「この国のかたち」的こころ

敬愛する司馬遼太郎さんと小沢昭一さんに少しでも近づきたくて、書きなぐってます。

テル

2005年01月22日 12時28分04秒 | 妄想
 画像掲載にチャレンジしました。カードリーダーだの、USBと携帯つなぐコードだのを買ってきましてすったもんだしてましたが、何のことは無い、携帯のメールで送ればいいじゃん。ちゃんと読めよな、ブログの使い方。しかも画像90度倒れてるし。まだまだこれから勉強だね。

クジラが浜に上がるわけ

2005年01月22日 09時01分29秒 | 妄想
 クジラもイルカも哺乳類。一度は陸にあがった事がある。彼らはしばらく陸上で生活し、なぜか海へ戻っていった。クジラの気持ちで考えてみる。陸は全くしんどいよ。浮力がないから体重いし、えさ捕まえるのも一苦労。すばしこしやつがいるから、目で探し、臭いで探していかなくちゃいけない。そいつが何処から来るかわからないから、右見たり左見たりした見たりうえをみたりしなくちゃいけない。草を食べてりゃ問題ないって?似たようなので毒のやつがあるから、なかなかこれも難しい。臭いと色と形で見分けなきゃ。その点海はいいぞお。体は軽いし、上に行くのも下に行くのも右も左も自由自在。温度の差は海流に沿ってりゃそれほどないし、えさは集団でかたまっていて口をガアーって開けてりゃ、ドワーって入ってくる。子供のことを考えたって海は生むのも楽、育てるのも楽。場所なんか選ばないし、体が複雑じゃないからほっときゃすぐに泳ぎだす。陸のかたがたは大変よ。立って歩くまでに何時間もかかかるんでしょ?ヒトなんて奴がいるけど、歩くまでに1年ですって!よく他の動物に食べられないわね。もっとも食べられているのは私達のほうかしら(笑)
 なんで女性になったのか良く分からないけど、とにかくそんなことでクジラは海に戻った。そして海ではほとんど必要の無い鼻と目を退化させ、耳だけを発達させてきた。えさの塊を見つけるために自分で音波を出し、跳ね返りで位置を知る。だから緩やかな浜辺では音波が跳ね返ってこないからそこには何もないと思い込み浜に打ち上げられることになる。「えさを追いかけ迷い込んだもようです。」ニュースはそう告げることが多いけれど、彼らは少しも迷っておらず。あるはずのない陸に戸惑っているだけ。自分の認識どおりにいかないと、とことんおかしくなるは人間だって同じクジラのことは笑えない。

5時起きおわり!

2005年01月21日 22時54分32秒 | 日記
 本日で5時起きは終了!カミサンもがんばって今日だけの寝坊。毎年のことだが自分達の結婚記念日が阪神大震災の日。2日後がカミさんの誕生日。一人娘が生まれたのが平成7年。地下鉄サリン事件のあった年でもある。そして恒例行事の、この5時起き1週間が重なっている。阪神大震災は仕事場に向かう車の中で体験。交差点で止まっていたら車が揺れた。ニュースを知らずにお昼には死者が1000人を超えていて衝撃を受けた。毎年やってくるこの5時起きの1週間は僕とカミさんの人生にとって、肌を刺す寒気となかなか明けない夜と眠気という実感とともにニュースを見るたびに増えて行く死者数を知らせるニューステロップのおぞましさを伴って忘れられない1週間となっている。
 娘は今年10歳になる。阪神大震災、地下鉄サリン事件からも10年。この子が生きて行く将来は決して楽観できない。しかし、願うだけでそれが叶うわけでも、金をかければ安心できるものでもない。生きてゆくための力を持ち、善き人々の輪の中にいれば、世相が暗さを示しても、心に明かりを失わず、きっと生きてゆけるだろう。一人娘の父親は他にたいした望みも無く、そんな風に育てたい。心ひそかに誓うのでした。
 (後半は新興宗教のパンフみたいになってしまった。)

