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環境問題スペシャリスト 小澤徳太郎のブログ

「経済」 「社会」(福祉) 「環境」、不安の根っこは同じだ!

「将来不安」の解消こそ、政治の最大のターゲットだ

第1回国連人間環境会議 

2007-03-28 07:59:45 | 環境問題総論/経済的手法


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3月18日のブログで、「1970年の大阪万博」のスカンジナビア館を取り上げ、北欧諸国が「今日の地球規模の環境問題」に37年前から警鐘を鳴らしていたことを紹介しました。
今日は、その2年後の72年にスウェーデンの首都ストックホルムで開催された「第1回国連人間環境会議」のことを紹介しましょう。




上の記事をクリックすると、記事が拡大されます。この会議におけるスウェーデンにとっての最も重要な論点は「環境の酸性化(日本では一般に酸性雨問題)」でした。1950年代からはじまった大気中の硫黄酸化物濃度のモニタリングの結果から、環境の酸性化の原因がスウェーデン国内の産業活動に起因するというよりもむしろ国外に起因することを突き止め、1968年には、スウェーデン国内で環境の酸性化論争がすでに開始されていました。

環境の酸性化論争は政府を動かし、その蓄積された科学的データをもとに国連人間環境会議を通じて環境の酸性化防止のために国際協力を求めたわけです。スウェーデン政府は国連人間環境会議の準備会および本会議に次のようなナショナル・レポートを提出しました。

     ■国連人間環境会議の準備に関する国連の質問に対するスウェーデンの回答        
     (1970年)
     ■国境を越える大気汚染:大気中の硫黄および降下物の環境におよぼす影響:      
      スウェーデンのケース・スタディ(1971年)
     ■労働環境:スウェーデンの経験、傾向、今後の課題(1971年)
     ■社会心理学的に見たストレス要因としての都市複合体:現状、スウェーデン      
      の傾向、社会心理学的・医学的かかわり(1971年)
     ■スウェーデンの都市化、国土計画、都市計画:(1972年)
     ■国土および水資源の管理(1972年)
     ■環境保護法、海洋投棄禁止法およびその解説(1972年)

これらの報告書からも察せられるように、スウェーデンではすでに35年以上前に「公害の未然防止、人口の集中に伴う都市の生活環境、天然資源の合理的管理、労働環境など」を柱に「環境」を幅広くとらえていたことがわかります。



上の記事をクリックすると記事が拡大されます。左の新聞記事は「第一回国連人間環境会議」を報ずる1972年6月7日付の日本経済新聞の記事です。この記事は当時のパルメ首相がこの会議を取材するためにストックホルムを訪れた少数の外国人記者と会見した模様を報じたものですが、開催国の政治家の環境問題に対する認識が明確に現れています。

「公害防除に国際協力を」、「資源の消費押えて」、「経済力を世界的に再調整」などの見出しからも容易に想像できますように、現在、私たちがやっと認識し始めた「環境問題と経済活動のかかわりの重要性(今で言う「環境と経済の統合」をスウェーデンは35年以上前に議論し、国際社会へ訴えていたのです。 1950年代、60年代の公害に対する深い反省から日本の代表を務めた大石長官は 「GNP至上を反省する」と述べましたが、35年以上経った今でも日本は、経済成長の指標がGNPからGDPに替わったものの、今なお「GDPの拡大」に専心しています。 当時の反省は完全に忘れ去られています。

この記事(青の網をかけた部分)の中に、

「国連環境会議開催の糸口をつけたのはスウェーデン政府といってもよいかもしれない。いまふり返ってみると7年前(昭和40年、1965年)にスウェーデン国内で環境保護が問題になり、 討議していくうちにこれは全地球の問題であると悟り、そこで4年前(昭和43年)に国連に問題を持ち込んだ。その当時、 問題がよく理解されなかったのか“エキセントリックなスウェーデン人”と悪口を言われたこともあるが、幸い現在そんなことを言っている人はなくなったようだ」

という箇所があります。
この記事に語られている当時のパルメ首相の「環境問題に対する認識」は、現在でも十分通用するものだと思います。

●第2回誘致の撤回 重要性全く無理解

●ベトナム戦争をめぐり論戦 米国とスウェーデン対立

●社会的な合意形成⑥ 科学者と政治家の役割


ひるがえって、つぎの日本経済新聞の一面のコラム「春秋」をご覧ください。




改めて、今これらの記事を読み合わせると、35年前のスウェーデン政府の「環境問題に対する認識」は現在の日本政府の「環境問題に対する認識」よりもはるかに先を行っていたと言ってもよいのではないでしょうか。 「予防志向の国」(政策の国)「治療志向の国」(対策の国)の相違の具体的事例です。

