)
絶え間なく連続的に繰り出してくる賑やかなカラオケの音に、内心はうれしい悲鳴を立てながら、今夜もカウンターの中で笑みを浮かべる本田がいた。
(開店当初の不必要な緊張感がなくなった)
(日々の金銭のやり取りに関わる不安がなくなった)
(資金繰りの精神的負担が軽くなった・・・)
長時間にわたる毎日の立ち仕事での肉体的な疲労は、生半可なものではなかったが、精神と肉体を崩壊するほど極端に、健康を害するまでには至らなかった。もっとも、酒好きな客と一緒になって本田の好きなビールを飲み過ぎなければ。という条件付の話しであるが、、、。そんな環境の変化の中の本田には、すこしばかりの精神的なゆとりが生まれていた。過去数年間に渡って神経を苛立たせ続けていた金銭に関する精神的負担が、僅かずつ消滅していた。
精神的ゆとりは、何にもまして本田の心を豊かにした。
心の豊かさは表情に表れる。
しかし、そんな表情の変化を悟られるような本田ではなかった。学生バイトのスタッフも、ボックス席のカウンター席の客も、最近の本田の心境の変化には、誰も気が付いていなかった。

「ウイークデーのど真ん中にもかかわらず、今夜も、フォワイエ・ポウは盛況。ありがたいことだ・・・」

今夜も早い時間から、2~3名の個人客が、絶え間なく訪れている。カウンターは、絶えず2~3組の常連客によって占領され、次の常連客が訪れると、長居していた先客は気をきかせて席を譲り、笑ってにこにこと、敢えて現金払いをしてくれる。店から出て行ってくれる。カウンターでは、こんな優良店舗の手本のような客、そんなありがたい客が、今夜は繰り返し訪れる。
ボックス席といえば、
賑やかにカラオケを占領している11名の団体客は、途切れることなくマイクを回し続け、すでに2時間がたっている。
30分前に電話予約のあった15人前後の団体が、店に入ってきた。
どこかで一次会をやってきたであろう団体客のほとんどは、まず全員がウイスキーの水割りを注文することになる。ほとんどの場合ボトルキープしている常連客が、その時々の連れを誘って来る。そんな仲間内が団体となり、押し寄せてくるからありがたい。

まず、
人数分のお絞り、
ウイスキーボトル、
水割りグラス、
水割り用のミネラルウオーターを数本、
アイスペール1~2個、
おつまみ、

以上が、団体客の基本セットである。
ほとんどの団体客は、自分たちだけの空間を築き、特別な空間を楽しもうとする。店のスタッフは、関わらない。客の思うがまま、成り行きにゆだねる方がうまくいく。客の中に入り込まず、あえて一定の距離感を保っているという状況を作るのも、スタッフのスマートさに思えてくる。しかし客の必要に応じて、いつ何時でも瞬時にその要望に応えられる体勢と距離は保っておく。本田は、スタッフに「サービス」の距離感、一定の距離間隔、それなりの按配を保つよう、本田自身の立ち居振る舞いと感性で、顧客が不快感を感じないサービスの自然な形を、フォワイエ・ポウのスタッフに対し、理解しやすく且つ十分に教え込んでいた。
となれば、店のスタッフの役割は、何か?
水割りの水がなくなれば、氷を運ぶ。ボトルが空になれば、追加ボトルの注文を促す、、、。
団体客の対応は、全てが単純作業となっていた。特に団体客は、仲間内のサービスは自分たちで行った。
一番大切な作業は?と、いえば、
お客からのカラオケのリクエストを順序正しく確実に受け、さらに入力間違いを起こさないよう、神経を集中する。そのつどカラオケマシーンにリクエスト曲を入力する仕事であった。
これら一連の作業はルーティーン動作として自然にマニュアル化され、すでに本田の手を煩わすことなく2名のバイト学生によって対応処理されていた。
カウンターに陣取る個人客の対応は、もっぱらマスターの本田が受け持った。カウンター客の主な目的は、マスターの本田と、会話を楽しむことにあった。

なかなかカラオケの順番の回ってこない団体客からは、時として催促の声がかかった。
マスターの本田は、はっきりと説明した。
「当店は、カラオケのリクエスト曲をお受けした順番通りに予約を入れます。ですから、すでに予約を入れている一方の団体のお客様の予約曲が終わるまで、待って頂きます。後からお見えになった方のリクエスト曲を、すでに予約されている予約曲の間に差し挟むような芸当は一切致しておりません」
「もう少し早く歌わせてくれないか?」
「それはできません、今すでに18曲受付していますから、1曲歌い終わるのに約3分間としても、今からですと1時間近くお待ちいただかないと、貴方の順番は回ってきません。皆さんそうしていただいておりますので、そうして頂きます」
「わかった・・・」
フォワイエ・ポウのシステムを知らない客は、最初はとりあえず待った。
「他の店は、うまく調整してくれるが、この店は不親切だ。何が1時間待ちだって・・・」
「もういい、歌はやめだ。もう帰る!」
などと、馬鹿げたことを言う客は1人もいなかった。
2度目の来店時には、フォワイエ・ポウのシステムを理解していた。
カラオケの順番の回ってこないことを問題にして、
「こんな店、2度と来ないぞ!」
等という客は決していなかった。
ここに来たら、この店フォワイエ・ポウでは、自分たちの順番を、ひたすら待つ。
そんな客に限って、待つ間に他の客のカラオケの歌を真面目に聞き、時には拍手を送った。他のグループや他の客のカラオケを鑑賞するのも、フォワイエ・ポウの常連客相互の楽しみになり、それが定着していった。ある客がフォワイエ・ポウを訪れ、その客の好みのカラオケを歌う客と出会ったりすると、お客同士が挨拶を交わし、喜び、お互いの仲間同士でカラオケ大会が始まるようなハプニングも度々起きた。異なる仲間のお客の間で、それぞれ人気歌手が現れ始めた。

ためらいながらも、店にカラオケを入れてすでに3ヶ月が経つ。
日を重ねるごとに、歌の上手な客が集まり始めた。

  <・続く・・>

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<Photo>:"FS Étoile";The Étoile ("star") is a French naval schooner used as a training ship. She was launched on February 8, 1932. She is a replica of a type of fishing ship which was used until 1935 off Iceland. She has a sister-ship, the Belle Poule. Both ships joined the Free French Forces during the Second World War, a deed for which they are still honoured by flying the French flag with the cross of Lorraine. (informed by Wikipedia)

暫く賑わった「バイクシリーズ」は、少し休憩します。
いよいよ初夏たけなわ、、。「真夏のマリーンスポーツ」をイメージしながら、暫く「帆船シリーズ」。小説フォワイエ・ポウの表紙を飾ります・・・

拝啓櫻井よしこ殿 (続・読書感想文)『何があっても大丈夫』に寄せて、(ジャーナリストの語学力?)

2006-05-24 16:07:55 | 趣味の話&本と雑学メモ
    読書感想「何があっても大丈夫」に寄せて(第二回)

 すでに「読書感想文」として数回のBlog記事投稿した「櫻井よしこ著・何があっても大丈夫」を読了して後、早くも3ヶ月(たぶん?)経過する。そして今この一冊は、我輩の手元にない。さる友人に貸出して数週間、いまだ手元に帰ってこない。電話にて友人曰く、「一度通読したが、もう一度読み直しているからもう暫く貸して欲しい」等と、あつかましいことを云ってきた。ならば「自分で本屋に出向き、自分自身の一冊を自分の経費で購入したまえ。その後、落ち着いて2度目を読み始めよ!」と、電話で怒鳴りたい気分である。が、ここは忍の一字、なぜか我慢している。我慢しつつ、今直ぐにでも読み返したい「何があっても大丈夫」のページが浮んで来てしまったのである。そのページとは、論客としての櫻井女史の強力な武器の一つとして、ジャーナリスト桜井女史の「情報収集基盤」として、櫻井女史の懐に秘められた強力な語学力の底知れぬ実力について、あらためて想像し始めてしまったのである。<注>(「第一回掲載「何があっても大丈夫」の読書感想文掲載記事は、こちらから入れます)

 女史の半生を綴った自伝ともいえる「何があっても大丈夫」の一節を、あらためて読み返したくなったから、今友人に貸し出し中の「この一冊」、手元にないことに苛立った次第である。


   (その-1)

 当書の中、女史の英語現場(すなわち生きた英語、コミュニケーションツールとして英語を使用する、という意味)の出会い、明確に記されている。今、そのくだりを読み返したい。しかし残念かな「その一冊」は現在手元にないのであるから、数ヶ月前の読書時点に立ち戻り、回想してみる。
(!櫻井さんの半生を知りたく、今からこの一冊を読んでみたい。と、思っておられる方、すでに読了された方、櫻井さんの半生に感銘受ける方に、同感・同意!<人気度ランキング>お開き下さい!

