最近、このブログの普及活動が功をなしたか、アクセス数が増え、コメントをちょくちょくいただけるようになり、ページを開くのが楽しみになってきた。
ほぼ日記帳のつもりで、日々勝手なことばかり書いていますが、皆さん、これからもご愛読をよろしくお願いします。
いつか、人生成功したらエッセイとして出版でもするか。
今日はAVR一例のみで、昼過ぎには終わり午後は書類書きやらなんやら。
何気に苦労することが、患者さんの退院についてである。特にうちは病床が少ないので元気な人はドンドン帰ってもらわないと、ベッドが回らず予定手術の方が入院できなかったりと言うことが生じてくる。
だいたい順調に行って10日から14日をめどに退院としているが、だいたい渋るパターンとしては、
・退院を勧めると日が悪いのでこの日はだめだ、あの日はだめだと、言う人。あんたの手術日は仏滅だったけど無事成功したじゃないのと言いたくなる。これはまだかわいいほう。
・あとは寒い時期になると必ず、今は寒いし、家は山の中でもっと寒いので、帰って風邪でも引いたら困る、と言う人。あんたは春まで入院しているのかい?と言いたくなる。
・一番困るのは自宅や家族の都合で受け入れができないというパターン、今いる方は自宅を改装しているので家族が置いてくれという、この方は前回の入院のときもそういう理由で帰らず転院してもらったのだが、この家はいったいいつまで改装しているのだろう。病院としては早くかえれー、家族はまだ置いてもらえー、である。なんか、とうの本人は何の罪もなく、間に挟まれ一番可哀想なのである。
確かに見ていて思うのは、病院に居れば至れり尽くせりである。毎日、体は拭いてもらえるし、周りが何でも世話をしてくれる。患者や家族としては願ったり叶ったりである。こういう患者や家族を説得するのはなかなか難しい、あまり強く言い過ぎても、せっかく治療はうまく言ったのに退院のことでギクシャクしてもつまらないし、かといって言われるがままでは、ベッドは回らないし。
最後の手としては、だいたいベッドがいっぱいになってきて、次の方が入院を待っているということを、毎日言って、医者からだけでは、だめなことが多いので看護婦さんサイドからも、プッシュしてもらう、だいたいここまですればOK。
それでも置いておいてほしいという人は、差額払って特室に入ってもらうこととなる。
現在の日本の医療制度では仕方が無い面もある、安い料金でみんな入院できるが、入院の必要の無い人も同じ料金で入院し、ほんとに入院が必要な人ができなかったりと、やや矛盾、しかし無理に追い出してトラブルにでもなったら、マスコミに病院つぶされかねないし。なんかやるせないです、これがアメリカなら一泊20万とかホテルのスイートなみの料金はざらなので、みんな患者側から退院を希望することも多いはす。
以前から思ってはいたがQQ車もこれと一緒、僕が小さい頃だったら、QQ車なんて呼ぶのはよっぽどのこと、死ぬか生きるかそういう時しか呼んじゃ行けないイメージであったが、最近はタクシーがわりに呼ぶひともいて、ほんとに助かる人も間に合わないことがあるらしい。
ところでなんで、みんなおうちに帰りたがらないのだろう?
