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感想:『数学ガール/ゲーデルの不完全性定理』

2010年03月24日 08時30分43秒 | 本と雑誌
数学ガール/ゲーデルの不完全性定理数学ガール/ゲーデルの不完全性定理
価格:¥ 1,890(税込)
発売日:2009-10-27


シリーズ3冊目。本書で取り扱っているのは「ゲーデルの不完全性定理」。「理性の限界」を示すなどとも言われるが、数学の新たな可能性としてそれを捉えている。
全10章。数論がメインとあって、決して容易ではない。

たとえ、世界中の人が《わかった、簡単だよ》と言ったとしても、
自分がわかっていなかったら《いや、自分はわかっていない》と言う勇気。
それが大切なんだ。


本書のこの言葉に照らし合わせれば、私はまだ分かったとは言えない。

特に第10章「ゲーデルの不完全性定理」は難解だ。これまで新書などで読んだことはあったが、次元が違う。論文に即して登場人物たちと共に読み解いていく。細部はともかく基本的な点では安易な省略をせず難しいままに提示している。

定義37 IsNotBoundIn(z,y,v)は《zは、yの中でvが"自由"な範囲に、"束縛"された"変数"を持たない》という述語。
IsNotBoundIn(z,y,v)⇔¬(∃n≦len(y) [ ∃m≦len(z) [ ∃w≦z [ w=z[m]∧IsBoundAt(w,n,y)∧IsFreeAt(v,n,y) ] ] ] )

(⇔の上にdefの文字がある)

「こんなの分かるかー!」なのだけれど、分からないことを見せないことが親切なわけではない。これらを全て理解できる人は読者の中でもほんのわずかだろう。「数式を一つ入れるたびに本の売り上げが落ちる」なんて言葉を見たことがあるが、この難解な式を見れば読むのを躊躇うのも仕方がない。しかし、それでもこのとてつもなく高いハードルを見せてくれたことに意義があると思う。
難しいものを隠して、分かりやすく、単純に説明する。表面だけをなぞって分かった気になる。そんな甘さを粉砕している。
もちろん、ここまで難解なのは10章だけであって、9章までは高校レベルの知識と能力があればついていけるはず。

あくまで数学がメインな作品だが、物語は高校二年生から三年生になる春が舞台ということで主人公の揺れる気持ちが随所に描かれている。
そんな中でミルカが主人公に語った「落ち込む自分に酔うな」はいい言葉。ゼロ年代主人公の多くに浴びせたい一言だ(笑)。

某ブログで本書の感想としてリアリティの欠如を指摘していた。理系女子はこんな主人公に惚れたりはしない、と。まあ、それは間違いないだろうが、本書においてリアリティに価値はない。
小説におけるリアリティの価値は実は難解な問題である。日本は私小説が栄えたせいでリアリティ偏重の小説観がまかり通っているが、それは小説、特に文学において閉塞を生み出した。
SFやファンタジー、マジックリアリズム、ゲーム的リアリズムなど非リアリティの系譜が特に近年顕著になっているのも必然性あってのことだ。これは当然ながら書き手だけの問題ではなく読み手の問題でもある。読み手のリテラシーがなければそこから読み取ることはできない。このことについては別に記事を立てて書きたいと思っている。

本書に「ガリレオのためらい」という言葉が出てくる。17世紀、ガリレオは自然数と平方数が全単射(要素が1対1で対応している二つの集合)の関係になっていることから、それぞれの個数が等しいと考えられるか悩み、無限では等しいとは言えないと結論付けた。しかし、19世紀デデキントが無限とは全体と部分との間に全単射が存在するものであると発想を逆転させた。
数学では辻褄の合わない状況から、負の数や無理数、虚数といった概念を作り上げた。「ガリレオのためらい」もしかり。そして、「ゲーデルの不完全性定理」もしかりだという。
不完全性定理と並んで取り上げられることの多いものに、物理学における不確定性原理がある。これもまた科学の限界を表すものと捉えられがちだが、逆に量子とはそういう振る舞いをするものだという発想が得られた。不完全性定理も現代数学の出発点の一つとなっている。数学によって分かることは何か。その限界の一端を知ることは、知の限界ではなく、むしろ新たな広がりに繋がっていく。