 話題は「何が会っても大丈夫」に戻る。
 「生きた英語」との出会いは、当時、櫻井女史の父上の要請により、ハワイで父上の経営されるレストランのウエイトレス兼秘書的事務員として渡米された時点であった。渡米時期は(逆算して)、昭和41~42年だったはず。現在のハワイと比較して、想像を絶する「ハワイらしき状態」のハワイであったはず。すなわち、日本国はハワイ県ともいえる、現在のハワイ。盆正月ゴールデンウイークともなれば、安物TV番組を賑す小者タレントの遊園地に成り変わるか、はたまた一億2千万人総日本国民挙って疲れる為の休暇を楽しむ「親しき米国リゾート地」となったハワイ州ホノルル街。公立高校大学受験用英語のみを引っさげて、父上経営のレストランの「お手伝いさん」として、櫻井女史は渡米されたのである。そしてその時点から、女史の「生きる為の仕事の道具」としての「語学習得」はスタートしたはず。高校を卒業してまもなく、すでに日本の大学入試に受かり、東京へ上京される予定を立てておられた女史は、仕送り及び学費の算段が途絶え(詳細、この一冊に書かれているから省略する)、当時すでにハワイに進出されレストラン経営で成功されていた父上の「家事手伝い」とも云える「役目」を(仕方なく)引き受けられた「高卒のうら若き女性、櫻井よしこ」。レストラン業という家事手伝いをしながら、(日本の一流私立大学進学を断念された、その替わりに)ハワイ大学に進学された。ハワイ大学に於ける学生生活の始まってまもなく、父上はレストラン業を閉鎖され、娘の櫻井さんを一人残して帰国。桜井女史の経済的貧窮はさらに深まり、学費生活費の捻出は女史自身で執り行われつつ無事卒業。卒業後、何故か日本に帰国され、女史を育て上げた大学教授の紹介で、新たに東京に進出した外国人ジャーナリストの秘書兼通訳兼翻訳者を主たる業務とした国際派ジャーナリストの卵として、社会人になられた。数年間、東京在住の外国人女性のもとで、日本の情報を世界に発信するための「ジャーナリズム世界」の修行をされた。しかし、しばらくの後(2~3年間か?詳細は「かの一冊」を参照されたし)、その外国人女性は(彼女の勤務先の転勤要請により)、本国に帰国される。したがって東京事務所は、閉鎖。当然ながらその瞬間、櫻井女史は職を失われた。大学との関連で、また当時の櫻井女史の語学の実力を発揮可能な職種は存在した。すなわち(一流の)通訳翻訳者になる道は開かれていたものの、その時点で、櫻井女史は一大決心をされ、フリーのジャーナリストとして「ひとり立ち(一匹女狼なのだ!)」される道を選択され、現在に至っておられるのである。

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    <Intermission(少し休憩)>

<添付画像>:(櫻井よしこ著「何があっても大丈夫」、著書の裏面。本書裏面、右上の写真は、櫻井女史の母上。台湾にて撮影とあるから、第二次世界大戦終戦を迎える以前、もちろん櫻井女史誕生以前、母上の独身時代か。したがって撮影当時、すでに母上は海外にて職業を持ちご活躍されている、その時代としては超モダンな女性・・・)
何があっても大丈夫

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   (その2)

 今、私自身の脳裏に、よぎるものあり。だから、もう一度繰り返す。

 櫻井女史をして、
  1) 堅固な意志を持ち、国際的バランス感覚は正確無比、日本という「国を愛する」心の基軸に立脚された上で、堂々と「櫻井的論拠」を持たれた上でのジャーナリズム活動を継続されているのが「櫻井女史」の魅力。
  2) 上述の、「堅固な意思」、国際バランス感覚から湧き出でる「国を愛する」心の持ち方、歴史認識の正常さ、
  3) 締め括れば、桜井女史の「猛烈にして強力な語学力」にして、女史の類い稀なる「情報収集能力」は成り立たち、鳥瞰図的高所高見に立脚した広く深い知識あり。もって、櫻井的常識なる「意志と意識」を背骨とした数十年間も決してブレない「論点・論旨」の存在は、櫻井よしこ的『現実正視正義』なる如何にも日常的常識的主張。と、(私的見解にて)評価する。

 上述のアイテムを基礎に、いかなる場面と状況に於いてしても、女史との「意見を異にする論客」相手との、いかなるディヴェートに於いてしても、一歩の引けもとらず縷々凛々と「櫻井的意見」を述べられるのか。

 と、我輩は想像する・・・・

 日本のTV局を始めとするマスメディア世界には、語学力を振りかざす「コメンテーター」や「ゲスト出演者」はゴマンといる中、私自身、未だに櫻井よしこ女史から、女史の生の声で流暢に優雅に自慢ったらしく「英語をおしゃべり遊ばす」お姿をお見受けしたことは、無い・・・・

 今、義務教育の一環として、「英語教育」を取り上げようとする動きあること、聞く。如何なるものか?
是か、否か?
私自身、いささか、日本教育世界から立案発想されている英語教育への「力の入れ方と手順」に、大いなる疑問を抱いている。

 櫻井女史の「半生の記録」と照らし合わせ、「日本の語学(英語)義務教育の若年化」について、いま少し、もの申してみたい・・・・

 <・・続く(掲載予定:5月26日金曜日)こちらから入れます・・>

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小説『「フォワイエ・ポウ』(第31回掲載)5章 「回想するニース滞在、ディナータイム・・」

2006-05-23 12:24:25 | 連載長編小説『フォワイエ・ポウ』
(Night view along the "Quai des États-Unis"),the photo-copy from Wikipedia:
Nice (pronounced [nis]) (Occitan: Niça or Nissa; Italian: Nizza) is a city in southern France located on the Mediterranean coast, between Marseille and Genoa, with 933,080 inhabitants in the metropolitan area at the 1999 census. The city is a major tourist center and a leading resort on the French Riviera (Côte d'Azur).

 本日、いよいよ5章のファイナル、、、。

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* 長編小説『フォワイエ・ポウ』の過去掲載分、全30回、、(ご参照希望の方、こちらから入れます!)

