雲は完璧な姿だと思う。。

いつの日か、愛する誰かが「アイツはこんな事考えて生きていたのか、、」と見つけてもらえたら。そんな思いで書き記してます。

砂場

2017-07-09 13:57:22 | セツナイ
6月30日。先月末。
東京で一番古い歴史を持つお蕎麦屋さんの一つが閉店してしまいました。
お店の名前は「巴町 砂場」=「ともえちょう すなば」
そのお店に行くと、
いつも僕が好んで頼んでいたメニューさんというのがこれ。
「趣味のとろろ蕎麦」



先ずは、
とろろの中に隠れているタマゴさんをプチッ♪と割るのでやんす。
ええ。



とろろ汁をつけてススルってなもんで。
ええ。ええ。
江戸っ子だってねー。( ´ ▽ ` )



ご飯を別で頼むのが礼儀ってなもんで。
ええ。ええ。
俺って埼玉出身やんけー。(`・ω・´)



蕎麦を食べ終わったとろろ汁をカケちゃうなりよーーー♪ってなもんで。
お茶の器もナンカ好きーってなもんで。( ̄▽ ̄)



最後はもちろん、
トロロが少しくっついているつけ汁にホンの少しだけ出汁を足して......



蕎麦湯ゴ〜〜〜!っと。





「砂場」さんと言えば、
更科(さらしな)や藪(やぶ)と並ぶ江戸三大蕎麦!
江戸蕎麦御三家!
と言われる暖簾(のれん)グループさん。
中でも一番古い歴史を持つのがコノ「砂場」さんとなるのですが、
「巴町 砂場」さんと言うのは、
そんな「砂場グループ」の中でも最も古く。
家元の一つとも言える蕎麦屋さんでした。
という事は、東京では最も古い蕎麦屋さんの一つ。
記録に残るところでは、江戸時代、1815年には既にあったようで。
この時の店名は「久保町すなば」。
その後、1839に現在の地に移転し「巴町 砂場」と名前を変えたそうです。
そして「砂場」という暖簾(のれん)や名前自体の歴史を辿ると、
その起源は「ハッキリと実証されてはいない」ながら、
あの豊臣秀吉が大阪城を建て始めた1583年頃にまで遡れる可能性もあるようなのです。
もしそれが本当であれば、今から420年以上も前!
というトンデモなく長い歴史を持つ暖簾となります。



そんなお蕎麦屋さんが「砂場」なのです。



ちょっと不思議な感じもする「砂場」という名前は、
一部の資料が示すところでは、どうも、
一番最初にできたお店が大阪城建築時の資材置き場の中の
「砂置き場だったから......」
だそうで。
勿論、当初のターゲット!?は大阪城の建築関係者の皆さんだった様です。
それが、その後「大阪 砂場」として江戸(東京)に移転。
程なくして巻き起こった空前の江戸っ子蕎麦ブーム!?にも乗って大ブレイク。
「暖簾分け(のれんわけ)」という形で次々と同名、同盟の店舗を増やしていき、
現在に至るまで一大「砂場チェーン」的世界を築き上げて来た......
ということで。



面白いのは、
江戸を代表する食文化的にも思われる
「蕎麦」の最初の名店が大阪発祥であったという点。



当時、様々な文化や先進的なモノモノというのは、
江戸時代に先立つ平安の昔から栄えていた関西の方で生まれ、
育っていることが多く。
そんな時代の最新トレンドは

「関西=上方=かみがた」

の方から東に流れてくる......といった形が定番だったそうです。
そんな風に最新流行が東に流れてくることを

「下る=くだる」

と言い。
その流れに乗れず、
江戸や東の国にまで下ることができないようなダッサイ!?
モノモノは

「下ることが出来ないモノ=くだらないもの」

といわれていたそうで。
今でもしょっちゅう使われる

「クダラナイ」
「くだらねー!」

という言葉の語源というのは、実はこんな感じらしいのです。
お蕎麦好きが高じて、いっ時、蕎麦の歴史を勉強している時に身についた、
仕事に全く役に立たない情報なのですが。ええ。ええ。
くだらねー( ̄3 ̄)話でして。ええ。
くだらねーB級野郎としてはこんな本も持っていたりするのでやんす。
「蕎麦屋の系図/岩崎信也」



さてさて......冒頭の写真さん達は、
そんな由緒深い「巴町 砂場」が閉店してしまう間際の日に、一人、
なんともいえない複雑な心境で、
大好きな「趣味のとろろそば」を食べに行った時のもの。
お店は、近代的な新しいビルの一階にあって、最早そんな歴史がある店......
という感じには見えない雰囲気でもあるのですが、
そんな店の看板も心なしかちょっと寂しがっているような気がしました。



このお店に思い出があった人って......

これまで......

どれくらいいたのでしょうか......

また一つ、

ささやかな灯りが、

歴史という時間の中に溶け込んでいくようにも思えました。

僕はただ黙って蕎麦を噛みしめるだけ。

ありがとうございます、と、

ただ静かに見送るだけでした。



こんな気持ちを理解してもらえそうな友人の一人、
天下のグルメ人「K様」に

「巴町の砂場が閉まるの知ってるー!?」

とメールをしてみました。
返ってきた返事は

「知ってた!俺も今日のランチ、全く一緒(笑)......寂しい」

流石のK様。

「なんだ、最後にコイツと食べに行けばよかったなぁ......」

と。なんとなく後悔もしたのでした。(^^)



上の記事にも出てきた、
今に続く「砂場」暖簾のもう一つの家元とも言えるお店。
「南千住 砂場総本家」
東京、荒川区の三ノ輪という駅のほど近く。
「ジョイフル」と言う昔ながらの下町アーケード商店街の中にあります。
記録確認が出来る創業年は1848年。
その時の店名は「糀谷七丁目砂場藤吉」
此方からは、現在の虎ノ門にある「虎ノ門 砂場」も分家しているようです。
こちらがその「虎ノ門砂場」さん。



南千住系の砂場さんは比較的古き佇まいを残しているお店が多いようで、
B級の僕にはたまらんポンチなのでございます(^^)かしこ。

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コメント (6)
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