東京さまよい記

東京をあちこち彷徨う日々を、読書によるこころの彷徨いとともにつづります

小川坂

2013年07月04日 | 坂道

今回は、代官山から目切坂を下り、目黒川を渡り、小川坂などの上目黒の坂を巡った。

目切坂上 目黒川宿山橋 宿山橋上流 午後東横線代官山駅下車。

駅前から旧山手通りを歩道橋で渡り、交番のわきを左折すると、道しるべがある。ここを通りすぎ、右折すると、目切坂の坂上である。

一枚目の写真は坂上から撮ったもので、坂上の左手は樹木で鬱蒼としている。この坂は、今年はじめに訪れたので(目切坂の記事)、まだ記憶に新しい。

うねうねと曲がった坂を下り、坂下を右折し、すぐの信号を左折し直進すると、目黒川にかかる宿山橋である(現代地図)。

二枚目はそのちょっと下流から橋を、三枚目は橋から上流を撮ったものである。

川に沿って両側に道ができているが、たくさんの人が行き来している。

小川坂標識 小川坂標識地図 小川坂下 小川坂下 宿山橋から山手通りに出て、横断し、斜めに延びる道に入る。

一枚目は坂上の烏森小学校前の坂の標識であるが、その地図部分が二枚目である。この地図によれば、小川坂の坂下は、目黒区東山一丁目7番と上目黒三丁目17番の間のあたりである(現代地図)。

斜めの道を進むが、小川坂の坂下がどの辺なのかすぐにはわからない。ちょっと歩いてから坂上側を撮ったのが三枚目であるが、このあたりが上記の地図で示す坂下のようである。四枚目はそこから進んで坂上側を撮ったものである。このあたりはまだかなり緩やかである。

小川坂下 小川坂下 小川坂下 小川坂下 さらに進むと、ちょっと坂らしくなってくる。

一枚目の写真は、坂下から上り方向を、二枚目はそのちょっと上から上り方向を撮ったもので、西へと上っており、緩やかである。

三枚目はそのあたりから坂下を撮ったもので、このあたりはちょっと道幅が広くなっている。四枚目は、さらにその上側から上り方向を撮ったものである。

上一枚目に写っている標識には、次の説明がある。

「小川坂(おがわざか)
 かつて、この一帯を「小川」といい、坂下に広がっていた田んぼを「小川田んぼ」と呼んだ。この辺りの旧家小川家が地名の由来といわれる。また、この坂のある道は、鎌倉へ通じる道として中世の頃開かれた鎌倉道であった。」

目黒区HPに次の詳しい説明がある。

「中目黒駅から山手通りを大橋方面へ向かって歩くと、上目黒交差点から西へ斜めに入る道がある。東山一丁目と上目黒三丁目の境を、烏森小学校のほうへと上るこの道が小川坂。弓のような弧を描く緩やかな坂で、周辺に旧家小川家所有の土地が多かったのが、名前の由来ときく。
 小川坂上の寿福寺辺りは、小高い丘陵地帯で、旧小字名を宿山[しゅくやま]と呼んだ。鎌倉街道のひとつがここを通過していたから、その宿駅という意味であろうか。
 小川坂も鎌倉街道の一部で、坂を下ると目黒川に架かる宿山橋から目切坂を経て渋谷へと続き、坂を上ると寿福寺から碑文谷八幡宮、下野毛へと通ずる。昔、坂東武者が鎌倉目指して駆けたこの坂も、現代の馬「自動車」にとっては下りだけの一方通行路である。」

このあたりの旧家小川家所有の土地が多かったことが坂名の由来とされ、中世の鎌倉街道の一部であるという。いま通ってきた宿山橋から目切坂へと延び、その先は渋谷へと続く。

小川坂中腹 小川坂中腹 小川坂中腹 小川坂中腹 しだいに勾配がついてくるが、そんなにきついほどではなく、中程度よりも緩やかといったところ。

一枚目の写真は、さらに上ってから坂上側を、二枚目はそのあたりから坂下側を撮ったものである。

やがて左に緩やかに曲がるカーブにさしかかる。三枚目はそのカーブの手前から上り方向を撮ったものである。四枚目はさらに上ってからふり返って坂下側を撮ったものである。緩やかなカーブがアクセントになって、この坂でもっとも印象的なところである。

このあたりは、いつもの江戸切絵図の範囲外で、手元にある地図でもっとも古い明治44年(1911)発行の東京府荏原郡目黒村の地図を見ると、緩やかにカーブする道があり、この坂と思われる。坂上を西へ進み、野沢通りを左折しちょっと進むと、壽福寺があるが、この明治地図にも現在と同じ場所と思われるところに見える。坂下近くの目黒川は、いまと違って、かなり蛇行して流れている。この流域にできた田んぼを小川田んぼと呼んだのであろう。

この地図で、目黒川からちょっと離れたところにある四差路にこの坂がさらに交差している。この五差路のあたりが標識の地図が示す坂下付近と思われる。

小川坂中腹 小川坂中腹 小川坂中腹 小川坂中腹 一枚目の写真のように緩やかなカーブをすぎると、ほとんどまっすぐな上りとなる。

二枚目はそのさらに上側から坂上側を、三枚目はそのちょっと上側でふり返って坂下側を撮ったものである。

四枚目はさらにその上側で上り方向を撮ったもので、次第に緩やかになってくる。

昭和16年(1911)発行の目黒区の地図を見ると、現在とほぼ同じ道筋となっているのがわかる。目黒川も改修されたようで、蛇行していない。

現代地図から昭和22年の航空写真を見ることができるが、緩やかにカーブしているこの坂がよくわかる。坂上側は空き地が目立つが空襲によるものだろうか。畑もかなりあるように見える。しかし、昭和38年の航空写真では建物がかなり建っている。

小川坂上 小川坂上 小川坂上 小川坂上からの眺望 この坂は長く、坂上の烏森小学校前までかなりの距離があるが、ようやく坂上が見えてくる。

一枚目の写真は、坂上近くを撮ったもので、突き当たり左側が小学校前である。

二枚目は、坂上近くから坂下側を撮ったもので、まっすぐな坂道がよく見える。

三枚目は坂上で、左が小学校前で、ここに上記の標識が貼り付けられているが、このあたりに標柱も立っていたような記憶がある。坂上を右折して行くと、野沢通りに出る。

坂上を左折し、ちょっと進むと、南側の眺望がよく、このあたりは坂上の高台であることがわかる。四枚目はそこから撮ったもので、下りの階段がある。以前、初めてこの坂に来たとき、この階段を下ったことを思い出した。

目黒区発行の「坂道ウォーキングのすすめ」にある小川坂の全長、高低差、平均斜度は、395m、9.8m、2.27で、緩やかであるが、かなり長い。このデータからも、また、歩いた実感からも丘陵地帯にできた坂のように感じられる。
(続く)

参考文献
横関英一「江戸の坂 東京の坂(全)」(ちくま学芸文庫)
山野勝「江戸の坂 東京・歴史散歩ガイド」(朝日新聞社)
岡崎清記「今昔 東京の坂」(日本交通公社)
石川悌二「江戸東京坂道辞典」(新人物往来社)
「嘉永・慶応 江戸切絵図(尾張屋清七板)」(人文社)
市古夏生 鈴木健一 編「江戸切絵図集 新訂 江戸名所図会 別巻1」(ちくま学芸文庫)
「昭和十六年大東京三十五区内目黒区詳細図」(人文社)
「荏原郡目黒村全図」(人文社)

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