Cafe & Magazine 「旅遊亭」 of エセ男爵

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井上和彦著『日本が戦ってくれて感謝しています・アジアが称賛する日本とあの戦争』

2013-10-25 18:17:46 | 教養・文化・歴史
 産経新聞出版書籍編集部のつくった本・井上和彦著『日本が戦ってくれて感謝しています・アジアが称賛する日本とあの戦争』……
カフェマガジン旅遊亭より転載しています)
 
産経新聞さん、トータル的にありがとう。

日本が戦ってくれて感謝しています アジアが賞賛する日本とあの戦争日本が戦ってくれて感謝しています アジアが賞賛する日本とあの戦争(2013/09/29)井上和彦商品詳細を見る

 良書です。

 夜な夜な(寝る前になって)寝床で読んでいます。お書きになった時間場所や原稿の書き方が異なりゴッタマゼでつぎはぎだらけの、纏まりの無い雰囲気の一冊です。しかし書かれている内容は一本筋が通っていて、非常に良いです。

 いわゆる自虐史観による近現代日本史の書籍が蔓延る中、まともな歴史書はなかなか見当たらないのが現状です。近代史の物事を推し量るのには、必ずや基準が要ります。基準(秤?物差し!)無くして、異なる文化や歴史の比較は不可能です。比較しようもない状態で、歪曲された日本史を鵜呑みにしてはいけません。

 本書は、日本近現代を考察する際の基準(≒norm)となる記述がなされている、と考えます。


(投稿:トーマス青木)

<追記>:優柔不断な文章(上述本文)を書いた不本意な気分おさまらず、その反省を込め、とあるFacebook Frend に再度、評価をお願いしたが、さほど酷評は頂きませんでした。以下(トーマス青木の返事のみ)紹介します……

<以下FBコメント欄よりコピペ掲載>
  ありがとうございます。Kさんの『お考え』をお聞きし、ひと安心いたしました。既にご推測の通り、本書の内容はいろいろな形で発表されたもの、貴兄ご承知の事ばかりにて、ジャーナリスト井上氏が各方面にばら蒔いた原稿を寄せ集めただけの、無編集且つ乱暴極まりない寄せ書きの一冊です。ま、若きジャーナリストだけに活動的で若き頃から体張って集めた旧大東亜(の各国)各地の生(ナマ)の情報を記載しているので面白いです。となれば思想の左右を問わず、ひとつの共通基盤的事実集になると考えます。そこに、私的な表現『norm=基準』が出来る。基準無くして公平な評価出来ず。試行錯誤の続く近現代日本史の評価基準を(その一つを)、例えばこの一冊に於くのも良いではないか!?と、我が左的FBF乃至、方向感覚の無い不感症的左巻きFBFにはちょうど良い参考資料になるのではないか?と思った次第です。なるほどKさん仰せの通り、小学校中学校の副読本にすればいいという志向も実に佳い思考です。総じて、実に心地よいコメントを頂きました。ありがとうとございます。11月に入って、選挙も済んで、彼是一段落して、またお会いしましょう。<以上、コピペ引用終り…>