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  連載小説「フォワイエ・ポウ」 5章
                    著:ジョージ青木

   2(ニースの出来事、料理との出会い)

「まず、参加者全員が女性、同じ専門学校の修学旅行です。団体客の内訳は、中年の先生方が約7~、8名。後の40数名は、若い専門学校の生徒さんたちばかり、、、。女校長先生がうるさくて、全てを取り仕切っている女王様なのだ。さりとて、生徒さんたち若い女性にも楽しんでいただかないといけないし、いろいろバランスが難しい、、、。女性ばかりの団体はね。ともかく当時は、いかにもお嬢さん学校的で贅沢な出来事でして、今もあまり変わりませんが、、、。出発は、何と12月に入ったばかりの頃。クリスマス前の、旅行客は究めて少なく、飛行機はがら空きの暇なときに、観光客の超少ない時に、パリでファッションショーを見せる謳い文句で、案内したのです。パリ滞在だけではもったいない。それではニースに行こう。そんな訳でシーズンオフのニース2泊3日をくっ付けた、全行程12日間の忙しい旅行ができあがった・・・」
「まず、エアーフランスのロシア経由で、パリに入る。当時のヨーロッパ線の主流は、北極経由でしてね。約8時間かけてアラスカのアンカレッジに向かう。アンカレッジで給油しクルーが交代するから約2時間休憩、いや、待ち合わせです。さらに北極点すなわちポーラめがけて進み、グリーンランドの上空をえんえん10時間飛んで、ようやくヨーロッパに入ったから、合計所要時間は20時間以上もかかった。南回りのインド経由では、途中4~5回も経由地があるから、もっと時間がかかる。そう、南回りで30時間近く、いや、それ以上の時間が掛かったでしょう。とにかくヨーロッパは遠かった。大変な長旅だったのですよ」
ここまで話した本田は、また一口、生ビールを口に含んだ。
「モスクワ経由、いや今は北京上空通過が当たり前、約12~3時間もあれば、ヨーロッパに入れる時代です。しかし当時ロシア経由のエアーフランスは最新路線ですから、ヨーロッパに行く最短距離でした。昔から、ロシアとフランスは仲が良かったのですね。そして、今尚、両国の外交はたくみ、お互いにうまく行っている証拠なのですね。ロシア上空を飛べるなんて、シベリア上空を飛べるなんて、お客は喜びましたよ。いやなに、今では当たり前ですけどね」
「そういうことで、モスクワ経由でパリに着いた。パリでは、ファッションショーを見た。ニースに入ったのは滞在1週間目、くらいかな。この頃になると皆さん、旅の疲れが出るのですよね。ニースにはパリから直行便の飛行機で入った。もちろんジェット機で、でも、1時間くらいかかったかな。移動する日はとにかく疲れるのよ。パリのホテルをチェックアウトして、バスに乗って空港に行って、搭乗手続きして、飛行機に乗って、またニースで降りて、バスに乗って、ニースのホテルにチェックインしたのは夕方4時くらいだったかな。なんだかんだで、1日がかりの仕事ですよ。旅程表、つまりスケジュールの上での移動は簡単、実際の移動は大変なのだ、全く・・・」
「ニースのホテルは、たいへん良かった。日本のテレビコマーシャルシーンにも出ていたホテルでしてね、ホテルの部屋の窓辺で、ヨーロッパ人の女性がコーヒーを飲んでいるシーンがコマーシャルの映像、窓辺からは、ニースの海岸線が望める。すてきなコマーシャル映像でした。(注釈:事実です。確か、「ネスカフェ」の宣伝です)ですから、当時すでに、かなり有名なホテルでしたよ。海岸線に沿ったホテルで、ニースからモナコ方向の海岸線が弓なり状になって眺められる、いわゆる格調高いヨーロッパスタイルの一流ホテルでした」
「団体客60数人のチェックインをすると、ベテランの添乗員が超特急でがんばって、早く済ませても20分以上はかかるでしょう。いや、20分では無理だ、30分は掛かるか。ですから、皆さんホテルの部屋で足を伸ばせるとなると、もう4時半はとっくに過ぎてしまって5時くらいになるんだよな、、、。そして、チェックインの後は当然ながら、団体客だから夕食の時間も場所も一緒!その時のスケジュールでは、ホテルにて夕食。だから、チェックインと同時に、レストランのテーブルも予約確保しないと、時間的に手配が難しくなる。間違ってお客さんが先に部屋に入ってしまうと、夕食の時間と場所の案内など、とてもとても難しくなる。そのような場合、部屋を全部ノックして歩いて案内する。そんなことにでもなれば、とんでもなく添乗員が忙しくなる。だから、校長先生にお伺いをたて、決めてもらったところ、夕食は6時だ。と言って、それ以上の私の話は、聞かない」「実際、チェックイン後、2時間以内で夕食スタート?これはスマートでない。もっとゆとりを持たせる。一泊掛けの温泉旅行ならまだしも、海外旅行の場合、しかも南欧、ニース。ならば、もう少し夕食時間までの時間的ゆとりを持たせたほうが、スマートである・・・」
本田の記憶は、鮮明。語りつつ喋るままに、ますます鮮明に、数分単位の当時の記憶、蘇って来るのである。
「ま~、頑固一徹のおばさんでした。やり手ですよ、やり手。それくらいでないと、専門学校の校長先生は務まらないこと、よく理解できました。いや、当時の私から見れば、校長先生は、すでに、いじわるばあさんの領域でした」
「実は、ヨーロッパで、しかも南仏で午後6時の夕食は、早すぎる。日が高すぎるのです。感覚的には、日本の真夏の4時過ぎですよ。レストランは普通、午後8時過ぎからオープンする。もっと以前の南欧やスペインでは、午後9時から開くホテルレストランも在るくらいでしたからね」
「そしてその時のニースのホテルチェックインの後の状況は、そう、校長先生から指示があった時点からですと、あと1時間足らずでディナータイムになる。これではレストランが大変だ。フロントに相談したら、とりあえずOKをくれた。問題は、今夜のメニューをどうするか、である。メニューを問うと、私に任せる、と校長先生はおっしゃる。『任せるけれども、同じ料理を60数名の全員に対し、同じ時間、ディナーのスタート時間に揃てほしい!』と、おっしゃる。これはかなり難しい、が、イエスといわざるをえないから、『承知しました・・・』言った。受けた。校長先生はじめ、先生方全員は、かなりお疲れのご様子。にもかかわらず、生徒さんたちは元気がいい。夕食前に、もっと長い自由時間が欲しい、遊びたい。しかし、夕食までの時間が中途半端で遊べないし、校長先生の指示で、許可なくしてホテルからは外出禁止となっている。基本部分で忙しい私は、そんなもの皆放っておいて、2階レストランに駆け上がり、レストランマネジャーに会って直接打ち合わせした」
「案の定、レストランのマネジャーは驚きました」
「ここからは、マネジャーの話しです」
「60数名さまのご予約はありがたい。すでに日本からの団体様のディナー、情報としては承っているが、時間と料理内容までは、報告がない。ツアーエスコートの方と打ち合わせが必要と聞いています。すなわち、チェックインが済んだ後、添乗員の私と打ち合わせする。ここまでしか情報がないのです。さて今夜、同じ料理の食材60数名様分は、揃わない。とうてい無理だが、一つだけ解決方法がある。フランスの家庭料理で『ハム料理』は如何か?と来た。こちらは反論した。恐れ多くも一流ホテル内レストランでのディナーである。ディナーにハムを切っただけの料理?はたして、客が喜んでくれるかどうか?こちとら、全く自信がない。別のメニューはなにかないか?例えば海鮮料理など・・・と、反論した。彼はフランス語訛りの、あまり上手とはいえない英語で、ふわふわとうきあがりながらも、しかし粘り強く丁重に、わかりやすく説明し説得した。南欧人は通常、昼食に重いものを食し、特別なことでもない限り、夜は軽い料理で済ませる。だから、お勧めのハム料理はこちら地元の上等なハムをワインで蒸し焼きにしたもの。ヴォリューム的にも、味付けも、決してクレームを起こすようなシロモノではない。マネージャーとして、私が保証する。任せてくれないか!と、来た・・・」
「さすが一流ホテルのレストランマネジャーは、立派だった。私を説得したという意味でね・・・」
「結果、わたしは全て、マネジャーに任せました」
「時間通り、校長先生をはじめ、参加者の皆様全員に、同じハム料理が出て来ました。ウエイターの対応も見事でした。口先では、おおきな事いっていても、所詮日本人の胃袋はこちらのフランス人と比較にならない、知れています。皆さん満腹で満足。旅行業者のやることなすこと、決して褒めない校長先生は、その時も何も言ってくれませんでした。しかし、クレームはなかった。私の感想? 贅沢言えばきりがありません。しかし、ワインでシンプルに味付けされたハムの味、私にはその良さが理解できた。私にとっては、たいへんおいしかった」
「ですから、その時のこと、突然今日の夕方、デパートで買い物していて思い出したから、作ってみたくなって作った。そして、こうしてお二人に召し上がって頂いた次第です」
「・・・」

二人は真剣に、一言も聴きもらさないよう、本田の話に耳を傾けている。

 <・続く・・・>


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「落書き的バリ風絵画=US$20.- スピリット度数?」と成分分析結果は?

