酔眼独語 

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メディアの責任

2009-03-10 04:38:22 | Weblog
 漆間巌官房副長官のオフレコ発言が国会やメディアをにぎわせている。「自民党側は立件されないと思う」という例の発言である。これが重大な問題をはらむことは既に十分指摘されている。だが、それだけでは片手落ちだ。こんな発言をいつまでも「オフ」にしておくメディアのだらしなさも厳しく問われるべきだ。

 各社は8日になって、河村官房長官が「政府高官は漆間」と明らかにしたことをもって顕名=実名=に切り替えた。

 《おことわり 毎日新聞は、自民党関係者の立件には踏み込まないとの見通しを示した5日の政府高官発言について、この高官が漆間巌官房副長官であるとの特定を控えてきました。これは官房副長官と記者団との定例の懇談では、実名を控えるとの取り決めがあり、漆間副長官の発言がこれに該当していたためです。漆間副長官は実名で報道することに同意してきませんでしたが、河村建夫官房長官が8日、実名を明らかにしたことを受け、今後この政府高官発言を漆間副長官の発言として報道します》=9日付毎日1面=


 《朝日新聞や内閣記者会は、漆間氏にオフレコ解除を求めたが拒まれた。情報源の秘匿を約束した場合、秘匿が解除されるのは原則として相手側が合意した場合だけというのが基本的な報道の倫理。そのため、朝日新聞も河村氏が実名を明かすまで、基本的に「政府高官」として報道した》=9日付朝日3面=


 《河村官房長官が「政府筋」が漆間副長官であることを公表したことを受けて、読売新聞は今後、実名で報道します》=9日付読売2面=


 7日の記述でも触れておいたが、懇談時の記者はどのような問題意識を持っていたのか。捜査機関出身の高官が、捜査の見通しに言及した。当然記事を書いた。発言が問題になり、外では高官捜しが始まる。オフの維持はここまでだ。

 朝日が言う「取材源の秘匿」は権力などからソースを守ろうという趣旨であって、政府中枢の放言や問題発言を「懇談だから匿名扱いで」などと配慮するのはおかしい。公人である官房副長官は秘匿の対象外とも考えられる。こういう局面で、取材源の秘匿などという原則を振り回すのは、言論の自殺だ。

 一方的に解除を申し入れれば済む話ではないか。拒まれたから匿名を通すなどという、軟弱な対応をしているから9日の会見で「私と私の秘書官の記憶を付き合わせた結果、そういう発言はしたことはないということになった」などとシラを切られるのだ。

 先週末の段階で、名前を明らかにし一問一答形式で詳述していれば言い逃れなどできなかった。この意味でも、メディアの罪は大きい。

 ついでに言えば7、8両日の世論調査も変だ。まるで国策捜査をメディアが後押ししているようなものだ。検察とメディアが正義を独占するかのごとき社会は、危うい限りだ。
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