さらにいえば、日本政府や日本社会全体の「環境問題に対する認識」は国際社会の動きに比して、ますます劣化してきているのではないかと・・・・・

ネット上の関連記事から
ストックホルムからリオデジャネイロそしてヨハネスブルグへ



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環境政策における「経済的手法」とは ② 

2007-03-27 07:17:57 | 環境問題総論/経済的手法
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産業、発電所、その他の「固定発生源からの排ガスおよび排水」に対して、スウェーデンでは1970代末頃までに、それぞれの排出源ごとに公害防止機器を設置し、それぞれの規制を満たすような対策を取ってきました。この方式は限られた地域での排出抑制、環境への地域的な影響に対してはきわめて有効でした。

しかし、80年代のスウェーデンの環境政策では、「ある地域の環境問題」の解決と共に、酸性物質の長距離輸送(環境の酸性化問題、日本では「酸性雨問題」という)や気候変動(日本では「地球温暖化」という)ような「広範囲に影響をおよぼす現象」に対策の優先順位がつけられました。汚染物質の排出の地域性があまり重要でないような広域汚染物質の規制の場合には、「経済的手法」が特に有効であると考えられます。

北欧諸国では、経済的手法が幅広く環境分野で利用されています。その大部分は80年代に導入されたもので、主に環境対策の財源や国の様々な基金を補完する目的で利用されてきました。

これまでに実施してきた経済的手法の「規制効果」を評価するのは容易ではありません。その主な理由は経済的手法が規制を第一義的な目的とした手法ではなく、国の環境政策を補完する目的で必要な環境施策を財政的に実行可能にさせることにより当事者が排出量などを低減するようにインセンティブ(刺激策)を与えるためにデザインされた手法だからです。

経済的手法には「財源の創設」と間接的な「規制」という二つの側面があります。規制という面に関して言えば、例えば、CO2対策の例に見られるように、国全体にCO2(炭素税)という網をかぶせた上で、それぞれの発生源に対して可能な対策を総合的に実施します。

経済的手法は「税金」、「課徴金」、「補助金」、「行政上の手数料」、「行政サービスの利用料金」などを環境政策に利用するもので、たとえば、1991年1月1日時点では、つぎのような分野や事例がその対象となっていました。

廃棄物処理や下水処理、化石燃料の燃焼(CO2税、SOx税、NOx税)、化学肥料や化学物質の登録、デポジット制度(アルミ缶、ペットボトル、廃棄自動車)など。

日本の一部の団体(例えば経団連)や一部の専門家が「炭素税あるいは環境税の効果」について否定的な発言をされておりますが、それはおそらく「経済的手法」に「直接的な規制効果」を期待するからでしょう。大切なことは社会システムの変更や技術を動員した総合的な努力によって、問題物質の排出量を削減することです。

さまざまな経済的手法の経験を持つスウェーデンでは、難分解性の有機汚染物質対策、水銀やカドミウムなどの重金属対策には経済的手法は馴染まないと考えています。これらの物質の環境中の絶対量を低減させるためには、厳しく削減を義務づけるか、段階的に禁止するべきであると考えています。

ですから、スウェーデンでは、廃棄車両、アルミ缶やガラス瓶、ペットボトルの回収のためにデポジット制を採用していますが、重金属を含む廃乾電池の回収のためには、この制度を採用しておりません。使用済みの製品を回収しょうとする時、「デポジット制度」が望ましいかどうかは「回収すべき使用済み製品の質」により判断しなければなりません。



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環境政策における「経済的手法」とは ①

2007-03-26 06:16:07 | 環境問題総論/経済的手法
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1991年、OECD加盟24カ国の「環境政策における経済的手法」を検討した報告が公表されました。この報告は、つぎのように結論づけています。



この報告からも容易に想像できますように、スウェーデンは米国よりも、欧州の大国(英国、ドイツ、フランスなど)よりも、そして、日本よりも、つまり、世界で最初に早い時期から環境問題に対して、技術だけではなく市場経済システムにのっとった「経済的手法」(英語ではEconomical Instrumentsと言います)を工夫し、導入してきたことがわかります。さらに、2004年の「OECDレビュー」は、「スウェーデンが環境政策でほかのどの国よりも経済的手法を用いている」と判断しています。

