企業・組織再生現場からの独り言

仕事の中で、覚えていったこと。感じたことなどなどを記していきます。我以外皆我師也。あと、読んでいる本を簡単に紹介。

今月上海へ行って思ったこと

2009年08月23日 | 企業の一般的な話
中国国内の貧富の差はとんでもなく激しいんですね。私が行ったエリアは、上海から寧波、そして嘉興という街。必ずしも中心地でいたというよりは、結構田舎も含めて訪ねました。といっても、沿岸部ですから内陸ほどは貧しくない地域です。
高速道路では、日本円にして1000万円を超えるような車がたくさん走っている一方で、月給3万円程度の仕事をしている人も少なくない。3万円でも、最下層というわけではなくて、こうした都市部では、日雇いみたいな仕事では、2万円くらいというのもあるようです。
地域によりますが、安徽省阜陽市穎泉区という比較的上海からも近い省で、農業をしている人の平均年収が3万円に満たないらしく(省級貧困区だとか)、そういう地域から都会に出てくる人が少なくないわけですね。おかげで、安い給料でも働く人がたくさんいるということになり、特に輸出業においては競争力の源泉となっているようです。
 
そうした競争力ですが、輸出企業だけではなくて、流通業においても同様のことが言えると考えられます。もっとも直接競争をしているわけではないのですが。。たとえば、前回と今回で、メトロ、カルフール、テスコというヨーロッパ資本のスーパーを訪ねてきました。
売られているものは、もうほとんど日本と変わりません。GMS単独だけではなくショッピングモールに入居しているテナントも、日本のモールに近い状態です。
そして、その金額がまた驚くばかりでして、食品だけは総じて日本の1/3から1/10くらいと極端に安いのですが、他の商品は日本とほぼ同じか、2/3くらいと言ってよいと思います。極端な例ではなくて、食のコストだけが低くて、他は沿岸部のGMSなどではかなり高いところまできています。
実は、こうした先進的なGMSだけではなくて、街の市場やら、問屋街も訪ねてきたのですが、そこでも、値段は決して安くなく、ダイソーの100円のモノと比べると、品質も悪く値段も高い、という状態です。
中国では、どうやら、食生活という面では、月給1万円もあれば、野菜や穀類中心ではあるものの、贅沢しない程度の自炊なら可能であるとも言えます。もちろん、おしゃれな喫茶店などには絶対行けませんが(ベローチェ級のお店でも、値段は日本より若干高く、スタバは1杯400円とか平気でします)。
こうした貧富の差は、今の日本ではとうてい受け入れられるモノではないでしょう。一億層中流化の結果でもあるのでしょうが、生きていくためのコストが高くなりすぎているのだと思ってしまいました。
民主党の言う、最低時給1000円も、生活のコストから計算した数字ではないか、と思われます。ある意味、機会の平等から、また結果の平等へと揺れ戻しが起きているような感じにも思えます。

民主党が、脱官僚政治と言っています。それは確かに重要だろうな、と感じます。やはり、自民党(政)財官がつくりあげた、一部の人々だけが楽して暮らせる社会というのは、結果的には国際競争力を失わせていくような形に終わるばかりか、将来の世代にかなり多くの負債を負わせる事になってしまったように思います。
しかし一方で、アメリカ式の自由主義的経済制度によって、様々な企業が育ち、少なからず新しいエリアで国際競争力を勝ち取ったり、また国内で新しい産業が生まれてきたのも事実だと思います。
一部の利権構造は、やはりできるだけ無くしていくべきだし、適切な競争の中で、国民生活の低コスト化が図られるのがよいと思い、その意味では民主党の言うことは正論だと思います。
一方で、インフレ率などの議論なしで、単に時給1000円という言葉が、少しではあるものの出てきているのは不安に感じます。名目の1000円というものが、現在も続いているデフレから考えれば、実質もっと大きな価値を持ち始めているようにも思えるためです。
 
この国をどうしたいのか?
今の中国の発展を目にすると、貧富の差があるとは言っても、やはり富んだ者達は、どんどん増えており、既にその人々は日本の大多数よりも高いレベルの生活をしています。そういう層が、更に増えてきているわけですよ。
日本は、そうした息吹はどれくらいあるでしょうか?お先真っ暗、と言ってもいいような状態ではないでしょうか?出生率は下がり、確実に、若い世代は多くの高齢者を支えなければなりません。人口構成からすると、2人の夫婦が、1人の子供と、1人以上の高齢者を支えるという構図です。
まず、2人が両方働かないと、そんなの成り立たないですよね。更に、最低時給なんてのを定めると、企業も成り立たなくなる。今の構造では、まず、無理です。
もし、それをやろうとすると、生活のコストを徹底的に下げるしかないのだと思います。輸入に関する規制を相当減らすのか、食品の輸入をもっともっと自由化するのか。ないしは、外国からの移民を受け入れて、経済自体を発展させるのか?(これも、やり方によっては、努力しないで食べていこうとするフリーライダーを増やし、また、手に職のないNEETの人を、もっとひどい貧困に追いやるおそれもあります)
 
で、私が何を言いたいのか?というと。日本では、衣食住のうち、住のコストは公営住宅に住み、100均を使うという前提であれば、かなり低コストで済みます。衣も、しまむら、ユニクロ、Forever21、西友、イオンなどかなり頑張ってくれているおかげで、低コストになってきました。残るのが食のコストです。
まだまだ、これが高い。298円弁当が出たじゃないか?ハンバーガーは100円だ?と言われるかもしれませんが、まだまだ選択の幅は限られています。半田屋が、日本中にあるわけでもないし、学食や社員食堂みたいなのがごろごろあるわけではない。自炊するにしても、独り暮らしや共働き、仕事で疲れて帰ってきて、主婦並みに低コストアイテムを探して買うわけにもいかず、また、ムダを排除して安く済ませるほどには元気がないわけですね。
ワーキングプアって言葉がありますが、所得がプアなんじゃなくって、お金を有効に使う力がそがれてしまってプアになってしまっているというのもあるんじゃないでしょうか?独り暮らしの若手営業マンや、共働きの家庭、どうしても、様々なコストが高くついてしまいますよね。その中で、特に食のコストが高くついている、と思うのですがどうでしょうか?
忙しくて時間がなく、決して収入も高くない人ほど、食のコストが相対的に高くなっている。世界では、食すらまともに食べられない人もいるんだから、それに比べたらましだ、と言われる? いや、それは別の話であって。。この同じ経済圏において、やはりエンゲル係数を、社会で下げるような努力が必要になるんじゃないか?と思っているのですね。

政治という視点では、食料品への消費税を非課税にするだけで、まず5%はコストを下げられます。これをすることで、農家の人は困るでしょうか?困りませんよね。急に、輸入を増やすなんてことになると、いろいろ困ることはあるかもしれない。でも、やる気になれば、今の社会における不公平感について、少しずつでも良くしていくことはできるのだと思います。
将来やってくる、厳しい時代(扶養すべき人が増えてくる時代)が、もう目前に見えているわけで、大きな絵図で問題を単純化して、社会をどちらにもっていくのか、ということを語っていきたいな、と思いました。中国に行って、考えたこと。雑文で恐縮です。
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