御組坂は、道源寺坂からむかしながらの道順でたどると、坂上から直進し、霊南坂から続く通りを右折し、一本目を右折して下りとなる坂である。
右の写真(2008年末に撮影。以下も。)は、霊南坂から続く通りで、写真の道路の奥側が虎ノ門方面である。
道源寺坂から来ると、写真奥側から歩道を進み、左端中央に御組坂の標柱のある坂上に至る。
標柱の説明には、おくみざか 幕府御先手組(おさきてぐみ。戦時の先頭部隊で、常時は放火盗賊を取締まる)の屋敷が南側にあったので坂名となった、とある。
尾張屋版江戸切絵図を見ると、汐見坂と榎坂との間から上る霊南坂が見え、そこから続く通りに市兵衛町とある。その先から下る坂下に御先手組の屋敷がある。
左の写真は、御組坂の坂上から撮ったものである。右端に標柱が見える。
坂下は再開発でできた泉ガーデンの通りであるが、そこに向かってまっすぐに下っている。
下ったところが、偏奇館跡であったが、再開発により消滅した(「荷風散策事始め」参照)。
このあたりは、明治維新後に上収された武家地を合して町とし、明治五年(1872)、市兵衛町一丁目になったとのこと。
右の写真は、坂下から撮ったものである。いまは平凡な坂になっているが、再開発前までは坂はさらに下側の谷町まで続いていた。
(続く)
参考文献
石川悌二「江戸東京坂道辞典」(新人物往来社)