たとえば「成績保障」をする塾さんがあります。たとえば「○○中学定期試験対策講座」と銘打って、試験前の1週間に講座を開講する塾さんがあります。そして最低の塾さんもこうした塾さんたちと同じことをします。
こうした塾さんのすべてに共通すること。それは「実力にならない」ことです。与えられたことを暗記するだけ。今やるべきこと、しなければいけないことを自分から考えようともしない生徒を続々と生み出しているのです。
さらに言えば
そしてこうした塾さんに共通すること。それは「各高校への合格率が公表されない」ということです。
たとえば、公立上位高校への合格者数が50名!と書いてあっても、その塾から50名受験して50名の合格ならばすごいことです。が200名が受験して50名の合格なら、合格率はたったの25%でしかないわけです。
つまり、生徒数の多い塾さんであれば、高校の競争倍率よりも塾生の競争倍率の方が低い場合(先の場合でいえば4倍となりますね)もあるわけです。これが数字のマジックです。母数(受験する生徒の人数)が多ければ多いほど、合格率は悪くとも合格者の絶対数は増えるわけです。
だから、たとえば10名受験して、10名合格なら「合格者10名」となりますが、200名受験して50名合格なら「合格者50名」となるわけです。つまり「合格者数」が多いからと言って、すごい塾とは限らないわけです。下手な鉄砲も数撃ちゃあたるというわけです。
大事なことは、お子様が通う塾で指導されることによって
ということに尽きるのです。
私は清水谷高校卒業ですが、有名進学塾出身の同級生は「関関同立」や「阪大・神戸大」といった、大学の名前にこだわり、学部を片っ端から受験するという「何のために大学に行くの?」という受験をする者が何名かいました。その後目的を見失って退学するという同級生を複数見てきました。勉強は「偏差値」や「大学の名前(学歴)」のためにするのではなく、「自分の将来をより確かなものにするため」に行くわけです。本来は。
だから私は、「私塾」と言う存在は、「生徒の伸びたいという気持ちに応じて、その生徒の能力をできる限り伸ばすこと」にその意義があると思っています。お勉強が嫌いで学力の伸びない生徒が、1年・2年と時間をかけて伸びたときに、この上ないうれしさと、頑張ってくれてありがとう!という感謝の気持ちにあふれるのです。
もちろん私の教室に対して①「会う子には合うけど、合わない子には本当に合わないよ」とか、②「手のかけ方の差が激しいよ」とか、③「そろばんだけ出来たって結局大して意味がないよ」とか、いろいろとうわさがあることも承知しています。
①には「はい、何度話しかけても、手を尽くしても、本人に当たり前のことを当たり前と思える気持ちがないなら、私の教室には絶対に合いません」
②には「子供の個性に応じて、たくさん手をかける子もいれば、ピンポイントで手を差し出す子もいます。個性をできる限り把握して、個性をできる限り尊重することを心掛けています」
③には「そろばん1級取得者の能力の伸び方は違うということを、教え子たちがきちんと証明しています」
とお答えします。そろばんの指導を小学生の間に行うことで、できる限り正しい物事への取り組み方を指導したいのです。だから、好きなことを陰で言う方々には、頑張ることを決めた私の教え子たちが、その頑張りで黙らせてくれるんだと思います。
試験前に過去問(予想問題)を繰り返し解かせます。
こうした塾さんのすべてに共通すること。それは「実力にならない」ことです。与えられたことを暗記するだけ。今やるべきこと、しなければいけないことを自分から考えようともしない生徒を続々と生み出しているのです。
さらに言えば
「入試問題の予想問題ってあるんですか?」
「高校進学後も定期試験の予想問題を提供するんですか?」そしてこうした塾さんに共通すること。それは「各高校への合格率が公表されない」ということです。
たとえば、公立上位高校への合格者数が50名!と書いてあっても、その塾から50名受験して50名の合格ならばすごいことです。が200名が受験して50名の合格なら、合格率はたったの25%でしかないわけです。
つまり、生徒数の多い塾さんであれば、高校の競争倍率よりも塾生の競争倍率の方が低い場合(先の場合でいえば4倍となりますね)もあるわけです。これが数字のマジックです。母数(受験する生徒の人数)が多ければ多いほど、合格率は悪くとも合格者の絶対数は増えるわけです。
だから、たとえば10名受験して、10名合格なら「合格者10名」となりますが、200名受験して50名合格なら「合格者50名」となるわけです。つまり「合格者数」が多いからと言って、すごい塾とは限らないわけです。下手な鉄砲も数撃ちゃあたるというわけです。
大事なことは、お子様が通う塾で指導されることによって
お子様がきちんと学習に対する姿勢が正しく伸びているか?
ということに尽きるのです。
私は清水谷高校卒業ですが、有名進学塾出身の同級生は「関関同立」や「阪大・神戸大」といった、大学の名前にこだわり、学部を片っ端から受験するという「何のために大学に行くの?」という受験をする者が何名かいました。その後目的を見失って退学するという同級生を複数見てきました。勉強は「偏差値」や「大学の名前(学歴)」のためにするのではなく、「自分の将来をより確かなものにするため」に行くわけです。本来は。
だから私は、「私塾」と言う存在は、「生徒の伸びたいという気持ちに応じて、その生徒の能力をできる限り伸ばすこと」にその意義があると思っています。お勉強が嫌いで学力の伸びない生徒が、1年・2年と時間をかけて伸びたときに、この上ないうれしさと、頑張ってくれてありがとう!という感謝の気持ちにあふれるのです。
もちろん私の教室に対して①「会う子には合うけど、合わない子には本当に合わないよ」とか、②「手のかけ方の差が激しいよ」とか、③「そろばんだけ出来たって結局大して意味がないよ」とか、いろいろとうわさがあることも承知しています。
①には「はい、何度話しかけても、手を尽くしても、本人に当たり前のことを当たり前と思える気持ちがないなら、私の教室には絶対に合いません」
②には「子供の個性に応じて、たくさん手をかける子もいれば、ピンポイントで手を差し出す子もいます。個性をできる限り把握して、個性をできる限り尊重することを心掛けています」
③には「そろばん1級取得者の能力の伸び方は違うということを、教え子たちがきちんと証明しています」
とお答えします。そろばんの指導を小学生の間に行うことで、できる限り正しい物事への取り組み方を指導したいのです。だから、好きなことを陰で言う方々には、頑張ることを決めた私の教え子たちが、その頑張りで黙らせてくれるんだと思います。