2006-05-22 01:14:45 | インドネシアとバリ島の話
<画像>:(バリ島高級リゾート地「スミニャックの海岸」を散策する・・)

昨夜遅くまで(真夜中過ぎてor早朝といった方が正しかろう)『成分分析onWEB』なるものに夢中になり、気が付けば、2時間も分析に没頭していた。
四国在住の九州男児「漢の勲章」さん、さらにご存知「TS@ひねくれ者」さん、さらには「yuyu」さんの記事を拝読した後、なぜか多大なる影響を受け、年甲斐もなく「姓名判断的ゲーム」に没頭してしまった。
分析目的は、我輩の運営する「不肖エセ男爵」ブログの行方を占うもの、さらには自分自身の「創作活動」の力量は如何なものか?などなど、その目的とするところ、あるようで、ないようで、それなりに多彩。かつ、残り人生の「有り様・有り体」に対しての欲望に満ち満ちたものであった。
とりあえず、
昨夜の分析結果に、目をお通し願いたい。

*ご承知の方も多いと思うけれど「この分析」手順とは、要するにインプットした単語文字の羅列により解析される・・・

1)本名+エセ男爵の解析結果
82%は鉄の意志で出来ています
7%は保存料で出来ています
6%はお菓子で出来ています
4%は成功の鍵で出来ています
1%は理論で出来ています

2)ジョージ青木(ブログ小説のペンネーム)+エセ男爵(ブログのタイトル)の解析結果
96%はやさしさで出来ています
3%は言葉で出来ています
1%は成功の鍵で出来ています

3)本名+執筆活動の解析結果
61%は優雅さで出来ています
28%は成功の鍵で出来ています
6%は理論で出来ています
4%は言葉で出来ています
1%はミスリルで出来ています

4)ジョージ青木+執筆活動の分析結果
54%は大人の都合で出来ています
32%は雪の結晶で出来ています
8%はマイナスイオンで出来ています
5%はミスリルで出来ています
1%は言葉で出来ています

5)本名+随筆家の解析結果
82%は愛で出来ています
8%はマイナスイオンで出来ています
6%はミスリルで出来ています
3%は心の壁で出来ています
1%は理論で出来ています

6)本名+執筆活動+紀行文と小説の創作の解析結果
83%は勇気で出来ています
13%は回路で出来ています
3%は言葉で出来ています
1%は心の壁で出来ています

7)ジョージ青木+執筆活動+紀行文と小説の創作の解析結果
94%は元気玉で出来ています
6%はマイナスイオンで出来ています

以上、分析結果である。この分析結果にご納得、はたまたその逆にて不可解さ?を思われる方、興味をお示しの方も、そうでない方も、時間をかけた分析努力に免じて、以下のランキングバーをクリック願いたい。

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分析した本人の感想は?
そう、
上記の分析結果に、85%の満足度を得ている。(同じ多くの皆さんも、ご自分自身の『成分分析onWEB』にて分析を試された場合、ほぼ同じ満足度なのか?私にはわからない。ブログを開いていなくても、分析は可能である。皆さん、宜しかったら一度お試しあれ!・・・)
かくして、
なんだか「本名」を開示してブログ小説を書き綴った方がさらによい状況になるような気分になった。
こうなったら、いっそあらためてバリ島あたりに超長期滞在し、今後の我が人生、閑に任せて、もとい、バリ島にて精神集中し、徹底的に執筆活動に委ねるか?
「・・・?」
「はい!滞在費は問題ないです」
「私ならば(という、条件付にて)月間約5万円もあれば、優雅な生活は可能。ちょいと贅沢したければ、10万円。貴族的生活可能なりか・・・」
そんな感じ、昨日記事「US$20.-云々・・」にお寄せいただいたコメントの返信を差し上げながら、真夜中の「起きたままみる夢」を描いてしまった・・・
昨今、
2007年問題の沸騰する中、
「いっそバリ島で生活し、自分独自の活動をしてみるか!」
等々と、
想われる有志あらば、ご一緒に如何か?
(我輩、すでに旅行業とかかわりのある営業活動はしないけれど、ノウハウをお伝えするは、これ、可能なり・・・)
以上、
あれやこれや、昨夜の就寝前、現実可能な夢想を「夢見ること」、その引き金となった「コメント記事」、読者のコメント内容には、いかにもロマン満ち溢れるものあり。
そして、
一日於いた本日、是非ご紹介したくなった。
 
  ================================================

昨日記事の『コメント』抜粋より・・・


A)この絵好きです。 (tono)

2006-05-20 10:55:59

私、絵画の価値は良く解りませんが、
この絵は、よく見ると人は「みずすまし」が如く描かれ、
不気味と言えば、不気味。
ファンタジックと言えばファンタジック。
ちょっと「だまし絵」的な所もあって、私は好きですね。
「鑑定団」は幾らになるか知りませんが、
今、20米ドルなら買います。

ちょっと立派な額に入れて、
「これは、ある有名な画家がバリ島滞在中に描いて、HOTELの支配人に御礼に贈った物だ」
とか言うと20万円位で売れたりして(笑)

--------------------------------

B)構図の感覚が・・ (風子)

2006-05-20 13:33:56

個性的ですね。
私もシンプルなものが好きです。授業中の悪戯書きは
大概 手足が長ーい人間でその手は次ぎのページまで
行くのです。教科書は長い手足と長い首で埋め尽され・
担任から白い眼で見られました。

このバリ島の「絵」で思い出しました。
どんな人が描いたのでしょう。

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C)絵の良し悪し (刀舟)

2006-05-20 14:27:22

私にわかるはずもなく・・・
すみません。

でも、
>所詮ブログとは、これでよいのかも?・・・
こちらはわかります。
ブログ=日記?
思いのままを素直に綴ればと・・・

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D)絵 (yuyu)

2006-05-20 17:50:06

何なんだ?と思う絵ですね。
じっくり見ないと良くわからない^_^;
不思議な感じです。
ぽちっ♪

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E)tonoさん・・ (エセ男爵)

2006-05-20 20:31:22

コメントありがとうございます。
>人は「みずすまし」が如く描かれ・・・
いかにも!
殿下的審美眼&観察眼によれば「みずすまし」なる事、我輩的には芸術的領域を超越し、もって心胆躍動。
頂いているコメントを振り返りつつ、
通して想えばtonoさんの感性、なぜか理解でき、共感に至るのであります。
さらに「だまし絵」とも表現されるか!
ご承知のとおり、
バリ島の画家は、かの横尾忠則風超極彩色にて且つしっとりと湿度を持った「ヒンズー教的現世極楽」を放言するもの多く、それに反し、この小さな「メモ書き」程度の絵画には、黄色の背景に灰色掛かった黒の極細毛筆あるいは硬筆(ペン)でもって「線のみを重ねる技法」にて描かれております。
ですから、
興味を持った・・・・
同じ画商の屋台店にて3日間、同じ「この絵画」ばかり観ていたのです。
20ドルでは(今想えば)格安にて、価値ある買い物だったかも・・・
しかし、
いかにも「鑑定団」に出品鑑定をお願いするような代物ではないのではないか?・・・
な、な~あ~んと、20ドルが20万に化けてしまうとか????
ありがたいお話、鑑定結果を頂戴したりして、、、。
なんだか、tono殿下と(記述上の)お話していると、我が思考&嗜好回路は再三再度、支離滅裂状態に陥ります。
刻一刻、云十秒の一秒単位にて、自分の書いているコメントバックの内容、よく分からなくなりました。。。。

PS:
この会話、当ブログ存続の限り、残りまますので、後はどうかよろしく、おたの、もうします・・・

------------------------------------

F)風子さん・・ (エセ男爵)

2006-05-20 20:44:43

コメントありがとうございます。
>個性的ですね。・・・・
>私もシンプルなものが好きです。授業中の悪戯書きは・・・・
そうです。
バリ島で観た絵の中でも特に特にシンプルなのです。これ以上のシンプルな絵は見たことなく、さりとて、書き掛けの落書きに見えつつも、決して落書きでもなさそうなところがある。
「?・・・!!!」
さて、
上記の文言、
翻訳いたします。
「我輩=負傷もとい不肖エセ男爵には、ようやく風子さんの『ひととなり』、すなわち個性と嗜好が見え始めてまいりました」
などと、
この絵をお気に召して下さった「風子女史」、只今貴女の運営なさるブログ、探索中です。
(未だ解明できず・・・)≒(こうして続けてお越しくださるならば、「その件=何?Blogをお開きか?」、別にたいした問題ではありません)
この絵に興味を示される、美術芸術に対する個性溢れる視線をお持ちで、当然知的で、且つ「豪胆な人生観」をお持ちのはず。そんなすてきな女性読者に「お越し」頂けること、たいへん光栄です!
(失礼しました!また少し、喋りすぎました?)

