お勉強の指導をしていると、学年に関係なく「読む」という行為について口うるさくなります。
「読めない言葉の意味が分かるわけないでしょう」「音読して詰まるなら、その言葉の意味が分からないということです」
ここから「わからない言葉は辞書で調べなさい」となります。すると子どもたちは、たいてい辞書の意味を丸写しします。
ここから私は「で、簡単に言うと?」攻撃を繰り返します。「次から作文を書くときに調べた言葉を正しく使いこなせたら、その言葉の意味がわかったということですよ」と。
自分の語彙に言葉の意味を落とし込むこと。これができるようにならないと、中学以降「定義と定理」や「字義」といった共通事項についての理解が曖昧なままになるからです。その状態でどれだけ教科書を読もうが授業を聞こうが、理解が進むとは思えません。
読み込んで意味を理解する。これができれば教科書や参考書を読んで理解することもできてきますし、問題の解答解説を読んで理解することも生徒に応じてできるようになります。
「読む」という行為はすべての学びの根幹です。そして「読む」という行為は文字だけにとどまりません。「数字」も「意味を持つ言葉」として理解できれば、世界が格段に広がります。
数字を「読む」とはどういうことか。たとえば「50分で進む距離」は「時速の値より小さくなる」とか、「90%量は元の量よりちょっと小さい」とか。こうした「数字が表す物量の意味」を読み取ることだと思います。
そろばんを通して数の感覚と理解をすることで、文字も数字も「読む」ことができるようになる。
これが、私の考える「読む」という行為を学ぶことの基本なんです。