<添付画像>:湖畔の少年(作・光本桂二)
梅雨開けて、真夏を迎える湖畔、そこに立つ少年、、、。
湖畔の空気と水面は、夏の太陽に暖められて、いやがうえにも湿度は頂点に達するであろうけれど、晴れているゆえに気温が高いゆえに、高い湿度の不快感は全くなく、湖畔に立つ少年はいよいよ始まる(であろう)夏休み期間中の計画を立てているのか? 「物思いに沈んでいる?」という後ろ向きな思考ではなく、遠く将来を見通しているのか、少年哲学者風な面持ちだから清々しく、傍から見ていて気分は良い。
この絵画の時代背景は、凡そ作者ご自身の若き頃の思い出から抽出されているに違いない。 なぜならば、まずこの少年の服装は今的ではなく、昭和30年代の子供の井出達とみる、、、。(いや、違っているか?当時ならば子供のツッカケはなく、下駄の筈だ・・)
鑑賞者エセ男爵めにして凡そ半年前(平成20年6月を指す)この作品を一目見た瞬間、少年の立つ『この湖畔の風景』とほぼ同じ風景が我脳裏をよぎったのである。
それは、
鳥取県の羽合温泉なのだ。
今から約20年前、たった一度だけ、この温泉郷に長逗留(といっても忙しくしていた現役時代の当時、わずか4泊にもかかわらず長逗留?)した記憶が蘇ってきた。 実際に滞在した当時、それは真夏、確かお盆前のこと、ため池のごとき「この湖畔」から、むせ返るような水蒸気立ち昇ってきて、湿度は限りなく100%に近く、万事暑すぎて何もする気がしない無気力な精神状態だった当事を思い出す。 〆て、風景は格別に美しくもなく、ため池の如くよどんだ湖畔の水から発せられる水蒸気には何やら臭気漂う如く不衛生に感じ、山陰地方独特の晴天少なき真夏の気候は総じて不快感一杯の思い出なのだ。
かくして、あらためて作者の出身地を照合すれば鳥取県の画家であるからして、間違いなく『この湖畔』は羽合温泉の『それ』のはず!
あれやこれや、その思い出を脳裏から払拭し、翻ってこの作品に視線を投じれば、羽合温泉郷のプライオリティーのみ抽出されているから流石である。
真夏の河畔の心地よい湿度感覚を、鮮やかにして落ち着いた色彩で表現されているから堪らなく美しい、、、。
感想を締めくくれば、この作品こそ、朝から鑑賞しても精神的に差し支えのない健康的な絵画であるか。
それは比較対象あってのこと。
比較対象とは、前回紹介
山本泰子氏作品『ひとつの顔』のような心象絵画と比較対象して言える事なり。
風景画の中に人物を描く志向を嗜好しないし、元々子供嫌いな我輩であるけれども、この作品は別格であって、来年度も亦、光本桂二画伯作品に出会いたいのであります、、、。
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作品紹介メモ:
No. 65
資 格: (会員)
作者氏名: 光本桂二 (鳥取)
題 名: 『湖畔の少年』
受賞名: 会員秀作賞