不安、孤独、やることが無い、面倒が見れない
・不安は患者を安心させてあげればよい
・1人暮らしのお年寄りなどは、同情してしまうが、こういう人はやはり1人で生きているだけあって精神的に強い人が多い気がするので、すこし背中を押してあげるとよい、でも病院に異常に依存している人はだめ。
・帰ってもやることが無いというのは、なんともさびしい理由である、せっかく命をかけて手術をしたのだから、第二の人生と思って退院後は何か新たな目標をもって生きていってほしいと思う。これではこちらも何のために手術したのか、ということになってしまう。そういう意味では、よく術後の患者さんが心臓術後の会みたいなのを作って活動している(新東京とか大和成和とか亀田とか)のは、大変良いことだなーと思う。
・面倒が見れないというのは、どんなもんだろう、別に歩けない状態で帰らせるわけではないし、ある程度自分の身の回りのことはできる状態で帰るので、もうそれは家族のわがままとしか思えない。しかし実際に自分の家族がそうなった場合、自宅で介護できない状況であれば、自分も同じことを望むのだろうか。もっと介護のシステムとか、そういったものがしっかりできてこないと、なかなか改善しないのだろう。
みんな病院はどんな要求でも受け入れてくれるものと思われているのか。
患者さんは立場が弱い、なんていわれるけど、冗談じゃない、患者は言いたい放題で、こちらの方が立場が弱い気がしてくる。でもこの病院は地方都市にあるのでまだ良いほうかもしれない、都会はきっともっとひどいのだろう。特に小児科なんかは親が大変、一年目の看護婦はうちの子の担当にしないでくださいとか、大学病院にきて平気でそういうことを言うらしい。子をもつ親なら誰しもがそう思うはず、しかし平等をうたっているこの国の医療制度の中で、それを言われても困る。
なんて対応していいのだろう?
そういった話を聞くたび、やはり混合診療があってもよいのではないかと思うし、この建前だけの日本社会にややうんざりはする。
みんな今の医療制度の意味がわかっているのだろうか、ようは国民全員に医療を受ける機会を与えると言うことであり、同じ料金ではあるが同じレベルの医療が受けれるわけではないし、文句言う権利はありませんと言うのが、ほんとのところ。患者の要求レベルが非常に高くなり、建前上それに答えるのが不可能であるこの現状で、この国はいったいどこまで平等医療と言う建前を押し通していけるのだろうか。医療制度なんかを取り仕切っている人たちは、病気になったとしても、どうせ自分達だけはお金やコネやらを使ってVIP待遇を受けているんだろうから、自分達は何にも困らないし、逆に混合診療になると困るから、なかなか認めてくれないのだろう。
最近では医師会の力もだいぶ弱くなってきていると言う噂もきく、自分としては早く良い形で混合診療を取り入れてほしいものです。
ほぼ日記帳のつもりで、日々勝手なことばかり書いていますが、皆さん、これからもご愛読をよろしくお願いします。
いつか、人生成功したらエッセイとして出版でもするか。
今日はAVR一例のみで、昼過ぎには終わり午後は書類書きやらなんやら。
何気に苦労することが、患者さんの退院についてである。特にうちは病床が少ないので元気な人はドンドン帰ってもらわないと、ベッドが回らず予定手術の方が入院できなかったりと言うことが生じてくる。
だいたい順調に行って10日から14日をめどに退院としているが、だいたい渋るパターンとしては、
・退院を勧めると日が悪いのでこの日はだめだ、あの日はだめだと、言う人。あんたの手術日は仏滅だったけど無事成功したじゃないのと言いたくなる。これはまだかわいいほう。
・あとは寒い時期になると必ず、今は寒いし、家は山の中でもっと寒いので、帰って風邪でも引いたら困る、と言う人。あんたは春まで入院しているのかい?と言いたくなる。
・一番困るのは自宅や家族の都合で受け入れができないというパターン、今いる方は自宅を改装しているので家族が置いてくれという、この方は前回の入院のときもそういう理由で帰らず転院してもらったのだが、この家はいったいいつまで改装しているのだろう。病院としては早くかえれー、家族はまだ置いてもらえー、である。なんか、とうの本人は何の罪もなく、間に挟まれ一番可哀想なのである。
確かに見ていて思うのは、病院に居れば至れり尽くせりである。毎日、体は拭いてもらえるし、周りが何でも世話をしてくれる。患者や家族としては願ったり叶ったりである。こういう患者や家族を説得するのはなかなか難しい、あまり強く言い過ぎても、せっかく治療はうまく言ったのに退院のことでギクシャクしてもつまらないし、かといって言われるがままでは、ベッドは回らないし。
最後の手としては、だいたいベッドがいっぱいになってきて、次の方が入院を待っているということを、毎日言って、医者からだけでは、だめなことが多いので看護婦さんサイドからも、プッシュしてもらう、だいたいここまですればOK。
それでも置いておいてほしいという人は、差額払って特室に入ってもらうこととなる。
現在の日本の医療制度では仕方が無い面もある、安い料金でみんな入院できるが、入院の必要の無い人も同じ料金で入院し、ほんとに入院が必要な人ができなかったりと、やや矛盾、しかし無理に追い出してトラブルにでもなったら、マスコミに病院つぶされかねないし。なんかやるせないです、これがアメリカなら一泊20万とかホテルのスイートなみの料金はざらなので、みんな患者側から退院を希望することも多いはす。
以前から思ってはいたがQQ車もこれと一緒、僕が小さい頃だったら、QQ車なんて呼ぶのはよっぽどのこと、死ぬか生きるかそういう時しか呼んじゃ行けないイメージであったが、最近はタクシーがわりに呼ぶひともいて、ほんとに助かる人も間に合わないことがあるらしい。
ところでなんで、みんなおうちに帰りたがらないのだろう?