今から16年前の1991年(この年スウェーデンは「CO2税」を世界に先駆けて導入)に、「環境政策における経済的手法」のトップランナーであったスウェーデンは、現在のグローバルな市場経済システムの中でも十分通用する経済的手法を編み出し、今なお世界のトップランナーとして蓄積した豊富な事例を国際社会へ提供し続けているのです。

「環境政策における経済的手法」とは何なのでしょうか。大部分は80年代に導入されたもので、主に環境対策の財源や国のさまざまな基金を補完する目的で利用されてきました。経済的手法には「財源の創設」「間接的な規制」という二つの側面があります。規制という点では、たとえばCO2税の例に見られるように、国全体に税という網をかぶせたうえで、それぞれの発生源に対して実行可能な技術的な対策を総合的に実施します。
   
スウェーデンで規制の対象になるのは、

     ①科学者の間ですでに、環境に有害と認められている事象や汚染物質
     ②多くの科学者が懸念を表明している事象や汚染物質

などですが、経済的手法は、当面、技術的な対応がむずかしい場合に導入されます。

対応できる技術が確立するまでモニタリングして待つのではなく(特に日本はこの傾向が強い)現時点で実行可能な方策として経済的手法を導入し、経済的なインセンティブを人為的につくりだそうというわけです。CO2税は、その好例なのです。



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1970年の大阪万博のスカンジナビア館

2007-03-18 04:56:22 | 環境問題総論/経済的手法
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37年前の1970年3月14日、大阪万博が開幕しました。今になって考えてみると1970年代は先進工業国にとって「高度経済成長期」から「次の新しい時代」への転換期だったのではないでしょうか。

いま、北欧諸国が「持続性」において高い評価を得ている背景には、長年にわたって培われてきた、科学技術に対する考え方があります。米国や日本とは異なる科学技術観は、1970年に「人類の進歩と調和」をメイン・テーマに開催された大阪万国博覧会の展示にも見て取ることができます。

「人類の進歩と調和」はきわめて今日的な標語ですが、当時は、日本をはじめとしてほかの多くの国々で、「技術の進歩はバラ色の未来を約束する」という考え方が支配的でしたので、さまざまな科学技術の華やかな面が展示されていました。
 
たとえば、米国はアポロが持ち帰った「月の石」を展示しました。美浜原発から送られた電力によって、万博会場に「原子の灯」がともったのも、このときでした。

こうしたなかで、北欧諸国の考え方は大きく異なっていました。スウェーデンを中心とする北欧諸国は、 「科学技術には必ずプラスとマイナスの両面があり、将来、このまま科学技術が拡大する方向で社会が進んでいけば、科学技術のマイナス面が増えて、環境への人為的負荷が高まる」と考えたのです。
 
そこで、無制限な人間活動の広がりは環境への負荷を高めるという観点から、北欧諸国は協力して、「産業化社会における環境の保護」をテーマに掲げたパビリオン「スカンジナビア館」を建てました。このパビリオンの目的は、地球上の問題に、未来の世代の人々の注意を促すことでした。

スウェーデン、デンマーク、フィンランド、ノルウェー、アイスランドの北欧五カ国がこの万博のために積極的な協力体制を敷いたのは、国境のない問題に永続的に協力して取り組む姿勢を示そうと望んだこと、環境問題は地域的な範囲を越え、世界的な規模で解決に当たらなければならないことをアピールしようと考えたこと、などの理由によるものです。
 
パビリオンの正面には、図に見られるように、「+と-」のシンボル・マークが鮮やかに刻まれ、パビリオンの内部では、人間の生活を豊かにした数々の発明や発見、労働災害や公害といった、プラスとマイナスの具体的な事例が7200枚のスライドと写真、パネル、映像を通して、パビリオンを訪れる人々に語りかけられました。



 

これは、科学技術が発達すれば、言い換えれば、人間活動が拡大すれば、それによって、環境への人為的負荷が高まることを警告したのです。この時期にすでに、北欧諸国は「今日の地球環境問題」に警鐘を鳴らしていたことがわかります。

いまから37年も前のことでした。当時のこの認識は、2000年以降に国際的に認識されるようになった「持続可能な開発」の概念へと発展していったと考えてよいでしょう。
 
しかし、こうした先進的な認識が、当時の日本では、専門家にすら理解されなかったようです。知人の玉置元則さん(兵庫県公害研究所研究員)が雑誌「環境技術」(1995年11月号)に、つぎのような主旨の解説記事を書いておられます。