沈黙の観衆 ブログの人称について

2005年01月20日 17時56分23秒 | BLOG論
 ブログの基本は日記であると仮定する。そうするとその文体は独り言の1人称であるのが当然の理となる。実際ブログタイトルの多くに、「~の独り言」というのが多い。だから文書としての最後は自己完結しているべきで実際そうなっている場合が多い。こういうブログにはコメントが付きにくい…はずである。なぜなら他人の入り込む余地はないことが多いはずだからである。しかし、ここにブロガーのキャラクターが絡むと様相が違ってくる。こんな言い方があるか知らないがブログアイドルといった存在になると、そのプライベートの暴露といったものに相当し十分に評価に値するものとなる。それはプロフィールおよび画像、動画によって支えられているといっても過言ではない。
 また、一人称ものとして思索系(ブロガーが一人で考えを深めて行く)のブログが存在する。今書いているブログもそれに相当するのだと思う。これはあるとすれば特定の傾向をもった(変態じゃないよ)読者のみが受け入れるタイプのもので、アクセス数が稼げるはずがなく、したがってコメントもあったら宝物といった具合である。わが盟友瀬川南嬢(ごめん!勝手に)にもこの手の記事がみえるが、なかなかコメントに恵まれない。(失礼!)私の場合は見てのとおりである。gooブログが10万を超えたことは喜ぶべきであるが、思索系ブログが市民権を得るのは(無いのかよ!)gooブログだけで100万を超えないと日の目を見ないのではないかと考えられる。(自分の文章力は棚に上げて言ってます)(泣)
 第2に2人称で書かれるブログについて考えてみよう。これは読む人を想定して語られるものであり、情報提供系のブログに多い。さらに云えばこの情報提供系には大きく分けると二つのタイプがあると考えられ、「薀蓄(うんちく)もの」と「報告もの」の二つに分けられるのではないか。これはつまりブロガーの読み手に対するスタンスの問題であり、「薀蓄もの」は「教えてやる」的態度であり、コメントはしづらい。僕のブログもこのタイプに入るものがある。逆に「報告もの」は同じ感動の「へえー」のあとで評価のしやすさがあり、コメントは増えるものと考えられる。つまり「これは良いものです。」といわれるのと「こんなのが出たんですけど…。」の違いであり当然後者のほうがツッコミが入れやすい。このブログにコメントをいただいたtubrabells氏のブロググは株式の報告を主とするもので事実を淡々と述べているだけのブログがあるが、(それだけじゃありませんが)事実として、または氏自身の生き方、考え方の魅力が株の取引を通じて表現できておりコメントは豊富である。(タイトルなんかいらないって無題で載せちゃうからね)
 またこれとは別に「告白もの」と呼んでいいジャンルが存在し、書き手とともに読者の好奇心をあおり緊張させ、かなりの興奮を呼ぶ場合が多い。このてのブログでは誰かが一つコメントをつけることで怒涛のようにコメントが連続することになる。この手法は小説家太宰治がその作品において既に実証済みであり、かれの「生まれてきてすみません」的な言い回しが、多くの女性の心を捉え。彼の命日に催される桜桃忌には国文科女子大生が未だに参列するゆえんとなっている。(一時期よりはずいぶん減ったらしい。日本女性の母性本能の変化の有無についてはコメントしない)。
 次に3人称ブログについて考えてみたいが、こんなのは滅多に無く、勝手に盛り上がっているタイプなのでモー娘が騒いでいるのを見てるだけで満足といった方でないと脱力感に襲われるだけだろうしコメントしても無視されるのがオチである。
 前回の予告では「縁」について考えるはずだったがぜんぜん出てこなかったですね。継続性が無いのもまたブログの特徴ですな。(おまえだけや!)だいたい劇団「時間装置」はどうなったんだ?期待してない?仕事休みの時に書きます。あしからず。

沈黙の観衆 コメントを集めるブログ

2005年01月19日 22時55分46秒 | BLOG論
 毎日そんなに多くのブログを巡回してるわけじゃないけど、コメントしやすいブログとしにくいブログがあるのは確かなようだ。同じようなプロフィールを持つ人で、同じ時事問題に対して発言していてもなぜかコメント量に差がある気がする。逆にコメントは差し控えたいが、見ないと気がすまないと言う類のブログもあるようで、これはこれで膨大なアクセス数を誇っていたりする。手がかりは、このあたりにありそうで、見てみたいけどコメントはしないと言う心理は、きわめて第3者、いわゆる火事場見物ならびにピーピング気分の人たちであることは間違いなく、知っていてい、見てみたい、けれども関わりは避けたいというものであり、極端な場合ブログを読まなくてもクリックして見る事ができさえすれば満足しているという場合もあるのではないだろうか。となると逆の関係をコメントおよびTBに見る事ができ、それはいわゆる「縁(えにし)」を結ぼうとする行為そのものであると考えられる。
 ではそこで結ばれる「縁」とはどういうものなのであろうか。先の「ブログ上の人格」シリーズとも重複するが、ブログ上の人格は、その人間から社会的な装飾を剥いだものと見る事ができる。逆に自分の一部を誇張して表現する舞台であるとの考察を進めてきた。次回はこの点から考えを進めて行きたいと思う。

