「この国のかたち」的こころ

敬愛する司馬遼太郎さんと小沢昭一さんに少しでも近づきたくて、書きなぐってます。

沈黙の観衆 コメントを集めるブログ

2005年01月19日 22時55分46秒 | BLOG論
 毎日そんなに多くのブログを巡回してるわけじゃないけど、コメントしやすいブログとしにくいブログがあるのは確かなようだ。同じようなプロフィールを持つ人で、同じ時事問題に対して発言していてもなぜかコメント量に差がある気がする。逆にコメントは差し控えたいが、見ないと気がすまないと言う類のブログもあるようで、これはこれで膨大なアクセス数を誇っていたりする。手がかりは、このあたりにありそうで、見てみたいけどコメントはしないと言う心理は、きわめて第3者、いわゆる火事場見物ならびにピーピング気分の人たちであることは間違いなく、知っていてい、見てみたい、けれども関わりは避けたいというものであり、極端な場合ブログを読まなくてもクリックして見る事ができさえすれば満足しているという場合もあるのではないだろうか。となると逆の関係をコメントおよびTBに見る事ができ、それはいわゆる「縁(えにし)」を結ぼうとする行為そのものであると考えられる。
 ではそこで結ばれる「縁」とはどういうものなのであろうか。先の「ブログ上の人格」シリーズとも重複するが、ブログ上の人格は、その人間から社会的な装飾を剥いだものと見る事ができる。逆に自分の一部を誇張して表現する舞台であるとの考察を進めてきた。次回はこの点から考えを進めて行きたいと思う。