不安、孤独、やることが無い、面倒が見れない
・不安は患者を安心させてあげればよい
・1人暮らしのお年寄りなどは、同情してしまうが、こういう人はやはり1人で生きているだけあって精神的に強い人が多い気がするので、すこし背中を押してあげるとよい、でも病院に異常に依存している人はだめ。
・帰ってもやることが無いというのは、なんともさびしい理由である、せっかく命をかけて手術をしたのだから、第二の人生と思って退院後は何か新たな目標をもって生きていってほしいと思う。これではこちらも何のために手術したのか、ということになってしまう。そういう意味では、よく術後の患者さんが心臓術後の会みたいなのを作って活動している(新東京とか大和成和とか亀田とか)のは、大変良いことだなーと思う。
・面倒が見れないというのは、どんなもんだろう、別に歩けない状態で帰らせるわけではないし、ある程度自分の身の回りのことはできる状態で帰るので、もうそれは家族のわがままとしか思えない。しかし実際に自分の家族がそうなった場合、自宅で介護できない状況であれば、自分も同じことを望むのだろうか。もっと介護のシステムとか、そういったものがしっかりできてこないと、なかなか改善しないのだろう。
みんな病院はどんな要求でも受け入れてくれるものと思われているのか。
患者さんは立場が弱い、なんていわれるけど、冗談じゃない、患者は言いたい放題で、こちらの方が立場が弱い気がしてくる。でもこの病院は地方都市にあるのでまだ良いほうかもしれない、都会はきっともっとひどいのだろう。特に小児科なんかは親が大変、一年目の看護婦はうちの子の担当にしないでくださいとか、大学病院にきて平気でそういうことを言うらしい。子をもつ親なら誰しもがそう思うはず、しかし平等をうたっているこの国の医療制度の中で、それを言われても困る。
なんて対応していいのだろう?
そういった話を聞くたび、やはり混合診療があってもよいのではないかと思うし、この建前だけの日本社会にややうんざりはする。
みんな今の医療制度の意味がわかっているのだろうか、ようは国民全員に医療を受ける機会を与えると言うことであり、同じ料金ではあるが同じレベルの医療が受けれるわけではないし、文句言う権利はありませんと言うのが、ほんとのところ。患者の要求レベルが非常に高くなり、建前上それに答えるのが不可能であるこの現状で、この国はいったいどこまで平等医療と言う建前を押し通していけるのだろうか。医療制度なんかを取り仕切っている人たちは、病気になったとしても、どうせ自分達だけはお金やコネやらを使ってVIP待遇を受けているんだろうから、自分達は何にも困らないし、逆に混合診療になると困るから、なかなか認めてくれないのだろう。
最近では医師会の力もだいぶ弱くなってきていると言う噂もきく、自分としては早く良い形で混合診療を取り入れてほしいものです。
そういわず、書かせてくださいなー
医局員の不満を聞くのも医局長の仕事だよー
ちゃんと、論文も書きますので、
今度、日本ケツ噛むバカ学会に演題だしますので、お許しを。