環境問題スペシャリスト 小澤徳太郎のブログ

「経済」 「社会」(福祉) 「環境」、不安の根っこは同じだ!

「将来不安」の解消こそ、政治の最大のターゲットだ

私の疑問に初めて正面から答えた経済学者、中谷巌さんの最新著「資本主義はなぜ自壊したのか」

2009-03-22 17:39:53 | 経済
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2008年9月以降、経済関係の週刊誌には、世界や日本経済・金融危機に関する特集記事がこれでも、これでもかと掲載され、ますます読者を不安にさらしています。また、21世紀の日本経済や科学技術を論ずる雑誌や書物も溢れています。これらの著者の多くは評論家あり、自然科学系あるいは社会科学系の大学教授あり、エコノミストあり、ジャーナリストありと多彩ではありますが、これらの著者に共通していることは、工業化社会の経済の将来を左右する最も重要な要因である「資源・エネルギー問題」や「環境問題」の視点がまったくといってよいほど、欠落していることです。このことは、今なお経済学の基本的な枠組みが生産の基本的要素として 「資本」、「労働」および「土地」あるいは「技術」を掲げていることからも明らかです。

21世紀の経済や技術を論ずる経済学者やエコノミストの議論もこの枠組みを超えるものではありません。大学で講じられている経営学は企業や組織を学問の対象とし、「戦略論」「組織風土論」、「知識創造論」、「リーダーシップ論」、「ゲーム論」などを展開してきましたが、いまなお、企業活動に必然的に伴う「資源・エネルギー・環境問題」に十分踏み込んでいません。

経済関係の書物でも、特に、将来の経済の方向性を議論しているもの、具体的には「21世紀」を冠した書物で、 「資源・エネルギー問題や環境問題」に基礎を置いてない経済議論は絵に書いた餅のようなもので、バーチャル・リアリティの世界です。書物だけではありません。テレビの討論番組も、著名なエコノミストや一流経営コンサルタントによる経済に関する高価な有料セミナーも・・・・・・

★20年来の疑問に、ついにまともな答えが見つかった

何はともあれ、まずは次の図をご覧ください。
 
私が長らく日本の主流の経済学者に求めていた疑問  「経済成長はいつまで持続可能なのか」に対する答えがこれです。まさか、あの中谷さんからこの答えをいただくとは夢にも思いませんでした。さらに次のような記述があります。

●なぜ資本主義は環境を破壊するのか①

●なぜ資本主義は環境を破壊するのか②
 

中谷さんは、私がこの20年間、私の著書で、雑誌で、講演会で、そして、このブログで問い続けてきた「経済」と「環境」の関係について、疑問の余地がないほど、はっきりとお書きになっておられます。けれども、それは文字面だけのことです。本文に環境問題に対する本質的な議論がなく、中谷さんのご著書の「まえがき」に登場する識者のうち日常的に環境問題を論じておられるのは安田喜憲さんと末吉竹二郎さんのお二人だけで、安田さんは考古学者でご専攻が環境考古学です末吉さんは国連環境計画(UNEP)の特別顧問で環境問題と金融の関係で積極的に発言されておられますが、議論の範囲が限られています。

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★「パラダイムの転換」とはいうけれど

私の「スウェーデンに学ぶ持続可能な社会」(朝日選書792)の「第5章 経済成長はいつまで持続可能なのか」(p137~162)の最初の節を紹介します。中谷さんの基本認識を意識しながら読んでいただくとわかりやすいと思います。

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20世紀の政治・経済分野の基本テーマは「市場経済主義(資本主義)」か「社会主義」かでした。21世紀前半社会の基本テーマが、グローバル化に基づく「市場経済主義のあり方」であることに異論をはさむ社会科学者はほとんどいないでしょう。21世紀の社会は、過去・現在の延長線上にありますが、現在をそのまま延長・拡大した(フォアキャストした)方向にはあり得ないことは、これまで議論してきたように、「資源・エネルギー・環境問題」から明らかです。 

ヨーロッパには、ドイツ、フランス、英国、北欧諸国という、所得水準が高く、資本主義のあり方がまったく異なる国々が共存しています。これらの国々は福祉への取り組みも異なりますが、EUを構成する主要国として米国とは異なる道を模索しています。この現象は「米国型の市場原理主義」と「ヨーロッパ型の福祉国家路線」の対立のようにも見えます。そして、日本は米国に追従しているように見えます。
 
