「この国のかたち」的こころ

敬愛する司馬遼太郎さんと小沢昭一さんに少しでも近づきたくて、書きなぐってます。

人差し指で耳をふさごう。(死にたくなっている人へ)

2005年01月18日 22時58分50秒 | 妄想
 悲しくて涙が止まらない人へ。鏡を見ましょう。あなたの顔が映ります。どんな顔をしてますか。きっとあなたの顔の中で一番醜い顔です。そんな顔はやめましょう。自分のことを客観的に見つめると涙は止まります。
 死にたくなっている人へ。両手の人差し指で両方の耳をふさぎましょう。何が聞こえますか。ブブブブブという連続音。それがなんだか分かりますか。
 それは血管の中をヘモグロビンが通り過ぎる音。あなたが母親の胎内にいたときに聞いていたのと少し似てます。あなたがどんなに悲しくても、もう生きていても仕方がないと思っていても、あなたの体は確実に生きようとしています。体は生きるために動いています。生きようとしています。心がどんなに病んでいても、それだけで死んでいいのですか。ひとりぼっちだと考えてみてもあなたの心臓はずーっとずーっと昔から生きよう、いきようと動いてきました。それをとめる権利がありますか。聞いてみてください。この音はあなたの母からもらった音なんです。

新札なんて嫌いじゃ!(今日が最低だと思っている人へ)

2005年01月18日 22時47分28秒 | 日記
 とにかくやることなすことうまく行かない日がある。ブログに書いても登録できずに消してしまう。時間短縮狙いでバイパスを意選んだら工事中で片側交互通行で15分待ちでバイパスの意味なし。三叉路で選んだ道にはカローラが横転していてここも片側交互で大渋滞。松並木の美しい旧街道はUターンの場所もなし。30分のところを1時間かけて目的地に着くと、悲しい別れの宣告を受けて何がなんだか分からずに店を出る羽目になった。ああ!所詮僕は客でしかないのだけれど…。脱力感を引きずりながら駐車場を出ようとして駐車券を精算機に差し込むと300円の表示。財布の1000円札をおもむろに差し込むと、「べー」と音が聞こえてきそうなくらい生意気にもお札を吐き出してきた。2度目も結果は同じ。「ん?」と精算機のわきを見ると「新千円札は使えません」の赤い張り紙。なんだよ、使えないの?と小銭を探ると1円玉まで使って298円なり。しょうがないから精算中止にしてカードを抜き、車をバックさせてもう一度もとの場所へ。
車から降り、自動販売機に行くと新千円は使用許可。うれしいね。150円のお茶を買っていざ自分の車に戻ると今度は駐車券を紛失。だあ~なんじゃこれは!すべてをひっくり返し、探したが見つからず懐中電灯(言い方が古)をつかって車の外も探すが見つからず。どうしようもなくなって
車を精算機の前まですすめ、駐車券紛失のボタンをおした、係員が走ってくることを想定しできるだけ下手に出て何とか見逃してもらおうとする安い根性は全く通用せず、表示には5000円の無情な数字。悩んだ末埒が明かないので泣く思いで5000円を受け入れることにした。そして財布から1万円札を取り出すと、げんなり、これも新札だ。さっきの両替したのはいったいなんだったんだ。
 急いで車を元の位置に戻し、自動販売機へいくと、どいつもこいつも新千円は使えても、新一万円札は使えないようになっている。盗難防止策か。ほえ~どうしましか?仕方がないから200m向こうのパチンコ屋に入って両替を敢行。両替機の真正面には「パチンコの目的以外での両替はご遠慮ください」の張り紙。小心者の僕は500円だけ使おうと両替した。千円札の中から慎重に野口英世を選び、福沢諭吉は残した。次はパチンコ台選びだけど、素人の僕には皆目見当がつかないもんだから、とりあえずzz空いてる席を選らんだ。座った席は「CRおそ松君。」書いてて涙が出てきた。やっとのことで車に戻り、5000円を払ってようやく脱出した。ああ!情けない。