東京さまよい記

東京をあちこち彷徨う日々を、読書によるこころの彷徨いとともにつづります

大日坂

2011年02月10日 | 坂道

鼠坂上東側 旧小日向台町 大日坂上 大日坂上 鼠坂上から東へ直進し、一本目を右折したところに、旧小日向台町の旧町名案内が立っている。尾張屋板江戸切絵図を見ると、この道筋の両側から、八幡坂の西、鼠坂の南一帯まで御賄組の屋敷であったようである。静かな住宅街が続いている。しばらく歩くと、やがて緩やかな下りとなるが、このあたりが大日坂の坂上であろう。

坂上から右に少しカーブしてからちょっと下に四差路があるが、坂と直交する東西の道が若干食い違っている。このずれは地図上にもあらわれている。このあたりから中腹にかけてほぼまっすぐに下っている。勾配は中程度といったところである。

尾張屋板には、大日坂とあり、坂上東側に八幡坂町があり、西側は久世大和守の屋敷である(鷺坂の記事)。近江屋板にも、△大日坂とある。切絵図で坂上は突き当たりで、左折し西に向かうと、田中八幡に至る。

大日坂上側 大日坂上側 大日坂中腹 大日坂中腹 坂をまっすぐに下ると、T字路となっている中腹に、文京区教育委員会による坂の標識が立っている。例によって、車道側に大日坂とあり、その歩道側の裏面に次の説明がある。

「・・・・坂のなかばに大日の堂あればかくよべり。」(改撰江戸志)
 この「大日堂」とは寛文年中(1661~73)に創建された天台宗覚王山妙足院の大日堂のことである。
 坂名はこのことに由来するが、別名「八幡坂」については現在小日向神社に合祀されている田中八幡神社があったことによる。
 この一円は寺町の感のする所である。
   この町に遊びくらして三年居き
     寺の墓やぶ深くなりたり  折口信夫(筆名・釈空1887~1953)」

尾張屋板に、坂下近く東側に、大日如来明息寺、があり、近江屋板にも、大日明息寺、とあるが、ここが上記の妙足院であろう。切絵図の寺社名は誤字が多いが、明治地図には同じ位置に妙足院大日堂とある。

大日坂標識 大日坂中腹 大日坂下側 大日坂下側 標識の前から西へ(坂上側から見て右側)延びる道は、前回の鷺坂上から上る無名坂へと続く。

八幡坂の別名は、上記のように、かつて坂上近くに八幡坂町があったことから想像がつく。田中八幡神社があったとあるが、ここからいったん現在の今宮神社のあるところに移ったのであろうか。尾張屋板には、この坂の東にある服部坂上から西に延びる道に、八マンサカニツヅク、とある。

折口信夫は、手元にある年譜を見ると、大正四年(1915)十月、小石川金富町の鈴木金太郎の下宿に寄寓とあり(29歳)、同六年(1917)六月、豊多摩郡野方村の井上哲学堂内の小庵讃仰軒に移る、とあるので、この間の歌であろうか。金富町は坂下から東へ1kmほどのところで近い。

大日坂下側 大日坂下 大日坂下 大日坂下 この坂は上から来て坂下側で右にくっきりと曲がる(曲がりはわずかだが)ところがアクセントになっている。

岡崎に、江戸時代、旗本の根岸鎮衛(やすもり)が天明から文化にかけて三十余年間に書継いだ奇談・雑話の聞き書「耳袋」にある次の話が紹介されている。

『大日坂大日起立(きりゆう)の事
 いにしへは八幡坂と唱へ候よし。右は同所久世家抱屋敷の地尻に桜木町の八幡ある故にや。[ ]の頃、久世家にて右抱屋舗起発之頃、右屋舗脇にあやしげなる庵室有て尼壱人住居せしが、其頃は至て物淋しき土地故、博徒の輩集りて其辺にて賭奕をなし、茶或は酒肴等の煮たきを右の尼に頼けるが、「日々世話に成候礼を何か報(むくい)ん」と、彼博徒等申合(もうしあい)けるが、其内壱人、「尼が信仰せる本尊は大日なるよし。此大日に利益あるよし申触(もうしふら)し流行出(はやしだ)し侯はゞ、一廉(ひとかど)の助成ならん」と、所々より集りし博徒等申触しける故、流行出し、一旦殊之外繁昌せしゆへ、右大日を今の所へ堂を建、当時は別当もありて、地名も大日を以唱(もってとなえ)けるなりと、彼所の古老の物語りなり。』

大日堂が建立されたいわれを「土地の古老」の話として書き留めている。こういった話は、どこまでそうでどこまでそうでないのか、ボーダーレスのことで、それがいっそうおもしろく感じさせる。
(続く)

参考文献
横関英一「江戸の坂 東京の坂(全)」(ちくま学芸文庫)
山野勝「江戸の坂 東京・歴史散歩ガイド」(朝日新聞社)
岡崎清記「今昔 東京の坂」(日本交通公社)
石川悌二「江戸東京坂道辞典」(新人物往来社)
市古夏生 鈴木健一 編「江戸切絵図 新訂 江戸名所図会 別巻1」(ちくま学芸文庫)
「切絵図・現代図で歩く江戸東京散歩」(人文社)
「古地図・現代図で歩く明治大正東京散歩」(人文社)
「古地図・現代図で歩く戦前昭和東京散歩」(人文社)
「古地図・現代図で歩く昭和三十年代東京散歩」(人文社)
「折口信夫集」(筑摩書房)
根岸鎮衛著 長谷川強校注「耳袋(中)」(岩波文庫)

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