Rain or Shine~メイおばさんの宝箱

雨が降れば虹が出る、晴れた空には光が躍る。
雨でも晴れでも歩きましょう!
世界のどこかから、あなたへ贈るメッセージ

無関心と非関心 前篇

2015-03-29 23:48:44 | マナー

今出ている「クロワッサン」の
「そうか、この手があった!捨てられない人の片づけ術」
という特集になんとなく心ひかれて
キオスクで買ってしまったのは
たぶん心の奥底に
「片付けたい」とか、「捨てたい」などという
このままではいけないという反省と
変化を求める気持ちがあったからなのでしょう。

早速、机の下から片付け始めましたよ。
すると面白いものがたくさん出てきて
ついつい読み耽ってしまい
片付けどころではなくなってしまいましたけれどね(笑)。

そのひとつが
「無関心と非関心」と題するサンプル原稿でした。
何年か前に、女性の生き方的な本の企画が上がった時に
頼まれていくつか書いたもののひとつです。

結局、出版社側の事情で企画が流れ
以来私はすっかり忘れていたんです。
それが机の下から出てくるとは(笑)。

それがね、今読んでみたらけっこう面白いんですよ。
一生懸命背伸びしているところとか
一生懸命かっこうつけてるところとかが(笑)。

けれども、第三者として読んでみたら
少しはいいことも書いてありました。
昨日書いた差別の心にも、ちょっとばかり通じるものもありました。

なんだか捨ててしまうのはもったいなくって
捨てる前にここに残しておこうかしら、と
前篇&後篇にわけて
公開させていただきます。

さあ、始まり始まり。
どうぞ読んでくださいね。

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家族であろうと友人であろうと、同僚であろうが隣人であろうが、私たちは他者との関わりの中で生きていますから、時として特定の誰かのことが気になってしかたがなくなることがあります。それがポジティブに出れば、恋であり愛であり、友情であり隣人愛に繋がりますが、ネガティブに出れば、最悪の場合は嫉妬や妄想に苦しめられることになります。そして、困ったことに、たとえそれがポジティブな場合であっても、増していく関心はちょっとしたことでネガティブなものに変わります。

往々にしてそれは、愛だと思っていたものが実は所有欲であった時に起こります。たとえば、最近子どもが言うことを聞かなくなった、夫が理由も言わずに夜遅く帰るようになった、何かにつけて世話をしてきた後輩がなんだかよそよそしい態度に変わってきた、、、、、そんな時に誰しも思うことは、なんとかして元のように自分の方を向いてもらいたいということでしょう。「ママがいなければだめだ。」「妻がいないと何にもできない。」「私にはあの人が必要だ。」という具合に。

自分が「必要な存在」でいたいという人たちにとっては、彼らが自立して自分を必要としなくなってしまうのはとても困るのです。「うちの主人たら、私がいないと靴下の場所もわからないんだから」とか、「うちの子ったら、私がいないと何もできないのよ。」などという人に限って、そんな状態が嬉しくてたまらないように見えます。つまり知らず知らずのうちに、あえて彼らの自立を阻んでいるのです。

当然ながら、そうした人たちは、対象となる人たちに対して大きな関心を持ち、その行動の逐一を知りたがります。そしてそれが「愛」ゆえのものだと勘違いをしてしまいます。ですから、彼らが自分の知らないところで楽しそうにしていると、自分の愛が裏切られたように感じます。あげく「私がこんなにやってあげているのに」と、相手を非難するようにもなるのです。

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長すぎるのも興ざめですから
今日はここまでにしましょうかね。
次回は二つの実例から始まりますよ。


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