雲は完璧な姿だと思う。。

いつの日か、愛する誰かが「アイツはこんな事考えて生きていたのか、、」と見つけてもらえたら。そんな思いで書き記してます。

不動明王

2018-01-29 20:01:00 | 凄い
ま、ここまで記しちゃったので、
次回は深遠なる不動明王さんに関する秘密!?奥義!?
みたいな話を記しておこうかと思い立ったりなんかして。
またお坊さんに説教されちゃったりして。
ワンワンと———————




—————————なんていう前回記事の続きとなる不動さんのお話をば。
今回は、少々。



上の写真は、草場一壽(くさばかずひさ)さんの描く見事な不動明王さん。
そして、少々不可思議に思われるかと思いますが、
「雲完的」不動明王さんのお話しというのは
「7」という数字の話から始まることになります。

「7という数字が何故?
古今東西のあらゆる所で幸運な数字とされてきたのか?」

なんて、そんな話から入っていくのです。が、
実は、この事に関しては過去にも一度記していました。
「よい、月夜を。」
と題したその時の記事から、
そんな部分を少し抜粋して転載しますと......




==================================
古来より、多くの星々が天空を動いていくのを人々は目にしてきました。
いつも変わらぬ間隔で一定の動きをする無数の星々。
そんな星々の中で「月」や「太陽」のように、
それらの星々とは別に「独自に動く」天体もいくつか見つけていました。

電気も煌びやかな大都市も無かった時代。
夜空は勿論、宵や明けの空にソレを見つけだすという事は、
人々にとっては容易い(たやすい)事だったのだと思います。

その「肉眼で見える」独自の動きをする天体というのは
「太陽」「月」「水星」「金星」「火星」「木星」「土星」です。
「天王星」「海王星」「冥王星」などは
遠過ぎて肉眼では見えていませんでした。
太陽は恒星といわれる星。
月は地球の衛星。
その他はイワユル惑星と呼ばれる星々です。

その数は「7」つ。

「ラッキーセブン!」「七福神」
「七草(粥)」「7不思議」「初七日」「七転び八起き」......
聖書の「創世記」においても、
神は「最初の7日間」で世界を創られています。
現在の「一週間」も、今の所、上記した星々の名前で記されています。
数学的にも「7」というと、
とても重要でマジカルな数字である
「素数=prime number」の一つとなっています。

......どうも、洋の東西を問わず、
この「7」という数字は特別視されているようにも思えますが。
その一因としては、皆が同じ様に見ている「空」や「天体」の動きから
こんな思想が共通して育まれたのではないか......という気もします。
==================================



不動明王さんのことを真摯に話そうとする時、
僕ら一部のポンチキーズにとって、
上に記したことは実はとても重要なこととなるのです。
常に規律正しく、一定のパターンで天空を周り動く無数の星々。
そんな星々の一連の動きをバックに、
独自の軌道で天を駆ける7つの天体。
更には、そのどちらの星々にも共通して言えることがあって、
それが......

「全て、地球から見て動いて見える星(恒星、惑星、衛星)である」

ということ。
そしてここで不動明王さんの文字をよくよく見直してみると、
そこには「不動」という文字が入っています。
「明」や「王」という文字も。
当り前ですけども......(*´ω`*)ぷすぷす。。
これらの文字の持つ意味をシンプルに、平たく言えば、
「決して動くことの無い、明るい王」
といった感じにでもなるでしょうか。



————————もうお分かりでしょうか。



地球から見て、



決して動くことの無い、



明るい、



まるで星々の王の様な天体というものがあるわけです。



そうです。



北極星です。



地球の北半球から見える天体の中で、唯一、絶対に動かない星。



地球の自転軸の延長線上にあって、明るく輝く星。



まるで、全ての星々がこの星を中心に回っているかのような、



王を守り、慕ってもいるかの様な、



そんな星が北極星。



そして、不動明王。



空海さんの真言宗(密教)や、
最澄さんの天台宗(台密)を始めとする
多くの宗教などによって海外より伝えられ、
広められもして来た「明王」と呼ばれる尊格の信仰。
中でも不動明王さんは、
空海さんが最初に持ち込んだとも伝わっていて。
その神徳の並外れた強さからか?
宗派や宗教の枠も超えて日本各地のあらゆる場所に祀られていたりもします。

そんな、不動さんを伝えた空海さんや最澄さんが学んだ外国というのは、
当時の大国、唐(中国)であって、
大和朝廷が文化交流や習得の為に派遣していた、
所謂「遣唐使」というシステム。
勿論、当時は飛行機など無いわけで、
唐に行くには船で日本海の荒波を命懸けで乗り越えて行かなくてはなりません。
当時の船は性能も低く、様々な用具や機能も未発達。
航海術にしても未熟だったはずで、もし唐に無事辿り着けたとしても、
その後帰国できる保証など全く無い時代。
片道切符の覚悟が必要な旅。
そんな危険な旅に決死の覚悟で乗り出した人々が、
航路や道路の行き先を見定める為に使ったモノは、間違いなく、
天空で唯一動かない頼れる星。北極星。

