酔眼独語 

時事問題を中心に、政治、経済、文化、スポーツ、環境問題など今日的なテーマについて語る。
 

「麻生いじめ」は寂しい

2008-11-20 21:26:05 | Weblog
 もう三昔も前のことだ。あの田中角栄が金脈問題でメディアの袋叩きに遭った際、こう言ったことがあるある。


 「これだけあることないことを書かれると、口や顔だって曲がりますっ。飲みたくない酒も浴びなければならん」。


 いま、口と顔が歪んでいるのは麻生太郎と雅子妃である。心労のほどがしのばれる。雅子妃はおくとして、麻生。20日、日医の会長との会談に向かう彼の表情には精気がまるでなかった。この男から脂っけを抜くと貧乏神にしか見えない。かわいそうなぐらいである。


 その原因は本人にある。当意即妙が売りだから、思いついたことを適当にしゃべる。それで墓穴を掘る。教育係はいないのだろうか。

 ここ一両日の発言はそんなに頓珍漢ではない。TPOを弁えていないという批判なら当てはまるが…。

 中でも波紋が広がったのは全国知事会で述べた「(医師には)社会的常識に欠けている人がかなり多い」という発言だ。正論だと思う。川柳にも「先生と言われるほどのバカじゃない」? というのがあったように記憶する。先生とは何か。教師、医師、議員の総称にほかならない。


 世間はみなそう思っている。麻生はそれを代弁しただけだ。日医側もそう言われれば心がうずく。だから異例の強硬な抗議になったのだろう。


 麻生に首相の資質があるかどうかは別として、彼の行動の一つ一つや一言半句をとらえてメディアが批判するのは寂しすぎる。「株がこんなに下がっているとき郵政株を売るなんて、そんなアホことはできない」「道路財源一億円は使い道を限定しない交付税として地方に回す」。どちらも自民党内に激しい反発を招いているが、間違っているとは思わない。


 毎日新聞の20日付け「記者の目」は先輩である牧太郎のコラムに噛み付き「バーと首相 トップに問われる克己心」なる見出しを掲げてご高説を書いている。今ごろバー通い批判かよ、と突っ込みたくなるボケぶりはともかくとして、首相たるもの襟を正せという指摘は有難すぎて涙が出るほどだ。

 でも、嘘だろう。本音で語っている気配が感じられない。牧のコラムのタイトルは「大きな声ではいえないが…」である。これは本音だ。「大きな声ではいえないけど○×」という打ち明け話に、真っ向から大音声で反論するセンスが悲しい。


 一連の麻生発言は「大きな声ではいえないが…」という類の中身だ。これを大きな声で言ってしまった麻生の政治センスの乏しさも悲しくなるが…。


 政治家もメディアも言葉を失っている。公と私の使い分けもできていない。この程度の政治家にこの程度のメディアということか。これでは中国を笑えない。
コメント (1)
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