酔眼独語 

時事問題を中心に、政治、経済、文化、スポーツ、環境問題など今日的なテーマについて語る。
 

原発危機報道の危うさ

2011-03-21 09:34:15 | Weblog
 東京電力福島第1原発の危機が続いている。3号機への大量注水など、一部では明るい兆しも見えるが、状況を転換させるにはほど遠い。枝野官房長官が「予断を許さない」と繰り返しているのは、決して政治的発言ではない。

 メディアは眼前で起きている事象に囚われ、全体像が描けていない。政府や東電への質問に鋭さがないのは(テレビや紙面で見る限り)そのためだろう。

 ここ4、5日の報道は3号機と4号機への注水に焦点が当たった。3号機のプールにはプルトニウムを放出する恐れがある使用済みmox燃料が浸かっているため、政府・東電の危機感は強く、これが報道に反映された形だ。

 放水は大掛かりな作戦であり、作業に当たる人が被曝する危険性も高い。ドラマチックともいえよう。メディアが大きく取り上げたくなるのは当然だろう。英雄譚やお涙頂戴でない、正確な報道を心掛けてもらえればいい。

 問題は「その他」の重大事の伝え方である。まず、1~3号機の炉心の状況だ。いずれも冷却水が減少し、燃料棒が露出している。海水の注水を継続中というが、溶融が止まっているのかどうかは不明だ。1~3号機の炉心の状況は東電も正確に把握していないと見られる。メディアはこの核心についてもっと突っ込んで報道すべきだ。

 「最悪の事態」「東日本がつぶれる」などの言辞が官邸からも聞こえてくる。《「最悪の事態になったときは東日本がつぶれることも想定しなければならない」。菅直人首相は16日夜、東京電力福島第1原発の事故をめぐり、首相官邸で会った笹森清内閣特別顧問にこう語った。放射性物質の飛散により、広大な地域でさまざまな影響が出かねないとの危機意識を示したとみられる》=16日時事=。

 ところが、テレビも新聞も「最悪の事態」「東日本壊滅」とは何かについて沈黙している。これでは国民の不安をあおるばかりではないか。危機を危機として見据え、「最悪を最小化する」具体的な行動が求められているときに、最悪の定義すらできないようでどうするのか。

 大量、大規模な放射能拡散が回避されたとしても、事態は限りなく深刻だ。原発安全性の3要素は「止める」「冷やす」「閉じ込める」とされる。前の二つは「閉じ込める」ための前提条件といえる。その最後の砦が崩れた。かなり長期間にわたって放射能が出続けるということだ。食料や水道水にも汚染が広がっている。

 風評被害やパニックを回避しつつ、正確な情報をどう伝えるか。政府発表が「大本営化」し始めている中で、メディアの責任は重大である。
 
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