![]() | 数学ガール/ゲーデルの不完全性定理 価格:¥ 1,890(税込) 発売日:2009-10-27 |
シリーズ3冊目。本書で取り扱っているのは「ゲーデルの不完全性定理」。「理性の限界」を示すなどとも言われるが、数学の新たな可能性としてそれを捉えている。
全10章。数論がメインとあって、決して容易ではない。
たとえ、世界中の人が《わかった、簡単だよ》と言ったとしても、
自分がわかっていなかったら《いや、自分はわかっていない》と言う勇気。
それが大切なんだ。
本書のこの言葉に照らし合わせれば、私はまだ分かったとは言えない。
特に第10章「ゲーデルの不完全性定理」は難解だ。これまで新書などで読んだことはあったが、次元が違う。論文に即して登場人物たちと共に読み解いていく。細部はともかく基本的な点では安易な省略をせず難しいままに提示している。
定義37 IsNotBoundIn(z,y,v)は《zは、yの中でvが"自由"な範囲に、"束縛"された"変数"を持たない》という述語。
IsNotBoundIn(z,y,v)⇔¬(∃n≦len(y) [ ∃m≦len(z) [ ∃w≦z [ w=z[m]∧IsBoundAt(w,n,y)∧IsFreeAt(v,n,y) ] ] ] )
(⇔の上にdefの文字がある)
「こんなの分かるかー!」なのだけれど、分からないことを見せないことが親切なわけではない。これらを全て理解できる人は読者の中でもほんのわずかだろう。「数式を一つ入れるたびに本の売り上げが落ちる」なんて言葉を見たことがあるが、この難解な式を見れば読むのを躊躇うのも仕方がない。しかし、それでもこのとてつもなく高いハードルを見せてくれたことに意義があると思う。
難しいものを隠して、分かりやすく、単純に説明する。表面だけをなぞって分かった気になる。そんな甘さを粉砕している。
もちろん、ここまで難解なのは10章だけであって、9章までは高校レベルの知識と能力があればついていけるはず。
あくまで数学がメインな作品だが、物語は高校二年生から三年生になる春が舞台ということで主人公の揺れる気持ちが随所に描かれている。
そんな中でミルカが主人公に語った「落ち込む自分に酔うな」はいい言葉。ゼロ年代主人公の多くに浴びせたい一言だ(笑)。
某ブログで本書の感想としてリアリティの欠如を指摘していた。理系女子はこんな主人公に惚れたりはしない、と。まあ、それは間違いないだろうが、本書においてリアリティに価値はない。
小説におけるリアリティの価値は実は難解な問題である。日本は私小説が栄えたせいでリアリティ偏重の小説観がまかり通っているが、それは小説、特に文学において閉塞を生み出した。
SFやファンタジー、マジックリアリズム、ゲーム的リアリズムなど非リアリティの系譜が特に近年顕著になっているのも必然性あってのことだ。これは当然ながら書き手だけの問題ではなく読み手の問題でもある。読み手のリテラシーがなければそこから読み取ることはできない。このことについては別に記事を立てて書きたいと思っている。
本書に「ガリレオのためらい」という言葉が出てくる。17世紀、ガリレオは自然数と平方数が全単射(要素が1対1で対応している二つの集合)の関係になっていることから、それぞれの個数が等しいと考えられるか悩み、無限では等しいとは言えないと結論付けた。しかし、19世紀デデキントが無限とは全体と部分との間に全単射が存在するものであると発想を逆転させた。
数学では辻褄の合わない状況から、負の数や無理数、虚数といった概念を作り上げた。「ガリレオのためらい」もしかり。そして、「ゲーデルの不完全性定理」もしかりだという。
不完全性定理と並んで取り上げられることの多いものに、物理学における不確定性原理がある。これもまた科学の限界を表すものと捉えられがちだが、逆に量子とはそういう振る舞いをするものだという発想が得られた。不完全性定理も現代数学の出発点の一つとなっている。数学によって分かることは何か。その限界の一端を知ることは、知の限界ではなく、むしろ新たな広がりに繋がっていく。
楽しい数学の時間を味わうに最適な一冊だった。(☆☆☆☆☆☆☆)
これまでに読んだ結城浩の本の感想。(☆は評価/最大☆10個)
『数学ガール』(☆☆☆☆☆☆)
『数学ガール/フェルマーの最終定理』(☆☆☆☆☆☆☆)