「この国のかたち」的こころ

敬愛する司馬遼太郎さんと小沢昭一さんに少しでも近づきたくて、書きなぐってます。

谷川俊太郎と楠さんと詩のボクシング大会1

2005年01月11日 23時22分35秒 | 人々
 大学4年間を体育会系のクラブで過ごした僕は、クラブ引退後、卒業論文の提出を終えて、暇になった。その後ちょっとしたきっかけで、高校時代に取った杵柄というわけではないが、小劇団「時間装置」に所属することになった。荻窪のライブハウスで1回公演を目指し、どこから集まったかわからない素人集団がおよそ2ヶ月間練習を続けた。劇団の主催は楠という名前(ペンネームかもしれない)の人、彼は詩人谷川俊太郎の弟子で早稲田大学出身。パフェのバナナがセクシーだとか当時の(今も)よく分からない詩を書いていた。その楠さんが書いた脚本が草の根っこの夢を演じるもので、それぞれ日の目をみない根っこが理想の自分を夢想するというメルヘンチックな作品だった。ところが演出が早稲田新劇場の人で…。とにかく僕は役者としてライブハウスで公演し、詩人谷川俊太郎の評価を得た経験がある。(かなり自慢)
 それはまたおいといて、20年ぶりぐらいに当時の劇団員から突然メールが来て、「詩のボクシング大会って知ってる?」と聞かれた。BSで名前だけは知っていたが内容は知らなかった。すると「それって楠さんが主催してるのよ。」と言われてびっくり。BS見てみるとホントに楠さんがでてた。何やってんだろうこの人と思う反面。天下のNHK相手に堂々と?!渡り合ってる姿を見るとすごいな~と感心してしまう。http://www.asahi-net.or.jp/~DM1K-KSNK/bout.htm
 みんな元気にしてるかなあ~。懐かしくなってきたので、敬意をこめて当時のことなども少しずつ書いてみようと思います。ちなみにメールくれた千文ちゃんのアドレス紛失してしまいました。ごめんなさい。どうしよう。

BLOG上の人格 なりすましは終わらない

2005年01月11日 23時00分27秒 | BLOG論
 終わったんじゃなかったのかよ。と言われそうですがまだ続きます。
 人は素のままでは社会で生きてゆけない。社会というのは人が家族単位での狩猟採集経済から抜けだし、部族での役割分担ができたときから形成されたのもので、個々の欲望を制御し、集団としての利益を優先させ、集団構成員がよりよく生きてゆけるように生み出されたものでそこには必ずルールがある。人は自我を抑え込み社会での役割に「なりすまし」て生きてゆくことを宿命づけられている。親に、妻に、夫に、子供に、友人に、恋人に会社員に、公務員に、坊主に、教員に、犯罪者に、兵隊にといろんなものに、ルールという枠に入ってなりすましている。BLOGはそれら全ての枠を取っ払って地金の自分を晒して良い世界だし、逆にいろんな衣装を着て舞台に上がって良い世界でもある。gooに登録しているブロガーは昨日10万人を超えた。この数をどうとらえるのかは判断に迷う。まだまだ大丈夫なのか?これから始まるのか知らないが、BLOGにもセキュリティーが必要になれば、なりすましは許されない行為として非難を浴びる日が来るかも知れない。だけど僕はなりすましをやめない。それもまた僕の真実の姿であることに違いはないのだから。