20世紀から21世紀への移行期にあたって、社会科学系の学者や研究者は「パラダイムの転換」という言葉を好んで用います。しかし、日本の政治や社会に大きな影響力を持つ社会科学系の学者の考え方の枠組みには、「資源・エネルギー・環境問題に関する十分な概念」が埋め込まれていないため、パラダイムの転換については、「20世紀型経済成長」の延長線上の議論に終始しています。このことは、小渕恵三内閣のときに組織された経済戦略会議の提言の背景にある歴史的認識にもあらわれています。

ここでとりあげた「経済戦略会議の歴史的認識」は、社会科学系の学者や研究者には説得力のある意見と映るかもしれません。しかし、「経済の持続的拡大」の延長上にある、古い考えではないでしょうか。ここに示された歴史的認識は大問題です。 

★中谷さんの「資本主義はなぜ自壊したのか」への反響 
                 
ネット上にはそれぞれの立場からの賛否両論が渦巻いています。経済の門外漢である私は、中谷さんのような経済学者が「環境問題」を十分意識したという点で評価をしているのですが、ネット上の評価は必ずしもそうではありません。特に、12月発売直後の反応は中谷さんが考え方を改めたという点で読者の方々にさまざまな戸惑いがあったようです。

中谷さんが、開放経済とは言い難い「ブータン」や「キューバ」に関心を寄せたのは意外でしたが、開放経済である北欧諸国に興味を感じ、「なぜ北欧経済は活気を呈しているのか」と題した節で、「そこで我々がまず参考にしなければいけないのは、アメリカ流の新自由主義とは対極にある北欧の国々のあり方である」とおっしゃっているのが新鮮で、印象的でした竹中さんとは正反対です。


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ついに、あの中谷さんも、竹中さんも「北欧の成長戦略に学べ」 と ???(2010-01-05)



私は中谷さんの「資本主義はなぜ自壊したのか」を読んだ後に、週刊朝日の「改革が日本の不幸にした」(2009年1月23日号)、文藝春秋の「竹中平蔵君、僕は間違えた」(2009年3月号)を読みました。他の経済学者が中谷さんの著書をどのように読んだのか興味があったのですが、3月14日付けの朝日新聞に9人の経済学者や社会学者のコメントを紹介した記事が掲載されました。

●週刊朝日 「改革が日本を不幸にした」(2009年1月23日号)

●毎日新聞「文化」 中谷巌さん(2009年3月9日)

●朝日新聞 資本主義はどこへ 「成長」 竹中平蔵さん(2009-03-09)             

●松岡正剛の千夜千冊 1285夜 中谷巌著『資本主義はなぜ自壊したのか』 日本再生への提言


★私の結論


中谷さんがおっしゃるように、環境問題は世界のほぼ全域に広がった、市場経済社会を揺るがす「21世紀最大の問題」と位置づけられますが、主流の経済学者やエコノミストの多くには、そのような認識はほとんどないようです。これまでの経済学は人間と人間の「貨幣による関係」を扱い、貨幣に換算できない関係を無視してきました。経済学の枠組みのなかに、経済活動の本質である「資源・エネルギー・環境問題」の基本的概念が十分にインプットされていないからです。

こうした、いまとなっては間違った前提に基づき、 「持続的な経済成長」というビジョンから抜け出すことのできない経済学者やエコノミストの言説を無批判に受け入れるのではなく、「資源・環境・エネルギー問題」に配慮した、自然科学者の明るくはない未来予測に、耳を傾ける必要があるのではないでしょうか。

次の図は「経済大国」日本と「福祉国家」スウェーデンの「環境問題」に対する社会的な位置づけの相違を表しています。人間社会には「政治システム」「社会システム」「経済システム」があり、それらのバランスが大切なのですが、日本では常に「経済システム」を優先する傾向があります。人間社会は自然に支えられて成り立っています。日本とスウェーデンの「環境問題に対する位置づけの相違」にご注目ください。


日本は「環境問題」を人間社会に生じるさまざまな問題の一つと考えています。ですから、環境問題よりも、目の前の景気回復や格差のような経済・社会問題のほうを重視しがちです。一方、スウェーデンは人間社会を支える自然に「環境問題」という大問題が生じていると考えます。両国が考える「環境問題」の位置と大きさをご確認ください。スウェーデンでは、ここに掲げたような日本の経済・社会問題はほとんどないか、あるいは解決済みと言ってよいでしょう。

スウェーデンが考える「持続可能な開発」とは社会の開発であって、日本が考える経済の開発、発展あるいは成長ではありません。