人差し指で耳をふさごう。(死にたくなっている人へ)

2005年01月18日 22時58分50秒 | 妄想
 悲しくて涙が止まらない人へ。鏡を見ましょう。あなたの顔が映ります。どんな顔をしてますか。きっとあなたの顔の中で一番醜い顔です。そんな顔はやめましょう。自分のことを客観的に見つめると涙は止まります。
 死にたくなっている人へ。両手の人差し指で両方の耳をふさぎましょう。何が聞こえますか。ブブブブブという連続音。それがなんだか分かりますか。
 それは血管の中をヘモグロビンが通り過ぎる音。あなたが母親の胎内にいたときに聞いていたのと少し似てます。あなたがどんなに悲しくても、もう生きていても仕方がないと思っていても、あなたの体は確実に生きようとしています。体は生きるために動いています。生きようとしています。心がどんなに病んでいても、それだけで死んでいいのですか。ひとりぼっちだと考えてみてもあなたの心臓はずーっとずーっと昔から生きよう、いきようと動いてきました。それをとめる権利がありますか。聞いてみてください。この音はあなたの母からもらった音なんです。

新札なんて嫌いじゃ!(今日が最低だと思っている人へ)

2005年01月18日 22時47分28秒 | 日記
 とにかくやることなすことうまく行かない日がある。ブログに書いても登録できずに消してしまう。時間短縮狙いでバイパスを意選んだら工事中で片側交互通行で15分待ちでバイパスの意味なし。三叉路で選んだ道にはカローラが横転していてここも片側交互で大渋滞。松並木の美しい旧街道はUターンの場所もなし。30分のところを1時間かけて目的地に着くと、悲しい別れの宣告を受けて何がなんだか分からずに店を出る羽目になった。ああ!所詮僕は客でしかないのだけれど…。脱力感を引きずりながら駐車場を出ようとして駐車券を精算機に差し込むと300円の表示。財布の1000円札をおもむろに差し込むと、「べー」と音が聞こえてきそうなくらい生意気にもお札を吐き出してきた。2度目も結果は同じ。「ん?」と精算機のわきを見ると「新千円札は使えません」の赤い張り紙。なんだよ、使えないの?と小銭を探ると1円玉まで使って298円なり。しょうがないから精算中止にしてカードを抜き、車をバックさせてもう一度もとの場所へ。
車から降り、自動販売機に行くと新千円は使用許可。うれしいね。150円のお茶を買っていざ自分の車に戻ると今度は駐車券を紛失。だあ~なんじゃこれは!すべてをひっくり返し、探したが見つからず懐中電灯(言い方が古)をつかって車の外も探すが見つからず。どうしようもなくなって
車を精算機の前まですすめ、駐車券紛失のボタンをおした、係員が走ってくることを想定しできるだけ下手に出て何とか見逃してもらおうとする安い根性は全く通用せず、表示には5000円の無情な数字。悩んだ末埒が明かないので泣く思いで5000円を受け入れることにした。そして財布から1万円札を取り出すと、げんなり、これも新札だ。さっきの両替したのはいったいなんだったんだ。
 急いで車を元の位置に戻し、自動販売機へいくと、どいつもこいつも新千円は使えても、新一万円札は使えないようになっている。盗難防止策か。ほえ~どうしましか?仕方がないから200m向こうのパチンコ屋に入って両替を敢行。両替機の真正面には「パチンコの目的以外での両替はご遠慮ください」の張り紙。小心者の僕は500円だけ使おうと両替した。千円札の中から慎重に野口英世を選び、福沢諭吉は残した。次はパチンコ台選びだけど、素人の僕には皆目見当がつかないもんだから、とりあえずzz空いてる席を選らんだ。座った席は「CRおそ松君。」書いてて涙が出てきた。やっとのことで車に戻り、5000円を払ってようやく脱出した。ああ!情けない。


沈黙の観衆 アクセス1000を超えると…。

2005年01月17日 22時37分06秒 | BLOG論
 ブログには自分の身分を明かしている人がいる。教師、タクシー運転手、モデル、風俗嬢、弁護士、政治家、芸能人と多彩だ。そういえば公務員というのは先生以外に見ないね。医師がブログを公開しているケースも多い。
 女医さんも多い。先日のニュースでこんなのがあった。