-------------------------------

G)刀舟さん・・ (エセ男爵)

2006-05-20 20:54:03

コメントありがとうございます。
>絵など分かりようはずもなく・・・
私も分かっていません。
分かっていたら、このような絵を入手していないかも!
しかし、
最近解ったことの中、
「解らない。ということが、解るようになった」
という、私自作の「セリフ」があるのです。
解らなくても構わない。
(例えば刀舟さんのように)
解ったふりをなさらず、素直に「解らない」、という事の云える人間になれない人は、今尚この世の中に大勢存在するはずです。
そんな一括りの人間群から脱却しなければ、本物の人間になれないと重い真面目たのは、私自身ごく最近のできごとなのです。
だから刀舟さんはすばらしい。
(本日もまた、いや、特に、思いのまま、素直に発言しました!)
そんな刀舟さんの「理詰めのBlog」、今からお伺いします。

----------------------------

H)yuyuさん・・ (エセ男爵)

2006-05-20 21:03:09

コメントありがとうございます。
ムム、
yuyuさんらしい・・・
すばらしき文言。

三行からなる叙情詩!

>何なんだ?と思う絵ですね。
ナンなのだ?先ずそう思います。

>じっくり見ないと良くわからない^_^;
じっくり見ても良く解らない。でも、じっくり観たくなる。

>不思議な感じです。
不思議です。絶対に不思議です。

これ、
究極的には、バリ島の歴史と文化を良く知っている人には「そこはかとない想像力」を書きたてられる作品ではないのか?
等と、
実は、
yuyuさんから頂いたコメントを読ませていただいた後になって、そう、思い始めたのです。
素人の私よりも、もっともっと「バリ島独自の芸術」に詳しい「バリ島ファン」の方、数多くいらっしゃいます。そういう方に専門的な論評を頂くのも一考です。
先の、tonoさんのお話、さらに「鑑定団」行き、、
等々、
たった一枚の落書き風絵画から、思いを馳せていくと、行き着くところはそこはかとない「夢の世界」の不思議なマジックに陥っていく。人間の想像力は無限ですね・・・

--------------------------------

I)すみません (風子)

2006-05-20 22:13:40

私はこういう方々の世界と縁が無いものですから
交ざってみたかったのかも知れません。
エセ男爵さんには「おおらかさ」を
「刀舟」さんという方からは「素直さ」を学びました。
ひとときでしたがハイレベルを味わい不思議な
快感でした。
自分の世界に戻ります。
有難う御座いました。

----------------------------------

J)不思議な感じ (あすとろ)

2006-05-20 22:28:22

なんか不思議な感じの構図ですね。
ひかれます。
(・・||||rパンパンッ

-----------------------------------------

K)風子さん・・ (エセ男爵)

2006-05-21 00:35:28

コメントありがとうございます。
エセ男爵≒おおらか・・
刀舟さん=素直さ・・
分析!
ありがとうございます。。
私メをして「おおらか」とおっしゃって下さり、たいへんな快感です。実は、その正反対だったりして、、。
刀舟さんは、果たしで如何でしょう。
ご自分の世界をお持ちの風子さん。
当然でしょう。
ご自分の世界に戻られて、また何時でも「こういう世界」に遊びにお越し下さるよう、お待ちしていますよ。
ありがとうございます。

--------------------------------------

L)あすとろさん・・ (エセ男爵)

2006-05-21 01:19:35

コメントありがとうございます。

「不思議な世界・・・」

この一枚の絵画、芸術の範疇と考えてもよいでしょう。
芸術とは人間の創作想像の世界、即ち芸術世界は不思議な世界でありましょう。

このような不思議的非現実なる世界もあれば、
政治社会問題で四の五の蘊蓄云い合うのも、現実的のようで「非現実」な行動世界かもしれないし、、、。

人それぞれの現実は、他人様にとって非現実、且つ日々の生活とは関係のない世界かもしてません。少しずつ食い違っていて、少しずつ共通な世界が重なり合って「人間集団」を構成する。そういう千差万別の小さなチリのようなものが混ざり合わさって、その結果、コングロマリット(団塊or塊)ができあがり、塊がぶつかり合ったり重なり合ったりくっ付いたり放れたりしながら、日々世の中そのものが、ころがり回って時間が経過する。
これ、
遠くから見れば夜空(大宇宙)の銀河(系)を、小さな地球の地表から眺めているのと同じか?夜空に張り巡らされた銀河の中の、ほのかな光源の一点に見えるのでしょうか?

「・・・?」

こうして、
あれこれ、いろいろ考えてみると、ますます現実からかけ離れていくのかもしれません。
これ、
こんなこと考えること自体、閑な人間のすることか?中でも一番の暇人は私エセ男爵自身なのかもしれません。

-----------------------------------

M)Unknown (あすとろ)

2006-05-21 05:11:03

さらにコメントまで頂戴し感謝しています。

今日はこれから、小学生の相撲大会の取材に出かけます。

(・・||||rパンパンッ

(以上、昨日記事コメント欄の紹介より、、、)

*ことのほか、飴風呂引越記事の再掲載という手抜き記事をして失礼しつつ、且つ、加筆記事の粗雑さにもかかわらず、沢山のコメントいただき、たいへん感謝いたしております。
ありがとうございます。
くわえて、
頂いたコメントの中、さらに想像力たくましき読者の方々のお持ちになっている芸術的感性と人生の創造性に、ブログ管理者より絶大なるエールをお贈り申し上げるものであります。
ご同感の方、是非下記の「ランキングバー」をクリックいただき、応援のほど、宜しくお願い申し上げます。

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交渉結果!US$20.- 「手元にある唯一のバリ島みやげ?」

2006-05-20 08:50:22 | インドネシアとバリ島の話
 
 バリ島長期滞在中の頃、約三年前、25cmX10cm?くらいの小さな「絵」を買いました。

たわいもない?

しかし、時間をかけ入念に描いているではありませんか!
Gペン風のペンでもって、バリ島民の日常的生活風景を描いている。技巧的には驚くべき細やかさ、繊細に描いたもの。いかにも(私から観れば)バリ風、且つ楽観的、コケティッシュな「落書き風」の逸品です。

これ、
「絵」というより「落書き」ですかね。でも、それでいいのだ。
あ~ こうして、あらためてみると、当時を思い出して、懐かしいな。

サヌールのガゼボホテルを海岸線に出たすぐ左側に画商(というほど大げさではない)があり、そこのお兄ちゃんが3日がかりで口説いてきたのです。

最初、60米ドルといっていましたが、最終的には20米ドル・・・
買ってしまいました。
(高いこと、解っていて、、)

ひとつ買うと、また翌日の朝食時、別の絵を買わないか?と、熱心に、人が食事をしているにもかかわらずネットリと口説いてくるのです。

さすが、もう買いませんでした。
連中、なんだかかわいいところがあって断れなくなる、、、。
でも、バリ島の絵は本当にかわいくておもしろい。

  ------------------------------------------------

PS:(これ、飴風呂掲載済み(2005/3/25)引越記事なり・・・)
当時、ブログなるもの始めてまだ1ヶ月少々。いかにも、素朴な記事投稿していること、いかにも初心者っぽいではありませんか。
所詮ブログとは、これでよいのかも?・・・
我ながら、素直な気持ちに立ち返ります・・・

     シンプル・イズ・ベスト(Simple is best)? なのだ!!!

