奇想庵@goo

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コンピュータゲームの話をしよう

2005年08月23日 21時20分57秒 | アニメ・コミック・ゲーム
人並み以上にゲームをしてるわけでもないし、腕も悪い(特にアクション・シューティングなど)。基本的に「ぬるゲーマー」な私だけど、ゲームに対する嗅覚だけは少し自信がある。発売前全く無名だった『ダビスタ』や『ガンパレ』を発売日に買ったりと、面白そうなものに対してけっこう貪欲だったりする。
好きなジャンルはRPGと言いたいところだが、いわゆる「一本道」RPGはほとんどやる気が起きない。つまらないからだ。『ドラクエ8』もプレイしたが、自分の中での評価は文句なく「クソゲー」。あれほど評価できる部分のないゲームはないんじゃないかと思える内容だった。

最近いくつかのゲームをプレイして、その批評に戸惑うところがあった。ゲーム(コンピュータゲーム)と一口に言っても、そのジャンルは様々で、面白さの質も異なる。それをどう分類して評価していくか考えた末、ゲームの目的別に3つに分類することにした。

1.ゲーム系ゲーム
ゲームのプレイ自体が楽しさの根源というタイプのゲーム。アクションやシューティング、パズル系ゲームがこれに当てはまる。プレイヤー自身の腕の上達が要求されるゲームでもある。非アクション系パズル(フリーセルなど)もここに該当する。

2.ツール系ゲーム
プレイヤーに遊び方を委ねたタイプのゲーム。プレイヤーがゲームの目的を設定したり、クリアへ至る道筋を決めたりできる。スポーツ系や、戦略系(ストラテジー)、オンラインRPGなどが当てはまる。大まかに捉えると、何かをシミュレートしたゲームとも言えるだろう。プレイヤー自身の遊び方でゲームを大きく変える可能性を持っている。

3.ストーリー系ゲーム
キャラクター、イベント、設定、そしてストーリーが中心となるゲーム。RPGやアドベンチャーゲームが当てはまる。主にプレイヤーキャラの成長が重視される。ただし、キャラクター、イベント、設定はともかく、ストーリーで成り立つゲームは未だに存在しないと思われる。

以上の3つに分類できるわけだが、もちろんそこに優劣はない。ただゲーム系とストーリー系は両立しにくく、ツール系は他の2者と両立しやすい。つまりツール系は他の二つの中間的位置と言えるだろう。

いくつかのゲームをこの分類で見てみる。
今いちばんハマっているのは『ウイニングイレブン9』。名作サッカーゲームの最新作だが、試合をプレイする楽しさはゲーム系のそれだが、それ以上にツール系としての魅力が満載。マスターリーグで選手の育成や起用の面白さがゲームを飽きさせない仕掛けとなっている。
『ロマンシング・サガ ミンストレルソング』は自由度の高いRPGで、クリアまでの道筋の多様さ、仲間の選択肢の多さなどプレイヤーごとに、またプレイするごとに違った面が見られるツール系ゲームの特徴を有している。しかし、キャラクターや世界観も独創的で、RPGらしさも満載だ。やはりストーリー系ゲームとして評価するのが正しいと思われる。
『絢爛舞踏祭』は過去にも述べたように明らかにツール系ゲームだ。クリアなどもあくまでもひとつの目安に過ぎず、どうプレイするかがこのゲームの魅力になっている。対して、前作とも言える『高機動幻想ガンパレード・マーチ』はツール性もあるが、キャラクターや世界観がずば抜けて優れていてストーリー系ゲームとして評価すべき作品と言える。

『絢爛舞踏祭』については、『ガンパレ』同様にストーリー系ゲームとして期待していて、ツール系ゲームだったことに違和感を覚え、十分に楽しむことができなかった。一方、ツール系と予想していた『ポンコツ大浪漫活劇バンピートロット』は、ジャンルはRPGではないが、RPG的ストーリー系ゲームと分かり、すんなりと入っていくことができた。
優劣はないが、好みとして、このツール系とストーリー系の狭間が良かったりする。バンピートロットはうまくその隙間にハマったが、絢爛は狭間よりは遥かにツール寄りだったと言うことも出来る。

ツール系に挙げたオンラインRPGの中でも最もストーリー寄りなのが『FFXI』だ。3年以上このゲームをプレイしているが、正直オフラインゲームはオンラインゲームに太刀打ちできない。オフラインゲームの最高点が100点なら、オンラインゲームの最高点は500点くらいあるからだ。しかし、同時に、オフラインゲームの最低点が0点とすると、オンラインゲームの最低点は-500点くらいある。強烈な楽しさと激烈な苦しさが同居するのがその特徴とも言える。もちろん、オンラインゲームは時間が掛かりすぎるというネックがあり、そこにオフラインゲームの付け入る隙があるとも言えるが、そんな志の低いものでなく、オンラインを越えるオフラインゲームの登場を期待してはいるのだが、今のゲーム業界に期待するだけ無駄かとも思ってしまう。

