昨日(6月10日付)の読売新聞夕刊のよみうり寸評は次のような内容だった。
以下、日本の番狂わせを願う内容へと変わっていくわけだが、アメリカンフットボールのファンからすれば、この記述は明らかにおかしい。
まず、最初に書かれている、「サッカーが米国でスポーツの主流になれない理由は、強い者が正当に勝てないからという」という部分だが、アメリカで人気のある野球やバスケットボールを思い浮かべれば、これが全くの的外れであることは誰でも分かるだろう。
弱いと予想されるものが強いと予想されるものに勝つことを「アップセット(番狂わせ)」と呼ぶが、一試合あたりのアップセットの起こる確率は、野球やバスケットボールの方が遥かにサッカーより高い。今年の春にWBCがあったが、野球における一発勝負の正当性は低いため、一試合の結果だけで世界一というのには疑問の余地もあるほどだ。
プロのリーグでは100試合を越えるようなペナントレースを戦い、更に複数試合の優勝決定戦が繰り広げられるのが普通。優勝チームの勝率などを見ても、サッカーよりも強弱の関係が試合結果に繋がらないのは明白だ。
次に、「アメリカン・フットボールのように、強い者が、力で勝つことを好む米国人」とあるが、果たしてそうか?
確かにアメリカンフットボールは野球やバスケットボールに比べるとアップセット率は低い。その一面にはよりフィジカルなスポーツだからという部分があるからだろう。サッカーの場合、フィジカルコンタクトに関してはバスケットボールに近いと思われるが、得点の入りにくさからアップセットが起きにくくなっている。
アメリカのスポーツは引き分けが起きにくい、あるいは引き分けを認めないものが多いが、ヨーロッパのスポーツは引き分けが戦術の一部となっている。弱いチームは通常強敵に対するとき引き分け狙いで戦うことが出来る。もちろん守り一辺倒では耐え切れないので、ある程度の攻撃に出るのは常識だが、少人数で攻撃することで守りに人数を残す戦術を取る。そのため、ただでさえ点の取りにくいサッカーで守りに入っているチームが得点することは非常に稀なことだ。
ワールドカップの歴史において、弱者が引き分けることはよくあるが、勝つことはそれだけで話題になるほど滅多にない椿事だ。
それを考えると、アメリカンフットボールと比べてサッカーが著しくアップセットが起きるスポーツと言うことはできない。むしろアメリカンフットボールは作戦が勝敗の半分を担うと言われるように、机上での準備が選手の実力を越えて結果に反映するスポーツである。アップセットが起きにくいのはむしろヨーロッパ源流のラグビーの方だろう。
こういった牽強付会はともかく、ではなぜアメリカがサッカー不毛の地と呼ばれるのか。最近は子供のプレイするナンバーワンスポーツとなり、移民からサッカー文化も導入され、プロサッカーリーグも定着しているものの、それでもアメリカのトッププロスポーツとの差は大きい。これは単に歴史的な背景に拠る。
ヨーロッパを離れアメリカに新天地を見い出したアメリカ人は、特に文化の面でヨーロッパからの離脱を図った。その結果として、スポーツにおける非ヨーロッパスタイル、それが野球やバスケットボール、アメリカンフットボールの隆盛を生み出した。もちろんこれらのアメリカ生まれのスポーツはアメリカ的精神が根底にあるがゆえに、いまも根強くアメリカ人に支持されている。
サッカーが米国でスポーツの主流になれない理由は、強い者が正当に勝てないからという◆サッカーライターの後藤健生さんが、「決定版 世界サッカー紀行」(文春文庫)で、そう分析している。足でボールを操るから、ミスしやすい。誤審も少なくない。得点も取りにくい。だから格下でも、必死に守って失点せず、運も味方すれば、1度のチャンスでゴールを奪い、勝てる、と◆アメリカン・フットボールのように、強い者が、力で勝つことを好む米国人には、これが「不条理なものであって、ルールのどこかが間違っている」と見えるらしい◆(以下略)
以下、日本の番狂わせを願う内容へと変わっていくわけだが、アメリカンフットボールのファンからすれば、この記述は明らかにおかしい。
まず、最初に書かれている、「サッカーが米国でスポーツの主流になれない理由は、強い者が正当に勝てないからという」という部分だが、アメリカで人気のある野球やバスケットボールを思い浮かべれば、これが全くの的外れであることは誰でも分かるだろう。
弱いと予想されるものが強いと予想されるものに勝つことを「アップセット(番狂わせ)」と呼ぶが、一試合あたりのアップセットの起こる確率は、野球やバスケットボールの方が遥かにサッカーより高い。今年の春にWBCがあったが、野球における一発勝負の正当性は低いため、一試合の結果だけで世界一というのには疑問の余地もあるほどだ。
プロのリーグでは100試合を越えるようなペナントレースを戦い、更に複数試合の優勝決定戦が繰り広げられるのが普通。優勝チームの勝率などを見ても、サッカーよりも強弱の関係が試合結果に繋がらないのは明白だ。
次に、「アメリカン・フットボールのように、強い者が、力で勝つことを好む米国人」とあるが、果たしてそうか?
確かにアメリカンフットボールは野球やバスケットボールに比べるとアップセット率は低い。その一面にはよりフィジカルなスポーツだからという部分があるからだろう。サッカーの場合、フィジカルコンタクトに関してはバスケットボールに近いと思われるが、得点の入りにくさからアップセットが起きにくくなっている。
アメリカのスポーツは引き分けが起きにくい、あるいは引き分けを認めないものが多いが、ヨーロッパのスポーツは引き分けが戦術の一部となっている。弱いチームは通常強敵に対するとき引き分け狙いで戦うことが出来る。もちろん守り一辺倒では耐え切れないので、ある程度の攻撃に出るのは常識だが、少人数で攻撃することで守りに人数を残す戦術を取る。そのため、ただでさえ点の取りにくいサッカーで守りに入っているチームが得点することは非常に稀なことだ。
ワールドカップの歴史において、弱者が引き分けることはよくあるが、勝つことはそれだけで話題になるほど滅多にない椿事だ。
それを考えると、アメリカンフットボールと比べてサッカーが著しくアップセットが起きるスポーツと言うことはできない。むしろアメリカンフットボールは作戦が勝敗の半分を担うと言われるように、机上での準備が選手の実力を越えて結果に反映するスポーツである。アップセットが起きにくいのはむしろヨーロッパ源流のラグビーの方だろう。
こういった牽強付会はともかく、ではなぜアメリカがサッカー不毛の地と呼ばれるのか。最近は子供のプレイするナンバーワンスポーツとなり、移民からサッカー文化も導入され、プロサッカーリーグも定着しているものの、それでもアメリカのトッププロスポーツとの差は大きい。これは単に歴史的な背景に拠る。
ヨーロッパを離れアメリカに新天地を見い出したアメリカ人は、特に文化の面でヨーロッパからの離脱を図った。その結果として、スポーツにおける非ヨーロッパスタイル、それが野球やバスケットボール、アメリカンフットボールの隆盛を生み出した。もちろんこれらのアメリカ生まれのスポーツはアメリカ的精神が根底にあるがゆえに、いまも根強くアメリカ人に支持されている。