 本日、記事の単純さをお許し頂きたく「単純さも時にはよい!」などと、賛同下さる方、是非、以下、"Ranking-Bar"のクリックご協力宜しくお願います)

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小説『フォワイエ・ポウ』(第30回連載)5章「ニース滞在中の収穫は?」

2006-05-18 10:25:30 | 連載長編小説『フォワイエ・ポウ』
<添付画像>:My most favorite and traditional racing machine: Old Norton, from "Norton Owners Club, UK." Website.

*小説フォワイエ・ポウの著者「ジョージ青木」の個人的偏見なる趣味嗜好、並びに小説の主人公本田マスターの愛車は自転車。最高級ロードスター「愛称・赤いロールスロイス」に因み、且つ、小説愛読者のご要望により、何故かこのところの「小説カヴァー」は、ヨーロッパのバイクシリーズになってしまいましたこと、申し添えておきます。ご了承願いますとともに「バイクに興味の無い読者」におかれましては、暫くバイクのネタが尽きるまでの「ご辛抱+ご了解」方、どうぞ宜しく願い申し上げます・・・
(尚、少しでもオートバイの理解を深めていただく為、本日記事の最終に「基礎知識ご案内」の項目をご用意いたしました。是非ご参照下さい)
   -----------------------------------------

「長編連載小説フォワイエ・ポウ」 著:ジョージ青木

           5章

2(料理との出会い)<前回記載より>

「うわ~、おいしそう。いただきま~す」
「この料理は特に、温かいうちに召し上がってください」
注文も受けていないのに、前もって冷やしておいた白ワインを一本開け、すでに用意しておいたグラスに注(そそい)いだ。
「ここは女性にお願いしよう」
本田は、五反田恵子に向かって、
「どうそ、このワインのテスト、おねがいします」
「ア~、おいしい。わずかにほのかに、甘いかな~」
「分かりますか?ドイツワインです。モーゼルワインで、この店ではドイツワインを専門に出そうか。と、思っています」
五反田によりテストされた同じワインを、今度は大田のグラスに満たした。
大田も飲んだ。
「おいしいです! よく知らないんですが、こんなおいしいワインを紹介して頂き、ありがとうございます」

(以上、前回掲載済分より)

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* 長編小説『フォワイエ・ポウ』の過去掲載分、全30回、、(ご参照希望の方、こちらから入れます!)

   ---------------------------------------------

(本日掲載小説)

ワインの味のよく分からない大田は、素朴に喜んだ。
「先生、これ、ハム料理なんですね?」
みごとに上品に、手馴れたしぐさである。両手にナイフフォークを持分けた五反田恵子は、すでに試食を始めていた。
「そう、珍しいものでも変わったものでもない。ただのロースハムです」
五反田恵子の手元は忙しかった。
「ロースハムに、よい味が付いている。でも、全くソースらしきものは使っていらっしゃらない。なんだろう、この味は?」
カウンターの中にさり気なく立って様子を伺う本田は、微笑んだまま、何も話さずに無言のまま、五反田の独り言には無駄に応答しない。
「・・・」
五反田のしぐさを眺めながら、あえて今、何も応えようとしない本田は、おだやかに頷くだけだった。
「この味付け、ハムにぴったり調和している」
「ノー・プロブレム?」
けっして冗談のつもりではなく、本田からさりげなく英語が出た。
「ノープロブレム! イッツ・OK! メルシー・ボクー」
五反田からも、英語とフランス語が出た。
「野菜の付け合せも、とってもおいしい。ハムの味付けとぴったりと調和している、合っています」

弱めに熱したフライパンにバターを溶かし、ハムの厚切り2枚を一度にフライパンに放り込み、バターが焦げないよう弱火と中火の間、よく火加減を監視しながら熱を通す。ハムの両面に、少し焦げ目が付いた頃を見計らって、仕上げにかかる。仕上げは、大匙2~3杯の白ワインをハムの上からふりかける。ワインが入った後は、フライパンにガラス蓋をし、ワインの水分が飛ぶまで蒸し焼きにすると、出来上がりとなる。塩コショウは使わないが、粉末パプリカを少々。ワインの水分が飛び、調理の終わった出来立てのハムを皿に盛り付けたすぐその後、みじん切りにしたパセリを少々振りかける。
その後直ちに、同じフライパンを使って野菜の調理に入る。
ソテーする野菜は、人参とアスパラガス。
それぞれ軽く茹で上げて下ごしらえした後、バターでソテーする。仕上げの味付けは、軽く塩コショウだけ。仕上げの極めつけは、同じ白ワインを少々ふりかける。わずか10秒程度か、ワインのアルコール分を飛ばすと調理終了。さらに、8等分にカットした半月形のレモンを載せる。
以上、全て最初にハムを装った同じ皿に盛り付ける。
なお、野菜の調理中に、同時に進めておく作業がある。
適度な厚さ、やや斜めにカットしたフランスパン2枚、やや焦げ目が付く程度にトーストする。プチトマトを半分にカットしたもの、5~6センチの長さに切ったきゅうりを、さらにスティック状態になるよう縦にカットし、クリームチーズを一緒に添え、すべて同じ皿に盛り付け、これで全て、試作料理はできあがった。

(誰でも、自分が作った料理を食べてくれる他人の姿を見るのは、うれしいものである)
2人が料理を食べ終わる頃、すでにモーゼルワインが空になっていた。
気が向けば、週末など時間のたっぷりある時、午後の早い時間からビールを飲みながら、酒の肴を作る雰囲気で勝手気儘に適当に気の向くまま、手料理を作っていた本田である。しかし、その料理はあくまでも自分と家族あるいは仲間内が食するものであった。けっして商売目的で作ったものではなかった。しかし今夜は初めて、店の商品としての試作料理を作った記念すべき日であった。それを2人が試食したのである。

 <Intermission(休憩!)>
<(よし!続けて読んでやるぞ。と、思っている方、こちらをクリックしてください・・)

3(ニース旅行からの収穫)

