東京さまよい記

東京をあちこち彷徨う日々を、読書によるこころの彷徨いとともにつづります

成子坂~蜀江坂

2010年07月01日 | 坂道

淀橋から青梅街道を西側に進めば、中野坂であるが、ここは前回歩いたので、東側に行くことにする。

淀橋の東詰北側は、税務署通りが開通し、広い通りどうしの交差点になっているので、以前と比べてかなり雰囲気が変わっている。

少し歩くと、成子坂の坂下の交差点である。

右の写真は坂下の交差点の辺りで撮ったものである。この辺りから緩やかに上っているが、青梅街道の大きな通りで、風情はまったくない。(このことはここに限ったことではないが。)

江戸名所図会の淀橋の説明に、「成子宿と中野村との間に架(わた)す。大小二橋ありて、橋より此方に水車あり。」とあり、図には、水車や二つの橋が描かれている。

文庫本の図ではあるが、これをながめていると、たくさんの人が淀橋を渡り行き来しているが、なんとなくのんびりとした雰囲気が伝わってくる。現代は当時と比べてなにかは進歩したかもしれないが、同時になにかを失っている。そんなことを感じさせる。

goo地図の尾張屋版江戸切絵図を見ると、ヨドバシ近くの地名が柏木成子丁となっているので、成子坂は、この地名に由来するものであろう。また、江戸名所図会のとおり、橋が二つかかっているのがわかる。

成子坂の途中で、大きなビルの工事中の曲がり角を左折し進むと、淀橋から上ってきた広い税務署通りにでるが、そこを横断し直進すると、ちょっとなつかしい感じのする道になる。さらに進むと、蜀江坂の坂下に至る。

左の写真は坂下の標柱の辺りから撮ったものである。少しうねって緩やかに上っている。

標柱の説明によると、かつて、この辺りが蜀江山と呼ばれたためこう呼ばれる。蜀江山の由来は、天慶(てんぎょう)の乱(939)のとき、平将門(あるいは弟の将頼)が蜀江錦の衣の袖を落としたから、あるいは江戸時代に三代将軍家光が鷹狩でこの地を訪れたとき、紅葉の美しさを蜀江の錦のようだと賞賛したからだという。

右の写真は坂上から撮ったものである。坂上にも標柱が立っている。

蜀江坂というのは、港区白金の聖心女子学院のわきにもある。

坂を下り、税務署通りを横断し、成子坂まで戻り、左折し、西新宿駅へ。

携帯の歩数計による総歩行距離は13.5km。

参考文献
「江戸名所図会(四)」(角川文庫)
山野勝「江戸の坂 東京・歴史散歩ガイド」(朝日新聞社)

コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 神田川~淀橋 | トップ | 村上春樹「走ることについて... »

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。

坂道」カテゴリの最新記事