昭和45年(1970年)夏の頃、大阪千里丘陵で万国博覧会が開催されていた。種々の催し物が行われる片隅でスウェーデン館(小澤注:スカンジナビア館)では一つの講演があった。一人の研究者が「英国の工業地域から排出された大気汚染物質がスカンジナビア半島の松を枯らしている」と力説していた。また、その講演のなかでは、今でいう「環境の酸性化」の概念が具体例とともに説明されていた。しかし、招待された日本の第一線の研究者や行政担当者はただ唖然として聞くのみでその意図することが理解できないようであった。



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「環境問題」こそ、安全保障の中心課題に位置づけられる

2007-03-12 07:29:22 | 環境問題総論/経済的手法


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地球的規模での「経済活動の拡大の可能性」がきわめて低いとすると、21世紀前半の「持続的経済成長」をめざす「超輸入大国」日本の経済活動にも大きな影響が出てきそうです。日本は経済活動を支えるために「原材料」のおよそ40%と「エネルギー」の90%以上を海外に依存し、その経済活動から排出される廃棄物の大部分を国内に蓄積し、その一部を海洋投棄しています。最近は、海外にも廃棄物を輸出しています。
 
日本の経済成長が、資源やエネルギーの面で、途上国との「協力」と「競合」の上に成り立っていることを、あらためて認識する必要があります。 「資源・エネルギーの流れ」の視点に立てば、日本が「超輸入大国」であることは明らかですし、「経済」と「環境」が切り離せないことも、理解しやすいと思います。
 
しかし、「金の流れ」という視点で社会の動きを見ている経済学者やエコノミストにとっては、日本は「輸出大国」と考えるほうが普通なのかもしれません。この場合には、「経済」と「環境」は、これまで通り、切り離して考えてもほとんど不都合は生じないのでしょう。
 
たとえば、マスメディアにもしばしば登場する草野厚さん(慶應義塾大学総合政策学部教授)は、『「強い日本」の創り方――経済・社会大改革の海図』(竹中平蔵+東京財団・政策ビジョン21、PHP研究所、2001年)で、「案外忘れられがちだが、日本は輸出立国である。自国で生産したものを輸出することで、経済が成り立っている部分が大きい。今後も輸出立国で生きていくためには、輸出先にも経済成長をしてもらわなければならない」と述べています。

このことは、日本の経済成長や景気回復などが現在、米国や中国の経済成長に依存しており、将来は米国やBRICs諸国(ブラジル、ロシア、インド、中国)の経済成長に依存することを示唆するものです。

草野さんの解説は経済学的視点(お金の流れ)でみれば、まことにごもっともで論理的で納得のいくものです。しかし、実際に経済活動を支えている「自然科学的視点(資源・エネルギーの流れ)」に立って、「経済成長」と「資源・エネルギー消費」の強い相関関係がある現実の産業経済システムを直視すれば、昨日のブログで明らかにした「有限な地球上でのさらなる経済成長」は可能性が低いばかりでなく、私たち人間の生存にとってますますリスクが高まることを示唆しているのではないでしょうか。

21世紀前半の経済論、技術論は「資源・エネルギーの流れ」に基づいて展開されなければなりません。

20世紀の安全保障の議論は「軍事的側面」に特化されていました。しかし、21世紀の安全保障の概念は「軍事的側面」だけではなく、さらに広く「経済活動から必然的に生じる環境的側面」へと発展していかなければなりません。1月3日のブログ「戦後62年 立ち止まって考えてみよう」に書いたように、 その象徴的存在が「気候変動(地球温暖化)」なのです。

 今、なぜ環境教育が必要なのか?

