「この国のかたち」的こころ

敬愛する司馬遼太郎さんと小沢昭一さんに少しでも近づきたくて、書きなぐってます。

クジラが浜に上がるわけ

2005年01月22日 09時01分29秒 | 妄想
 クジラもイルカも哺乳類。一度は陸にあがった事がある。彼らはしばらく陸上で生活し、なぜか海へ戻っていった。クジラの気持ちで考えてみる。陸は全くしんどいよ。浮力がないから体重いし、えさ捕まえるのも一苦労。すばしこしやつがいるから、目で探し、臭いで探していかなくちゃいけない。そいつが何処から来るかわからないから、右見たり左見たりした見たりうえをみたりしなくちゃいけない。草を食べてりゃ問題ないって?似たようなので毒のやつがあるから、なかなかこれも難しい。臭いと色と形で見分けなきゃ。その点海はいいぞお。体は軽いし、上に行くのも下に行くのも右も左も自由自在。温度の差は海流に沿ってりゃそれほどないし、えさは集団でかたまっていて口をガアーって開けてりゃ、ドワーって入ってくる。子供のことを考えたって海は生むのも楽、育てるのも楽。場所なんか選ばないし、体が複雑じゃないからほっときゃすぐに泳ぎだす。陸のかたがたは大変よ。立って歩くまでに何時間もかかかるんでしょ?ヒトなんて奴がいるけど、歩くまでに1年ですって!よく他の動物に食べられないわね。もっとも食べられているのは私達のほうかしら(笑)
 なんで女性になったのか良く分からないけど、とにかくそんなことでクジラは海に戻った。そして海ではほとんど必要の無い鼻と目を退化させ、耳だけを発達させてきた。えさの塊を見つけるために自分で音波を出し、跳ね返りで位置を知る。だから緩やかな浜辺では音波が跳ね返ってこないからそこには何もないと思い込み浜に打ち上げられることになる。「えさを追いかけ迷い込んだもようです。」ニュースはそう告げることが多いけれど、彼らは少しも迷っておらず。あるはずのない陸に戸惑っているだけ。自分の認識どおりにいかないと、とことんおかしくなるは人間だって同じクジラのことは笑えない。

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