酔眼独語 

時事問題を中心に、政治、経済、文化、スポーツ、環境問題など今日的なテーマについて語る。
 

大相撲 しごきと暴力の間

2008-05-20 05:56:45 | Weblog
 時津風部屋のリンチ致死事件は、親方の資質がない人物が弟子を巻き込んで引き起こしたれっきとした傷害致死事件だ。日本相撲協会は再発防止委員会などを立ち上げて形を繕おうとしているが、そう簡単にはいかないだろう。

 そんな折、また新たな「暴行事件」が明るみに出た。協会理事の要職にある間垣親方(元横綱二代目若乃花)が、昨年夏場所の朝げいこで弟子を竹刀で殴ってけがを負わせたというのだ。

 当初、間垣親方は「しごきは当たり前。かわいがりがなくなったら、相撲じゃない」と述べ、暴行としごきは違うと言いたげだった。それが、一転して全面降伏である。「やりすぎたなと思って(弟子に)謝った。これからは口で言って聞かせないといけない」。民主的な大相撲ということか。

 一方、現役力士も相変わらずよく殴っているようだ。たとえば陸奥部屋の十両豊桜。弟弟子の宅配便の扱い方ぞんざいだと腹を立てて、「お玉」で頭を10回も殴りつけて8針縫う傷を負わせたと言う。

 相撲部屋のこうした不祥事が次々を暴かれるのは違和感がある。いささか極論だが、相撲部屋で殴る、蹴るは常識だろう。

 本場所の土俵では張り手の応酬はあたり前だ。頭突きもかます。足も蹴る。150キロの巨体に押しつぶされる。これらの衝撃に耐える体をつくるのが稽古場だ。相手の圧力や気迫に負けない精神力もここで培われる。

 プロになるには血と反吐にまみれる修行が必要だろう。まして大相撲は単なるスポーツというより、神事の一種だ。土俵に上がるにはそれだけの覚悟と裏づけが要る。

 北の湖理事長が「暴力はよくない」などとぼそぼそ言っているのを見る(聞く)と情けなくなる。しごき、稽古、修行と世間で言う「練習」は全く違うとなぜきちんと説明できないのか。

 もちろん、親方や兄弟子が「キレテ」暴力に及ぶ行為は許されない。

 怒るのと叱ることの区別ができない。しごきの伝統を受け継げない。こうした相撲部屋のだらしなさが、「暴力」事件などを生んでしまうのだ。


 稽古とは、神の教えをたどることである。体力と精神力の限界に達し、朦朧とするころに神が見えかかる。この境地まで追い込まないと、真の強さは身に付かない。

 近年、大相撲で活躍する力士は外国人ばかりだ。確かに体力面では欧州勢は優れている。モンゴルの力士は日本人と大差はない。相撲は力だけで勝てるものでもない。

 外国人のほうがハングリー精神が旺盛なのではないか。彼らは部屋で暮らすこと事態がいじめのようなものだ。それにひきかえ、ということだ。

 親方が手も上げず、竹刀や箒で殴られることもない力士が強くなるとは思えない。要は「こいつを何とか一人前にしよう」と心を込めてしごいているかどうかだ。愛情抜きのしごきは単なるいじめだ。

 
コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 朝日、毎日と高校野球 | トップ | 年金財源試算は信頼できるか »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

Weblog」カテゴリの最新記事