2007-02-27 20:49:30 | 環境問題総論/経済的手法


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どこの国も利害の対立あるいは利害の異なる国民の共存で成り立っています。利害の対立を越えた国民すべてに共通する環境問題の改善のためには、国民の間に「環境問題に対する共通の認識」がなければなりません。

現在のスウェーデンの環境政策は、「福祉国家」(人間にやさしい社会)から「緑の福祉国家(生態学的に持続可能な社会)」(人間と環境にやさしい社会)に移行することを最終目的にしています。

そのためには、生態学的な観点はもちろんのことながら、幅広い視野に立った総合的な政策が必要になります。環境政策の目標を実現するためには、①法的対応、②調査、③計画、④教育が重要と考えられ、スウェーデンでは教育が環境政策を支える大きな柱の一つとして認識されています。スウェーデンの学校での環境教育は単に知識を増やすだけではなく、自分の意見を確立し、社会で行動できるよう期待されています。


ですから、日本の環境教育がめざすところは、“市民の啓蒙”というような消極的な考えではなく、社会の中に「環境問題への共通の認識」を構築することにより、利害の対立する国民や省庁間の壁を低くして、共通の目標に向かって整合性のある行動がとれる社会基盤を築くことを意図するものでなければなりません。

私がいくつかの大学に呼ばれて特別講義で講演した後、学生から送られてきたレポートの多くは「先生の言うことはよくわかる。でも、自分たちが社会の中で力を持つにはあと10年以上かかる。今の社会に力を持つものが環境問題をしっかり考えて、将来が望ましい方向に進んでいてくれなければ困る。先生の話は社会を動かしている政治家や官僚、企業人など大人にも聞いてもらいたい………」と大変現実的です。

意識ある学生は社会を国民の総意によって民主的につくり替えるにはリードタイムが必要であることをよく理解しています。そうであれば、環境教育は学校だけの問題でなく、社会人に対しても、もっと積極的に行われなければなりません。私の考えでは、社会人に対する環境教育は社会の共通問題に対して合意形成を促進する重要な役割を担っていると思います。

エコロジー89会議 「地球的環境問題」

2007-02-11 17:12:33 | 環境問題総論/経済的手法
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1989年秋、世界の専門家12名が「地球的環境問題」を議論するためにスウェーデン第二の都市「ヨッテボリ」に集まりました。「会議での議論の末に提起された地球的環境問題は次のとおりであった」とスウェーデンの国際的な環境問題の専門誌「AMBIO」はその第18巻6号(1989年)で報じています。

(1)人口の増大                        
(2)生物的多様性とその保全       
(3)気候の変動              
(4)森林の減少             
(5)有害廃棄物             
(6)土壌の劣化             
(7)バイオテクノロジーに由来する危険性 
(8)環境悪化を進めるエネルギー生産   
(9)人間の無知と変化への恐怖
(10)南北の対立
(11)対立する政府の政策
(12)軍事的不安定と民主主義の欠如 
(13)危険性の認知
(14)病原体
(15)都市環境
(16)労働環境
(17)資源の消失

そして、公式な結論は出なかったそうですが、議論を通じて明らかになったことは
(1)環境問題は「貧困(Poverty))と「豊かさ(Affluence))の両方から生じている。
(2)人口の圧力と資源の利用形態があいまって先進国と発展途上国の双方に問題を生じている。
と述べています。

ここで提起された「地球的環境問題」は日本の「地球環境問題」をはるかに超えた「日常的な国際問題」そのものであることがおわかりいただけると思います。

また、このような環境問題に対して「技術による対応」には非常に限界があること が、ご理解いただけるでしょう。地球的環境問題に対する認識で日本と国際社会の間に大きな落差があります。

1972年の第1回国連人間環境会議や10年後の1982年の「環境の酸性化に関するストックホルム会議」に象徴されるように、スウェーデンが地球的環境問題の重要性を認識し、具体的な行動を起こしたのがすでに30年以上前のことであり、しかもなお、その認識を今日まで持ち続けていることがおわかりいただけるでしょう。

1972年 第1回国連人間環境会議(ストックホルム)
  92年 環境と開発に関する国際会議(地球サミット、リオデジャネイロ)
2002年 持続可能な開発に関する世界サミット(ヨハネスブルグ)
  
ちなみに、日本で「地球環境問題」といいますと、「地球温暖化」、「オゾン層の破壊」、「酸性雨」、「海洋汚染」、「有害廃棄物の越境移動」、「熱帯林の減少」、「野生生物の減少」および「砂漠化」の8つの問題をさすようですが、これらのいわゆる「地球環境問題」というのは、日本の行政機関が環境行政上の枠組みとして、その現象面に着目して設定した問題群で、日本独自の概念です。 

「地球環境元年」という言い方があるとすれば、スウェーデンにとっての地球環境元年は国内で「環境の酸性化論争」が起こった1968年日本にとってのそれは1988年ということになるでしょうか?



