AN現代針灸治療

ANとは「にただあつし(似田敦)」のイニシャルです。現代医学的知見に基づいた私流の針灸治療の方法を解説しています。

脳血管障害と醒脳開竅法 その1(歴史と普及)

2006-06-19 | 特定疾患
1.醒脳開竅法以前
 私の玉川病院研修時代、昭和55年当時の玉川病院にはリハ科がなかったこともあり、何例かの脳卒中後遺症(入院患者)の治療を経験し、また同科の針灸師の治療も見学してきた。その治療内容は単純で、麻痺筋にパルス刺針通電をすることだった。これは不勉強の結果というより、学習したくても文献類がなかったからである。
 それでも、急速に麻痺が回復する者もおり、一方、毎日治療してもあまり回復しない者などもいた。この結果から、脳卒中に対する針灸治療は非力であって、治るべきものは何もしなくても自然回復し、治らない者は何をやってもダメなのだという認識を得た。結局、病巣の位置と広がりの違いによって、予後も違ってくるのであろう。その後、リハ科新設とともに、針灸への需要は非常に少なくなったのだった。

2.醒脳開竅法の実演
 当時脳血管障害に対して、針灸の可能性をあまり信じられないでいたのだったが、それから5年後、東京衛生学園常勤講師時代に、醒脳開竅法のことを知った。開発者は、天津中医院付属第一病院院長の石学敏教授で、来日して学園内でデモンストレーションを行ったことによる。デモには学校近くの総合病院に入院中の実際の患者を使って行った。1回の治療で歩行可能になる者もいて、観客一同仰天したものである。このあたりの事情は、雑誌「中医臨床」1988年9月号に詳しい。

3.中医クリニックの誕生
 そのデモの見学者の一人に、その総合病院の副院長がいて、それほど素晴らしいのであれば、ウチの病院にも是非取り入れたい、との強い希望があり、病院付属中医クリニックを設立する一方、石学敏先生グループ内のの高名な先生を病院が招聘して日本人針灸師の教育に携わることとなった。
 私も何回か中医クリニックを見学させていただいた。具体的な治療効果については明言できないが、スタッフは自信をもって診療にあたっており、それは十数年経た現在でも継続して診療にあっている。

 なお醒脳開竅法は、そのやり方が理論的に定められているので、微妙な針の手技以外は、追試しようと思えばできる治療法である。そこで東京衛生学園では、全国的に普及させる目的から、養成講座を開講した。まさに順風満帆の船出だった。

4.醒脳開竅法は、わが国に普及したのか?
 私は開業して14年になるが、その間、脳卒中後遺症患者の治療をしたのは、わずか2例にすぎない。しかもその2例とも発症6ヶ月以上経過し、リハ訓練終了の段階から行ったものであり、2例とも治療効果を認めるに至らなかった。
 醒脳開竅法は、発症直後から行うほど効果的で、3ヶ月を過ぎると効果が出にくくなり、6ヶ月以上過ぎると治療効果があまり得られなくなるとされている。
 醒脳開竅法のゴールデン期間は、入院中の患者であり、内科とリハ科中心で治療され、針灸はお呼びがかからない。全部終わっても麻痺が残存し、その段階になってから、患者の希望で針治療を開始するのでは、たまったものではないのである。
 結局、脳卒中後遺症の新鮮例は入院中の期間であって、主治医が全面的に権限を握っている以上、針灸を行うことは実際的に無理なのである。

5.醒脳開竅法は、中国に普及したのか?
 石学敏教授は、中国でも針灸の第一人者として知られている。針灸が国家の積極的支援を受けている中国にあっては、中医針灸は盤石たるものだというように私は思っていた。しかし医道の日本(平成17年12月号)の記事、石学敏著、飯田清七訳「鍼灸学が新世紀に直面している問題と対策について」を読んで驚いた。以下記事の一部を転記する。
 鍼灸病棟の最大の疾患は中風疾患である。中医病院の脳血管疾患の急性期の患者のほとんどは内科に入院している。(中略)鍼灸病棟には内科を退院した回復期と後遺症期の患者が収容されている。これは鍼灸科が主体的でない表れであり、これでは鍼灸病棟の活動はできない。(中略)どうして神経内科は鍼灸科と共同できないのだろうか?

 石学敏教授の所属する天津中医学院付属第一病院内において盛んに醒脳開竅法が実践されてはいるが、一般の病院内では東西医学間で勢力争いがあるらしい。中国にも疾病ごとに担当する診療科目が決まっているので、争いごともなく隣同士で治療を行うことができる。しかし鍼灸科という診療科目は得意とする疾病ではなく、治療法による区分であるため、他科との間に縄張り争いが生まれやすいのだろう。 また北京や上海といった大都市にも、針灸教授がいるので、それぞれ自分流を押し進めることになる。東洋医学を実践する同志間にも競争があるのは、わが国以上に厳しい状況であるかもしれない。