白髭神社から百花園に向かう。歩いて5分程度である。
梅の季節ということでたくさんの人が訪れていた。園内の各所に句碑が立っている。白梅の中に紅梅が目立ち、ここが写真を撮る人に人気である。一周したが、意外とこぢんまりとしている。時間があり人気が少なければゆっくりしたい所である。甘酒で一服し休憩。
百花園は、入口のパンフレットによれば、文化・文政期(1804~1830)、仙台出身の骨董商佐原鞠塢が交遊のあった江戸の文人墨客の協力を得て、花の咲く草花鑑賞を中心とした花園として開園した。昭和20年3月の東京大空襲で焼失したが、昭和24年に復興。
「万延元年庚申の歳沈山は四十三、毅堂は三十六になった。
正月八日書家中沢雪城が沈山毅堂磐渓九皐の四友を招ぎ、妓を携え舟行して向島の百花園に梅花を賞した後、今戸の有明楼に登って歓を尽した。」
永井荷風「下谷叢話」(白髭神社と荷風の記事参照)第二十九の冒頭である。
大沼沈山や鷲津毅堂らは百花園に遊んだはずと思って、同書をはじめからめくったらようやく見つかった。見落としがなければ、ここまで、百花園に行ったとの記述はないはずである。この日、沈山や毅堂らは招かれて百花園の梅を楽しんだようである。
同じく第三十三にも、八月中秋、沈山は長谷川昆渓、関雪江らと和泉橋から船を買って百花園の秋花を賞したとある。和泉橋は神田川にかかる橋で、ここからいまでいう遊覧船(屋形船)がでたのであろう。
百花園からでて次の通りを右折し、適当に左折して進むと、さきほど通った地蔵坂通りにでる。
第一寺島小学校の脇で右折し、そのまま進むと、突然鳩の街通りにでた。ここは予定していなかったので、意外感があってよかった。街歩きの楽しみの一つである。最初から最後まで予定通りではつまらない。
まっすぐに延びた狭い道を水戸街道方面に向けて歩くが、むかしながらの店が多く時間が引き戻された感じになる。しかし、営業してなさそうなところもあって少々寂しい。荷風戦後の「一幕物心中鳩の街」(『葛飾土産』収録にあたって『春情鳩の街』に改題)の舞台はここである。
引用文献
永井荷風「下谷叢話」(岩波文庫)
川本三郎「荷風と東京『斷腸亭日乗』私註」(都市出版)
「荷風随筆集 (上)」(岩波文庫)
「荷風全集 第十九巻」(岩波書店)