スウェーデン企業の環境意識 ボルボ

2007-01-26 10:40:23 | 環境問題総論/経済的手法
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今日の「日本 あの日・あの頃」は、スウェーデンの自動車メーカー・ボルボの日本社会における一連のパフォーマンスの一端を取り上げます。

1989年に、ボルボは次のような「環境政策声明」を発表しました。

90年2月28日、当時の通産省(現在の経産省)の地球産業文化研究所が、東京で「地球環境の改善と経済成長の同時達成をめざして」と題するパネル討論会を催しました。


ここに、「予防志向の国」と「治療志向の国」の考え方の違いがはっきりとあらわれています。また、企業経営者と科学者の協力の必要性も明らかにされています。なお、このシンポジウムの模様は、1990年3月に、「テレビ・シンポジウム 技術は地球を救えるか」と題してNHK教育テレビで放映されました。 

そしてボルボは、2ヶ月後の90年5月17日付の日本経済新聞に、「私たちの製品は、公害と、騒音、廃棄物を生み出しています」というキャッチ・コピーで「全面広告」を打ったのです。この広告は第1回日経環境広告賞を受賞し、日本の環境広告に大きな一石を投じました。

左の一面広告の小さな判読不明の個所を拡大したのが右の図です。その1行目に、「現状で最もすぐれた、三元触媒を使った自動車用排気ガス浄化システムを世界で初めて市販車に採用したのはボルボでした」と書かれています。ここでいう「自動車用排気ガス浄化システム」とは、現在の日本のガソリン乗用車に標準装備されている排気ガス浄化システムのことです。

2005年10月、ボルボ・カーズ・ジャパンは、第54回日経広告賞で2度目の最優秀賞を受賞しました。審査委員長は「安全性など商品の機能面だけでなく人生観や生活提案という側面までを訴求し、ブランド広告として高い次元でまとまっている」と評価したと、日本経済新聞は報じています。

ボルボの環境広告も環境広告の審査基準も共に、時代の流れを背景に大きく進化していることが伺われます。

ボルボの環境広告は日本の自動車メーカーに衝撃を与え、日本の自動車メーカーの広告内容を一変させたのです。


「自然史博物館」と「環境問題」

2007-01-06 13:18:00 | 環境問題総論/経済的手法
この話も先ほどの話とおなじように、1973年12月のスウェーデン訪問の時の話です。

「自然史博物館というのはなんとなく薄暗い感じがして、そこには、ほこりをかぶったワシなどの鳥類の剥製が整然と並んでいる」というのが、当時、私が漠然といだいていた自然史博物館のイメージでしたし、そこで研究している科学者に対しても「あまり派手なところがなく、社会の動きにはあまり関心がなく、黙々と自分の研究に打ち込んでいる」というような感じを持っていました。

ところが、このようなイメージのところで研究していた科学者がスウェーデンの環境分野の最前線で活躍していたのです。なぜかと申しますと、先ほどの食品の話とおなじように、自然史博物館に保存されているワシなどの猛禽類はいつ、どこで捕獲されたかがはっきりしており、ラベルに明記されています。

スウェーデンの自然史博物館の科学者はそれらを年代順に並べ、放射性炭素の性質を利用して年代を測定する技術を持つ原子物理学の研究者と協力して、それぞれのワシの羽の中に含まれている水銀の濃度が時代と共にどのように変化してきたかを調べたのです。その結果、ワシの羽の中に含まれていた水銀の濃度は世界の工業化の時間経過と実にみごとなまでに相関しているということを見つけ出したのです。

スウェーデンの科学者が環境中に放出されたPCBによる環境汚染を世界に先駆けて警告したのも同様の考え方でした。ワシなどの猛禽類は自然の中で「食物連鎖」の頂点に立っている動物です。それらの動物の体内に蓄積された水銀とかPCBに関する知見から、「私たちの健康に悪影響をおよぼしそうな化学物質がどのようにして私たちの体に入ってきたか」を最初に警告したのが自然史博物館の科学者だったのです。



「冷蔵庫」と「環境問題」

2007-01-06 12:55:34 | 環境問題総論/経済的手法
環境問題に強い関心をお持ちの方なら、「冷蔵庫と環境問題」というタイトルを見た瞬間に、「冷蔵庫(フロンガス)→ 環境問題(オゾン層の破壊)→ 紫外線による皮膚がんの増加」という連想が直ちに働いて、「なるほど、スウェーデンは高緯度に位置するし、スウェーデン人は白人が多いから、われわれ日本人よりも皮膚がんになる危険性が高い。だから、環境問題に熱心なのだ」と考える方がおられるかも知れません。

