東京さまよい記

東京をあちこち彷徨う日々を、読書によるこころの彷徨いとともにつづります

国立駅~たまらん坂

2010年03月16日 | 散策

 
以前(2008年11月)にでかけた国立駅からたまらん坂までの散策記です。

国立駅南口にでると、駅前から大学通りがまっすぐ広く延びている。

黄色くなったイチョウがきれいである。

街路樹となって通りに沿って並んでいる様が秋らしさを感じさせる。

イチョウの黄色がよくにあう風景はこの季節ならではのものである。

遅めの出発だったので日がだいぶ傾いてきている。すっかり晩秋の風景となっている。

国立は、昭和初期、国分寺と立川との間に箱根土地株式会社の堤康次郎による大学都市構想に基づいてつくられた街である。その中心として、神田一ツ橋にあった東京商科大学(現一橋大学)が誘致され移転してきた。 

通りを進んで一橋大学の構内に入ると、ここもイチョウが黄色くなっており、芝生が落ち葉でいっぱいである。

イチョウの黄色が日の傾きかけた光線とよくあう感じがした。

しばらく中を見学してから通りに戻り、横断歩道を渡る。駅側に戻り旭通りにでればよいが、そうせずさらに進み適当なところで左折し、東側に向かう。

なにもなかった原っぱからつくった街であるので、大通りから入った道もまっすぐに延びている。静かな住宅街が続く。

黒井千次に「たまらん坂 武蔵野短篇集」という小説集がある。

黒井千次は昭和7年(1932)5月現杉並区高円寺に生まれた。父の転勤があったが、5歳以後現在までの大半を、中野・小金井・府中など、東京西部のJR中央線沿線で過ごす(講談社文芸文庫「年譜」)。

この小説集は、それぞれ独立した、武蔵野のたまらん坂・おたかの道・せんげん山・そうろう泉園・のびどめ用水・けやき通り・たかはた不動を背景にした中年男性の物語である。

たまらん坂は以前これを読んでから訪れてみたいと思っていた坂である。 このたまらん坂を目指す。

なんどか曲がってラクビー場の脇などを通って坂下についた。

坂下の交差点が国立市と国分寺市との境であり、坂は国分寺市、坂上の先で府中市になる。

勾配は中程度であるが、比較的長いので、毎日の上下となるときついかもしれない。

国立と国分寺、府中とを結ぶ街道であるからなのか、車がひっきりなしに通るためシャッターチャンスをなんどか待った覚えがある。車が続いている坂道の写真はやはり感じがでないからである。

「たまらん坂」は坂名の由来をめぐっての物語である。

多摩蘭坂の坂上に家のある主人公は、この坂名についてかねてから疑念を持っていた。

「たまらん坂」、いや「堪らん坂」ではないか。

「多摩蘭」などと呼ばれる蘭の種類など聞いたことがないし、わざとらしい名前に思えてくる。

坂上のバス停は「多摩蘭坂」である。地図のバス停もそうなっている。

(ちなみに、石川悌二「江戸東京坂道辞典」、岡崎清記「今昔東京の坂」はどちらも多摩蘭坂としている。)

そんなおり、たまたま息子がRCサクセションのレコードをかけ、始めは拒否反応だったが、『三曲目は慎しやかなギターの伴奏に導かれてすぐ歌詞が現れた。スローテンポの、言葉を引き伸ばした上で切り離し、一つ一つ眼の前に貼りつけていくような歌い方だった。』

そして、その曲の途中に、「多摩蘭坂」がでてきて、息子に曲名を聞き、歌詞をかりる。

しかし、曲のタイトルは『多摩蘭坂』であり「たまらん坂」でないのでがっかりしてしまう。でも、多摩の蘭ではなく、やはり、堪らない坂である、と思う。

RCサクセション 多摩蘭坂の入ったアルバム「BLUE」がリリースされたのが1981年11月で、作者がこの小説を発表したのが「海」1982年7月号であるから、でてまもないアルバムでこの歌を聴いたのであろうか。作者は「多摩蘭坂」の曲をかなり気に入ったように思える。

主人公は、RCサクセションの忌野清志郎か誰かがこの曲について雑誌かなにかに書き、それにあったという「落武者伝説」を息子から聞き、それに興味を覚える。

そのむかし近くで戦があったとき落武者がこの坂を、たまらん、たまらん、といいながら登って逃げたことから坂の名前がついたというのである。

やっぱりそうか、多摩の蘭なんか嘘っぱちじゃないか。

『『多摩蘭坂』はいい歌だよ。』

『息子の方により近い歳頃の若者が、あの坂の歌を作っているのが理由もわからずに嬉しかった。』

坂名の由来について調べ始めるが、調べてもそのような故事はみつからず、かえって、この坂は昭和6年に林の小道を切り開いてつくったという地名事典の説明にでくわしてしまう。

結末は読んでのお楽しみであるが、坂下にある標柱は次のように説明している。

 『この坂は、国立から国分寺に通ずる街道途中の国分寺市境にあたります。大正時代国立の学園都市開発の際、国立と国分寺をつなぐ道路をつくるために、段丘を切り開いてできた坂です。諸説もありますが、一橋大学の学生が「たまらん、たまらん」といって上ったとか、大八車やリヤカーをひく人が、「こんな坂いやだ、たまらん」といったことからこの名がついたと言われています。当字で「多摩蘭坂」とも書きます。』

標柱の手前に国立駅と国分寺駅の方向を示す標識であった石柱が建っており、「昭和四年十二月 国分寺村青年団」とある。

忌野清志郎はかつて、「多摩蘭坂」の曲にあるように『多摩蘭坂を登り切る手前の坂の途中の家』に住んだことがあり、これからこの曲ができた。2009年5月に亡くなったが、惜しむファンはたまらん坂を訪れて献花などをし、たまらん坂は、RCファン、忌野ファンの聖地(の一つ)となっているという。

坂下から道を進み、こんどは旭通りを通って駅に戻るとすっかり日が暮れていた。

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