すっかり空っぽになった2枚の皿をかたずけながら、本田は2人に尋ねた。
「いかがでしょう? これ、お店のメニューになりますかね?」
「うれしい! メニューに加えて頂けるのですか!そうしていただけたら、うれしい!」
「ありがとうございます。ウム、これで自信がついた」
「私、ほとんど毎日、帰ってから自分で料理しているのです。1人住まいですから。夕食は夜の9時頃になる。だからほとんど毎日、おなかペコペコ状態ですよ。もう少し早い時間に食べたほうが、身体によいこと分かっています。最近はコンビニで弁当買って帰ったりします。とてもとても、私一人だけで、つまり女一人でレストランなんて入れません。居酒屋なんて女性一人でいくところでもないし、お酒はあまり飲めないし。フォワイエ・ポウでこんな料理をいただけるのでしたら、うれしい。レストランのつもりで、また来ます」
五反田の反応に、本田は喜んだ。
「僕もおいしかったです。でも、こんな味付けの料理があるのは、知らなかった。今まで食べたことないです。そして本当においしかった。でも、マスター、失礼な事お聞きするんですが、いつ、どこで、こんな料理を覚えられたのですか?」
大田が訊ねた。
「そうそう、私も同じ事、お聞きしたいと思っていたの・・・」
五反田恵子も同じ質問をしてきた。
「2人ともうれしいこと聞いてくれるじゃないか。はい、喜んでお答えしましょう」
久しぶりに神経を集中させて料理を作った本田は、いささか疲れた。気分的に一呼吸したくなったところ、本田好みの質問が出たのでさらに機嫌がよくなった。ニコニコ笑みを浮かべながら、本田は勝手に生ビールを注ぎ、ひとまず二呼吸分のビールを、グイ、グイ、と、飲み干す。調理というなれない労働を無事に済ませた本田は、まず、みずからの喉を潤した。
ビールが喉を通った後、ようやく事の次第を喋り始めた。
「そう、今から10年くらい前になるのかな~・・・」
「いやね、おたくと競争になっちゃって、そう、当時のJGBの営業マンと競い合って、当時は今と違っていましてね、全く、海外旅行に行く気分の人は全くいなかったオフシーズンの12月上旬にね、ちょうど今と同じ時期だったかな。大きな団体旅行客をまとめたのです。ヨーロッパのツアーだったから、大きな仕事ですよ」
「バス2台。60名くらいの人員でしたっけ。女性ばかりの団体客を私と、もう一人入社2年目の若い者と2人で添乗し、パリとニースに行ったときのことです。ニースの5ツ星ホテルのレストランで出てきた料理がこれと同じ料理だったのです」
五反田恵子はすかさず質問した。
「昼食ですか?それとも夕食、どちらですか?」
「もちろん夕食です。なぜそうなったか?その時の話、聞いてくれますか?」
「エ~、この料理はたいへん美味しいけれども簡素ですよ?ニースのホテルで、しかもディナータイムに?・・・」
五反田は一人、話に夢中になり始めた。が、となりの大田君は退屈そうですでに眠そうな顔をしている。
五反田は、さらに質問を続けた。
「なんだか、おもしろいな!是非、お話し聞かせてください」

客に対する話題の良し悪しと雰囲気のバランスなど、確認する必要はなかった。すでに2人は真剣になって本田の話しを聞いていた。
また一口、一(ひと)呼吸分の生ビールが、本田の喉を通った。
「わかりました、続けます。話を進めましょう・・・」

<・続く・・>

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付録小編:<オートバイの話>
(ウイキペディア百科事典より)

A)オートバイについて
その歴史から・・
フランスのエンジニア・発明家のルイ-ギヨーム・ペローが考案、1868年に特許取得(当時の特許期間は15年)。1873年のウィーン万博に出品された。蒸気機関エンジン搭載のオートバイであった。内燃機関エンジン搭載のオートバイの原型はダイムラー(現ダイムラー・クライスラー)社により、1885年に作られた。1903年、現代のモペッドの原型となるオートバイをウイリアム・ハーレーとアーサー・ダビッドソンが製造した(後にハーレーダビッドソン社を創業)。
馬車よりも高機動・高性能であったオートバイは社会に浸透し、その後世界大戦において、側車を付けて指揮官の移動手段としてや偵察部隊などの機動部隊の装備として採用される事になる。第二次世界大戦終戦後日本においては、それまで戦闘機や軍用車を製造していた会社がこぞってオートバイを製造販売するようになった。本田技研工業が戦時中汎用エンジンとして製造していたエンジンを自転車に取り付けたのが同社における最初のオートバイ事業であった事は有名な話である。このオートバイの系譜は長く、現在はカブの愛称で親しまれる。オートバイは舞台をサーキットに移し、レースに世界各国のオートバイメーカーが参加した。精密加工を得意とする日本の企業は高回転高出力エンジンである並列多気筒エンジンを搭載したオートバイで参戦し、タイトルを日本で塗りつぶし、市場における優位性を確保した。こうして日本はオートバイ大国となる。
しかし、道路が舗装整備され、自動車が一般的な乗り物として普及すると、国内におけるオートバイ市場は頭打ちとなった。たくさんのオートバイメーカーが倒産、あるいは合併した。その後、東南アジアを中心とする発展途上国の市場が拡大し、オートバイメーカーの活路は世界を対象としたマーケットにシフトしていく。一方、日本ではオートバイは趣味の乗り物とされるようになっていく。しかし、高い機動性はビジネスバイクという形で社会に親しまれ、バイク便など高速輸送にも使われる。救急車よりもより早く緊急現場に駆けつけることが出来ることから救急バイクなども存在する。警察の交通機動隊が使用する白バイも、オートバイの高い機動性によるものである。(記事の続き、ウイキペディア百科事典にて。こちらから入れます・・・

B)オートバイのロードレース
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
移動: ナビゲーション, 検索
ロードレースとは、ロードレース世界選手権 (MotoGP) を最高峰とする、オートバイによる舗装されたサーキットでのレースのこと。公営ギャンブルのオートレースとは別物。海外、特にヨーロッパでは爆発的な人気を誇る。日本国内では人気も知名度も芳しくないが、世界選手権で活躍するバイクのほとんどは日本製である。(詳細、上記WikipediaURLをお開き下さい・・・)
*歴史あるマン島TTレース現在呼称:Manx GP)など、オートバイ・ロードレースの歴史は、知的要素ありヨーロッパのモータースポーツ文化理解に必修価値あり、なのです。

<注釈>:
 冗談にもなりませんが、一言付け加えておかねばなら事があります。恥ずかしながら不肖・エセ男爵にして「自動二輪免許」は所持しておらず、原動機付き自転車(俗称:原チャリ)しか乗車できません。
所詮、所謂「書斎ライダー」なり。
未だに「ガキの心」にて、想像空想の世界に浸り、ひたすらモーターバイクの夢に憧れ、未だに小児性発育不良精神から抜け出せない「不良シニア」なのであります。
以って、
添付記事の試行錯誤甚だしく且つ、意味且つ目的とするところ、いかにも不明瞭。ひらにご容赦願います。
 そして、お願いです。
モーターサイクルのメカニズム・歴史・その他実際自動二輪乗車ご経験をお持ちの方等々、お詳しい読者さまには、如何なる事柄も大歓迎にてコメント欄に思いっきり書き込んでいただきますよう、重ねてお願い申し上げます。

長編小説「フォワイエ・ポウ」(第29回掲載)5章「モーゼルワインの試飲初体験は?」

2006-05-16 12:34:50 | 連載長編小説『フォワイエ・ポウ』
<photo:"Norton 850 Commando">:Norton is a British motorcycle marque from Birmingham and founded in 1898. By 1913 they had begun manufacturing motorcycles. This began a long series of production and racing wins.

「ところで太田君、どうして君は?自分から相撲部の落第生?って、自分から云うのかな?」
「はい、入部して半年目で、相撲部を辞めたのです。ですから僕は、だめな男です」
「相撲部を辞めた。それからどうしたの?」
「いえ、辞めてからは他のクラブ活動はしていません」
「それはそれで問題ない。大学は学問の場所だから、クラブ活動しに行く場所じゃない。でも、なぜ辞めたの?」
「あ~、辞めた理由ですね」
「そう、それ、それが問題なんだ」
「単純です。あんなに頭が痛いスポーツだとは、思ってなかったのです。相撲の立会い稽古は、頭からぶつかる。だから、ぶつかっただけで頭が割れそうに痛いんです。想像していたより頭が痛いんですから、練習中に何回も脳震盪(のうしんとう)になったし、毎日頭が痛くて泣いていました・・・」
「今の大田君の感想、相撲の練習の事、初めて聞いたな。そうか、そんなに頭が痛いスポーツだとは知らなかった」
「・・・」
「太田君、大丈夫だ。大学相撲辞めてよかった。もうそんなこと忘れて、今の仕事に集中したら・・・」

本田の知り合いに、大相撲で十両まで昇進した人が、チャンコ料理店を開いていたのを思い出した。

(以上、前回掲載まで、、、)

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* 前掲載のご案内:
長編小説「フォワイエ・ポウ」の既掲載分をご参照になりたい方は、こちらから入れます、、、