ゲームはまだ歴史の浅いジャンルであるが、ドッグイヤーで進化し、今や若さを感じないようになってしまった。数多くのゲームが世に出たが、いいゲームはほんのわずかで、歴史に名を残すようなゲームは数えるほどしかない。そして、エンターテイメントという枠で見たとき、評価に値するゲームが果たしてあったかどうか。
ガンパレが登場したとき、ドラクエ4をプレイした時に感じた「ゲームの未来」にようやくたどり着いた気がしたが、未来はそれっきり途絶えてしまった。個々のゲームの評価とは裏腹に、ゲームの未来は闇しか見えない。


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2 コメント

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 ゲームの進化の頭打ちと言うのは、ゲーム開発が... (中原はもの)
2005-08-24 18:26:04
 言うまでも無くビジネスってのは支出と収入の差分で利益を得る事なわけですが、現在その収入の部分が完璧に予想可能なんだそうです(「ほぼ」予想可能と言うか、「完璧に」予想可能と言うか、どっちとして表現するか迷ったのですが、ニュアンス的には「ほぼ完璧」。ただそれだと日本語おかしいので、より近い表現で)。
 つまり支出を含めて企画書が上がった段階で、収入及び利益が既に「決定」しているわけです。ビジネスとして、それは正しい姿であると言えます。
 しかし当然ですが収入(売上)の予測は過去のデータから行う訳で、過去に無いゲームの収入(売上)は予測し難いのです。よって、ビジネスとして正しい姿でゲームを開発するには「過去にあるゲームを作るしかない」と言えます。
 また、会社の信頼度とは定期的に収入の有る事で、ゲーム会社の場合コンスタントにゲームを販売している事です。一期に支出4収入5の企画を1件こなすのと、二期にまたがり支出8収入11の企画を1件こなすのでは、前者の方が会社としての信頼は高いのです。
 以上二件を踏まえれば、現在のゲーム開発は「適当な尺度の」「過去にある」ゲームを作る事であると言えるかと考えています。面白さを上げる事を第一目的として開発される時代はとうに過ぎ去ったと思っています。おそらく、FC時代から既に。
 勿論、自己模倣の円環が出来上がってからも、それをブレイクスルーした作品もあります。
 例えば、新規の発想により落ちものという新しいジャンルを生み出した「テトリス」
 それまでの2DのWarSLG(懐かしい言い回しだ)から高さの概念を開発し、SLGに明らかな進化を遂げさせた「タクティクス・オウガ」
 ハンディゲーム機の特性を最大限に活かして人とのコミュニケーションツールにまで手を掛けた「ポケットモンスター」
 そして「ガンパレード・マーチ」。電撃ワークスが攻略本をだす際に、「収入(売上)」の予測が付かない為通販にせざるを得なかった事からも解るように、過去に無い(データの無い)作品です。上記の円環の事を考えれば、ガンパレード・マーチが起こしたムーブメントはゲーム業界の奇跡と言ってもいいかも知れません。
 また、オンライン・ゲームもブレイクスルーと言えるでしょう。
 適当にチョイスしたので、まだまだあるとは思いますが。

 現在ビデオゲームの進化は、表現技術の向上に頼りながら突然変異の確率を自分達の手で下げつつ、突然変異の誕生を待っている状態だと思います(つまり人任せ)。
 だけど、それをいったい誰が責められるでしょう?開発するのは人間です。人は食べていかなきゃいけません。会社だって安定した利益がほしいでしょう。ユーザーだって、一定に保障された快楽を発売されているゲームから受け取って満足しています。
 個々のゲームの評価とは裏腹に、ゲームの未来は闇しか見えない。という奇天さんの意見はとても共感しています。でも、それが当然だと諦めている自分がいます。

 正直文章が苦手なので、阿呆な文を垂れ流してたらすいません。
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ビジネスモデルとしてのゲーム業界のあり様を、よ... (奇天)
2005-08-24 20:40:28
商品としてのゲームソフトは、開発費が掛かれば掛かるほどリスク回避が必要となり、冒険ができなくなる=売れた実績のあるものを作るようになるという状況となっているのはおっしゃる通りです。それは市場の停滞を生み、少子化ともあいまって国内の状況はこのままでは悪くなる一方でしょう。
合併・吸収などでソフトメーカーは生き残りを賭けた方策を模索していますが、今のビジネスモデルはあくまでも目先の安定に有効なだけで近い将来に対応したものでないという事実からは未だに目をそむけたままというのが今のゲーム業界の姿だったりします。

他のエンターテイメント業界に目を向けると、小規模で制作できる小説・コミック・音楽などは別として、ゲーム同様に大規模なものとして映画とアニメが参考になる。
映画はその歴史の長さから、監督が絶対的な権限を持ち、芸術性を表現できるシステムがあった。今はプロデューサーの強いハリウッドスタイルや日本で流行っているTV局主体の制作方法が目に付くが、それでも商品的イメージでなく作品的イメージの高い作品がたくさん作られているのが映画の世界だ。
一方、アニメは一部の劇場作品や、ごくごく一部のTVアニメにおいて監督の個性が表出することがあるが、ほとんどが商品であり、限られたマーケット向けに再生産されているのが現状だ。それでもアニメは、宮崎駿や押井守といった「表現者」を生み出した。

ゲームがゲームと言う表現の中から人の心を揺り動かす内容の作品を生み出すことができるのか。今のままでは無理だろう。でも、諦めてはいない。国内がダメなら海外がある。私はプレイヤーという立場から、この思いを持ち続けていくと思う。
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