この連想はあながち間違っているとは言えないかも知れませんが、私がここでお話したいことはそういうことではなく、1973年12月に環境問題の勉強のために初めてスウェーデンに行き、王立カロリンスカ研究所を訪問した時の話です。

X X X X X
この研究所はノーベル生理学・医学賞を選考することで有名なところですが、私はこの研究所の環境衛生部門の地下室に案内されました。そこには大変大きな冷凍庫があって、冷凍庫のドアーを開くと、真っ白な冷気の向こうに食品の缶詰や瓶詰が整然と並べられ、それぞれにラベルが貼られており、それらがいつ頃どこで製造されたのかが一目でわかるように整理されていました。

「なぜ、私たちがここでこのような古い食品を保存しているのだと思いますか?」と問われて、当時の私は即座には答えられませんでした。私が返事に窮していると、私を案内してくれた研究者は次のように説明してくれました。

「将来、何か新たな環境汚染物質が問題になった時、いつ頃どこで製造された食 品から問題の物質が検出されるかを調べる目的で保存しているのです。水銀やP CBによる環境汚染を科学者が警告し始めた早い時期に、スウェーデンの新聞、 ラジオ、テレビなどのマスメディアを通じて国民に広く呼びかけ、家庭の倉庫に ほこりをかぶって放置されていた古い缶詰、瓶詰などの食品を提供してもらい、 それらを集めて、このように整理したのです」
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環境問題に多少の関心はあったもの漠然とした断片的な知識しか持ち合わせていなかった当時の私は、この説明を聞いた時、すばらしい着想だと思いました。

みなさんもご承知のように、日本の水俣病は有機水銀を含んだ魚を長いこと食べ続けた結果とされていますし、イタイイタイ病(カドミウム)、喘息(大気汚染物質)なども低レベルの特定の汚染物質に長期間暴露されたことによるとされています。

このことは、大気、水、食物を通じて、低濃度の有害物質が、たえず、私たちの体内に入り、それらの有害物質が総合的に私たちの健康に障害を与える可能性があることを意味しています。ですから、問題の有害物質がいつ頃から私たちの食べ物の中に入ってきたのかを知ろうという試みは、私には非常にわかり易い考えでしたし、当時の日本にはない考えだろうと思いました。


なぜ混ざらない「下水汚泥」と「台所の生ゴミ」

2007-01-06 12:26:15 | 環境問題総論/経済的手法
昨日のブログ:政治が決める「これからの50年」で、1993年5月の「環境基本法案などに関する衆議院環境委員会中央公聴会」での私の発言要旨をご紹介しました。

その①で「このような新法をつくるよりも行政の縦割り構造にメスを入れることだ」と述べましたが、このことは13年経った今でも適切な発言だったと思います。以下の記述は、私が1992年に書いた本「いま、環境・エネルギー問題を考える」(ダイヤモンド社)に収録されています。当時の状況は現在も変わらないのでしょうか。

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下水を処理すると「汚泥」というヘドロのようなものがかならず出てきます。当然のことですが、下水は私たちが生活している限り、毎日毎日、水の使用に伴って排出されるものです。処理しなければならない下水の量が多ければ多いほど、つまり、水の使用量が増え、下水処理施設が整備されればされるほど、相対的に汚泥の量は増え、その増えた汚泥の処理に必要な経費、エネルギー、処分施設、処分場、その他様々なことが増大することになります。

私たちが健康で快適な生活を維持していくためには、必要な水を消費することになりますが、水の消費量が増大すれば、汚水の処理・処分が必要になり、水の処理・処分が不十分であればあるほど、長期的に見ればきれいで安全な水を得るためにコストがかかることがすでに現実問題として誰の目にもわかるような段階に入ってきました。

1970年代の初めにスウェーデンでは、下水の処理施設から出る「汚泥」と家庭の台所から出る「生ゴミ」を混ぜて、コンポスト化する研究を環境保護庁が中心になって熱心に進めていました。コンポスト化したものを農地などに戻し、土壌改良剤として利用しようという考えだったのです。「下水汚泥」や「台所の生ゴミ」には植物の生長に必要な栄養源が豊富に含まれていますが、同時に環境への危険物も混ざっています。ですから、危険物をきちんと除去し、安全性を確かめた上で、農地に返そうと考えたのです。