 医師がHPで患者中傷 「頭悪い、二度と来るな」

 女性医師(28)が、自分のホームページ(HP)に患者とのやりとりや手術の様子を書き込んで「頭悪い」などと、患者を中傷していたことが14日、分かった。医師は指摘を受けてHPを閉鎖。病院は処分を検討している。
 (共同通信) - 1月14日12時7分更新

 この記事がyhoo上で流れると、お医者さんのブログは大騒ぎになったらしい。それはそうだいつ自分達に火の粉が降りかかるか分からない。という思いが防衛意識を生み、医師ブログ同士が連結しmコングロマリット化する方向に行くのは間違いなさそうである。
 僕が時たま見に行くブログに「女医ななこのひとりごと」と言うのがある。
http://www.doblog.com/weblog/myblog/11576?YEAR=2005
 整形外科医だそうだ。1日のアクセス数はおよそ600。これでもすごいのに上記の記事とななこさんのコメントが掲載されるとその日は、アクセス1000を超えたそうだ。中規模の市民会館のキャパだよね。そういう数の人が観客としてななこさんのブログを訪れたことになる。そのときの彼女の感想は「怖い」だった。そうか~怖いのか~と変に感動してしまった芸能人や収入目的でブログを経営している人はともかく、素人が意識する数字としては大きすぎる。そう考えると、「怖い。」という感情にも素直にうなづける。
 僕のブログにはだいたい毎日40ぐらいのアクセスがある。IPアクセスは20前後。僕としてみればありがたいことで、こちらはちいさなカラオケパブのステージくらいか、これなら2曲連続して歌っても我慢してくれるだろうくらいの数である。でも、その店のお客さんは僕の記事目的に来てくれている人だろうからおろそかに出来ない。しかもほとんどの人が沈黙しているのである。
 自分のブログに来る人ってどんな人なんだろう。というのはブロガーなら誰しもがもつ興味だと思う。わかるのは、というより想像を働かせることができるはコメントをくれたりTBを送ってくれた人たちだけ。あとは影も形もない、翌日のアクセス状況に視線の痕跡のみが残されている。
 しかしコメントにしてもそうそう出来るものではない。これにもずいぶんと勇気がいる。なんども書き直し、ついに送らずじまいの人も多いのではないだろうか。ぼくもいまだにドキドキ感が強い。自分のブログは取り消せても、コメントは取り消せない。送った後で後悔することはよくある。その場の勝手な解釈やノリでコメントして下品だったり、とんちんかんであることが多い私は、ちょうど卒業アルバムに思いっきり変な顔で写っているのを見つけたときのような気分になる。コメントは難しい。でも丁寧な返事をもらうと救われたような気分になる。しかしこれは余談。
 ななこさんのその記事にはコメントが十数件ついていた。彼女の返事を合わせれば24件かな。アクセス1000を超えて十数件は考えようによっては非常に少ない。900人以上の沈黙の観客を抱えているのである。恐怖の正体はその辺だろうか。彼女はコメントに対して一つ一つ丁寧に返事をくれる。風をひいたという記事に対し10件のコメントが寄せられたが、すべて「元気になってね」系のコメント。恥ずかしながら、かく云う自分もその一人だが、それに対し彼女はなるべく工夫して同じ内容にならないように返事をつけている。頭いい人だな~と感心してしまうと同時に彼女の寛容性に頭が下がる。
 そういう彼女の本来の性格がアクセス数を増やしているのは間違いないが、加えて28歳女医プラスななこというイメージがそれに付随しているのではないかと思う。
 まあそれもブログなんだ、といえばいえなくもないが、世の中には日に1万を超えるブログもあると言うこと。どういう神経状態になるのだろうと気になって仕方がない。
 

明日から

2005年01月16日 21時28分28秒 | 日記
 明日から五時起きだ~。暗いよー。寒いよー。眠たいよー。一人で食べる朝食はさみしいよーってこれはいつものこと。と、思っていたらカミさんが「大丈夫よ。まかせて!」って、あんた最近6時起きでも、週に一度のペースですから…。残念!
 朝起きてもお湯沸かすだけ!斬り!