大亜細亜悲願之碑(2);東京軍事裁判、判事・パール博士のこと

2013-10-03 08:45:55 | 教養・文化・歴史
<添付画像>パール博士揮毫石碑
(撮影年月日)平成25年9月23日
(撮 影 者)トーマス青木

 石碑の文言によれば、パール博士は昭和27年に来広されている。
 その時分に、(在広島の?)某団体からのリクエストをお受けになって揮毫された、とある。
 書き写ししながら、碑文建立の趣旨や経緯について詳細を知りたくなった。
 もちろん過去に幾度か、パール博士碑文のお話しをお聞きし掛けたけれども、それを主題にする状況ではなかったので、しかと聞き及んではいない。
 こうなったら、いてもたってもおれなくなった。
 是非とも今月中旬迄にアポイントをとって、本照寺ご住職にお会いしたい。石碑の経緯を、あらためてお訊ねしてみる。
 戦時中のこと、先代住職(現在のご住職の御父上)が満州に渡り、布教に勤められた。終戦後(昭和20年)から数年経って引き上げ者として帰国された。新たに配属された寺が、原爆で被災した広島市内のお寺(現在の本照寺)になった、と聞いた。その時以来、本照寺が満蒙開拓団の引揚者達のアジトになり、先代住職を取り囲んで毎晩酒盛りが繰り広げられた、とも聞く。ここら辺りの武勇談や豪傑話は今のご住職がしっかり引き継いでおられるはず。 しかとお聞きして、パール博士の石碑との関連性を整理したい。
 したがって石碑もう一回、最終章を認めます。(トーマス青木)

   -------------------------------------------------------------

(以下、石碑本文の写し)

 ベンガル語の慰霊文は東京軍事裁判でただ一人

 心理と国際法に基づき 日本の無罪を主張し

 原爆投下の非人道性を指摘した インド代表判事パール博士が 

 昭和二七年の秋来広の際 期の碑文建立の趣旨に共感し 

 半日瞑想推敲して揮毫されたものである

 アジアの民族解放運動と戦禍にたおれた

 満蒙華印等動乱大陸の人々の面影偲び 浄石にその名 記し

 石窟内に奉安 有志恒友相倚り碑を建立した

 慰霊の式典をかさねこと三十三回

 昭和四十三年五月 恒友協力 浄域を整え再建す


    日 文 源田松三筆

    英訳文 エ・エム・ナイル

    碑 銘 大亜細亜 は 

    宮島詠士先生 遺墨に依る


             (以上、下記写し了)

   <…第3章に続く…>



* 前編『大亜細悲願の碑亜(1)』へ、こちらから戻れます・・・

大亜細亜悲願之碑(1);東京軍事裁判、判事・パール博士のこと

2013-10-02 09:08:17 | 教養・文化・歴史
<見出し画像>本照寺境内にて
撮影年月日:(平成25年9月23日)
撮 影 者:(トーマス青木)
撮影機材 :(FUJIFILM X20)

 広島市内のまん中に日蓮宗『本照寺』あり。
 そのお寺の境内に佇む石碑あり。
 それは、『大亜細亜悲願乃碑』……
 数年前から、「この石碑の文言に目を通しておかねばならぬ……」
 と思っていたのです。
 先日、秋季彼岸法要に出席した際、とりあえず石碑文言を画像にし、書き下ろしました。 パール博士碑と広島の本照寺との関連について述べなければならないこと多々あるのですが、先ずは石碑文言通読が先だ。


  『大亜細亜悲願乃碑』



  『日蓮宗・本照寺』山門、、


 山門を入る。右手の庭園に石碑は建立されている。


  『パール博士石碑』……


 大亜細亜悲願之碑

 激動し変轉する歴史の流れの中に

 道一筋につらなる幾多の人達が

 万斛の思いを抱いて死んでいった

 しかし

 大地深く打ちこまれた

 悲願は消えない




 ②

 抑壓されたアジアの

 解放のため その嚴粛

 なる誓にいのちを捧げた

 魂の上に幸あれ

 ああ真理よ

 あなたは我が心の

 中に在る その啓示

 に従って我は進む

  一九五二年二月五日

   ラダビノード・パル




 English Translation From
   Bengal Language Text of this moment: ―

 For the peace of those departed souls who took upon themselves the solemn

vow at the salvation ceremony of oppressed Asia,

 “Oh! Lord, thou being in my heart,

    I do appointed by you”

    1952.11.5 Redhavinod Pal



以上、
 石碑に刻まれた文言の紹介。

次回、
 継続して石碑建立の経緯が紹介された文言を紹介します。


               <…続く…>

 
   (続編『大亜細悲願の碑亜(2)』へ、こちらから入れます・・・