楽しい数学の時間を味わうに最適な一冊だった。(☆☆☆☆☆☆☆)




これまでに読んだ結城浩の本の感想。(☆は評価/最大☆10個)

数学ガール』(☆☆☆☆☆☆)
数学ガール/フェルマーの最終定理』(☆☆☆☆☆☆☆)


感想:『天冥の標2 救世群』

2010年03月24日 07時31分51秒 | 小川一水
天冥の標 2 救世群 (ハヤカワ文庫JA)天冥の標 2 救世群 (ハヤカワ文庫JA)
価格:¥ 798(税込)
発売日:2010-03-05


1巻の「メニー・メニー・シープ」からストーリーは全く別の地平へと移り、舞台は近未来の地球となった。近未来、いや現代のと言ってもいいくらいの近さであり、主に描かれているのは日本、そして日本人。同じ創作物と言っても、明らかに架空の世界と日常からわずかに離れた世界では受け取る重みが変わってくる。
パンデミックという災害パニックの凄まじさを小川一水らしいストーリーテリングでこれ以上ないほど熱く読ませる。正直、キャラクターの魅力はもう一つだし、暗く重い展開に気持ちも沈み加減になった。それでも、読まずにいられない筆致の強さがあった。これぞ小川一水といった感じか。

ただし冷静になって思い返してみれば、展開にやや強引さが感じられる。架空世界が舞台ならいざ知らず、現実世界が舞台だとどうしても目に付いてしまう。
例えば、回復者たちの扱いはやっかいな問題であり、人権を無視して殺害する手ももちろんあるが、ワクチンの供給源である以上その価値は非常に高い。たとえ彼ら全てを殺害したからといって根絶できる保障は全くなく、感染力の高いリスクを考えればワクチンの存在は無視できない。現実であれば回復者を金蔓と見て多くの人間が蠢くだろう。そこに回復者たちの自由や幸福があるというわけではないが。危険があっても金のために動く人間はいくらでもいる。
『第六大陸』でもそうだったが、ストーリーのための強引さは世界が現実に近いほど見えてしまう。リアリティが大切なのではない。もっとうまくだまして欲しいだけだ。

パンデミックと言えば、『ドゥームズデイ・ブック』を思い出した。コニー・ウィリスのこの作品は小川一水とは対称的に、ノミが跳ねるようにあちこちにストーリーが飛び回る。一本の道を全力疾走で駆け抜けるような小川一水と、枝分かれしあちこち行き止まりだったりしながらそれでも最後には全てが収束するコニー・ウィリス。伊坂幸太郎も後者のタイプだが、スピード感やわけの分からなさでは太刀打ちできていない。読み終わってから時間が経ってじわじわと忘れられなくなるような不思議な作家だ。
小川一水はそれとは全く異なるが、一方で本シリーズはそんなどこに行くか分からない雰囲気をかもし出すことに成功している。キーとなる単語が散りばめられ、SFファンにそれらを連想させる仕掛けは上手いと思うが、そうした小細工以上にやはりこの壮大な物語をどう纏め上げるのかが楽しみだ。まだ2巻。全10巻を予定しているシリーズだけにまだまだ風呂敷を広げていって欲しい。単純にまとまらない極太の物語を期待したい。
本書の「重さ」を最後にしっかりと繋げて欲しい。(☆☆☆☆☆☆)




これまでに読んだ小川一水の本の感想。(☆は評価/最大☆10個)

復活の地』(☆☆☆☆☆☆)
天冥の標I メニー・メニー・シープ 上・下』(☆☆☆☆☆☆☆)
時砂の王』(☆☆☆☆☆)
老ヴォールの惑星』(☆☆☆☆)
第六大陸』(☆☆☆☆)
天涯の砦』(☆☆☆)