   -------------------------------------------------

長編連載小説「フォワイエ・ポウ」(5章)-3

                 著:ジョージ・青木


十両まで昇進した人物は、ある時点で相撲世界でそれ以上の出世に見切りをつけ、先行き長い将来を考えた。結果、まずは郷里に帰り、現役時代に蓄えたお金を元手に、チャンコ鍋のお店を開いた。
という話は、本田自身の耳で聞いていた。
努力に努力を重ねて十両まで昇進した。にもかかわらず、それ以上の出世に見切りをつけた理由も、彼から聞いていた。どうしても体重の増えない体質、いくら食べても筋肉しか付かず、体重がある程度増えないことには、幕内に入って相撲をとっても、長続きしない。傍で見ているより、実際にはそうとう激しい格闘技であるプロスポーツが相撲である事。これ以上現役で相撲を続けると、まちがいなく自分自身の寿命を短(ちじ)めるに違いない。と、自分自身で判断し、相撲の世界から身を引く決心をした。と、聞いていた。
ちゃんこ鍋料理屋の常連客は本田の知人である。その知人から、事前に相撲界の話を聞いた後、知人の案内でちゃんこ鍋料理屋の経営者に会った。
今や普通の人になったプロの相撲取り。ちゃんこ鍋を食す目的で店に出向いた時、その人物に初めて会った。プロの相撲取りであった人物、ちゃんこ鍋店の店主の体格を見て驚いた。本田にとっては未知の出来事であり、驚異的な出会いであった。
身長は?もとより高い。元関取だった店主の言によれば、現役時代は187センチであったと言う。初めて本田がその店を訪れたのはサラリーマン時代。サラリーマン駆け出しの本田は、まだ20代の後半、チャンコ鍋屋の店主の年齢は、後になって判明したのであるが、本田より僅か2歳だけ年上である。たしか、約12年前の真冬12月上旬の出来事であった。真冬にもかかわらず、元関取の店主は、店内で浴衣(ユカタ)を羽織っていた記憶がありありと蘇ってきた。日常の関取の稽古場での制服とも云うべき浴衣であるから、胸元や足元は丸見えである。
「ン?なんと、彼は寒さを感じないのか。そう、テレビなどで見受ける若い関取衆は、かしこまった場面以外で見受ける姿はほぼ全員、浴衣をはおっている。それを思えば、店主の浴衣姿は、べつに異常ではないのだ・・・」
もともと好奇心の強い本田は、それとなく、さりとて真剣に、店主の立ち居振る舞い姿かカタチを、観察する。
まず、足の大きさが桁違いに大きい。30センチ位か?あるいはそれ以上?もちろんそれ以上だし、店主の手のひらは、本田と比べれば、倍近くはある。すでに四十台半ばの年齢に達した店主は、今、アマチュアゴルフの世界で有名人になっている。したがって筋肉はそれなりの姿を維持されており、遠目に見ればまだまだ体格は均整の取れたもの、並外れた人間におもえた。
ちゃんこ鍋店の店内に、店主の現役当時の数点の写真や化粧まわしなど、展示されていた。断髪式当日の写真は、ひときわ目立った。大銀杏のチョンマゲを切る儀式の写真を拝見する。やはり、いまよりもつっと若い。バランスの取れた面長、もちろんハンサムで、しかも髷が似合っている。いい顔で、土俵の真ん中の椅子に座り、神妙な面持ちで髷を切られるプロフィルのワンショットが店内にあった。
この写真こそ、この店にふさわしく、絵になるものであった。
写真を見て、
(今まで分からなかった。知らなかった。相撲の世界で十両まで昇進した力士とは、一流の人物なのだ!・・・)
頭の中で想像しながら、走馬灯のように彼の現役時代の日常を、本田は自分勝手に、思いだし想いを馳せた。
そんな空想のなか、つかの間ではあるが、本田自身は自分勝手に自分自身現役の関取になっていた。日々の稽古、本場所中の土俵上での真剣勝負等々空想が転回すればするほどに、いつしか本田の神経中枢にはアドレナリンがほとばしり出た。
そんな本田に、突然、武者震いが起きた。
一旦武者振りが治まれば、また冷静になり、相撲世界の現実を分析し始めた。本田にとって、全て遠い想像の世界にあったものが、現実の世界として捉えることができた。十両力士とは、その競争を勝ち抜いた立派な力士の位である。
まして、幕内まで昇進した力士は、大出世の結果である。
「大関は?」
「とんでもない出世か・・・」
「横綱は?」
「天才である!生まれながらにして恵まれた桁外れの体力と修練の成せる結果か」
・・・「天賦の才能か?」
「毎日のガチンコ勝負、稽古と本番の中、怪我をしない怪我をしても治せる体力気力に、最期は鬼にも勝る気迫だけか」
「運もあるであろう。出世などと考えるのは、なんと恐れ多いことか・・・」
単純に比較して考えてみれば、
日本の歴代の閣僚や大臣の総数よりも、角界で大関になった力士の数のほうが少ないのではないか。となれば、大臣より大関の方が偉いのか?
総理大臣を務めた人物の数と、横綱になった人物の数は、いったいどちらが多いのか。横綱の数のほうが少ないとなれば、総理大臣より横綱のほうがえらいのか?
よくわからないが、おおよその答えは出る。
となれば、

サラリーマン出世競争の世界とは、すでに比較の方法が見当たらない、全く別の次元の出来事だと理解した。

すでに、そんな相撲の世界の話を聞いていた本田である。立会いの厳しい稽古などは、ある程度想像できた。しかし、十両まで昇進した人物から、立会い稽古で頭が痛いという話は、聞かなかった。相撲の立会いとは、頭と頭をぶつけるもの、頭が痛いのは当たり前。プロの世界で経験をしてきた人間にとっては、そんな感覚であろう、とも、想像できた。
結論の結論が出た。
(プロ相撲など、普通の人間がやることではない。桁外れの体格を持った人間が命をすり減らしながら、命がけでやること。自分には縁のない世界である)
と、割り切って考えることにした。

この話し、すでに10数年前に聞いた話。元十両関取は、今も元気でちゃんこ鍋店を続けておられる。完全に固定客の定まった経営は、ますます盛んに推移していると聞く。
太田君に会った本田は、ちゃんこ料理店での思い出が浮かんでいた。

「お待たせしました。さあ、召し上がってください。味は?保証できません!ま、召し上がってみてくださいな。申し上げておきますが、あくまでも試食会ですよ。」
開店前に、買ったばかりの道具、新しい包丁とまた板を駆使して仕込んでおいた「試作品」は、完成した。
「エ、エ、もうできたのですか。早いですね」
本田は、2人の相手を一旦取りやめ、調理に取り掛かってから出来上がりまで、たしかに早かった。2人を待たせた時間は、せいぜい5~6分程であった。前もっての段取りと、下ごしらえが、完全にできていたせいである。
「うわ~、おいしそう。いただきま~す」
「この料理は特に、温かいうちに召し上がってください」
注文も受けていないのに、前もって冷やしておいた白ワインを一本開け、すでに用意しておいたグラスに注(そそい)いだ。
「ここは女性にお願いしよう」
本田は、五反田恵子に向かって、
「どうそ、このワインのテスト、おねがいします」
「ア~、おいしい。わずかにほのかに、甘いかな~」
「分かりますか?ドイツワインです。モーゼルワインで、この店ではドイツワインを専門に出そうか。と、思っています」
五反田によりテストされた同じワインを、今度は大田のグラスに満たした。
大田も飲んだ。
「おいしいです! よく知らないんですが、こんなおいしいワインを紹介して頂き、ありがとうございます」

未だ、ワインの味のよく分からない大田は、ワインを試飲するという新たなに体験に接した機会とその雰囲気を、素朴に喜んだ。

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<添付画像解説>:我輩の大好きな英国製バイク。これ、歴代英国の誇り<ノートン850コマンド>。〔NORTON850Commando〕添付画像の解説文章は現在草稿中なり。
念のため?申し上げておきますが、これ、ウイルス撃退用のノートン社製のバイクではないのよ!
かくして添付画像の解説文章<不肖・エセ男爵ブログをご愛読頂いている愛読者のお一人「漢(オトコ)の勲章」とこkennbou-7さん>に捧ぐ!は、現在草稿中。
たぶん明朝まで?お時間下さい、、、。