東大阪でそろばん教室を運営しているの先生のブログ 関西珠算瓢箪山教場・石切教場

子供たちから教えられたこと、感じたことを想いのままに綴ります。

子供たちと向き合うために

2015-07-20 09:45:22 | 日記
 岩手の事件について、様々な情報が出てきました。担任の姿勢を問うもの、校長の当事者意識のなさを問うもの、保護者はなぜ気づかなかったかと親にも責任を問うもの…。何か大切なことを忘れていませんか?。 一人の子供が自ら命を絶った。そこまでの苦しみを誰も理解することができなかった。担任も、周りの教師も、教頭も、校長も、同級生も、近所の人たちも、そして親御さんも。それが間違いのない事実です。

 担任はしっかりと関わっていた。とか、本当はそんないじめはなかった。とか、完全に事実から目を背けているとしか思えないんです。大切なことはなにか。「本人がいじめと感じていた」ことと、「いじめていた連中が、相手の気持ちを慮ることができていなかった」という二つの事実です。そしてその事実に(気づいていて見ないふりをしたのかまではわかりませんが)誰も理解を示そうとしなかったということです。

 でも、そこまで追い詰められた中学生に、相談をしてもらえるほどの信頼関係を築くのはとてもとても難しいことです。こちらがよかれと思ってした、すこしばかり厳しい指導のせいで「あの先生鬱陶しい」となり、信頼関係が壊れてしまうこともあります。
 本気で立ち向かえばウザく感じられるのは仕方のないことです。でも一貫して生徒と向き合うこと。それしか子供たちと信頼関係を築く方法はありません。
 自分の地位や名誉を守ること。教師としての安定した立場を守ること。めんどくさいことからは目を背けること。簡単です。でもそのことで、子供たちが大人を信じられなくなり、その子供の人生を無茶苦茶にしてしまうことなんてたくさんあるのです。

 今私が関わっている生徒の中には、心に大きな苦しみを抱えている生徒、学校の先生との信頼関係が築けなくて苦しんでいる生徒が数名います。そしてその生徒たちが関わる、その苦しみの原因となる先生に共通して言えること。それは「自分は優秀であり、自分は能力の高い人間である」と自分自身を肯定し、そして「周りの人の意見やアドバイス」を聞き入れず、「自分に間違いはない」と相手が悪いという観点しか持ち合わせていないということです。

 とても悲しいことです。本当は学校へ出向き、とことんまでやりあいたいのですが、「私塾」の先生と言う立場ではなかなか難しいものがあります。だから私は自分の周りの恩師や仲間を精いっぱい頼って、少しでも子供たちに寄り添える存在でありたいと思い続けます。

 私の関わった生徒から、こんな悲しい出来事が絶対に起こらないためにも。

 村松君は本当に苦しかったと思います。その苦しみを少しでも分かり合えなかったこと。大人として申し訳ないと思います。どうか安らかに。心からご冥福をお祈りします。
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