平家物語の屋島合戦に登場する弓の名手として名高い
那須与一がこよなく愛した「即成院」に行って来ました!
「光明山 即成院」 (こうみょうざん そくじょういん)
「即成院」は西暦992年に恵心僧都が伏見に光明院を建立したのが
始まりとされ、その後の寛治年間(1087~94)に藤原頼通の子息と
なる橘俊綱が山荘に阿弥陀如来及び二十五菩薩像を安置して
「即成院」と改めたと伝わっています
屋島の合戦で与一の願いがこもった矢が船上の扇の的に当たったこと
から「願いが的へ」と扇に願いを書いて病気平癒、受験に恋愛などの
諸願成就に厄除け、開運祈願に全国から多くの参拝客が訪れています
那須与一は屋島の合戦で大活躍する以前に、突然の病で倒れ、病気平癒
に即成院で熱心に祈願し療養したそうです。病気が癒えて合戦に加わり
源氏に大勝利をもたらした功績は即成院の阿弥陀如来と二十五菩薩の霊験
によるものと信じ信仰を続けて即成院で生涯を閉じたと伝わっています
ユニークな "おみくじ" もある与一の手洗い場
与一の墓所
鎌倉時代に造られた約3mもの巨大な与一の墓石が現存します
京都東山の地に平家物語の弓の名手・那須与一と霊験あらたかな
阿弥陀如来を本尊とする「即成院」との間に深い関わりが
あることを知った京都巡拝でした