酔眼独語 

時事問題を中心に、政治、経済、文化、スポーツ、環境問題など今日的なテーマについて語る。
 

野茂クン お疲れさまでした

2008-07-18 05:58:56 | Weblog
 1989年11月26日、東京の赤坂プリンスホテルは異様なざわめきに包まれていた。

 パンチョこと伊東一雄の甲高い声が「第一回選択指名選手 野茂英雄 投手 新日鉄堺」と繰り返していた。8球団から指名された野茂の交渉権は、近鉄が引き当てた。野茂神話の始まりである。


 野茂が引退を決意したという。記者会見ではなくホームページで公表したのが野茂らしい。汗っかきだし、テレビのライトや林立するマイクがうるさかったのだろう。でも、今日あたりは会見に引っ張り出されるのではないか。ご苦労さま。

 野茂が凄いのは、日米とも力で投げぬいたことだ。真っ直ぐとカーブに伝家の宝刀フォーク、球種はほぼこの3種類しかない。これで20年近く一線で活躍できた。類まれな強靭な下半身と豪腕のなせる業だ。

 野茂の魅力は三振の山を築くけれんみのなさだ。もう少し力を抜いて投げれば楽なのに、と思ったりしたが、それでは思うような球が行かないのだろう。


 メジャーのスタンドに「k」ボードをはやらせたのも野茂だ。ア・リーグ、ナ・リーグの両方でノーヒット・ノーランを成し遂げている。メジャーでも両リーグでのノー・ヒッターとなると、サイ・ヤングやノーラン・ライアンほんの数人しかいない。これだけでも野茂の偉大さが分かる。

 15年前、長岡悠久山球場でオリックスの鈴木がプロ本塁打を放った。打たれたのは野茂だ。鈴木はイチロー。外野に芝生もない田舎の球場で、野茂とイチローが初顔合わせをしていた。今日の二人の姿をあの時誰が想像しただろうか。

 野茂には野武士の風格?!があった。いつも腫れぼったい唇を尖らせていたような印象だ。とつとつと語り、技術論も深みにははまらない。心から野球が好きなんだろう。背中で語れるプロ野球選手がいなくなるのは寂しいが、仕方がない。

 地方の独立リーグで、オーナー兼プレーイング・マネジャーをやってくれると最高なんだが…。nomoクラブは都市対抗へ、もう一つは独立リーグの王者。そんな日が来ることを夢見ている。
コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 「竹島」記述 間の悪さは天... | トップ | 騒ぎ過ぎだぞ 14歳のバスジ... »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

Weblog」カテゴリの最新記事