東京さまよい記

東京をあちこち彷徨う日々を、読書によるこころの彷徨いとともにつづります

赤坂見附交差点~弁慶濠

2010年09月10日 | 散策

豊川稲荷前で左折し青山通りを下り、途中のコンビニで水補給をする。

今回、豊川稲荷はもともと大岡越前守の邸内に祀られていた稲荷であることを知った。

戦災で焼けた後、赤坂花柳界や商店街の復活とともに復旧され、水商売の人たちの信心を集めているとのこと(石川)。

永井荷風もときたまここを訪れている。「断腸亭日乗」大正6年(1917)10月24日に次のようにある。

「十月廿四日。 両三日腹具合大に好し。午後家を出で紀の国坂を下り豊川稲荷に賽す。」

荷風は、この日、豊川稲荷まで散歩したが、このころまだ余丁町に住んでおり、そこから紀伊国坂を下って豊川稲荷までかなりの距離があったと思われる。坂好きとしてはどの坂を通ってきたのか興味がある。

大正14年(1925)「二月十三日。午後散策。赤阪豊川稲荷に賽す。薄暮地震。」

青山通りは、赤坂見附の交差点に向かってかなり傾斜している。上右の写真は赤坂見附の交差点を青山通り西側から撮ったものである。青山通りを直進すると、永田町で、三べ坂上の方に行く。左折すると、紀の国坂方面である。

信号を渡ると、弁慶濠である。左の写真は弁慶濠のわきから弁慶橋を撮ったものである。

弁慶橋を渡って北側に行くと、紀尾井坂や清水谷坂がある。

中沢新一「アースダイバー」の地図を見ると、縄文海進期に、このあたりは、溜池の方から延びる海で、さらに赤坂御用地の中まで延びていた。

ここから赤坂見附駅へ。

携帯の歩数計による総歩行距離は11.7km。

参考文献
石川悌二「江戸東京坂道辞典」(新人物往来社)
永井荷風「新版断腸亭日乗」(岩波書店)

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