脳脊髄液減少症患者のつぶやき、「とりあえず、生きてみよか・・・。」

過去から現在へ、脳脊髄液減少症、体験克服記。

ブログ満2周年

2008年08月08日 | つぶやき
今日で、ブログを書き始めて満2年が過ぎました。

8月8日にブログをはじめたのは、
末広がりの「八」に願いをこめてのことです。

この病気の理解が末広がりに世間に広がっていきますように・・・・

この病気に取り組む医師たちがどんどん広がっていきますように・・・

原因不明の症状に苦しむ多くの方がたに、
この病気の存在をどんどん気づいてもらえますように・・・

患者の未来が広がっていきますように・・・・・

優秀で患者を助ける強い意志を持った研究者に、
この病の理解がどんどん広がり、研究に力を貸してもらえますように・・。

と、数々の願いをこめてここまで続けてきました。


当初最低でも3ヶ月もてば上出来だと思ってはじめたブログです。

社会不安障害の症状がきつく、
正直ネットも、メールも恐怖心をぬぐいされないまま
精神的負担を感じつつの開始でした。

かなりの勇気とエネルギーがいりました。

2年前の今日は、
その数ヶ月前から、ずっと考えていたことを実行した日でした。

そんな私が人との触れあいに次第に慣れ、

それと同時に心も解放され癒されながら、
ここまで変わり、回復してこれたのは、

ブラッドパッチ治療による心身の回復もさることながら、

ブログを通じて出会った

あたたかい言葉で、
応援し、励まし、共感してくださった、
皆様方がいてくださったからです。

ネット上ですが、
皆様の出会いと交流を通じて、

こういう症状に苦しんでいたのは
自分だけではないと、改めて実感し、孤独から少しずつ
解放されてきました。

自分の病名でありながらも、
よくわかっていなかった、脳脊髄液減少症という後遺症についても、

皆様がお寄せいただいた情報や、体験を知ることで、
深く理解することもできました。

ですから、
自分がわかったことや、気づいたこと、知ったことは、
自分だけの理解にとどめず、

後に続く患者さんのためにも、
これからも発信していこうと思っています。

今まで応援してくださった皆様方に、
深く御礼申し上げます。

開始からたった2年なのに、
もっともっと長い時間がたったように感じます。

まるで、5年くらい過ぎた感じがしています。

それぐらい、この2年は
私自身も長く苦しかったのかもしれません。

脳脊髄液減少症を取り囲む社会の認識も
2年前とは少しずつ変わってきました。

病名だけは知っている方も、周囲に出てきました。

この病を知っても、否定しない医師も、近所に出てきました。


まだまだこの病が光を浴びるまでの、道のりは険しいかもしれません。

でも、
この病態は確かに存在するのですから、
理解される日がくることを信じたいと思います。

同じ病名の患者さんとスクラム組んで、

否定派の人々の、
自己保身に必死で、心無い自分勝手な言い分に負けないで、

あきらめずに前に進んで行きたいと思います。

交通事故は今日も日本のどこかで起こっているはずです。

いえ、世界中で起こっているはずです。

もう2度と、長期間「異常なし」とほったらかされる
脳脊髄液減少症患者を出さないためにも、

もう2度と、私のように症状で人生を翻弄される被害者を出さないためにも、

後から続く患者さんや、
交通事故被害者のために、

声を上げ続けたいと思っています。

そうしなければ、
自分の今までの人生が、無駄になってしまう気がするから。



最近、回復につれ、行動範囲も少しずつ広がり、
パソコンに向かう時間も限られて、
病気仲間の皆様のブログを覗きに行くことも少なくなってきました。

このブログのコメントも、
メールも今は基本的にお休み中で、

ここに来てくださっている皆様方への
数々の失礼もあります事を
どうかお許しください。

今は、限られた時間とエネルギーを、
記事を書くことに、まわしたいと考えています。

この病態について、
すべて書き終えたと思うまでは、

たとえ、休み休みでも、可能な限り、
この病態で体験した事実を、
気づいたことを
お伝えしたいと思っております。

自分のための、非公開記事も含めて、
この病態で経験してこと、気づいたことを書き留めたいと思います。

いつか必ず、
この見えない怪我を負った患者が、
社会全体に理解され、救ってもらえる日がきますようにと

以下のさまざまな願いをこめて書き続けます。


交通事故で脳脊髄液減少症の被害者になっても、