劇団「時間装置」 バブル前夜の青春 酒に女は…

2005年01月16日 14時09分22秒 | 妄想
 提出期限は12月10日正午。それまでの2週間、僕はほとんど寝ないで原稿用紙50枚の卒論を躍起になって仕上げていた。「梶井基次郎『檸檬』の研究」、それが卒論のタイトルだった。梶井の代表作はその完成度において「桜の木の下で」だが、ぼくはそれに真っ向から対立、「檸檬」を検証し、代表作とした。指導教授に言わせれば「結論は面白い、だけど書き方がめちゃくちゃだ。なぜ、言われた注意事項を守らないのかね!」だそうだ。当時から僕は人の話を聞いていないたちだったらしい。評価は認定ギリギリだった。提出も締め切り1時間前。あまりの粗雑さに事務員が「まだ時間あるから手直ししたらどう?」とアドバイスしてくれたが耳を貸さず、「これでいいです。」とそのまま提出。好きになれない学生だったと思う。原稿用紙50枚も書けるわけないじゃないか、というレベルから始まっている僕の卒論が、ここまでたどり着いたのはそれ自体が奇跡なんだ。オリンピックは参加することに意義があるのなら、卒論は提出することに意義があるはずだと僕はかたくなに信じていた。一方では夜明けとともに完成が見えてきて以来、僕は一種のトランス状態に陥っていた。曲がりなりにも提出できるまでになったことで未知の領域に踏み込んだ自分を自分で褒め称えていたのだ。
 その日の夜、僕は自分の4畳半、月2万円の下宿で同じ国文科の矢木と一緒に祝杯を挙げていた。矢木は大学で映画研究会に所属。高校時代から脚本や8ミリ映画を自主制作してた。
 その夜、僕らは陽気だった。達成感と寝不足と酒が混ざり合って僕らを酔わせていた。矢木との酒はいつも質素だった。家は以前茨城の農家だったが父親が教員になり、校長にまでなり近所では敬意をもって接せられていた。しかし、食生活は欲少なく酒を飲む場合は、生の大根1本あれば肴は足りたとしている男である。
 その日僕らが飲んでいた酒はカティサークだったと思う。当時の大学生がうかつに買える代物ではない。マクドナルドのバイトが時給420円の時代である。諸物価はすべて高く、ガソリンなどはリッター140円ぐらいしていた(これはその後、更に上がり170円近くにまでなる。)。僕達は友人の入っていた宗教団体の伝(つて)で探してきたくれた、単発のバイトで裕福だった。それは当時まだ珍しかった、出張パーティの仕事で、2時間のパーティに準備と片づけを入れて4時間ぐらい拘束されて、1万円という破格の報酬を誇っていた。もう一度云うが喫茶店やマクドナルドのバイトが420円の時代である。僕はその前、青山表参道のダイヤモンドホールの結婚式場のバイトをしていた。フランス料理のフルコースを大皿から一人一人の皿に分ける仕事で、熟練を必要としていた。見習いの間はドリンクサービスのみで時給800円もらえることに感動し、片手でフォークとナイフを箸の様に使いこなせるように懸命に練習した。なぜなら見習いから脱すれば時給1200円に跳ね上がり、「三軒茶屋で豪遊」も夢ではなくなるからだ。
 時計は午後12時近くを指していた。お互いの卒論に関する苦労話も1段落着いたころ矢木が
「よう湯川!男2人で飲んでても色気がないから女の子のところでも電話すっか?」と出身地のイメージからすると意外とナマリの少ないトーンで話しかけてきた。
 僕は不思議の感に打たれた。矢木は常日頃、その手の話題を口にする男ではなかった。高校時代に付き合っていた(追っかけていた)友人の妹がいて、その子の写真やら8ミリだのを散々見させられた覚えはあるが、すべてが過去の話だったはずだ。もっとも矢木は映画研究会にいて、そこには今で言うマニアっぽい人たちと同時に、役者と呼ばれる人もいたはずで、それなりにと言うより体育会系等の運動部に所属している僕なんかからは想像も出来ないくらい豊かな女性関係があっていいはずだ。僕はそう思うことで自分の感覚にけりをつけた。
 「お前最近女の子と話してないだろう?」
 「大きなお世話だよ!」
 「お前はさあ、高校時代演劇部だったんだろう?」
 「そうだけど いまさらそんなこと聞いて何の意味があるんだ?」
 「今から電話すんのも、演劇やってる子だからよ。」
 「へえ~でも僕は別に話なんかしたくないよ。だいたいこんな時間に起きてると思うかよ。」
 「まあいいから、途中で代われよ。」
 矢木はおもむろに白い電話の受話器を上げてダイヤルをまわし始めた。今となっては逆に信じられないことだが、僕の下宿の部屋には電話が引いてあった。体育会系のクラブの部長をしていた僕は幹部同士の連絡や監督との打ち合わせのために、卒業した先輩から電話の権利を安く譲ってもらっていた。色はクリーム色。他には黒と緑しかなかった時代である。そしてこの電話には今書いていて気づいたけれど巧妙な罠が仕掛けられていたのである。