私はこれを良いアイデアだと思い、早速、日本の状況を調べてみました。「ゴミの話だから」ということで、まず厚生省に行きました。当時の厚生省の担当官は「日本ではそんなものは混ざらない」と言いました。「どうして混ざらないのですか? スウェーデンではそれらを混ぜて利用しようとしていますよ」と尋ねました。

その担当官の答えは実に明快でした。「台所から出る生ゴミは確かに厚生省の所管だが、下水処理施設関連のことは建設省の所管だから、この両者は原則的には混ざらない。『下水汚泥』と『生ゴミ』ではなくて、『生ゴミ』と『し尿』なら混ざることはあるだろう」と言うのです。国がだめなら、自治体はどうかと思い、都庁に行き、同じ質問をしました。「東京都には下水道局があり、下水関係はこの局の所管だが、ゴミは清掃局の所管である」ということで、国の考え方と全く同じ回答をもらって帰ってきたわけです。

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この話は30年以上も昔の話です。つまり、当時の日本の状況からすると、「下水汚泥」と「生ゴミ」は行政上の制約により混ざらないというわけです。しかし、一般論で言えば、この混ぜたものが肥料としての価値があり、しかも毎日大量に排出されるものであれば、十分な処理をして安全性を確認した上で、土に返すという考えのほうが現在の知識で考えても私には合理的に思えますし、当たり前のことのように思われます。

地球環境問題が日常の話題に上るようになり、廃棄物問題が極めて重要な問題として、産業界のみならず、国全体の問題として認識され、「循環型社会」の必要性がわが国の各省庁の白書や報告書の中に将来の望ましい姿として描かれるようになった現在、はたして、毎日排出され続けているわが国の台所からのと下水処理場から出る「汚泥」と「生ゴミ」は、相変わらず、すんなりとは混ざらないものなのでしょうか?


戦後62年 立ち止まって考えてみよう

2007-01-03 11:00:55 | 環境問題総論/経済的手法
さて、2005年、日本は戦後60年を迎えました。そして、今年2007年には、戦後の混乱が終息した1947~1949に生まれた「団塊の世代」(約700万人)が60歳の定年を迎えることになります。

この時代の大きな転換期にちょっと立ち止まって、混乱する日本を、そして、激動する世界を考えてみてください。

日本のあちこちで地震、台風、火山の噴火など自然災害が相次いで発生しています。国際社会に目を転ずると、2004年12月26日のスマトラ沖地震によるインド洋大津波や2005年8月29日に米国南部を襲ったハリケーン「カトリーナ」など、自然災害の報道が多くなっています。戦争やテロ活動はやむきざしがなく、貧困の原因の一つとも指摘されている経済のグローバル化は、さらに急速に進展しています。

しかし将来、自然災害の発生をとめることが技術的に可能になったとしても、また、戦争やテロ活動がなくなり世界に真の平和が訪れたとしても、私たちがいま直面している環境問題に終わりはありません。私たちの「経済のあり方」「社会のあり方」が、環境問題の直接の原因だからです。

あらためていうまでもありませんが、工業化社会では資源やエネルギーが大量に使用されます。その結果、必然的に生ずるのが、汚染物質の大気圏、水圏、土壌などの「環境への人為的負荷」です。そして、その環境への人為的負荷が蓄積し、「環境の許容限度」と「人間の許容限度」に近づくと「環境問題」として表面化し、広く社会に認識されることになります。

つまり、環境問題が示唆する本質的な問題は、「それほど遠くない将来、私たちが日常の経済活動から生ずる環境負荷の蓄積に耐えられるかどうか」ということ、つまり「私たち人類の存続危機」にかかわることなのです。
 
それだけではありません。20世紀の後半になって顕在化してきた地球規模での環境の悪化は、拡大しつづける市場経済社会の行く手を阻むことになります。なぜなら、環境をこれ以上悪化させないために、また、できれば環境を改善するために、エネルギーや資源をできるだけ使わない経済のあり方が求められるようになるからです。

「化石燃料の使用により大気中のCO2濃度が増えると、地球が温暖化する」という仮説を最初に唱えたのは、スウェーデンの科学者スバンテ・アレニウスで、1896年のことでした。
この110年間に「世界の経済状況」と「私たちの生存基盤である地球の環境状況」は大きく変わりました。110年前にスウェーデンの科学者が唱えた仮説がいま、現実の問題となって、私たちに「経済活動の転換」の必要を強く迫っています。