充分に補償され、治療費を出してもらえ、

いつでもどこでも、
すぐに検査、診断、治療してもらえる医師が身近にいて
救ってもらえる日がきますように・・・。

働けない、動けない、外出できない、
買い物にもいけないというような状態の闘病中も、

ヘルパー派遣の対象となるような、
福祉制度も整う日がきますように・・・。

学校へ行けない状態の、脳脊髄液減少症のこどもの患者には、

寝ながらでも、
水分をいくらでも自由に取りながらでも、

トイレに授業中、からかわれずに何度でもいつでもいける環境にいられて、
いじめにあうこともなく、
数多い症状を充分理解され、

高次脳機能障害があってもそのこどもの症状に応じて、
何らかの学べる環境が、整えられますように・・・。

大人も子供も、脳脊髄液減少症患者は、
病人、けが人として認めてもらえ、
世間に支えてもらえる日がきますように・・・。

そして、さらに、
脳脊髄液減少症の大人やこどもたちが
社会復帰や家庭復帰や、
学校復帰がスムーズに行くように、

リハビリ医や、
作業療法士や、理学療法士の専門的な支援も、
保険で当たり前のように受けられ、
患者の社会復帰を助けてくれる日がきますように・・・。

いつどこで事故にあっても、適切に早期診断、早期治療にむすびつく仕組みが整い、
専門医に繋がるネットワークができ、
それにより患者、被害者が早期に回復し、
早期に社会復帰できる日がきますように・・・

自分には何の罪もない交通事故で
脳脊髄液減少症にさせられた被害者が、

仮病扱いされたり、保険金詐欺師扱いされたり、
怠け者扱いされたり、

だらしがない、のろい、機転がきかない、落ち着きがない、
やる気がないと誤解されたり、
トラブルを引き起こしてしまったり、

職場や学校でひどい目にあいませんように・・・。

戦争と同じく、
もう2度と過去と同じあやまちは繰り返してはなりません。
過去のあやまちは無かったことにするのではなく、
見ないようにするのではなく、

事実は目を背けず、きちんと正視し、受け止め、
反省すべき点があれば反省し、そこから学び、
未来に生かさなければなりません。

否定派医師と、
否定派保険会社のこの病を闇に葬ろうとする行為は、

戦争のあやまちから何も学ばず、
過去の失敗も間違いも正視せず、

自分に都合の悪いことに目を背け、事実を認めず、
また、同じ戦争をくりかえそうとしていることと
同じ行為だと思います。

現在すでに脳脊髄液減少症治療に積極的に取り組んでいる医師が、この病態の研究者として選ばれ、

積極的に研究が進み、

さらによい治療法が見つかりますように・・・。

さまざまな願いをこめて
力の続く限り、書きたいと思います。

社会は意地悪で、利己的で、思いやりのカケラもないひどい人たちばかりではないはずです。

私達の苦しみを理解し、訴えを信じ、助けてくれる健康な人たちだって
たくさんいるはずです。

その方がたに伝え続ければ、
いつかきっと、

社会全体で理解してもらえ、救ってもらえる日がくるかも知れません。

そんな日が、
必ずくることを信じたいと思います。



    


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今夜はオリンピック開会式かぁ (ゆめ)
2008-08-08 20:57:11
余談です。・・・・

昨日は「完治の予感」を書きましたが、
書いた直後から、
夕方から脱力が起き、呼吸も苦しくなり、
意識も、もやもやグラグラしてきて、
しんどくなりました。

それでも、夕食の準備は、あえぎながらも必死でこなしました。

だって代わりにやってくれる人がいないから・・・

こんな時はまた、
やさしい保護者がいてくれる、患者になりたくなります。

家事が365日休めない、
逃げ道がないってことが、

大人の患者の闘病生活で、非常にきついことです。
でもそれが、厳しいリハビリになっていると信じるしかないです。

正直、「完治の予感」なんて書いて気が早かったかも、と書いた後で思いましたが、

本当にここ2,3日体調が良くて、「完治の予感」したのは事実です。

まだ、一日中安定して、普通の方のように、
朝起きてから寝るまで苦痛なく、おきて活動できる状態を保つことは
なかなか難しいようです。

でも、あきらめませんよ・・・
ここまで治ってきたんだから・・。

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