常に真北に輝く北極星さえ見つければ、
太陽の無い暗闇でも全ての方角が瞬時に分かります。

空海さんも最澄さんも、道元さん達にしても、
きっと皆、そんな北極星の重要さと力とを、
命を賭した旅の中で強い実感も持って見出していたはずです。
「道しるべ」的な存在の有難さみたいなものも感じていたかもしれません。
不動明王さんの姿には、そんな「頼り甲斐のある」
北極星のイメージも重ね合わされている様な気もします。
また、北半球であれば、
北極星の位置はどこからでも変わらずに見つけられもするわけで。
そんな「万民共通的存在」のイメージや
力も不動さんに加えられている様にも思えます。
日本全国での親しまれ方や祀られ方にあまり相違が無い様に感じられるのも、
そんな北極星の特徴の現れなのかも?しれません。



不動明王とは北極星である......と、

個人的には確信的に思えたりもしちゃうのです。

正確な表現をすれば、

「北極星の力が地上に顕現したものが不動明王」

ではないのか、と。

北極星そのものという事ではなく、その力の権現ということ。

イメージ。

では、

不動さんを力や影響力とすれば、

そんな「北極星存在そのもの」とはなんぞや?と。

次にはそんな話も出てきたりして。

地球から見て天の中心に座し、全ての星々がこの星の周りを巡り廻る......

天の中心に座す星。神。



———————天之御中主神(アメノミナカヌシ)



もし、そうなると、

不動明王さんと言うのは天之御中主神の化身でもあって、そして、

強力無比な眷属さんでもある。と。

最高神に仕える最高の眷属。

空海さんの曼荼羅は、故に、太陽系界を表すのではなく、

広く宇宙世界を表すのではないのか、と。



きゃぁぁぁーーーーーーーーっ!Σ(゚ω゚)!!



お坊さんに怒られるぅーーーーーっ!(@。@)



もし、このことが奥義や秘儀であると仮定して、そうなると、
このことを知っていた人というのは、歴史上わずかしかいなかった......
様にも......
僕には感じられます。
勿論、スーパースター空海さんは、
この事を最初から分かっていたであろう最たる人で。
そもそも不動さんが大日如来の化身とも言われ、今に伝わっているのは、
太陽も夜空に輝く星々も全て同じ「恒星」と定義されるからでもあると思われ。
空海さんはそんな事もちゃんと理解していて。
しかし、それ故にこのことが、
どーーーも長い歴史の中で少しづつズレていってしまい、
いつの頃からか、誰かが?
「不動明王=大日如来=太陽」
としてしまった......なんていう気もしています。
太陽神アマテラスさんを頂くコノ国においては、
この方が民衆も理解しやすいですし、広め安い。
致し方のないこととも思えます。



ああぁ!?



やっぱり偉い方々にこっぴどく怒られそーでつのぉぉぉ......( ̄▽ ̄;)



不穏な流れになってきた!?ので、
今回のポンチキ話しはこの辺りで一旦の終了とさせて頂きますでそーろー。
いつでも逃げますので。何卒。よしなに。
広大無辺な不動さんの御心でもってお見逃し頂ければと。
ええ。ええ。(*´ω`*)



神様にお呼ばれして、
ポンチキーズの4人で訪れた長崎県、五島列島の福江島。



島に上陸した時に出迎えてくれた巨大な光の柱。
その直後に、どうしても立ち寄らなければならぬぅぅ!
と向かった場所がこの明星院。
西暦806年。
空海さんが唐から帰った直後、
日本列島で一番最初に立ち寄られたお寺なのだそうで......



空海さんはこの院で唐で修めた密教が国家や民衆のために役立つよう、
虚空蔵菩薩さんに一昼夜、厚く祈願されたそうです。
すると翌朝。東の空に輝く明けの明星......金星......を見つけ、
それを瑞兆と思い、
この院を「明星庵」と名付けたと伝えられています。



不動さんは空海さんが持ち込んだと伝わる明王さん。
そうすると......不動さんの日本初上陸地というのはココなのかも!?
しれません。
お寺の上の空も突然割れて、強くうねり、龍神さん感も満載なのでつ......(^^)



福江島は「遣唐使所縁の地」としても有名です。
上にも記した通り、本当に命懸けの片道切符という唐への旅。
空海さんは勿論、
そんな遣唐使であった皆さんの情熱や修業意欲には敬服してしまいます。
そんな旅の出発点であり、帰還点でもあったこのお寺には、
歴代遣唐使さん達の石碑もズラリと並び置かれていました。
ポンチキーズは彼等全員にも心ばかりのお酒を捧げさせて頂きました。



この時、ポンチキーズの面々には空海さんから
「是非、本堂に上がっていけ......」
と、そんな導きと御言葉を頂きまして。
本堂までズラズラと上がり込ませて頂きました。
どーも今年は、この記事や年始記事に書いた出来事なども含め、

「空海さんが強く動いている年!?」

なんて感じで。
今にして思えば、
そんなニュアンスの最初のサインを頂いたのは昨年の、
この福江島だったという気もしていて。
そして、そんな空海さんとポンチキーズの縁を考えてみると、
もう一つ思い出されるのは、

「ポンチキーズの面々に会うのだ......」

と言ってくれたのは、
他でも無い空海さんだったという3年前の出来事......

そう、か......

次回はそんな話でも?

すっぺかな?

空海さんと弁天さんが導いてくれた「ある夜の夢」から始まった出会いのお話。


そだね。そだそだ。

そーしよう。(^ν^)おつかれさまぁ〜☆



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